君は、ポケモンに対して性的興奮を覚えた経験があるだろうか。
恥ずかしながら、僕はそういう経験がある。あれは、少年時代の制御し難い熱病がさせた、反生殖的な戯れだった。
僕の実家は、両親がポケモン関係の仕事に就いていたので、日常的にポケモンが闊歩していた。
僕の親が持つポケモンだけでなく、他所から預かってきたポケモンもいた。家では人間の数より、ポケモンの方が多かった。
だから僕は、他の家の子供より、幼いころからポケモンに親しんでいた。
そんな僕にとっても『彼女』は特別だった。『彼女』は、両親の自慢の種だった。
『彼女』は、所謂キルリア、と定義されている種族のポケモンだった。ラルトス、キルリア、サーナイトと進化するあのキルリアだ。
ラルトス系統は、今でも比較的人目に触れる頻度は少ないが、僕が子供だったころだと、今以上に希少だった。
どれくらい貴重だったか。例えば、当時の僕たち家族は『彼女』を「キルリア」と呼んでいたんだ。
おかしな話だろう。人間に向けて「ニンゲン」とか「ホモ・サピエンス」とか呼びかけるようなものだ。
それでも別段不都合は無かった。僕の住んでいた町に、キルリアは『彼女』しか存在していなかった。
あと、僕は『彼女』と離れてからの数年で、『彼女』以外のラルトス系統個体を目撃する機会が無かった。それぐらい珍しかった。
『彼女』と初めて出会った時のことは覚えていない。確か、僕と『彼女』の背丈が変わらないぐらいの年齢だったと思う。
キルリアの身長は、高くとも1メートル以下だ。だから『彼女』とは、相当小さいころからの付き合いになる。
物心付いた時から『彼女』は僕の家にいた。両親は仕事に打ち込みがちで、『彼女』が幼い僕の面倒を引き受けることも多かった。
幼いころの僕は泣き虫で、僕がぐずった時に『彼女』は、宙に浮いてくるくる回転したり、念力で物を浮かせてあやしてくれた。
人間で言う所の、肩口ぐらいまで伸ばした緑色の髪(らしきもの)が、回転の遠心力でひらひらするのが僕のお気に入りだった。
たまに僕は『彼女』のその様子が見たくて、これ見よがしに嘘泣きしてみせたが、『彼女』にはまったく通じなかった。
当時から、僕は『彼女』が他のポケモンと、どこか違った存在であると思っていた。
そう思っていた理由を一言で説明するとすれば、人間臭かった、とでも言えばいいんだろうか。
といっても『彼女』らキルリアの体型は、人間と言うより人形に近い。
頭を覆う若葉色を髪の毛――人間のそれと違って癖がついたり、枝毛ができたりはしないが――を見ると、
頭から二つ突き出ている半円形の赤いツノは、髪飾りに見えなくもない。絹と同じくらい白い肌に、大きく赤い瞳。
胴体は真っ白いワンピースドレスを纏っている風にも見えた。裾から腰までの身頃が、バレエのチュチュのように広がっている。
それに大きく入ったスリットから、髪と同じ若葉色の細い脚が覗くのが、あどけなくて、そして華やかだった。
僕は『彼女』の姿態にいたずら心をくすぐられ、『彼女』の洋服っぽい身体を捲ろうと、何度も挑んだ覚えがある。
しかし『彼女』は、僕のあらゆる企みを完璧に阻止した。『彼女』らの身体の詳しいところは、結局よく分からないままだった。
人間臭さの原因は、『彼女』の立ち居振る舞いだった。『彼女』は言葉を喋れなかったが、僕らの話す内容を理解していた。
その上『彼女』は、僕らの感情をも理解しているとしか思えない行動をとることができた。
さっき、小さかった僕が『彼女』にあやしてもらっていたことを話したが、丁度あんな風な感じだ。
嘘泣きしてみせたら、明らかに呆れた目で見られたこともある。無言で見返されると、なかなか気まずかった。
今ならそういう行動は、エスパーの為せる技だと分かる。『彼女』らキルリアは超能力を持っていて、人間の感情を読み取れるから。
当時の僕には、『彼女』が僕の全てを見透かしているように思えた。それは気恥ずかしくもあり、安心できることでもあった。
そんな『彼女』だから、両親も僕のお守りをさせてたんだろう。僕らは『彼女』をモンスターボールに収納することすら無かった。
『彼女』のためのモンスターボールは、事実上お飾りだった。
月日が流れ、僕の背丈は『彼女』に並び、何年と経たずに『彼女』を追い越した。
そのあたりの時期に、僕は他の子供たちと一緒に学校に通い始めた。
子供という生き物は、物珍しい存在に対する執着心が強い。かつての僕らもそうだった。
だから、僕にとって『彼女』は自慢の種だった。僕の考える事も、両親と変わらなかったんだ。
珍しくて、利巧で、小奇麗な『彼女』は、これ以上無いほどきらきらして見えた。
『彼女』の白さより光を照り返すものは無かった。その白さに対して、緑と赤はいつも鮮やかだった。
また『彼女』の身体はどんな手触りがするか、見ただけでは想像がつかない。
披露した相手は例外なく『彼女』に触らせて欲しいとせがんだが、僕は絶対に触らせてやらなかった。
『彼女』の神秘的な感触を味わえるのは、僕のみでなければならなかったんだ。
学校の規則でポケモンの持ち込みは禁じられていたから、おおっぴらに学校へ連れていくことはできなかったが、
僕は事あるごとに『彼女』を級友に見せびらかしていた。『彼女』はいい顔をしなかったが、僕は気にしなかった。
学年が上がると、自分のポケモンを捕まえる子供が少しずつ増えていった。ポケモンバトルに興じる友人も出てきた。
それでも僕は、野生のポケモンを捕まえようとしなかった。どのポケモンも、『彼女』と比べると褪せて見えたからだ。
ある日の放課後、僕は友人からポケモンバトルを挑まれた。勝負という響きに惹かれて、僕は考え無しに頷いた。
家に帰って、僕は『彼女』を呼んだ。『彼女』は姿を見せなかった。僕は苛立ちながら、『彼女』の隠れそうなところを探した。
僕は家でも外でも、『彼女』のことを僕自身のポケモンだと扱っていたし、実際そう思い込んでいた。
『彼女』の「おや」にあたるトレーナーが、僕ではないということを、僕はすっかり忘れていた。
『彼女』はクローゼットの中に隠れていた。0.8メートルの身体を念力で浮かせて、冬物のコートの間に挟まっていた。
僕は嫌がる『彼女』を引き摺り出して、ポケモンバトルのことを告げた。『彼女』は赤い瞳で僕を見上げていた。
『彼女』の手を引こうとすると、『彼女』はそっぽを向いて、空中浮遊で逃げ出した。僕は『彼女』を追った。
僕は念力を駆使する『彼女』を取り押さえることができず、『彼女』用のモンスターボールを投げて、やっと閉じ込めた。
手のひらに収まる赤白の玉は、やけに小さく軽く感じられた。
結果から言えば、僕の初めてのポケモンバトルは惨敗だった。バトルと形容すべきかどうかも怪しい有様だった。
他のトレーナーからすれば、子供のお遊びにしか見えないものだったろうが、僕らは真剣だった。
しかし、どれだけ真剣であったとしても、最初から僕と『彼女』に勝ち目は無かった。
僕にも『彼女』にも、バトルの経験や知識は無かったし、そもそもキルリアがバトルの才能にあまり恵まれていない。
おまけに僕は、本来の『彼女』の「おや」ではない。『彼女』は簡単に傷つけられ、倒されてしまった。
日の傾きかけた路上で、僕はぼろぼろになった『彼女』を抱えてへたりこんでいた。バトルの相手は既にどこかへ去っていた。
キルリアの白い手は、普段はボウルに盛った小麦粉のような感触がする。小麦粉との違いは、ほんのりとした体温があるところだ。
けれど、あの時の『彼女』の手は、僕が握るだけでぐずぐずと崩れてしまいそうだった。
折れかけた心に鞭打ち、僕は『彼女』の身体を背負ってポケモンセンターまで歩いた。
『彼女』の体重は20キログラムぐらいあったはずだ。二次性徴前の少年には、決して軽くない負担だったと思う。
ポケモンセンターにたどり着くと、係の人が僕の持っていたモンスターボールに『彼女』を収納し、カウンターへ持っていった。
ひどく非現実的な光景だ、と僕は感じていた。さっきまで背中でぐったりしていた『彼女』が、ついに消えてしまった気がした。
たぶん、あの日まで僕は、本当の意味で『彼女』をポケモンだと意識していなかったと思う。
あるいは、ポケモンという生物が人間にとっていかなる存在か、考えていなかったんだ。
『彼女』は数日で家に帰ってきた。僕は学校帰りにポケモンセンターに寄って、モンスターボール入りの『彼女』を引き取った。
家に帰って、僕はボールを開いた。モンスターボールから出て僕の顔を見るなり、『彼女』はまたどこかに隠れてしまった。
僕は重い足取りで家の中を探して回った。あの日『彼女』が隠れたクローゼットを調べようと、取手に触れると、僕の手は弾かれた。
『彼女』がクローゼットの中から念力を使って侵入を拒んでいる、というのがすぐに分かった。僕はクローゼットに立ち尽くした。
何をしたらいいのか思いつかない。僕は動く気になれなかった。声も出なかった。頭を働かすのも億劫だった。
日が沈んで、電気を点けていない部屋が暗くなった。『彼女』はクローゼットの中で、物音ひとつ立てないままだ。
それから、両親が遅い夕食へ僕を呼ぶ時間になっても、僕はその場を動かなかった。
このクローゼットの扉が開いた時にそこに居られなかったら、僕は二度と『彼女』の顔を見られない気がした。
その時の僕にとって、そこに居座ることは至極当然の行動だった。根比べという認識は無かった。
足が棒になって、僕は床に座り込んだ。クローゼットの片側の扉に背中をもたれさせて、僕は『彼女』を待ち続けた。
気がつくと朝になっていた。僕はクローゼットに寄りかかったまま、寝入ってしまったらしい。
恐る恐るクローゼットの取手に手をかけると、前の日と同じように、静電気のような痺れで手を弾かれた。
僕が寝入っている間も『彼女』はずっとこの中にいた。半日以上経って、その時間が僕に何をすべきか気づかせてくれた。
――ごめん、キルリア、ごめんね。
『彼女』はエスパー。しかも、取り分け感情の機微に通じたキルリアだ。
長い付き合いだった僕の気持ちなんて、扉越しでもお見通しだったはずだ。それでも敢えて、今までクローゼットに閉じ籠っていた。
『彼女』は僕を拒んでいたんじゃなくて、僕が声に出して告げるのを待っていたんだろう。クローゼットの扉は、ひとりでに開いた。
後で僕の両親は、そんなに『彼女』のことを気に入っているなら、と言って僕に『彼女』を譲ってくれた。
晴れて僕と『彼女』はトレーナーとポケモンになったわけだが、僕は最早『彼女』を見世物にする気が失せていた。
ポケモンバトルも、野生のポケモンに挑みかかられて止む無く、というパターンでしか行わなかった。
『彼女』をポケモンとして――つまり人間の所有物として扱うことに、僕が抵抗感を覚えたのは、この出来事がきっかけだと思う。
もっとはっきり言えば、僕は『彼女』のことが好きだったんだ。きっと、他の誰よりも。
そして僕の「好き」が、普通トレーナーがポケモンに対して抱く感情とは別種だということにも、気づいていた。
普通の人たちは、口でどんなことを言おうと、本質的にはポケモンを道具扱いしている。今は、それを悪いと言うつもりもないけど。
話が逸れたね。ともあれ、そんなこんなで僕もだんだん大きくなっていった。声変わりもして、背丈も『彼女』の倍以上になった。
昔のように、面倒を見てもらうようなことが無くなり、代わって学校が休みの日に『彼女』をあちこち連れ出すようになった。
他のトレーナーに会いそうな場所は避けていた。もしポケモンバトルを挑まれたりすると、断るのが面倒だったから……
というのは表向きの理由だった。あながち嘘でもなかったけど。
僕は、世間で『彼女』がポケモンとして扱われているという事実から、少しでも遠ざかりたかったんだ。
相変わらず『彼女』は人間の言葉を喋れなかった。僕は超能力の素養が乏しかったので、テレパスでの会話もできなかった。
『彼女』から僕への意思表示は、いつもノンバーバルなものだった。
だから僕たちの遣り取りは、僕が『彼女』に一方的に話しかけているとしか見えなかっただろう。
おかげで周囲から変人扱いされたが、僕はそれなりに満足していた。
僕と『彼女』の転機は唐突にやってきた。夏の熱い盛りの日だった。
学生だった僕は屋外の焦熱を避けて、昼間から自分の家で夏休みを持て余していた。
僕は冷房を効かせた居間で、テーブルの上に放置された袋入りキャンディを眺めていた。
キャンディは、袋の中でさらにひとつぶずつ梱包されていた。大きさはさくらんぼより大きく、いちごより小さい程度だった。
それらは、店売りにありがちの派手な色紙ではなく、無機質な白い紙を纏っていた。
両親が会社から持ち帰ってきた試作品だ。素っ気無い包み紙のせいで、キャンディというより薬品に見えた。
僕がキャンディを弄ぶのに飽きたころ、『彼女』が僕の後頭部をつついた。
念力で空中浮遊していた『彼女』は、僕の肩越しに試作品を見つめていた。ずっとこれが気になっていたらしい。
両親はふたりとも仕事に出ていた。珍しく他のポケモンも家にいなかった。僕が構ってくれないから退屈してたんだろうか。
『彼女』は赤い目を物欲しげに細めた。おぼろげだが、目遣いだけでも『彼女』の言わんとするところは分かる。
――他の連中には、内緒にしておいてよ。
僕はかさかさした包み紙を開いて、半透明のキャンディを手のひらに乗せた。舐めたら薄荷味がしそうだ。
『彼女』は僕の手のひらを無言で見つめていたが、やがて視線の矛先を僕の顔へ移した。
『彼女』は椅子に座っている僕の真横で、顔の高さが同じくらいになる位置に浮いていた。
僕が『彼女』の意図を読めず困惑していると、おもむろに『彼女』は目を閉じて口を軽く開いた。
――キルリア?
ただの退屈しのぎで『彼女』にキャンディをあげようとした僕は、『彼女』のリアクションに面食らった。
『彼女』は僕の幼少期に、僕の親の代わりに僕の子守をするほど、よくできたポケモンだったから、
こんな甘えた態度を見せられると、それがとても貴重なものに感じられた。退屈は吹き飛んでいた。
僕は手のひらのキャンディを、もう片方の手の親指、人差し指、中指で摘まんで、『彼女』に食べさせた。
人肌より少しぬるい『彼女』の体温が、僕の指先をかすめていった。
『彼女』は口内でもにゅもにゅとキャンディを弄びながら、表情を綻ばせていた。つられて、僕の頬も緩んだ。
――そんなに、これって美味いものなのかなぁ。
僕はキャンディを堪能する『彼女』の頭を撫でた。いつもは、こんな子供じみた扱いをすると『彼女』に怒られてしまう。
それも考えてみれば当然だ。『彼女』は、僕が言葉を覚えるか覚えないかのころから、僕の事を知っている。
身体が大きくなったからと言って、大人面するんじゃない、と『彼女』は言いたいんだろう。
外見が人間の子供より小さくても、知能や精神は十数年分ちゃんと発達しているのだから。
そういう普段とのギャップが、甘えた目でキャンディをねだってくる『彼女』を、一層可愛らしくさせた。
包み紙の残骸がふたつ、みっつと増えていく。幸せそうにキャンディを味わう『彼女』を、僕は飽きもせず見つめていた。
――おいおい、全部舐めてしまう気……どうせなら、ひとつくらい……
あまりに『彼女』が美味しそうに食べるので、僕も残り少ないキャンディに興味が湧いてきた。
僕は手のひらにひとつぶキャンディを乗せ、口の中に放り込んだ。キャンディが味蕾に触れた瞬間、僕は噎(む)せた。
それはもう盛大に噎せた。急変した僕の様子を訝しんで見つめる『彼女』さえ、一瞬だけ僕の意識から消し飛んでいた。
――これは、いくらなんでも甘過ぎるんじゃないかっ……
独り言が音声の体を為せない。刺激のせいだ。殺人的な甘さが、舌やら唾液腺やら顎やらを溶かしていくようだった。
食べた口の方を溶かすキャンディ。ホラーじみた話だ。僕はたまらずキャンディを手に吐き戻した。
そして、僕が衝撃的な味覚から我に帰った時、『彼女』は僕の手のひらのキャンディをぱくりと口に含んだ。
僕は絶句した。あのキャンディの攻撃で催された唾液を、思わず喉音を立てて飲んでしまった。
『彼女』は何が楽しいのか、してやったりという顔でこちらを見ている。僕を尻目に、得意げにくるくる回転し始めた。
緑と白の――もう髪の毛とワンピースドレスにしか見えなかった――『彼女』の身体の一部が、遠心力で舞う。
冷房が効いているはずの部屋で、湯気の立ちそうなほど顔が熱かった。自分でもあり得ないと思うほど、僕の心臓は跳ねた。
キャンディを乗せていた手のひらを握り込むと、まだ『彼女』のくちづけが残っている気がした。
僕が『彼女』の奇襲に悶々としている間に、異変が起きた。
キャンディのおかげで上機嫌だった『彼女』が、急に身体をふらつかせ始めた。
念力が不安定になって、床に落ちかけた『彼女』を、僕は反射的に腕を伸ばして抱き留める。
――キルリア?
『彼女』は目蓋を強張らせていた。何かに耐えているようにも見えた。明らかに様子がおかしい。
かつて背負った『彼女』の身体が、ぞっとするほど軽かった。さらさらともしない感触が、音も無く散っていきそうだった。
普段は人間の平均より幾分低いはずの体温が、今は僕が触れても熱っぽい。
――キルリアっ!
『彼女』は目を閉じて、心許ない身体を震わせていた。以前手酷くやられた記憶を連想してしまう。
どうしたらいいのか分からないまま、『彼女』が消えて行くという絶望感が、久しぶりに僕を襲った。
得体の知れないものを『彼女』に与えた、僕自身の迂闊さを呪う余裕も無かった。
視界がぼやける。眩しくなる。突如現れた光に『彼女』が覆われ、僕の目前からかき消されていく。
光が強くなる。抱えた重さがどろりと融け落ちて、腕の間から零れていく。僕は半狂乱になって叫んだ。
――キルリアぁあアアあっ!!
光の眩さと、訳のわからない状況に耐えかねて、僕は目を瞑った。すぐに目蓋を射抜く光が止んでも、僕は目を開けられなかった。
走馬灯を見るなんて、この時が初めてで……たぶん、次に見るのは、僕が死ぬ時だろう。そのぐらい僕は切羽詰まっていた。
もしかして、光ったってので気づいたかな。そう、この現象の正体は進化だ。つまり、キルリアはサーナイトに進化したんだ。
当時の僕は同年代の平均よりも、ポケモンについて知識が少なかった。あの日、初めてポケモンの進化を目の当たりにしたんだ。
僕が知る限り『彼女』は既にキルリアだったから、ラルトスからキルリアへの進化も、見たことがなかった。
知っていれば慌てることじゃないんだが、幸か不幸か、僕は知らなかった。
サーナイトとなった『彼女』は、照れ臭そうな、申し訳なさそうな顔で、僕に微笑んだ。
キルリアだった面影を多分に残しながらも、サーナイトとなった『彼女』の姿は、完全に僕の目を奪っていた。
カラーリングは変わっていなかったが、背丈は大きく伸びて僕に近くなった。頭身もかなり大きくなった。
頭は内向きにカール気味のショートボブになって、赤いツノも外れた。以前より落ち着いた印象だ。
身体の曲線が、全体的に長く緩やかになった。あらゆる部分が、しなやかに波打つ線で満たされていた。
上半身は、相変わらず細い肩、華奢な腕で、若葉色の領域が増えていた。胸と背中には、赤い板状の半月形が据わっていた。
それらが対称形を成していたので、一つの赤い楕円が『彼女』の胸を貫いているとも見えた。
下半身の変化も劇的だった。前はチュチュ風に広がっていたのが、ロングスカートのように足元近くまでふんわりと覆っていた。
あどけなさと華やかさが薄れて、代わりに気品と奥ゆかしさが色濃くなった。
やがて両親が帰宅して、食べ尽くされた試作品について僕を問い詰めたが、僕は詳しく覚えていない。
確かその時は、『彼女』の胸の、赤くて薄い半月形についてずっと考えていたから。
『彼女』がキルリアだったころの赤い二本角と何か関係があるのだろうか。今でもよく分からないままだ。
『彼女』がキルリアからサーナイトに進化したことで、僕の『彼女』への思いは、より生々しくなった。
比べてみれば、キルリアはまだ人形らしかった。背丈は小さいし、体の作りもあどけない印象を与えるものだ。
性的嗜好の対象というより、庇護欲を呼び起こす存在だった。サーナイトは、そういう点でキルリアと違うと思う。
『彼女』が進化して、初めて外を並んで歩いた時は、『彼女』との顔の近さに新鮮味を覚えた。恋人同士みたいに気恥ずかしかった。
進化で身長が倍近く伸びたのだから、顔も近くなるのは当然? そういう感想は『彼女』をポケモンとして見てないと出ないよ。
常識的な視点から見れば、『彼女』はポケモンでしかない。進化して身体が大きく変化するなんて、ポケモンには珍しくないこと。
だから『彼女』が進化して、急に背が伸びても気にならない。そういう種族のポケモンなんだ、と納得できる。
でも、僕は『彼女』がポケモンである、とは認識してなかった。ポケモンだと認識してないから、進化にも動揺してしまった。
僕は『彼女』がポケモンである、だなんて認めることはできなかった。そんな、自らに冷水を浴びせることはできない。
恋焦がれる対象が、実は何でも自分の言うことを聞いてくれる所有物だったなんて。ふざけた話だ。
『彼女』が――世間のトレーナーによって、遊戯的戦闘の道具や美術品として扱われる――ポケモンと、同じ次元に伍するなんて。
確かに『彼女』は人間の言葉を喋らない。僕の名前すら、一度も呼んだことがない。
『彼女』が僕の心を底まで見透かしている、というのも、思い込みに過ぎないかも知れない。
『彼女』はそういう取り留めのない懊悩を容易く溶かしてしまう。
もう『彼女』がポケモンだとかそうじゃないとか、そんなことがどうでもよくなってくる。
ここで『彼女』を眺めているのは僕だけ。常識的な視点なんて、この瞬間には存在していない。
『彼女』は僕の見た『彼女』でしかない。
――サーナイト。僕が、君のことを好きだって……君を抱きたいって、言ったら、君はどう思うかな。
僕は『彼女』を、キルリアではなくサーナイトと呼んだ。『彼女』をそう呼んだことがあるのは、僕だけだった。
『彼女』は進化してもうキルリアではないから、そう呼ぶのが自然だったが、呼んでみると不思議な充足があった。
僕は『彼女』が進化して間もない日の夜に、狭く薄暗い僕の部屋で、『彼女』とふたりきりになった。
点いている明かりは、蛍光灯の豆球だけ。夕暮れより幽かな視界で、僕は『彼女』と向き合っていた。
『彼女』は、いつだって僕の気持ちを、底まで見透かしていた。赤い瞳に見据えられるのが、身震いするほどたまらなかった。
うなじまで伸びた緑色の髪は、つるつるとした滑らかさを湛えながら、紫煙のようにたゆたっていた。
仄白い肢体は、作り物めいた艶を放ちながら、僕のそばに降り立った。もし僕がこの手を触れたら、どうなるんだろうか。
象牙か蝋燭のように冷たく固く拒絶される。しっとりと包み込んでくれる。儚く霞と消えてしまう。どれもお似合いな気がした。
――サーナイト、僕は、君とひとつになりたい。
あんな形で進化を見なければ、僕はただ『彼女』を眺めるだけで満足していたかも知れない。
無知の産物とはいえ、『彼女』が目前で消えてゆく擬似体験は、僕に一線を超えさせた。『彼女』を失いたくない。
どこまでも深いところでつながることが出来れば、もう『彼女』を失わずに済むと信じていた。
僕は部屋の真ん中に座っていた。そこから、宙に立っている『彼女』を見上げていた。
白くたなびくカーテンのような腰下から、同じくらい白い、すっきりと通った二本脚が、一定のリズムでちらちらと見え隠れする。
僕のすぐそばで、豆球の明かりとカーテンのたなびきが、『彼女』の脚に陰影をかたどる。
沈んでいた部屋の空気がざわめいた。『彼女』の念力の気配だ。
座り込んでいる僕が、手を伸ばせば届きそうなところに、『彼女』は漂っていた。白いカーテンが床に擦れている。
さらに顔が近づいてくる。カーテンの裾が床にぱさりと広がる。中に包まれた脚は、人間で言う膝立ちになっているんだろうか。
『彼女』らに人間と同じ関節があるわけではないが、何となくそう思った。
『彼女』は身体を傾けて、細い腕を僕の首に回してきた。赤い瞳が、僕の目の焦点を引き付けて離さないほど近くにあった。
初めてのくちづけは、『彼女』からだった。喉まで染みそうな甘さだった。『彼女』は、僕をどう感じたんだろうか。
不意に、足から床の硬さが離れる。『彼女』の念力に包まれて、宙に浮かされている。僕はベッドに移動させられていた。
――そういう形式にこだわるんだね、サーナイト。
『彼女』の手を握る。紙細工を連想させるほど儚そうな外見だが、僕の手を握り返してくる。
『彼女』たちの身体には、皮膚も、筋肉も、骨格もない。それなら、これは手と呼んでいいんだろうか。
僕は『彼女』の血潮の塊へ、直に手を当てている気分になった。白いたなびき、赤赤とした胸と比べると、腕の若葉色は優しげだ。
『彼女』は仰向けになっている僕の上に身体を重ねてきた。甘ったるい匂いの他に、メントールらしき冷気が鼻腔へ流れ込む。
甘ったるい方は間違いなく『彼女』の地のもの。とすれば、もうひとつの匂いは、後から振りかけたものだ。
――何かつけてきたんだ。これはこれでいいと思うよ。
爽やかな香りは植物的で、髪や腕によく似合っている。キャンディで壮絶に悶絶していた僕を見て、自分の匂いを気にしたのか。
確かに『彼女』の匂いも甘ったるいが、あのキャンディほどでもないというのに。些細な羞恥心が愛おしい。
――でも、甘ったるいのも、君のだと思えば、嫌いじゃないけど。
僕はむしろ、まだまだ『彼女』の甘ったるさで胸焼けさせられたいと思っていた。
僕はさっきと逆に、自分から『彼女』へくちづけした。『彼女』の味は、鼻の奥まで染まるほど濃い。
そのまま舌を駆って『彼女』の口腔を貪る。水気はたぶん僕の唾液のせいだろう。
昼の暑熱より穏やかな体温に包まれる。眼を閉じていると、『彼女』の中に取り込まれているような錯覚がした。
もっと『彼女』を捕まえたくて、僕は『彼女』の首と背中に手を回した。髪と思しきさらつきが、僕の手の甲をくすぐる。
このまま力いっぱい抱きしめてしまえば、『彼女』の身体にこの手が埋まってしまうんだろうか。
和毛というには、しゃらしゃらとした滑らかさが過ぎる後ろ髪。腕の中の感触がかすかにふらめく。
――くすぐったいのか。
僕は目を開けて、『彼女』の耳を舐り始めた。一層『彼女』の反応が分かりやすくなる。
舌や歯で白い肌をさらう度に、かすかな震えが『彼女』を走り、僕らの回りに青白い光が浮かんで消える。
どこからともなくふわりと現れて、仄暗い宙に音も無く溶けていく。奇妙な光景だったが、僕は恐怖を感じなかった。
蛍のような燦きが、『彼女』の気持ちを具象化したものに見えた。光を受ける『彼女』の稜線が、この場を現実から遊離させていた。
僕は光に誘われるように、再び『彼女』をさすったり舐めあげたりした。
あまり調子に乗っていじり続けていたら、『彼女』に念力で止められてしまった。
反省しろ、と言わんばかりに『彼女』から恨めしげな目つきで見上げられると、僕も気が咎める。
――ごめん、つい楽しくて。それに、すごく綺麗だった。
それを聞いて、『彼女』は幾分まなじりを和らげた。やっぱり口に出して褒められると嬉しいのだろうか。
やがて『彼女』は目を見開くと、僕の下腹部あたりへするすると移動した。
『彼女』を撫でさすって不思議な燐光を浴びていたときから、僕は心身ともに興奮していた。
僕の陰茎はあさましく血を集めてテントを張っていた。衣服を取り除けようと、『彼女』はファスナーをつまむ。
僕はそれに抗おうとして、金縛りをかけられていることに気づいた。『彼女』の仕業だろう。
『彼女』は有無を言わさず僕を弄ぶつもりらしい。さっきの行動を根に持ったのか、単に面白そうだと思ったのか。
苦労する様子も無く『彼女』は僕の部屋着と下着を脱がせてしまった。
触れてもいないのに勃起してしまっている陰茎を、『彼女』は硬直しながら見つめている。
僕ら人間の男にとっては珍しくない現象でも、『彼女』にとっては少なからず衝撃的だったのだろう。
そんなにじっと見つめられると羞恥心が頭をもたげてくるが、僕は何も言えなかった。
『彼女』はそろそろとぎこちない手つきで僕の陰茎に触れた。愛撫のやり方なんか教えていないんだが。
若葉色の細い指が絡むと、見慣れたはずの陰茎が、ひどくグロテスクな代物に見える。『彼女』の手が動き出す。
『彼女』の手つきは、僕が自慰する時のそれをコピーしているようで、僕よりも積極的だった。僕の心を読んだか。
僕自身なら止めてしまう域の刺激も、『彼女』は躊躇無く与えてくる。性感が高まってくる。
僕の陰茎はこれまでにない位ごちごちに勃起していた。勃起しすぎて、苦痛と快楽が紙一重になっている。
このまま出してしまいたい衝動と、まだ『彼女』の手戯に浸っていたい未練との、危うい均衡の上に僕はいた。
久しく見たことのない懸命な顔つきで、『彼女』は作業に没頭していた。金縛りはいつの間にか解けていた。
『彼女』の真剣な様子を見ていると、ふと意地悪な考えが僕の中に過ぎった。
そんな凛々しい顔をされたら、汚してしまいたくなる。汚せるのが僕だけならば、尚更に。
――サーナイト、それ、咥えてくれないか。
最初に比べるとスムーズになっていた手指が止まった。『彼女』は呆気に取られた風で、僕を見つめ返してきた。
『彼女』は僕のいやらしい望みを感知していなかったようだ。『彼女』が察する前に、僕が声に出してしまったのだろう。
『彼女』は逡巡していた。拒否されるだろうな、と僕は思っていた。
刺激を受け続けて、僕の陰茎はぬめぬめした先走りに塗れている。匂いもきつくなっている。
僕より遥かに甘ったるい味を好む『彼女』にとって、陰茎は一段とえぐいはずだ。
よしんば咥えることができたとしても、耐え切れずに吐き出してしまうんじゃないか。
しかし一方で、『彼女』が僕の求めに応じてくれるのでは、という期待もわずかながらあった。
『彼女』は手淫前の倍以上は固まっていた。沈黙が辺りを埋めていた。あまり追い詰めても可哀想か、もう十分いじめたか。
そう思ってベッドから上体を起こした瞬間、『彼女』は僕の陰茎を手で抑えた。生暖かい感触が亀頭に広がる。
『彼女』は、僕が思っていたよりも、少しだけ意地っ張りだった。
陰茎が『彼女』の口腔に包まれるのを味わいながら、僕は『彼女』の頭を撫でた。
手で弄んでいた時は、『彼女』は僕の心を読んで、僕の手淫の経験を手がかりにすることができた。
口淫では同じことができない。僕は自分の陰茎を咥えることができない。『彼女』にもフェラチオの経験なんか無いだろう。
つまりここからは、ぶっつけ本番だ。『彼女』の吸い方は慎重だった。
舌のような器官がちるちる舐めてきたり絡みついたり。長い前髪越しに、上目遣いの瞳が透ける。
ずっとそばにいた『彼女』の口を、勃起した陰茎を突っ込んで犯す。その様子をすぐそばで見下ろす。
一種の近親相姦的な禁忌を破る背徳感があった。それは、このままイラマチオしてしまいたいほど興奮をそそった。
かつて『彼女』は、母と姉の中間のような存在として、僕を上から見守っていた。その『彼女』に苦悶を強いて奉仕させる。
たとえ刺激が拙くとも、この状況だけで僕は深く陶酔していた。この刹那のために僕は生きてきた、とさえ思った。
しかし、現実は――『彼女』は、僕の想像以上だった。
『彼女』の舌が裏筋をぬらぬらとなぞり出す。新鮮な刺激に、僕は無意識に腰を浮かせてしまった。
反応に気を良くしたのか、口腔に舌がもうひとつ増えたかと思うほどの勢いで、『彼女』はペースを上げていく。
僕が裏筋へ意識を向けたと思えば、すぐさま鈴口にちろちろと責めが迫ってくる。手淫の段階で弱点を把握されていたようだ。
敏感なところを不意打ちされ、僕はたまらず『彼女』の口に出そうとして――射精できなかった。
陰茎のある箇所を押さえられると射精できなくなるというが、それか。あるいは、単純に念力で抑えつけたのか。
判断する思考の余裕は無かった。そんな余裕は、『彼女』に完全に奪われていた。
――さ、サーナイト、もういいっ、もういいから、出させて……っ!
『彼女』の責めは終わらない。執拗に、丹念に、鈴口のあたりを往来する。
射精を封じられた僕は、それでも必死に衝動を解放しようと、『彼女』の頭をつかんで、力任せに喉奥へ叩きつけた。
人間であれば絶対にえずく抜き差しも、『彼女』の口腔はねっとりと受け止めて離さない。
往来が徐々に深くなる。鈴口をこじ開けて中に侵入する気配を察して、僕の臍下が勝手に力んだ。
未知の感触に襲われた。尿道への刺激が僕を混乱させた。サーナイトの身体が不定形だと言っても、それは恐ろしかった。
僕は言葉になっていない叫びをあげながら、全力で『彼女』の中から脱出しようとした。
その衝撃で限界が来て、抜きがけに陰茎が暴発した。『彼女』の顔や身体へ、見たこともない勢いで精液をぶちまけた。
陰茎は僕の意思を離れて、拍動より少し遅い周期で数度脈打っていた。
まさか陰茎を犯されることになるなんて、そんなことをされたのは、後にも先にも『彼女』だけだった。
僕は腰が抜けて立てなくなっていた。『彼女』は僕にぶちまけられた精液を、僕に見せつけるように舐めていた。
その目は、『彼女』がキルリアだったころ、僕が吐き出したキャンディを掻っ攫った直後のそれに似ていた。
ひとしきり精液を舐め尽くすと、『彼女』はベッドに沈んでいた僕に擦り寄ってきた。
『彼女』の甘ったるい匂いに、僕の雄臭さが混じり合っていて、噎せ返るほど濃密な空気が漂った。
言葉を交わせなくても、『彼女』がまだ満足していないと、僕は確信できた。
気がつくと、胸板のあたりに奇妙な肌触りがした。それは意外と強い力で押し付けられていた。
放心状態からようやく立ち直る。どうやら、それは『彼女』の胸に据わっている、赤い半月形が原因らしい。
『彼女』は僕の肩口に顔を寄せてしなだれかかっていた。『彼女』の背中に手を回してみると、同じ肌触りがする。
胸側と対称図形を成して、背中からも赤い半月形が突き出ていた。僕がそれに指を押し付けると、『彼女』はわずかに震えた。
強く抱きしめると、腕の間から流れ落ちてしまいそうな『彼女』の白い肢体に対して、その赤さは幾分弾力と靭性があった。
僕には、その赤い器官が、覚束無い『彼女』の身体を現世に繋ぎ止める心臓のように思われた。
僕はその「心臓」に心惹かれた。今までこれに注意を向けなかったのは、ひどい手落ちだった。
僕が背中側の「心臓」を両手で包み込みながら締め上げると、『彼女』は俄に肢体を跳ねさせた。
一瞬だけ見せた『彼女』の躍りが、今まで見た『彼女』の仕草の中で、一番動物的だった。
僕は「心臓」を指の腹で擦ったり、軽く爪を立てたり、先端を口に含んでみたりした。味はよく分からなかった。
『彼女』は僕の興味本位の愛撫に晒される度に、全身をくらくら揺らめかせる。
下肢を覆う白いカーテンのようなものは、さながら風に煽られた吹流しだった。
『彼女』の近くから、時折はらはらと光の粒が振り撒かれた。豆球の光と合わせて、『彼女』の蠢きを浮き上がらせている。
軽く「心臓」を吸い上げると、『彼女』は弾かれて背を仰け反らせた。僕は上体を起こし、座った状態で『彼女』を支えた。
腕や肩に伝わる『彼女』は、何となく粘りつく手応えがした。その変化が、何だか心強い。
――ここ、もっといじってあげようか。
僕が顔を上げると、『彼女』は惚けた視線で見返してきた。僕は反応を待たずに「心臓」を弄んだ。
さっきやりたい放題責められた意趣返しの気持ちもあった。ここを弄り続けたら、いったい『彼女』はどうなってしまうのか。
そういえば、キルリアだったころの赤いツノも、『彼女』は触らせてくれなかった。
こんなに近くにいた『彼女』のまだ知らない一面をこの手で暴ける、という考えがじわりと浮かんできた。
浮かんだが最後、その妄想は僕に取り憑いて離れなかった。
「心臓」の触り心地そのものは、幻惑的な白い肌と比べれば平凡だった。
僕はただ、それが『彼女』の赤心そのものだという気がして、それをまさぐり続けた。
白いひらひらに隠れた『彼女』の両脚が、僕の腿をぎゅうと挟みこむ。頭が何かに包み込まれる。きっと『彼女』の腕か、顔だ。
燐光がしとしと降り注いで、僕と『彼女』に沁み込んでいく。僕はその青白さを、『彼女』の歓びの証だと信じた。
僕が明るさに見惚れて責めを途切れさせると、『彼女』はその隙に僕の口内を襲った。
舌が粘りつくものに拉(ひし)がれる。負けじと「心臓」を探るため、『彼女』の身体に指を食い込ませた。
再び触れて、さらなる『彼女』の変化に気づいた。『彼女』の身体は、僕の指をもっと強く押し返してきた。
それでいて、指を離そうとすると、今度はべっとりと吸いついてくる。
――いつもよりベタベタしてて……何だかやらしいな。
扱い方を模索する気分が引っ込んで、僕は「心臓」を掴んでぐにぐにとしごいた。
肌が吸い付かれる。引き寄せられる。『彼女』の無言の催促が、僕を煽り立てる。
『彼女』は手脚をぎこちなく折り畳んだり伸ばしたりして、やがてヒステリックにわななかせはじめた。
『彼女』の背中から下肢にかけての反応が見えた。弛緩が緊張に塗り替えられていく。燐光が『彼女』に黒い陰を絡みつかせる。
激しく身体をよじっても、黒い陰は薄くなったり濃くなったりして、『彼女』から消えることはなかった。
仄白い肌が波打って無数の襞をつくると、黒い陰がその間を這い回る。
やがて肌が細かく震えながらぴんと張られると、陰は白さに吸い込まれる。
僕はその様子を、「心臓」にかじりつきながら、気が遠くなるまで見つめていた。
僕はまったく自然な衝動に突き動かされて、僕に寄りかかっていた『彼女』を仰向けに押し倒した。
『彼女』は僕を見上げた。僕はカーテンのスリットを割り開いて、細い脚を合わせ目まで撫で上げた。
篭っていた熱気が指先を覆う。不意に、かつて『彼女』のワンピースドレスをめくろうとして阻まれた記憶が甦ってきた。
中は滑らかな表面のまま、上半身から続いていると見えた。
けれど僕が指でまさぐると、べったりした奇妙な吸引が、僕の指先を『彼女』の内奥へ誘ってきた。
サーナイトたちも雌雄があって、つがいをなして子を産むことは、知識として僕の中にあった。
おそらくここは『彼女』がそういった場面で使う器官なんだろう。僕には、それがちっともイメージできなかった。
そこには、生命を生み育む行為を連想させる、肉感的な雰囲気――腥(なまぐさ)さが欠けていたからだ。
むしろ、弱くなった部屋の光を受ける姿は、露に穿たれた鍾乳石のような情緒だった。
実際『彼女』にとって僕らの行為は、生殖という観点でまったく無意味だ。僕が『彼女』に射精しても、何も生まれない。
挿入したとして、性行為らしい動きができるかすら、予想がつかなかった。
なのに、僕はこの夜で最も烈しい欲望に駆られて、『彼女』のそこへ自分の陰茎をあてがった。
『彼女』の内奥は、僕が押し広げようとも広がらず、挿入するというより沈み込むといった様相だった。
底無し沼のような圧迫で、陰茎が窒息しそうだった。僕は『彼女』にのしかかり、よたよたと抽送を始めた。
腰を上げて降ろしてとするだけで、心臓から血の気が抜かれる。すぐ近くにある『彼女』の胸の赤さがぼやける。
赤と白と緑の境界が溶けていく。このままでは気を失ってしまうと思って、僕は『彼女』の背中に手を回して抱きしめた。
そうしてしばらくじっとしていると、『彼女』も無言で手と脚を僕に回してきた。
僕はひどく安心して『彼女』に身を委ねた。この行為の重苦しく後ろめたいものが、『彼女』に宥されたと思った。
どんな言葉も、喉を突き通して音声にできなかった。僕は『彼女』の甘ったるい口内を求めた。
舌を捩じ込んで、鼻息荒く『彼女』を吸い出す。眩暈がじりじりと近寄ってくる。
『彼女』を抱え直すと、回した腕に燃え滾る熱が当たる。それは「心臓」に違いなかった。
僕は『彼女』の内奥に溺れ藻掻きながらそれに縋った。『彼女』の身体と一緒に、僕のそれも震えて浮いた。
目を開いてみると、僕の唾液や拭い損なった精液で『彼女』の顔が汚れているのが見えた。
半ば過ぎまで閉じられた『彼女』の目蓋から、赤い瞳が見え隠れしていた。僕は『彼女』の顔を見ながら果てた。
このまま『彼女』の中に沈んでいけたら、どれだけ嬉しいだろうか、と思った。
『彼女』と身体を重ねたのは、その夜が最初で、そして最後だった。
あの夜から数日くらい後に、僕は『彼女』と過ごしてきた家を追われることになった。
名目はよく覚えていないが、とにかく僕は、見たこともない施設で味気ない日々を強いられることになった。
そこで僕に面会してきた連中によると、僕がぶち込まれた原因は「ポケモン」と淫行に及んだことらしい。
大袈裟な言い方をしたけど、僕については特に深刻な迫害を受けることは無かった。と言うより印象に残る体験は何も無かった。
僕が以前やっていた、ポケモンに関係する話題や行動を避ける素振りを数ヶ月続けてやると、大した苦労もせずに帰宅できた。
けれど、僕は最後まで施設の連中に共感できなかったし、これからも共感できないだろうと思った。
僕が久しぶりに家に帰ると、『彼女』の姿は見えなかった。
家は『彼女』の痕跡を何ら残していなかった。かといって、両親に消息を訊く気にならなかった。
両親は僕に対して、詰ることも無く、慰めることも無かった。『彼女』はついに僕の前から消えてしまった。
それから? 話せることは、ほとんど無いね。僕もあのころの少年ではなくなってしまった。
世界を旅してまわり、エスパーポケモンの修業に明け暮れて……だから言っただろう。もうお話はおしまいだ。
君がそうやって、モンスターボールからいつもポケモンを出していて、後ろに連れ歩いてるから、少し昔話をしたくなっただけだよ。
(おしまい)