拾弐:ジョウトからの客人
――九月中旬 ヤマブキシティ リニア前
リーフはその日は休日で、ヤマブキ近辺をぶら付いていた。其処でとある人物に出会った。
「? ……あの子は」
それは女の子で何処かで見た事がある姿だった。一体、何時だったろうか。
どうやら、道に迷っている様だった。
「そこの君! 何か困り事?」
リーフは思い切って声を掛けてみた。
「あ――」
女の子が振り返る。ニーハイソ、オーバーオールの様な青いショートパンツに赤いトレーナー。リボンを括り付けたキャスケットを被っていた。
「ふふ。そんな警戒しないでよ。別に取って喰ったりしないからさ」
硬い表情のその子を安心させる様に笑い掛ける。
リーフにはその少女の正体が判った。ラジオ塔事件の時に画面に映りこんだ女の子だった。
「あたしはリーフ。大学生。あなたは?」
「え、と。あたしはコトネって言います」
リーフが自己紹介をすると、女の子が答えてくれた。
話を聞くと、彼女は友達との待ち合わせ場所であるシルフカンパニー迄の道が判らなかったらしい。確かに、遠くからは目立つあのビルだが、辿り着くには狭い路地を通らねばならず、この辺りは似た様な路地が多い。リーフは案内してやる事にした。
「じゃあ、リーフさんもトレーナーなんですか?」
「まあね。今は研究で忙しいから昔みたいに頻繁に勝負はしないけど」
道すがら、お互いについて少し話した。
コトネはジョウトはワカバタウン出身のトレーナーで、お隣さんのヒビキと言う少年と相棒のマリルと一緒に半分は修行、半分は観光目的でカントーの土を踏んだらしい。
リーフも自分がマサラ出身でトレーナーである事を告げる。
研究優先で勝負をしないとリーフは言うが、それは間違いだ。その強さ故にもう半年程挑戦者は絶えていて、それ故に卒論研究一本に搾るしかなかったのだ。
だが、そんな事を初対面のコトネに語ったりはしない。
「凄いなあリーフさん。あたしなんか何やっても中途半端で」
「今はそうでも未来は判らないものよ? 悲観しなさんな」
コトネの顔は自信無さそうに俯いている。そうやって決め付けてしまえばそれだけの話だともっと前向きになる様にリーフは窘めてやる。
「いいえ。あたしなんて駄目ダメですよ。リーフさんみたいに美人じゃないし、おっぱいだって……」
「いや、女郎の価値はそれだけじゃないでしょ。あたしの彼氏だって、乳には興味無いってさ……」
肉体的なコンプレックスを言われてリーフが苦笑する。容姿の美醜やセクシャリティの有無。それにしか女の価値を見出さない男は居るだろうが、そうではない奴だって確かに居るのだ。
……主に、あたしの兄貴。
自分みたいな阿婆擦れに興味を持つ中々の変わり者だと妹自身がそう思っていた。
「彼氏さんがいらっしゃるんですか!?」
「あ」
途端、コトネが喰い付いて来た。一寸、口が滑っただけなのだが、それに反応する辺りが中々に耳聡い。
「えー!? リーフさん程の美人の彼氏ってどんな人ですか!? 格好良いですか!?」
コトネの瞳がキラキラと輝いている気がする。
意外とミーハーだ。興味がある年頃なのかも知れないが……
「まあ、あたしにとっては良い男、だよ?」
リーフは髪を掻き揚げて、少し格好付けて言ってみた。
「うわあ。リアルな惚気。爆発して下さい」
「アンタ、何気に毒を吐くわね」
若干、リーフの顔が引き攣った。怒った訳ではなく、そんな言葉を躊躇無く吐いたコトネに少し吃驚したのだ。
「あ、すいません。ついダークサイドが滲み出て」
「・・・」
悪気は無い様だ。でもだからって、其処迄僻まなくても良いんでないかい?
それが嫌ならとっとと男を作れとリーフは言いたかったが、結局言わなかった。
「その人の写真とかって無いんですか?」
「見たいの?」
恐らく、純粋な興味本位でコトネが尋ねて来る。リーフは確かにレッドの写真を携帯していたが、それを晒すのは抵抗があった。それ程彼氏自慢をしたい訳では無かったのだ。
「えと、単純な好奇心からですけど」
でも……まあ、良いか。
どうせ今日限りの付き合いだし、兄の写真位は見せても問題無いだろう。
「……これ」
リーフは遂に折れ、自分の手帳の見開きに挟んである兄の写真を見せてやった。
リーフがレッドに頼んで撮らせてもらった物で、一番写りが良かった物を選んで携帯していた。
「か」
それを食い入る様に見詰めてコトネが一言。
「蚊?」
「かっこいい〜! 何、この人! 凄いイケメンじゃないっスか! うわあ……うわぁ! リーフさんはこんな人とあんな事、こんな事を?!」
どうやら、テンションゲージがMAXでフィーバーに突入してしまった様だ。
「あははは。まあ、餓鬼じゃないからね。そう言う事も頻繁にあるわよ」
自分では良く判らなかったが、コトネが言うには兄貴はイケメンらしい。自分の彼氏を褒められて悪い気がしないリーフは鼻先を掻きながらそう漏らした。
大人同士の恋愛ではお互いどうしてもプラトニックなままでは居られないのだ。
「そ、そのお話を是非!」
だが、それ以上下世話な話を展開する気はリーフには無い。
「あー、残念。時間切れね。着いたわよ」
「く……無念なり」
目の前にはシルフカンパニー本社ビルが聳えている。コトネが口惜しそうに歯噛みした。
――シルフカンパニー本社ビル エントランス
目当ての人物は直ぐに見つかった。屋内に作られた噴水の縁に腰掛ける帽子を逆に被った一人の少年。
「あ、いたいた」
「っ! ……兄貴?」
そして、その隣に居る野球帽の青年。
本当に何処にでも現れると我が愛しのお兄ちゃん様ながらリーフは呆れていた。
「ああ。グレイシア、リーフィアはシンオウ迄直接出向く必要があるな。向こうに知り合いが居るなら別だがね」
「何か面倒臭いっスね」
「ジバコイルやダイノーズもそうだぞ。うん? グライオンやマニューラが埋まってないな。進化させんのか?」
「何すか、それ」
「ニューラ、グライガーの進化系。爪と牙持たせて夜にレベルアップさせてみろ。使いこなせばかなりの強ポケだ」
「え! 貴重な情報じゃないっスか。メモメモ」
少年と兄は図鑑を開きながらそんな事を喋っていた。
「あれ、あの人は」
「あちゃー」
ヒビキの隣の青年の顔をコトネが見間違える筈が無い。気付かれた事が面倒臭い事に繋がらなければ良いが、多分そうはならないとリーフは自分の軽率な行動を少しだけ後悔した。
「おーい! ヒビキくーん!」
「? おお、コトネ! やっと来たな」
コトネが手を振りながらヒビキに近付く。妹と兄貴はその時に目が合った。
「……何やってんだリーフ。俺は仕事帰りだが」
「え、と道案内を」
レッドが明け方近くに出て行った事は知っていた。その言葉に嘘が含まれていない事は容易に判る。説明が面倒臭いのでリーフはそれしか言わなかった。
「紹介するわね。リーフさん。迷子のあたしを送ってくれたの!」
「そうなんですか。どうも有り難う御座いました。あ、俺はヒビキって言います」
「宜しくね」
コトネの紹介でヒビキと握手をする。黒のハーフパンツと赤いジャケットの少年。ラジオ塔の放送の時に映っていたもう一人の子供だった。
「えと、お綺麗ですね」
「え。……あ、ああ……っと、あ、ありがとう?」
それが誰に向けての言葉かリーフは直ぐに判らなかった。周りを見渡して初めてそれが自分への言葉と知った時、それは只の社交辞令だとも思った。
だが、ヒビキの真面目な顔を見る限りそうではない様だった。面と向かって誰かに綺麗だ等と言われた事が無かったリーフは何故か疑問系で答えていた。
……ベッドで兄にそう言われた事は何度かあったが、それはノーカウントだった。
「こちら、レッドさん。俺もこの人に連れて来て貰ったんだ」
「……どうも」
「は、はい! よろしく! コトネです!」
同じくコトネを紹介されたレッドは帽子を脱いで、控えめにそう答える。だがコトネはテンションが上がりっ放しなのか、レッドの片手を取ると、両手でブンブン上下させた。
「いや、この人、マジパネェわ。ポケの知識が豊富過ぎ。色々埋まらない図鑑のページについてご教授して貰っていた所さ」
些か興奮気味にコトネに語るヒビキ。歯抜けであった彼の図鑑はもうその大部分が埋まる事が決定していた。レッドの齎した情報がそれを可能にしたのだ。
「いや、それ程でも。凝り性の人間ならば誰だって到達出来るさ」
「そうね。493種全部埋めたってだけだもんね。時間と根気があれば誰だって、ね」
やや謙遜気味に兄弟が謂う。二人はとっくに全国図鑑を完成させていた。
「「はあ!?」」
それに驚きを隠せないヒビキとコトネ。先を越されていた事を知ったショック以上に、図鑑を全て埋めたと言う大偉業を全く鼻に掛けない二人の奥ゆかしさと言うか風格に驚いている様だった。
「そんな驚く様な事かな。……昔、オーキド博士の研究に付き合ってね。カントーからホウエン迄386種全て埋めた」
「その後は二人とも個人的な趣味で、シンオウのポケも埋めたのよ。創造神にも会ったわ」
始めはカントー図鑑だった。ナナシマでジョウトのポケを発見してからは、それを使ってホウエンの友人であるユウキとハルカの手も借り、全国図鑑を完成させた。
後は惰性でシンオウ図鑑も埋めた。それだけだった。
「ほんと何者ですか、あなた達は」
だが、ヒビキにとってはそれだけで済まない衝撃があったらしい。其処に至る迄の経緯や味わった苦労は筆舌に尽くし難い事が判ってしまう。今、それをやっている自分達がそうだからだ。
何度も挫けそうになって、止めたいと思って、それでも諦められなくて。そうしてヒビキは今も彷徨っているのだ。
その苦労を超えて自分達の前に立つ二人は自分達の先輩の様に映った。
だから、ヒビキは二人の正体を知り、少しでもその位置に近付きたかった。
「しがないトレーナー。そして今はケチなスローター(屠殺人)だ」
「あたしは普通の大学生。卒業したら彼の所に行く予定よ」
二人が語ったのはヒビキが知りたいモノとは遠いモノだった。だが、それが殊更秘密の匂いを煽る様で興味深かった。
「彼、ですか?」
リーフの言う『彼』と言う言葉が最初に引っ掛かった。
「え!? それってレッドさんに永久就職ですか!?」
と、其処でコトネが横から突っ込んで来た。嫌な予感、的中。リーフの顔色が少し悪くなった。どう誤魔化すか考えあぐねいているみたいだった。
「は? (……おい、話が見えんぞ。何でこの子が俺達の仲を知ってる)」
「その……(彼氏って言って写真見せたのよね)」
小声と共に睨んで来る兄の目が直視出来ず、視線を泳がせて小さく答えた。
「成る程」
やれやれと言った感じにレッドが溜飲を下げる。事情が飲み込めたのだ。
「失礼ですけど、お二人の関係って」
「ああ。妹だけど」「えっと、実の兄貴」
ヒビキの質問に正直に答えるレッドとリーフ。変に誤魔化す場面ではなかった。
「……そう言えば似てらっしゃいますね」
言われてみれば、髪色や瞳。顔形、着ている服も似通っている印象を受けた。兄妹だと納得するには十分な理由だった。
「ええ!? 恋人じゃなかったんですか!? ……はあ、からかわれたのかあ」
コトネはそれにがっかりした様子だ。リーフに担がれたと思っているのだろう。
だが、しかし。
「いや、間違いじゃない」
有ろう事か、レッドがそれを否定した。
「「「え」」」
ヒビキとコトネ。渦中の人間であるリーフもポカンとしていた。
「リーフは俺の女だ。な?」
「ぁ……う、うん! この人あたしの男//////」
そうして、レッドがリーフを抱き寄せた。そうして口を飛び出す問題発言。もうなる様になれとリーフも顔を真っ赤にして交際を宣言した。
「あー……兄妹、ですよ、ね?」
「軽蔑するか? ……別に構わないがな」
「え、と、あれよ。世の中そう言う兄妹も居るって事よ。あ、納得はしなくて良いわよ?世間の評価については判ってるからさ」
真っ当であるヒビキの価値観を塗りつぶす様にレッドがぶっきらぼうに言う。それにフォローする様に続いたリーフ。別に、社会に喧嘩を売りたい訳ではなかった。
「いや、別に俺は! か、構わないんじゃ、無いっスか? ……理解は出来ないけど」
「ああ。お前はそれで良いよ。正しい判断だ」
仏頂面のレッド。そのプレッシャーに負けた様にヒビキは言う。
そう言う連中が居てもいい。でもそれは自分には判らない世界だから、否定も肯定も出来ない……こう、言いたいのだろう。レッドはそれに満足した様だった。
「それで、あなたは?」
リーフの担当はコトネだ。正直、この子は要注意だとリーフの心が警鐘を鳴らしていた。戦々恐々としながら、それを悟られない様に尋ねた。
「す」
コトネの喉を通過したのはやはり一言だった。
「巣?」「酢?」
「すげええええ!! エロ漫画の世界みてえ!!」
「「ぶっ」」
思わず噴出すレッドとリーフ。後ろにひっくり返って、噴水の水に落ちそうだった。
「是非、お二人を師匠と呼ばせて下さい!」
「何の師匠だ何の。……こんな反応にも些か困るな。どうすりゃ良いんだ?」
「し、知らない」
コトネが二人に接近し、仰々しく頭を垂れる。
正直、コトネの反応は予想外だった。関係を明かした時に待っていたのは、拒絶か無言の肯定が大半で、残りは遠回しに応援する発言。賛同する者は本当に稀だった。
そして、この様な大手を振った肯定は初めてだった。
下の世代の考えについて行けないのは歳を取った証拠だと言うが、レッドもリーフも未だ若い自覚があった。それを突き破るコトネの反応。
……どうやら、彼女の特性は型破りで間違い無い。
「背徳と禁忌の子午線……それを越えた先に待つ真実の兄妹愛と肉欲の祀! それを貫くには障害は余りにも大き過ぎて! それに立ち向かう度に深くなっていく二人の絆! これこそ禁断の萌えっ!」
意味不明の発言がつらつら漏れる。魔界から毒電波でも受信しているのだろう。コトネの瞳は渦巻状にぐるぐるしていた。
「ひ、ヒビキ君? 君、コトネと知り合いなのよね? 止めてくれないかしら」
駄目だ。自分達では手出し出来ない。リーフがヒビキに救援を要請した。
「は、はい! 放置すると危険な気がして来ました。……コトネ?」
「え?」
ヒビキも放置が危険と判断した様だ。慌てて駆け寄って、その肩をとんとんと叩く。そして……
「当身」
「ごふ」
振り向いたコトネの脇腹を拳骨で打ち抜いた。堪らずコトネは反吐を撒いて床に転がった。
いや、それ当身じゃねえから。レバーブローだよ。
……兄妹は苦い表情でやり取りを見ていた。
「じゃ、じゃああの……俺達この辺で」
斃れたコトネを肩に背負ってヒビキが御暇を宣言した。意外にパワフルな側面を持っていたらしい。二人がそれを止める真似はしない。
「ああ。達者でな」「編纂、頑張ってね」
二人は、そう言って後輩達を送り出してやろうと思った。どうせこれで最後だからだ。
「また、会えますかね?」
「さあな」「どうかしら」
再会を匂わせるヒビキの言葉。二人は答えを持ち得ない。縁があればとしか言えない事だった。
「それでは!」「し、失礼します……」
コトネを抱えて、ヒビキが今度こそビルを出て行った。
「行ったか。騒がしかったな」
残された兄妹二人。やや疲れた表情でレッドが息を吐く。此処が禁煙でなければ即、煙草を咥えている所だ。
……あの二人がテレビに映っていた子供である事は間違いない。一期一会かと思ったが、どうもそうはならない様な気がする。
自分達と同じ匂があの二人からはしていたのだ。
「兄貴」
「あ?」
リーフの声と共に思考を中断する。レッドが向き直った。
「さっきの、本気?」
……何だろう。リーフの顔が若干赤い気がする。そしてそれ以上に瞳が真剣さを訴えている気がする。
先程の自分の言葉に対する問い質しだと言うなら、答えは決まっている。
「嘘を言う必要が何処に?」
レッドは臆する事無く言い切った。
「そっか」
目を閉じて、レッドの言葉を反芻するリーフ。そうして目を開けると、嬉しそうにレッドの腕に抱き付いた。
「おい。何だ」
突然の事にレッドも流石に戸惑った。リーフは嬉しそうに答えた。
「べっつにぃ? か・れ・し☆ に甘えてるだけよん?」
「う……」
……そうだった。ヒビキ達の前で彼女発言をしたのだった。つまり、今は自分を妹では無く彼女として扱えと言うリーフなりの甘え方だろう。
少し、判断を誤ったかも知れないとレッドは思った。
「あはは。じゃあ、ちょっくらデートしてこうよ。……レッド♪」
でも、リーフが笑ってくれるならそれも良い。レッドはそう思い直す。兄貴、ではなくて名前で呼んでくれたのが嬉しいと言うのもあった。
「……了解した、リーフ」
レッドは帽子を目深に被り直した。こう言うのも偶には悪くない。妹……否、彼女相手にサービスするなんて滅多に無い事だから。
……少なくともその時はそう思った。
「やっぱり、甘い顔何てするもんじゃねえな。特にこいつ相手には」
散々連れ回され、最後にミルク絞りを喰らう迄は確かにそう思っていたのだ。
「ん〜? 何か言ったかしら」
「……言ってない」
自分の腰の上で上下に跳ねるリーフにげんなりした表情でレッドが呟く。
もう残弾が空なのでそろそろ勘弁して欲しいと、レッドはホテルのベッドの上で思ったのだった。