拾参:挑戦者、現る!  
 
 
――ニビシティ ニビジム  
 ヒビキ達と会ってから数日が経過していた。仕事の報酬を清算した帰りにレッドは親友の所に顔を出した。  
 時刻は夜。ジムの解放時間が過ぎる少し前だった。この時間は何時もタケシがディグダの穴から帰って来ている事をレッドは知っていた。  
「邪魔するよ」  
「ああ、レッドか。……いらっしゃい」  
 他のジムトレーナー達は帰ってしまった後らしい。タケシがモップを持って一人で床を磨いている。このジムは基本岩だらけなのでフローリングの床は数が少ない。  
 タケシは相変わらず糸目で、視線を読ませない。  
「?」  
何故か、タケシの表情が沈んでいる気がレッドにはした。  
「どうした。元気が無いが」  
「やっぱ判るか」  
「そりゃあ、な。何年も面を突き合せちゃいないさ」  
 付き合いが浅い人間ならば、糸目の彼の胸中を察するのは中々に難度が高い。瞳が見えないので、それから感情の振れを推察する事が出来ない。  
 だから、そんなタケシの纏う空気を読めるのは付き合いの長いレッドと他数名だけだ。  
 タケシはモップをバケツに浸しながら、突然呟く。  
「カツラさん。負けたってさ」  
 同業者の敗北を、まるで息をする様に自然に告げた。  
 
「おやっさんが?」  
 レッドの顔が僅かに歪んだ。タケシの言葉を最初冗談かと思ったが、どうも違う様だった。  
「ああ。昼間、穴に行く途中で会ってさ」  
――炎使いのカツラ  
 カントージムリ勢の最年長。その手持ちのレベルは非常に高く、カツラ自身もトレーナーとしては熟練を超えた達人の域。老獪と言う言葉からは程遠い燃える男だ。……そんな彼が突破された。  
 何処の誰がそれを成したのか、知りたい気持ちが涌いて来た。  
「相当な手錬か。誰かは判る?」  
「さあね。女の子だとは言ってたけど」  
「・・・」  
 カツラのバッジを奪う事が出来る実力を持つトレーナーはそうは居ない。  
 噴火により、グレン島が壊滅し、双子島の穴倉に已む無くジムを移した後のカツラの復興に懸ける情熱、否……執念は凄まじかった。その逆境が彼を燃えさせ、また強くした。  
 それを上回り飲み込む圧倒的な力。  
 ……レッドの脳裏に数日前に出会った少女の顔が過ぎる。  
 
「レッド」  
「っ?」  
 気付けば、タケシがレッドを見ていた。その顔を見たレッドがギョッとする。  
「俺も今日、負けたんだよ」  
 その顔には隠し切れない悔しさが滲んでいたからだ。  
「何!? 負けたって、お前も!?」  
「いや、マジなんだわ」  
 これは……何やらきな臭い事になってきた。慌てて問い詰めるとタケシが恥ずかしそうに頬を掻いた。  
「お前……黒星大丈夫なのか?」  
「ああ、未だ平気さ。後二回は許されるから」  
「なら良いがな」  
 各地に散在するジムは基本独立採算だが、国から支給される補助金は地理的条件や街の規模によって違う。  
 だが、どのジムにも言える事だが、その補助金は決して潤沢では無く、地方公務員扱いのジムリーダーの給金は驚く程安かった。  
 そんな待遇でも人が安定を求めるのは世の常なので、その維持に必死になるは必定。故にジムリーダーには重い責任が課せられ、その遂行に躍起になる。  
 ジムリーダーにはリスポーン回数が設定されている。連続で四回負けてしまった場合、ジムリーダーはその権利を剥奪され、その血縁である後継者に引き継がれる。タケシの家が大家族なのもそれが理由だった。  
 取り合えず、レッドが心配する様な事態にはなっていなかった。  
 
「で、何処の誰よ」  
「ジョウトの挑戦者だった。これは珍しいと勝負を仕掛けたが、コテンパンさ」  
「――ジョウト」  
 岩タイプに拘る彼だが、腕は決して悪くは無い。寧ろ、この若さでは突出していると言っても良い。そんな彼の繰り出す化石軍団はタイプの有利を考えても並みのトレーナーでは一筋縄でいかない。  
 彼のバッジを奪ったジョウトの挑戦者。今何が起こっているのか、レッドには見えた気がした。  
「ヒビキって名前かな。トレーナ−カードにはそう書かれてたよ」  
「あいつか」  
 
『また、会えますかね?』  
 
 去り際にそう言っていた少年の顔が思い出される。再会の時は意外に近いのかも知れないとレッドは思った。  
「知り合いかい?」  
「あ、いや……多分、人違いだ。済まん」  
 タケシの言葉にレッドは頭を振った。未だ確証が無かったが、そんな名前の人間がホイホイ居るとも思えなかった。  
 
 Waking up this morning. The same stuff comes up everyday……  
 
「あ、と……悪い。電話」  
 タケシのギアが鳴り出した。セキエイのリーグとは違い、ちゃんとジムの中では電話は繋がるのだ。……曲名、判るかな?(筆者)  
「ああ。構うな」  
 それを邪魔する程レッドだって野暮じゃない。手で出てやれと合図を出してやった。  
「はいもしもし。……おう。…………はあ!? おい、それは嘘……違うって?」  
 話の途中でタケシの血相が変わる。珍しい事もあると遠めに見るレッド。  
「今から……いや、良いけどさ。でも……っ」  
 ……あれ? タケシの纏う空気が不穏な物になったのは気の所為だろうか?  
 内容が聞こえないレッドは黙っているしかない。そして……  
「……っっ! 判ったよったく!!」   
「!」  
 途端、堪忍袋の尾が切れた様にタケシが吼えた。糸目が解除されていた。  
 ブチッ、と言う何かを聞いた気がする。  
「こんな時だけ都合良くか弱い女の振りするんじゃねえよ餓鬼が! 俺はお前の手持ちじゃねえ!」  
 尚も激昂を続けるタケシ。怖い怖い。……いや、冗談じゃなくて。  
 中々の激情家だと感心しつつ、事の成り行きを見守るレッド。  
「……今から行く。身体、綺麗にしとけや」  
 一体、タケシは何をしたいのだろう。それに突っ込んだら負けな気がしたレッドは黙っていた。  
「ふうううう」  
 通話を終えて、深呼吸するタケシ。気持ちを切り替える様に息を吐く。  
 そして、レッドに向き直り、言った。何時もの糸目のタケシだった。  
「悪い、レッド。ちょっくら出てくるよ。お前も悪いけど」  
 バケツとモップを片付け始めるタケシ。  
 ジムを早々に閉める用事が出来たらしい。レッドもそろそろ帰ろうと思っていたのでそれに問題は無かった。  
「あー、何の用事かヒント位はくれないか」  
 やっぱり、話の内容が気になる。去り際の土産にレッドが聞く。それ位別に良いだろうと思ったのだが、タケシはそれにあっさり答えた。  
「カスミの処。今しがた、負けたって」  
「なっ」  
 レッドが絶句する。タケシの憤慨の理由はそれだろうか。……どうもそれだけではない。  
「それしか判らない」  
 挨拶もそこそこに、レッドはジムを後にした。  
 首を捻るが、色々と判らない事だらけだった。  
 
 
――レッド宅 居間  
 ニビから帰って来て、晩酌しつつテレビを見ている最中だった。家の電話が鳴った。それに出ようとしたレッドだったが、先に母親に取られた。  
「はいもしもし。……あらリーフ。未だ帰ってこないの?」  
 相手はリーフらしい。もう、夜も宵の口を過ぎている。……そう言えば、今日は姿を見ていない事をレッドは思い出した。  
「うん、うん。……そう。判った。他人に迷惑は駄目よ。……しっかりね」  
 が、考えている裡に母親が受話器を置いてしまった。  
「何だって?」  
「今日は遅くなるってさ。ナツメさんと飲んでる最中だって」  
 今の会話内容を問う。こんな時に限って妹が家を空けている。嫌な予感しかしない。  
 そして、それは当たりだった。グイっと酒を飲む様な仕草を母がした。  
「ナツメ?」  
 もうその名前が出た時点で確定だった。  
「覚えてない? あなた達、仲良かったでしょ」  
「いや、覚えてるけど。何でまた」  
 ナツメは過去に何度か家に遊びに来た事がある。その逆も然り。此処最近は専ら外で飲むのが主流だが、レッドが可愛い後輩の顔を忘れる等在り得無い事だった。  
 重要なのはどうして酒を飲んでいるのか、と言う事だった。  
「何でもナツメさん、今日負けちゃったそうよ。その残念会だとか」  
「・・・」  
 ああ、やっぱりアイツも乙ったのか。レッドはナツメの悔しげな顔を思い浮かべ、それを飲み干す様に日本酒を呷った。  
「心配?」  
「いや、アイツなら上手くやるさ」  
 それがリーフの事なのかナツメの事なのか判別出来ないので、ありきたりな台詞で誤魔化した。  
 
 ……知り合いのジムリがどんどん倒されていく。下手人の見当は付くが、その快進撃は何時迄続くのか。  
「関係無いよな、俺には」  
 その筈なのだが、悪寒がどうにも止まらなかった。  
 
 ……数時間後、レッドの元へリーフからの救援依頼が届く。  
 内容:酔い潰れて動けない自分達のピックアップ。  
 怒り心頭のまま現地に飛んだレッドはこれを遂行。序に、報酬としてそれ等を美味しく頂いた。  
 一方的に呼び出されたタケシの怒りが判ったレッドだった。  
 
 
――二日後 セキチクシティ  
「ちわーっす」  
 レッドはセキチクへ飛んだ。ジムの丁度真裏にある古風な薬屋。キョウ達が営む店だった。  
「いらっしゃい。……あ、レッドさん」  
「よう、アンズ。店番か?」」  
 どうやら、今日はジムの解放日ではないらしい。キョウの娘であり、今のジムリーダーでもあるアンズが暇そうにテレビを見ていて、レッドに気付くと軽く会釈する。  
 何時もの忍び装束ではない、歳相応の女の子らしい格好だった。  
 直接闘った事は無いが、彼女が父の跡を継ぐ前からお互いに認識があった。  
「はあ……そんな処です」  
「学校は良いのか?」  
「今日は、自主休業中です」  
 この日は平日で、アンズは高校に入学したばかりだった筈だ。そんな彼女が何故店番しているのか、それと無く聞いてみると元気の無い声が帰って来た。何か、あった様だ。  
「それで、御用ですか」  
「キョウの旦那に用があるんだが」  
「父上なら奥に居るよ。……呼んで、来るね」  
 レッドが訪れたのは仕事道具の調達が目的だった。その旨を告げると、アンズは重い足取りで奥へと引っ込む。その様は明らかに異常だった。  
 ……やれやれ、此処もか、とレッドは帽子を被り直した。彼の危惧は外れない。  
 
「来たな、レッド」  
 暫く待つと、キョウが現れた。忍者が世を忍ぶ仮の姿……と言った感じだろうか。どてらを羽織ったその姿からは老舗の大旦那を髣髴とさせる雰囲気が滲み出ている。  
 寧ろ、彼等にとってはこちらが本業なのだが。  
「ご無沙汰です。例の物は……」  
 レッドが軽く会釈する。仏頂面である事は変わらないが、目上の人間に対しての心遣いは忘れない。ロケット団解散からこっち、少しだけ感情も戻って来ている様だった。  
「ああ、出来ている。持っていけ」  
「どうも。はい、お金っと」  
 挨拶もそこそこにレッドが本題を告げる。キョウが後ろの棚を漁り、やや大振りな小袋を取り出してレッドの前に置く。レッドはその中身を確認し、代金である茶封筒を手渡した。相当に高額な商品の様だった。  
「うむ、確かに。……しかし、こんなものどうするのだ?」  
「仕事で必要なんですよ。それしか言えません」  
 忍者の秘伝が惜しげ無く使われた、それこそ対人用としてはオーバーキルな強力な毒薬。  
 レッドはその使用目的を語らない。キョウはプロフェッショナルなので、客の注文に答えただけだ。  
「守秘義務か? 否、違うな。相当危ない橋を渡っておるな、お主」  
「今の俺にはぴったりですよ」  
 こんな事ばかり上手くなってしまったレッドに対する適材適所だった。  
 何となく、キョウはレッドの仕事について見えている様だったが、深く追求はしなかった。  
 
「そんな事よりも、アンズ。……彼女も負けたんですね」  
 話の向かう先を変える為で無いが、レッドがキョウに尋ねた。  
「ふっ、流石に判るか」  
「最近、そう言う話を良く聞きます。あの様子を見ればね」  
 あの重たそうな足取りを見れば、勘が悪い人間だって何かあったと判る憔悴振りだった。  
「自分より年下の女子に負けた事が堪えたらしい。まだまだよ」  
 基本、忍者はその職業柄、感情を表に出してはならない。出す時は何らかの仮面を被らねばならないのが鉄則だ。だが、キョウの言う通り、アンズはそう言った感情の処理の仕方が未だに下手糞だった、  
「女の子……ですか」  
「話を聞く限り、以前よりも腕を増している。流石は一度、拙者達を突破しただけの事はある」  
 コトネの顔が真っ先に思い浮かぶ。そして、それは恐らく正解だった。どうやら、この男もまた過去に対戦した事があるらしい。  
「やはり、殿堂入り経験者」  
「うむ」  
 無論、四天王連中も本気ではなかったのだろう。しかし、だからと言って彼等の突破は至難の技だ。やり直しが利かず、戻って回復する事も出来ない。行った切りの特攻隊だ。  
 勝って進むか、負けて放り出されるかのDead or alive。  
 その過酷な道程を潜り抜けた者は殿堂入りとして賞賛を受ける。チャンピオン就任等はその過程に発生する副産物に過ぎない。そして、コトネやヒビキはその境地に至っている事が明白だった。だからこその強さなのだろう。  
 
 ……カンナやキクコが現役だった時代、レッドも四天王には苦しめられた。キョウはその時は未だセキチクのリーダーだった。  
 だが、時が経て、状況は変わる。  
 カンナはナナシマに引っ込んで今はトレーナースクールの講師をしているらしい。キクコについては詳細不明。だが、影ながらオーキド博士のサポートを行っているとの未確認情報が方々から聞こえている。色々と因縁がある様だ。  
 シバは今も昔も変わらない。只管己を鍛え、闘いに狂喜するバトルマニア。偶にホウエンを訪れてはトウキと言う同門と殴り合いを繰り広げるらしい。  
 そして、現チャンピオンであるワタル。龍帝の二つ名を持つドラゴンルーラーが四天王からチャンプ代理に就任したのは半分は自分達の責任であるので、それについては済まなく思っていた。  
 ……まあ、世間ではストーカーだの呼ばれている彼だが、本当はそんな事は無い。今の彼は従兄妹であるイブキにぞっこんである事を風の噂でレッドは知っていた。  
 因みに、新四天王であるイツキやカリンについては詳細が不明。数回闘った事はあるが、その来歴等はレッド自身に興味は無かった。そして、目の前のキョウについては言わずもがなだった。  
 
「勝敗は、兵家の常ですからね」  
 まあ、今は昔語りはどうでも良い。それよりも、レッドは先輩としてアンズのフォローをして置きたかった。  
「だが、気概で負ける事は許されん。これは忍の道以前の問題よ」  
 やはり、プロだ。些か厳格過ぎる気がしない訳でもないが、キョウの言う事を納得し、実践するにはアンズは未だ若いと思わざるを得なかった。  
「だからこそ長い目で見る事も必要では?」   
「む」  
 人生の先輩に意見する気は無い。家庭の事情に口を挟む気だって無い。  
 ……それでも。  
 キョウが若干唸った。  
「どれだけ詰め込んでも開花の時期は人によって違う。アンズも……きっと敗北を糧にする事が出来る様になりますよ」  
「……確か、にな」  
 熟達を急ぐのも良い。だが、それではアンズ自身の長所を殺しかねない。  
 芽が出るのが早い奴も居れば、大器晩成型も居る。人間とポケモンでは成長の形はまるっきり違う。特に精神についてはとても難しく、また複雑だ。  
 だからこそ、答えを急ぐには早過ぎるとレッドは思った。  
 すると、白旗を揚げるみたいにキョウが頷いた。  
「……どれ、それでは父として久方ぶりに食事にでも連れて行くか」  
 それは普段の彼とは違う涼やかで、優しい顔だった。  
「ちゃんとお父さんしてるんですね」  
「ふっふぁふぁ。他の者には見せんがな」  
 若干、照れ臭くキョウが笑う。  
 もう十分見せて貰っている、と言う突っ込みをレッドはしなかった。  
 
 
 
 

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