拾肆:王の領域へ
――マサラタウン オーキド研究所前 夕刻
その日の夕方、レッドとリーフはグリーンに呼び出された。
話したい事があると、たったそれだけの呼び付けだったが、二人はその内容についてはもう判っていた。
「知ってると思うけどさ」
グリーンが西日に向かって呟く。影が長い尾を引いている。
片手には缶コーヒー。口元には火が付いた煙草が咥えられていた。白衣は着ては居ない様だが、今日の仕事が終わったのかは判らない。取り合えず、今の彼がトレーナーの顔をしているのは確かだ。
「ジムリが次々倒されてる」
「ああ。アンズが負けた事は確認したぜ」
知っているも何も、自分達も気になっていた事だ。その情報はとっくに掴んでいたし、先程この目で確認した。
「耳が早いな」
「後、誰が残ってるの? エリカと、少佐?」
名が挙がっているだけで既に五人が倒れている。挙がっていないのはその二人とグリーンだけだ。
「いや、マチス少佐も今日付けで倒された。凄まじい勢いだ」
グリーンが目を伏せて言う。稲妻軍人もまた討ち死。
これで六人だ。余所者にこうも良い様に食荒らされるのは判っていても抑えられない不快感があった。
「まあ、二人組みで順と逆で攻略してればそうなるだろうな」
「お前、あいつ等を知ってたのか?」
「ちょっとあってな」
ヒビキ達にとっては漸く折り返し地点と言った所だ。一周するには未だ時間は掛かりそうだが、それも時間の問題だろうとレッドは目を細める。
グリーンの問いに対し、レッドは気の無い返事をした。
「グリーンはどうなのよ。知ってる素振りだけど」
「ああ、会ったからな。グレン島で」
リーフが逆に問い質す。過去形でそう言ったグリーンに引っ掛かりを感じたのだ。
案の定、グリーンは二人に会っていた。グリーンが時折、文字通り焦土と化したグレン島に足を運び海に向かって膝を抱えている事は此処最近、有名な件だった。
原因はジムリの仕事か、それとも研究者としての悩みか。……何れにせよ、彼が抱える問題に対し兄妹が言う事は無かった。本人も、それを望まないだろう。
「確かに、お前の言う通り二人組みだよ。年端のいかない餓鬼だった」
「ヒビキとコトネ、か」
聞く限り、二人はチームで行動している様だ。嘗ての自分達と同じ。まるで自分の過去を見せられている気がして苦い笑いが漏れた。
「そんな名前なのか?」
「知らないの?」
「一々名前迄聞かねえさ」
態々、名を尋ねない辺りが実にグリーンらしい。少し、リーフは可笑しかった。
「じゃあ、このペースだと明日辺りエリカが餌食になるな」
「何か他人事だな。一応高校の後輩だろ。支援に行かないのか?」
「行ってどうなるのよ。エリカはジムリとして勝負に臨むのよ? 部外者は邪魔なだけよ」
少し、グリーンがムッとした様に言う。些か冷たいのではないかと言いたい様だ。
だが、そんな事は二人だって承知の上だ。ジムの看板を背負う以上、闘いは避けられないモノだし、応援に行った所で逆にエリカの注意を逸らしてしまう事もあるだろう。
エールを送る位はするが、後の全てはエリカ本人が如何にかするしか無かった。
「そうなると、何れはグリーンの所にも来るな。お前だけで二人を捌くのか?」
基本、トキワジムに挑むのに特別な資格は必要無いが、グリーンはカントーのバッジを七つ持つ物以外とは戦わない事にしている。このままでは彼一人でダブルチームの相手をする確率が上がる。
相手の詳細は不明だが、それでは幾らグリーンがカントー最強のジムリと言っても不利は否めない。
「そう、なるのかな」
煙草の灰を落として、コーヒーを呷って呟くグリーン。その言葉には何らかの迷いが含まれていると二人は確信する。
「止めといた方が良いわ。そっちも平等な数で臨む冪よ」
「そうなんだが、な」
本人もそれは判っているだろう。だが、そうするには避けられない切実な問題が存在していた。
……グリーンに拮抗する腕のトレーナーが居ない。
彼を助け、また時にはメインを張れる実力者がトキワジムには居なかったのだ。
「手、貸すか?」
「そりゃ駄目だ。幾ら強いってもお前等はトキワジムとは無関係。人数合わせにジムと関係無い人間を他所から引張る何て無体は通らねえよ」
レッドは無駄だと思ったが助け舟を出してやるも、案の定突っ撥ねられた。こう言う所は昔から律儀で頑固。全く変わっていないと些かレッドは苦笑する。
「ジムリとしての立場、ね。面倒臭い事ね」
「いや、違いない」
不器用で、他人を素直に当てに出来ない奴だと大仰に溜め息を吐くリーフ。兄とは違った反応にグリーンは自嘲気味に笑った。
「イエローに頼めば万事解決じゃないか?」
レッドが頭に涌いたもう一つの打開策を口にする。
――イエロー
今は一線を退き、学生を謳歌するトレーナー。だが、その力は折り紙付き。グリーン自身が見初め、鍛え、そして三年前の旅を共に踏破した彼にとっての相棒だった。
「あ、そう言えばそうね」
「う、む」
その手があったとリーフも頷く。一応、書類上はトキワジムに在籍している事になっている幽霊ジムトレ。彼女に頼めば数の不利は一気に埋まる。そう思ったのだ。
だが、反面グリーンの顔は何故か苦い。
「グリーン、体面を気にしてる場合じゃないぞ。お前が育て、また認めた女だ。お前が頼めば嫌とは言わない筈」
「ジムトレの数合わせに名前を貸して貰ったんでしょ? 使わない手は無いわ」
はっきりしない幼馴染の態度に苛立った様にそのケツを蹴り上げる二人。時間が然程潤沢な訳では無いので、とっとと決めろと言いたいのだ。
「だ、だが!」
「「だが?」」
だがしかし。グリーンの口からは否定の接続詞。兄妹は揃ってグリーンを冷ややかな目で見つめる。
「そりゃ、あいつは強いが……お世辞にも戦いに向く性格じゃあ」
囁かれる様な言い訳じみた台詞。戦わせたくないのか、それとも素直に協力を仰げないだけか。……どちらにせよ、二人にとっては聞く価値すらない糞の様な言葉だった。
「下らない」
「そうね」
「っ」
だから、それをバッサリ一刀両断してやると、グリーンが息を呑んだ。
「トレーナーは戦わせる事が仕事だ。向き不向きは成ってしまった以上、関係無い」
「それが厭なら足を洗えば良い。でも、あの娘は未だにトレーナーを続けている。起用しない言い訳としては苦しいわ」
鍛え上げ、他を淘汰して勝ち残り、頂点を目指す。それがトレーナーと言う商売に待ち受ける運命であり、また摂理だ。それに付いて行けない者は早々にリタイヤした方が自分の為でもある。
自分で志願してそれを為す以上、幕引きは結局自分の手で行わなければならないのだ。
少なくとも、以前に会ったイエローの目にはそんな感情は微塵も見えなかった。
手を借りる事のデメリットなぞ何処にも無いし、寧ろ借りなければおかしい位の一材だった。
「しかし」
もう、しかしも案山子も聞き飽きた。二人は止まらない。
「プライベートで深い付き合いなのは知ってる。でも、だからこそさ」
「あの子はあなたに頼って欲しいと思ってるわ」
グリーンだって唐変木ではない。レッドとは違ったベクトルのイケメンなので彼はキャンパス時代も頻繁に異性にもてた。
だが、その数々のお誘いを無視して結局彼が最後に何時も落ち着くのはイエローの側だった事を二人は間近で見ていて知っている。
「何で判るんだよ」
それを自分達に言わせるなと、説教してやりたい気分だった。そんなにも自分に自身が無いのか? 為らば、はっきりと言ってやろう。
「頼るって言うのは信頼して力を借りるって事さ。それが判るだけでも相手は嬉しくないか? よっぽど険悪じゃない限りは。お前達は違うだろ」
「少なくと、あたしは好きな人には頼って貰いたい。守られるよりは逆に護りたいって事、女にはあるものなのよ」
兄妹が止めを刺した。
付き合っている以上、そんな物は迷惑足り得ないし、寧ろ掛けてなんぼの世界だ。
お前は愛されてる。だから、偶には自分の女を頼ってやれ。それすら出来ないのはチキン野郎では無くインポ野郎だ。
……二人の視線はそう語っている様だった。
「――そっか」
とうとう、グリーンが折れた。迷いを断ち切る様に、短くなった煙草を壁に押し付けると、新しいのを咥えて火を点ける。
ふう、と煙を吐いて言った。
「俺は腹を括ったぜ。イエローの力を借りる。最後のバッジは易々と渡さんぜ」
「その意気だ。健闘を祈るぜ」「応援してる。頑張って」
二人の男女仲は自分達のそれより長い。言ってみれば先輩の言葉なので素直に頷く事が出来たのだ。
レッドとリーフは、お前は一人で何でも背負い込み過ぎだと思いながら、面倒臭い幼馴染にエールを送ってやった。同様に、グリーンも御節介な奴等だと思いつつ、内心は感謝で一杯だった。
「だが――」
話には続きがあった。
「「へ?」」
グリーンの口を再び出た逆接接続詞。瞬間、二人が揃って間抜けな顔をする。
「俺達が突破された時は……次はもうお前達しか残って無ぇぜ?」
グリーンの顔は真剣だった。
「一寸待って。何であたし達が」
「おっと、無関係決め込みたい様だが、そうはいかねえ。俺を煽ったのはお前達だ」
どうにも話が見えない。今のはあくまでジムリと挑戦者の話であった筈だ。火を点けた責任として自分達にも参戦しろと言う事だろうか。
「それはそうだけど、どうしてあたし達にお鉢が回るのよ」
「お前達が現行のカントー最強のトレーナーだからだ。スコアランキングや勝率を見てもそいつは明らか。ワタルさんだって太鼓判押してるんだぜ?」
「大将が俺達を? ……それは買い被り過ぎだろう」
其処で何故に自分達が登場するのかが文脈からも判らない。だが、その後の話を聞く限りでは納得出来る節はあった。
対人バトルの回数自体が減っているが、黒星は粗無い状態だし、殿堂入りの回数だって全国的に見てもかなり多い部類だろう。かと言って、あの竜使いの大将が自分達を褒めていると言うのはどうも信じ難い話ではあった。
「何にせよお前達が倒されりゃ後が無えんだ。ジョウトの奴等に舐められる事だけは我慢ならねえ」
カントーの威信は君達の双肩に懸かっている。……遠回しにそんな事を言われた気分だ。だが、それで素直に首を振れる程、兄妹は真っ当な育ち方をしていない。
「お前達が最強だって言うなら、その名に恥じない働きをしてくれよ」
「「――」」
それを言われて何も言えなくなる。その二文字が重く圧し掛かっている様だった。
……決して、そうなる事を望んだ訳ではないのに。
「こいつは幼馴染としてのお願いだ。……頼むぜ」
「「承知」」
侭ならないモノだと兄弟は諦めた。結局、こいつには敵わない。
兄妹はその時が来たら動く事をグリーンに確約させられた。そして、その時と言う奴は足音を立てて確実に近付いているのだ。
――レッド宅 居間
ソファーにどっしり座って思案する。
カントー最後の刺客として、ジョウトの挑戦者に引導を渡す。それはもう決定事項と言って良い、変えられない未来だと他ならぬレッド自身が確信している。それこそが今の自分が存在する確たる理由だからだ。
「いきなり重い役、背負わされたな」
「うん。最強って言われてもピンと来ないよね」
少なくともレッドの言葉は嘘だ。
……何れこうなるのはあの日から判っていた。その時がもう目の前迄やって来ていると言うだけの話。それから逃げる事は出来ない。否、逃げてはいけなかった。
「と、すると、このままじゃ居られないな」
「だね。最近全然勝負して無いから勘が鈍ってるわ」
それを成す為に必要な事。リハビリを兼ねた修行が必要だった。
「ハナダの洞窟?」
「却下。昔はマシだったがな。今は雑魚しか出ない」
内部構造は昔から比べ、幾らか変わっても出現ポケの質の低さは燦々たる有様だ。
嘗てはレベル50後半、深部では60を超える猛者が出現した洞窟も今では見る影すら無い。以前は修行場としてお世話になったモノだが、高レベルのポケを乱獲し過ぎた結果だろうか? ……レッドには判らない。この案件は却下された。
「じゃあ、ナナシマ」
「遠過ぎる。最近は定期便も減ってるし、渡れば暫く戻れない」
確かにあそこも七宝渓谷や帰らずの穴、灯山等に中々の猛者が揃っている。
だが、地理的に遠過ぎると言う難点があり、シーギャロップの運行本数自体が減っている。今では週に一便程度しか出ていない。
そもそも、ヒビキ達がレインボーパスを持っているか否かも不明だったので、没案となった。
「じゃあ、やっぱり……あそこ?」
「ああ、あそこ、だな」
これ以上にスリリングな場所と言うのはトージョウ圏では一つしか思い浮かばない。
――シロガネ山
霊峰という二つ名を戴く白き魔境。
レッドは其処にだけは近付きたくなかった。それにはれっきとした理由がある。
『あの山は、人を惹き付ける』
何かの酒の席でレッドがそう語ったのをリーフは覚えていた。
『上手く言えないが、そうだな。
……資格を持つ者を引きずり込んで呪縛する魔力がある』
過去に一度完全踏破して以来、その山への再登頂を頑なに拒むレッドは何かを恐れている様だった。果たして、その資格が何であるのかはその時はレッド自身も判っていない、漠然とした何かだった。
だが、今ではその正体がレッドはおろかリーフにだってはっきり見えている。
――王として君臨出来る資格
……つまりそう言う事だ。レッドもまたそうだったのだ。
リーフと言う相棒が存在しなければ、とっくにレッドもあの山に囚われていただろう。
……そんな場所を修練の場所として選ばねばならない。
「仕方無いね。気持ちは重いけど……何時にする?」
「今直ぐにでも飛んで行かなきゃならんのだろうな。準備が出来次第、飛ぼう」
思う事は山とあるが、今は少しでも時間が惜しい。だが、俄か準備は遭難の危険性を招く。準備だけはガッツリと行う必要があった。
当然その間、レッドは休業だし、付き合うリーフも大学には顔を出せそうに無い。
「うん。何が要るかな」
「うーん」
以前に登った時はアイゼンやら防寒具は持っていかなかった。それでも何とかなったのはそれが真夏だったからだろう。今は九月の半ばだが、シロガネ山は例年よりも早く冠雪を終えていた。
恐らくは高確率で長期の滞在になるだろうし、一々麓のポケセン迄は降りて居られない。
食料、テント、寝袋、水、燃料、酒、煙草、その他諸々……
とてもではないがバッグ一つでは足りない。貯金を切り崩して経費に充てる必要もあった。それから……
「あらあら、何の相談?」
思考をぶった切る母親の声。その両手には味噌汁が入った鍋の取っ手が握られていた。
「ご飯出来たから食べちゃいなさい」
「「はーい」」
こう言う時に兄妹は素直だ。詳しい打ち合わせは後に回し、夕餉を頂く事にした。
「母さん」
「何かしら?」
二杯目のご飯を平らげて、レッドが真摯な面持ちで母を呼ぶ。母親は表情を崩さなかった。
「俺達、暫くは家を空けるよ」
「家を? 旅行にでも行く気?」
これから暫くは帰って来られない。しっかり伝えて置かないと、勝手に死亡届を提出され兼ねない。
「あはは。そうなら良いんだけどね。……ポケモン修行」
「何処に行くのかしら」
本当にそうだったらどんなに良いか。リーフも真面目な顔付きで目的を言う。
母の目が鋭くなる。昔のトレーナーだった時の自分の姿を思い出したのだろうか?
歳を重ねたとは微塵も思えない、トレーナーとしての凄味やらオーラが滲み出ている。だが、怯んでは居られない。
だから、行き先を告げた。
「「シロガネ山」」
「――そう」
それだけ行って、口を噤む母親。何かを考えている様にテーブルを指で二、三回叩くとその口が開かれた。
「判ったわ。行って来なさいな」
……良し。言質が取れた。母親からもゴーサインを?ぎ取った以上は、問題は何も無い。
二人は互いを見合って安堵した。
「但しっ!」
「「!」」
所がどっこい。母親の話には続きがあった。途端に身を硬くする二人。
「ご飯をちゃんと食べる事! 数日置きに連絡する事! 命を大事にガンガン色々やる事! ……それが条件よ」
……最後のは些か無理が無いだろうか? まあ、それ以外はこなせそうなので問題は無いが、それでも何と無く肩の力が抜けた気がした二人だった。
「はっ……了解」
「うん。そうするね」
兄妹は母の条件を飲んだ。……これから少しの間、母の料理は食べられない。これで暫く喰い収めだと二人は揃って空の茶碗を差し出した。
――翌日 レッド宅 玄関
「じゃあ、若し来客があったらその時は、山に篭ってるって伝えてくれよ」
「判ったわ。伝えておく」
暫しの別れだ。このまま昨日話し合って決めた必要な装備を掻き集めて、その足でシロガネ山へ直行する。帰れるのは何時になるのか判らないので、その際の伝言を母に託した。
「何だってこんな…… ――いや、今更か」
一瞬そう思って、頭を振る。時が動き出した以上、その通りにスケジュールは動くのだ。それには逆らえない。
与えられた自分のロールを果たす為に、レッドは魔境を目指す。例え、その先に待っているのが己の消滅だとしても。
そんな彼の唯一の救いと慰めは、一人ぼっちでは無いと言う事だった。だから、恐ろしくは無かった。
「リーフ」
「え?」
兄に続いて家を出る時に、母親に呼び止められる。忘れ物かと思ったが、それは違った。
「お兄ちゃんを……いえ、あなたのレッドを助けてあげてね」
それは母親としての言葉ではない……それ以外の何かの言葉だった。
「―――当たり前だってのよ!」
それが無性に嬉しくて、リーフは実に晴れやかな笑顔でサムズアップした。