拾漆:胸の内  
 
 
――翌日 マサラタウン 21番水道前釣り場  
 ヒビキ達との決戦の翌日。レッドは仕事もそこそこに暢気に釣りをしていた。  
 ポケモンを釣り上げる目的ではない。夕食の素材集めを兼ねた息抜きだった。此処何日か心が休まる暇が無かったので、精神を調整する為にそうしていた。  
 始めて一時間弱。成果はまあまあ。バケツには釣り上げた小魚が泳いでいた。  
 そんなレッドに近付く影があった。  
「よう」  
 レッドが振り向く。咥え煙草だ。それはグリーンだった。  
「サボりか? 未来のオーキド先生」  
「お前じゃ無えよ、俺は。休憩中だ」  
 片手には封の開いた無糖コーヒーのボトルが握られていた。  
 相変わらず白衣は着ていない。研究者である以上、外の汚れや雑菌を持ち込みたくないのかも知れない。  
「俺もサボってる訳じゃない。書類にサイン位はしたさ」  
「それで仕事になるのかよ。気楽だねえ」  
 篭っている間に回って来た仕事はそれ程多い量ではなった。その裡、片付けられる書類にサインだけをしてレッドは釣りに臨んでいた。  
 グリーンは何とも道楽的だと一寸だけ呆れている様だった。  
「で、何の用だよ」  
「んー?」  
 気になるのはそれだ。グリーンが態々息抜きの為に顔を出した訳じゃないのは幼馴染のレッドにはお見通しだ。恐らく、昨日のバトルについてだろう。  
「……負けちまったんだってな。お前達」  
 煙草のフィルターを吸い、煙を吐く。そして、コーヒーをくっと呷ると、グリーンは海を見ながらそう言った。  
「それを笑いに来たか? 好きにしろよ」  
 中々の耳の早さだ。母親にもその事は未だ伝えていないのに何処で聞き付けたのやら。  
 ……否、山から帰って連絡もせずに釣り何てしているだ。勘繰られて当然か。  
 しかし、そんな事を言いたいが為に態々やって来たのだろうか?  
 ……なら随分と暇な事だ。他人の事は言えやしない。  
 別に嘲笑の対象になる事にレッドが思う事は無い。今迄トレーナーを続けてきたが、一度も敗北が無かった訳ではない。数こそ少ないが、グリーンにだって負けた事だってあったのだ。  
 その度に、グリーンは勝利者として敗者である自分を嘲笑っていた事をレッドは記憶している。そして、きっと今回もそうだろうと思った。  
 
「……本当ならそうしたい処だが」  
「あ?」  
 苦い声色だった。それが意外に映ったレッドが幼馴染の顔を見る。眉間に皺を寄せていて、フィルターを強く噛んでいる。  
「お前、このままで済ますつもりかよ」  
 そして、グリーンは強い口調でそう言った。  
「何が言いたい」  
「決まってる。リベンジはしないのかって話だ」  
 グリーンの言いたい事位はレッドにだって判る。だが敢て、そ知らぬ振りして聞くと、今度ははっきりとグリーンが答えた。  
「・・・」  
 雪辱戦について考えなかった訳ではない。だが、負けた結果は受け入れているし、それに満足もしている。リベンジに臨む必要は何処にも無い。  
 しかし、胸に燻る持て余す感情がレッドには不快だった。無視して忘れてしまえば良いのに、それは時間と共に大きく育って行く。  
 そして、それを解き放つ踏ん切りがどうにも付かない。  
「悪いが興味が無えよ」  
 レッドは感情を交えずにそう呟くと、竿を引き上げた。餌を取られていた。  
「嘘吐くなよ!」  
 途端、グリーンが吼えた。憤怒の形相だった。  
「少なくとも俺だったら悔しくて堪らねえよ! 今もイエローとその準備してる処さ!」  
「それがどうした? 評価が欲しいのか? 手放しで褒め称えろってか? あー、はいはい。流石、ジムリーダー様は違いますね。どうぞお好きになさって下さい」  
 大声で喚くグリーンを尻目に、淡々と練り餌を釣り針に仕込むレッド。  
 お前達が何に臨もうと俺には関係無い。それを話すと言う事は、構って欲しいのか?  
……そんな邪推をして、レッドは皮肉たっぷりに言ってやった。  
「お前!」  
 沸点を超えてしまったらしい。レッドの胸倉に掴み掛かるグリーン。そして、そのまま殴り付けようとした。  
「――止めろよ」  
『お前、殺すよ?』  
 ゾクッ! 尻に氷柱を捻じ込まれた様な強烈な寒気を感じたグリーン。本当に人を殺してしまい兼ねない、凄まじい目だった。  
「――っっ! ちっ!」  
 それに一瞬にして熱を奪われたグリーンは手を放し、舌打ちした。  
 
「もう良い。馬鹿らしくなっちまったぜ……!」  
 これでは話にならない。燻る怒りを不機嫌そうに顔に出し、グリーンが背を向ける。  
「待て!」  
 だが、レッドが大声でそれを止めた。  
「ああん?」  
「まあ、落ち着けよ」  
 背中に掛かる声にグリーンは振り向き、レッドの言葉を飲み込みピタリと動きを止めた。  
「・・・」  
 話をするならば理性的に。そう言われた気がするグリーンは一息にコーヒーを飲み干し、吸っていた煙草を踏み付けて消火した。それを拾い上げて、空のボトルに突っ込んだ。  
「何を望んでる。言ってみろよ」  
 自分にどうして欲しいのか。その口からはっきり聞きたい。グリーンが話す迄、レッドは只管海面に漂う浮きを注視し続けた。  
 
「……お前達が負けた何て信じられないんだよ」  
「事実だ。かなりの接戦だったんだぜ?」  
 グリーンが目を伏せて言う。だが、そんな事を言われても困る。敗北は事実だし、決してそれは覆らない。勝手な幻想を抱かれる事はレッドにとっては迷惑な話だった。  
「判るさ。嘘じゃないって事位。でもさ!」  
 だが、グリーンは引き下がらない。その姿は恥じも外聞も捨てている様で、みっともなくも又、潔かった。  
「本当に、この結果で良いのかよ」  
「いや、俺は」  
 何も、何一つ思う事は無いのか? 図星を突かれてレッドが言葉に詰まった。  
「悔しくないのか?」  
「それは……」  
 そんな訳は無い。腐ってもトレーナーだ。だが、これで良かったと納得して、悔しさを封殺しなければいけない。  
 ……だが、それは一体何故なのだろう。何の為なのだろう。レッドにある迷妄の正体がやっと姿を見せた様だった。  
「本当に全力だったか? 形振り構わず、それこそ道具にでも頼ってそれでも勝てない相手だったのか? ……違うよな?」  
「あ、ああ」  
 確かに、それ程圧倒的な実力を持った連中ではなかった。そもそも回復剤に頼る事を良しとしないレッドだ。不文律と言っても良い。そして、そんな手段を取る事を選択させる相手がこの世に居るかは甚だ疑問だった。  
 だが、レッド達はそうでない相手に負けたのだ。みっともなく足掻く事もせず、勝ちに執着する事もせずに。  
 果たして、それは全力だったと言えるのだろうか。  
「俺達は違う。薬も沢山使って、それでも勝てなかった。だから、悔しくて……」  
「それはお前等が」  
 そんな物に頼るお前達の根性が悪い。少なくともレッドはそう言いたい。  
 どのジムリにも言える事だが、往々にして彼等は生き汚い。それが自分の地位に執着している様で美しくないからレッドは薬を使わないのだ。  
 グリーンもイエローもきっとそうやって足掻いたのだろう。  
「判ってるさ。あいつ等は薬を使わなかった。それだけで負けた気分だったよ」  
 薬の使用は或る意味反則で、そしてバトルの興を削ぐ物だ。勝って当たり前の条件を引張ってきて尚負けたグリーン達。確かに、それでは立場が無いだろう。  
「同じ条件で、同じ土俵で戦って。それで負けたんならお前達も満足だろうさ。でも俺達はそれですら無いんだからな」  
 だからこそ、グリーン達は諦められないのだろう。  
 ……やはり、生粋のトレーナーだ。  
 負けて尚、満足出来る様な終りは存在しない、と言う事か。  
 為らば、自分はどうなのだろう。この胸のモヤモヤ。持て余す感情を放棄して、無理に忘れようとしている己は。  
 
「もっと、やれるだろ?」  
 
「晒していない奥の手だって、ボックスには山と眠ってるんだろ?」  
 縋る様に必死な目だった。頷いてくれと懇願している様にも見えた。  
「む」  
「なら、それを使って今度こそやっつけてくれよ」  
 確かに、ある。決戦には使わなかった……否、使用がどうしても憚られた手持ち達がボックスには居る。それを引っ張ってでもヒビキ達を打倒しろと言うのか。  
 何処迄も勝手な奴。そんなのは自分達で始末を付けろとレッドは断りたかった。  
「本気のお前達の力をあの糞生意気な餓鬼共に見せ付けてやってくれよ……!」  
 
「はあああ……」  
 だが、レッドの喉を通過したのは溜め息だった。  
 そんな泣きそうな瞳を見てしまえば、何を言う気が失せるのも当然だった。  
「他人任せだな。お前、格好悪いぜ」  
「いけないかよ? 少なくともお前とリーフには未だ奥の手が残ってるって、思ってるぜ?」  
 他人任せを嫌うグリーンが此処迄言うなぞ滅多に無い事だろう。少なくともレッドにはそんなグリーンの姿に覚えが無い。  
 そう迄して自分達に期待するのは何故なのか。それを確かめたいレッド。  
「それを当てにして何が悪いってんだ!」  
 そして、グリーンは理由を叫んだ。  
――相手を信じる事、か  
 それは、前にグリーンを焚き付けた時の自分の言葉だった。  
 
「全く……本当に面倒臭い野郎だな、お前は」  
「あ――」  
 吐き捨てる様にレッドが言い放ち、煙草を取り出して咥えた。  
 それが拒絶に映ったのか、グリーンが悲しい顔をした。だが、レッドは幼馴染を裏切る様な男では無かった。  
「お前達のリベンジは一寸待ってくれ。先に俺達が始末を付ける」  
 其処迄言われて動かなければ漢じゃない。だが、これは決してお前達の為じゃない。あくまで自分の為に。  
――やはり、俺は馬鹿なままだ  
 トレーナーとしての性なのかも知れなかった。  
「お、おお」  
 途端、グリーンが破顔する。レッドを口説き落とせた事が本当に嬉しい様だった。  
 
「その代わりさ」  
「な、何だよ」  
 だが、続きがあった。ロハでその話を受けてやる程レッドだって優しくは無い。  
「いや、今度美味い酒の一杯でも奢ってくれよ」  
「……任せろ!」  
 レッドの要求はたったそれだけだった。グリーンがそれに頷くのを確認するとレッドが新たな煙草に火を点けた。  
「……ウツギ博士の電話番号って知ってるか?」  
 浮きが沈むのを確認し、レッドが釣竿を上げる。  
大学の特別講師として講義を受け持った事があるウツギとその受講生だったレッドは面識はあっても連絡手段が無かった。  
 グリーンならそれを知っているだろうと、レッドは尋ねた。  
「あ? いや、家に帰れば判るけど、何だってそんな」  
 判る事は判るが、何でそんな物を要求するのかがグリーンには解らない。  
「段取りが必要だろ。もう筋書きは出来上がってる」  
「まさか、お前……いや、判った。後で知らせるぜ」  
 段取り、と言う言葉を聞いて話を理解するグリーン。ウツギ博士はワカバタウンに研究所を構えていて、ヒビキ達も同じ町に住んでいる。  
 これが意味する所は……  
 レッドが釣り上げた魚から針を外している様を見ずにグリーンは身を翻した。家に戻る気だった。  
 
 
――同刻 グリーン宅 居間  
 レッドが釣りをしている頃、リーフはグリーンの家に居た。  
 今は丁度お茶の時間。グリーンの姉であるナナミさんとお話中だった。  
「今回は残念だったわね」  
「いえ。負けたけど、それなりに楽しかった。それだけで十分ですよ」  
 椅子に座り、目の前には用意された紅茶と茶請け。  
 昨日の決戦が頭を過ぎって、それには手を付けずリーフは目を閉じた。  
 中々に白熱した勝負だった。少なくとも、負けて恥じ入る様な事は何も無いのでリーフはそう納得していた。  
 目を開けて、ナナミにそう告げると、何故かナナミは少しだけ目を細めた。  
「……貴女がそう言うならそうなんでしょうけど」  
 彼女の目には懐疑と、僅かな憂いの光。  
「え?」  
 その目がどうにも心を揺さ振る様でリーフが呟く。  
「それは、本当に?」  
 言葉で明確にリーフへ疑念をぶつけるナナミの表情は硬かった。  
「ええ。兄貴は少なくともそれに納得してる。ならあたしも」  
「いや、レッド君じゃなくてね?」  
 他ならぬ兄がそうしようとしているのだ。其処に自分が感情を挟み込む必要は無い。  
 だからそれで良いとリーフは言いたかったが、ナナミが聞きたかったのはそうでは無かった。  
「リーフちゃんはどう思ってるかって事」  
「あたしは」  
 他の誰かでは無いリーフの本心についてだった。それを問われてリーフが若干、困った様な顔をした。  
「本当は悔しいんでしょ」  
「……そりゃあ、まあ」  
 ナナミは悪い事をしてしまったと思ったのか、口元に笑みを引いて尋ねた。  
 そんな顔に屈した様にリーフが自分の心を口にする。  
 楽しいバトルだった。だが、最後が運任せだったのでそんなモノに頼らない決着を望んでいたのは確かだ。機会があるならもう一度やりたいと。  
 やっぱりリーフは負けたままでは悔しかったのだ。  
 
「貴女は何時もレッド君の側に居る。でも、そこに貴女自身はあるの?」  
「何を」  
 ナナミはずっとレッドとリーフの成長を遠くから見てきた。勿論、過去の事件についてナナミはその詳細を知っている。  
 或る意味、自分の弟であるグリーンと同様、若しくはそれ以上客観的にその人間像を把握している。  
 だからこそ、飛び出した言葉だがリーフはその意味を掴みかねている様だった。  
「貴女達の関係をとやかく言うつもりは無いの。私自身、それが素敵だと思ってるから」  
 ナナミは数少ないリーフ達の理解者であり、またその仲については支援する姿勢を昔から崩していない。だが、ナナミはそれでも言わねばならなかった。  
「けどね。愛は依存とは違うわ」  
 昔からリーフにはその傾向があったが、それが加速しているとナナミは見抜いていたのだ。それはお互いの為にならないとの老婆心だった。  
「依存ですか」  
 他ならぬ自分の事だ。リーフだって気付いている。それは決して彼氏依存と言う事ではない。  
「そうですね」  
「判っているのね、自分でも」  
 リーフが頷いた。未だに精神症を発生するには至っていないが、自分達の関係が共依存的であると何時からか知っていた。この際、それに至った経緯は問題では無い。  
 約束だとか、誓いだとかそんなのも関係無い。そうする事でしか、立ち行かなかったとしてもそれは過ぎ去った事だからだ。  
 ナナミは真剣な顔でリーフを見た。それを理解しているならば、正す冪と思っている。それが大きな御節介で、又容易な事ではないと判っているがそれでもだ。  
「だけど、それが役目なんです」  
「誰がそれを決めるの?」  
 そして、リーフは頭を振った。兄に頼り、また頼られてその言葉を起点にしなければ自分で行動する事が出来なくなって来ている。そうしていれば楽だし、考える必要も無いからだ。  
「そうあたし自身で決めた。そうじゃないあたしに価値は無い」  
「価値って、あなた」  
 そう。リーフ自身が自分でそうなろうと決心したのだ。兄の言う事を聞いていれば、褒めてくれるし、可愛がってくれる。リーフはそれに価値を見出していた。  
「あたしは……本当はもう存在しないから」  
「え?」  
 そして、そうせざる得ない一番の要因は、ナナミが知りえない世界の定めた掟に関与する事柄だった。主要キャラでない彼女がそんなメタな話を理解出来る筈も無い。  
「でも、一度消えたあたしを兄貴がまた呼んでくれた。だから決めた。ずっと一緒に居るって」  
 そんな憐れなリーフの存在を再び定めたのが自分の兄。一体、どんな役目を課したのかは未だに語られないが、少なくともそうしないと自分の存在はまた煙の様に掻き消える。  
 リーフはそう思っていたのだ。  
「兄貴も、あたしの意思も関係無い。そうしなければいけないから、そうする。それだけの話なんですよ」  
 消えたくは無い。例え、自分の心を放棄しても兄の……レッドの側に居たい。居なければならない。  
 リーフはレッドとの歪な関係に魂迄囚われている様だった。  
 
「良く判らないけど――」  
 ゆっくりと茶を啜り、茶請けであるクッキーを頬張る。それを食道に流し込んでナナミはリーフを改めて見た。やっぱり、話が理解出来ないみたいだった。  
「その何処にあなたの意思があるの?」  
「いや、だからそう決めたって」  
 だが、ナナミが言いたい事は変わらない。リーフはまた困った様な顔をした。この人は話を聞いていないのだろうか? ……と思ったのだ。  
「違うわね。役目とか価値とか、そんな上っ面な言葉が聞きたいんじゃない。貴女がどうしたいかなのよ」  
「あたしの?」  
 リーフの言葉が全てそう言った建前を前提に語られている事がナナミには納得がいかなかった。では、それが無ければ、リーフは一体どんな決断を下すのかをナナミは知りたかったのだ。  
 それこそがナナミが言う所の意思。偽らざる本心と言う奴だったのだ。  
 
「レッド君の事、好き?」  
「勿論。兄貴として……ううん。男として、愛してる」  
 レッドの事を引き合いに出してみると、リーフはそれに猶予う事無く答えた。  
 微塵の躊躇も戸惑いすらない凛とした声だった。  
「それで、そんなレッド君をどうしたい?」  
「――」  
 其処で、少しだけリーフが言葉に詰まる。だが、それは一瞬だった。  
「愛されて、また愛したい。好き放題振り回して、あたしに心底惚れさせたい」  
 それこそがリーフの本心。自分の物にしてしまいたいと。  
「あたしを……レッドのオンリーワンにして欲しい」  
 第一、ではなく唯一。  
 妹としては既にそうだ。だが、リーフが言うのはそうじゃない。  
 唯一人、レッドの愛を受ける女になりたかった。  
「……そんなに想われて、レッド君は果報者ね」  
「いえ//////」  
 茶を啜って、ナナミはそう零す。ご馳走様。そんな声が聞こえそうな顔だった。  
 リーフは自分が吐いた葉を今になって恥ずかしく思ったのか、赤くなった頬を照れ臭そうに掻いた。  
「なら貴女はそうすれば良い。他の誰か、役目や何かの為じゃない。……貴女の意志で」  
「あたしの、ですか」  
 それを聞けただけでもナナミは満足だった。自分の心を縛る言い訳やその他煩雑な鎖は必要無い。したい様に、すれば良い。何にも縛られずに自分で決めた事ならば、それはきっと正しい事だとナナミは信じている。  
 後の全てはリーフの心次第だった。  
「そうじゃなければ上手く行きっこないわ。私だってねえ……」  
「は、はあ」  
 もう小難しい話をする気は無いのか、ナナミは自分の遍歴を彼是と語りだした。  
 それに付き合わされるリーフはクッキーを齧って、茶を飲んだ。  
 
――ガチャ  
「お」  
 ノックも無しに玄関ドアが開かれた。リーフとナナミがそちらに目を向けると、この家の長男が立っていた。  
「あら、お帰り」  
「お邪魔してるわね」  
 弟にそうとだけ姉は言い、視線で混ざるか? と合図を送る。  
 リーフは軽く挨拶しただけに留まった。  
「何だ、茶をしてたのか。……ああ、お構い無く、用が済んだら出て行くから」  
 だが、グリーンはナナミの誘いを断った。必要な物を取りに来ただけで、直ぐに研究所に戻る予定だったのだ。グリーンは壁に掛けられた連絡帳のページを捲り出す。  
「……あたしも行くかな」  
「あら、もう? もっとゆっくり」  
「いえ、もう十分です。ご馳走様でした」  
 そろそろ御暇しようかとリーフが席を立つ。未だ話し足りないと言った感じにナナミが引き止めるが、リーフは首を横に振った。気が付けば、窓から西日が差している。長居が過ぎた様だった。  
「おう、リーフ」  
「ん? なあに?」  
 帰る気配を悟ったグリーンがリーフを呼び止めた。  
「こいつをレッドに渡してくれ。何時もの処で釣りしてる」  
「電話番号? 判ったわ」  
 グリーンが誰かの電話番号が書かれた紙を手渡してきたので、リーフはそれに頷いた。無性に、兄に会いたかったのでその序に渡そうと思った。  
「リーフちゃん」  
「はい?」  
 グリーンの家を出る直前、ナナミが呼び止める。振り返るリーフ。  
「女の子は多少、我侭な位が丁度良いのよ。だから、思いっきり振り回して、咥え込んで、溺れさせなさいな」  
「……ええ!」  
 その言葉に勇気を貰った気がする。  
……今の自分の素直な気持ちが少しだけ判った気がしたリーフだった。  
 
「何話してたんだ? 姉ちゃん」  
 リーフが出て行って直ぐ、グリーンが姉に尋ねる。出て行く前の何と無く嬉しそうな幼馴染の顔が気になったのだ。  
「良い女の条件、かな。今度イエローちゃんにも聞かせないとねえ」  
「おい、止せ! イエローを汚す気か!? ぜってえ阻止」  
 ナナミはニコニコしながら言った。それに碌でも無い気配を感じたのか、グリーンがそうはさせないと姉の企みを打破しようとする。  
「あらあら。お姉ちゃん悲しいわ」  
「気持ち悪いんだよ!」  
 そんな弟をからかう様にヨヨヨ、と泣き崩れた振りをする姉。弟は気色悪い何かを見た様に姉に向かい威嚇するみたい叫んだ。  
 
 

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