弐:過去(むかし)の話  
 
 
――タマムシ大学 キャンパス内  
『俺は此処でな。……居眠りするなよ』『んじゃ、俺はこっちだ。バイビー☆』  
 構内に辿り着いて野郎連中はとっとと離れていった。  
 現在、リーフは講義を受講中。内容はポケモン分子生物学。  
『えー、この様にコイキングの遺伝子、脳細胞はギャラドスへの進化に際し急激な……』  
 講師の話の内容には余り興味が湧かない。  
 ペンを指で器用に回しながら、リーフは窓の外に目をやった。  
 木々の大半が黄色、若しくは赤色に変色している。  
『すっかり秋ねえ』  
 気温も少しずつ下がって来ている。何時もの服装であるノースリーブとミニスカートではキツイ季節になろうとしていた。衣替えを考えた方が良いかも知れない。  
 そう言えば、ルーズソックスから今のニーハイソに変えたのって何時位だったろう。時代の流れに逆行してるから、兄貴にこれは無え歳考えろって言われたなあ。  
 ……そんな事を考えながらも、リーフの頭には別の事があった。  
 それは先程、レッドが言っていた事だった。  
 
――餓鬼のまんまじゃ居られない  
 
『だからって、もう少しまともな育ち方は出来なかったのかしらねえ』  
 戻れない子供の頃を懐かしむ様に頭の中で呟く。  
 ……そう。昔は良かった。  
 
 昔から仲の良い兄妹だと言われていた。  
 妹は兄にべったりだったし、兄も妹をしっかり守ってきた。  
 ……そう。仲の良い兄妹。それ以上でもそれ以下でも無かった。  
 それが崩れたのは、何時だったろうか。  
 
 レッドが最初に捕らえたポケモンはコイキング♂だった。  
 父の仕事の都合でヤマブキからマサラに移ってからは、寂しい日々が続いた。  
 旧名、マッシロタウンと呼ばれていた過疎化が進む町。オーキド博士の先祖であるオーキド=マサラの名前を肖り、改名したと誰かが言っていたがそんな事は幼い二人には取るに足らない事だった。  
 先ず、同年代の子供が居ない。遊び場には不自由しないが、父も母も家を空ける事が多く、兄妹はそんな中二人きりで過ごしていた。  
 ある日、近所のおじさんに釣りを教えられたレッドが手製の釣竿を使って自力で釣り上げたコイキング。それか彼の最初の相棒だった。  
 それから兄妹とコイキングはずっと一緒だった。父母の不在だって二人と一匹が居れば我慢出来た。ずっと遊んでいても飽きない程だった。  
 
 リーフもポケモンを手に入れた。ヒンバス♀だ。  
 一年程経って、父母と行ったセキチクのサファリパーク。  
 すっかり釣り好きに育ったレッドは釣りを決行。その釣り上げたポケこそが本来、シンオウとホウエンの一部の水場でしか確認されていないヒンバスだったのだ。  
 これはおかしいと言う事でサファリの人間達が水場から水を抜いて調べてみたが、他の固体は確認出来ず、誰かが捨てたヒンバスが野性化したのだろうと言う結果に落ち着いた。  
 そのヒンバスは紆余曲折あってリーフが育てる事になった。当時の彼女はもっと可愛いのが良いと散々駄々を捏ねていたが、それも今となっては良い思い出だった。  
 
 時が経ち、何時の間にか隣に同年代の男の子が越して来ていた。名前はグリーン。  
 その子の手持ちのコラッタと相棒を競わせて遊んだり、町にある大きな研究所の偉い博士にポケモンの事を教えて貰いながら兄妹は成長して行った。  
 小学校に上がり、十歳大人法による義務教育期間が終了する頃には、二人は近隣では敵が居ないトレーナーと呼ばれる様になっていた。  
 コイキングはギャラドスに。ヒンバスはミロカロスに。……強い訳だ。  
 その頃に二人は選択を迫られる。カタギとして生きるか、トレーナーを目指すか。  
 レッドの答えはプロのトレーナーにはならない。現状維持と言うものであった。  
 オーキド博士からは図鑑編纂の為にカントー行脚の旅を勧められていたのだが、それを蹴っての決断。同じ様に薦められていたグリーンも張り合いが無いと言う事でこれを辞退。  
リーフもそれに従い、暫くの間、博士の研究は停滞期が続く事になった。  
 
 
――穏やかな空間 平和な時  
 ……今となってはもう失われて久しい、アルバムの中だけに存在する光景。  
 それが失われる時がとうとうやって来てしまう。  
『……あれさえなければ、こんなにも生き方に迷う事はなかったのに』  
 心の蓋を破って現れる怨嗟の念。あれがあってこその今の自分だと解っていても、消し去りたい過去。  
 神を呪い、また神が居ない事を知ったのもその時だった気がする。  
 
『……983! 番号0510983!』  
 
「――はっ」  
 途端、現実に引き戻された。自分の番号が呼ばれている。どうやら指名されたらしい。  
「は、はい!」  
『では、今の問題の答えを』  
 しゃきっと、慌てつつ返事だけはしてみるリーフ。当然、何処をやっていたかなぞ、魂が飛んでいたので判る訳がない。  
「えっ……と、何ページですか?」  
『……84ページ下段』  
 講師の眉間に皺が寄り始めた。だが、幸運な事に其処は予習済みの箇所であった。  
「っと、ミニリューとハクリューの間にある特定遺伝子の有無については、進化が大きな引き金になっていて、発現を制御する何らかの因子が……」  
 どうやら、何とか難局は切り抜けられた様だった。  
 
 

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