肆:復活の兆
――マサラタウン レッド宅二階 兄妹の部屋
窓辺から射す春の陽光。聞こえてくるのはオニスズメの囀り。何時もの光景だ。
あれから数ヶ月経ち、レッドは四回生に上がり、リーフも三回生になった。
それ以外に大きな変化は無い。外界に小さな変化はあるのだろうが、兄妹は相変わらずだ。
……その筈だったのだ。今日迄は。
「んー、ふああああ〜」「すー……くかー……」
大きな欠伸と共に起き上がったレッド。寝覚めは快調。近年稀に見る高記録だ。
因みに、リーフは横で爆睡中。起きる気配は無し。
「ん〜……今日も見なかったな、夢」
ぼりぼりと頭を掻きながら呟く。
心に打ち込まれた抜けない楔。それから開放される日が近付いているのだろうか?
……まあ、何にせよ、寝覚めが良いのはそれだけでレッドには有難い。
「……あ? げえっ!?」
視線を時計に移して、瞬間フリーズ。再起動と共に変な声。時刻は正午過ぎを指していた。
「やべっ、完全遅刻だよ! こうしちゃ……」「むぎゅっ」
妹を踏ん付けて急いで飛び起きて、何時もの如く脱ぎ散らかした服に袖を通す。
それでも起きないリーフは結構な大物だ。
……参ったなあ。そんなにハッスルした覚えは無いのに寝過ごすなんて。
慌てて着衣を身に着けつつ、カレンダーを見ると、今日の日付に目が留まって動きも止まった。
「――あ、何だ。旗日だ今日は」
当然、大学も研究室も閉まっている。
……じゃあ、こんなおっとり刀で服を着る必要は無いのだ。いやいや、習慣と言うのは恐ろしいモノだ。
独りでコントを実演したレッドはどっかりとジーパンだけ履いた格好で床に腰を下ろした。
――すると
YOU ARE NOW ENTERING COMPLETELY DARKNESS ……
突然、自分のギアが鳴り出した。着信音は例のアレ。レッドはそれを手に取り、発信者を確かめぬまま通話を開始する。
……気のせいか、レッドの首飾りが爛と光った気がした。
「はい……こちら、レッド」
『先輩、ですか』
聞き覚えがある女の声。間違える筈は無い。アイツだ。
「……お前か。久しいな。……ナツメ」
ヤマブキジムのリーダー、エスパー使いのナツメだった。
……数時間後。
――-ヤマブキシティ 喫茶店
「で、何であたしも一緒に?」
「・・・」
ヤマブキは建設中のリニア駅の前にある小さな喫茶店。その入り口に程近い場所で二人は待ち人を待っている。他に客は居ない。閑古鳥が鳴いている。
レッドは無言だった。
「ちょっと。……何か言ってよ」
レッドの顔はリーフが見知っているそれとは悉く一致しない。強いて言うならば、鬼気迫る顔。……そんな表現が当て嵌まった。
「……お前にも」
「え?」
「お前にも関係がある。そう判断して連れて来た」
レッドはそれだけ言って煙草を吸い始める。そして、直前のナツメとのやりとりを思い出す様に目を閉じた。
「・・・」
その様子にiリーフは何も声を掛けれなかった。
「……お前か。久しいな。……ナツメ」
『はい。ご無沙汰しています』
この女の声を聞くのも随分久し振りの気がする。ナツメはレッドとリーフ、グリーンのが通っていたタマムシにある高校の後輩に当たり、彼が三年、リーフが二年の時に入学して来た。
持って生まれた能力故に敬遠され、イジメの対象になりつつあった彼女にレッド達が手を差し伸べたのが付き合いの始まりだった。そして、それは時を経た今も変わっていない。
「二ヵ月半振り、か。……一月中旬だったか、前に会ったのは」
『ええ。雪の振る寒い日に』
カントーでは珍しく雪のちらつく一月半ばに街で遭遇したのが最後で、それから二人は会っていなかった。
「……で、用件は何だ。リーフにではなく、態々俺に掛けてくると言うのは、何かあるんだろ」
社交辞令は今はどうでも良い事柄だ。何か重要な用件がある、とレッドは直感で読み取った。 普段以上に低い声が喉を通過し、自分でも驚いた。
『・・・』
「・・・」
それに怯えた様にナツメは押し黙る。レッドもまた無言を返す。相手が話す迄、待つ。
『御免なさい、先輩。今から会って貰えませんか』
そして、痺れを切らした様におずおずとナツメが言う。まるで叱られている様なナツメの声に少し悪いと思うレッド。だが、そんな考えは直ぐに吹き飛ぶ。
「……口頭では伝えられん類の話、か?」
『……はい」
直接、会いたいと来た。それ程の話題とは一体何なのか、未だレッドには見えなかった。
「一体それは……」
『それは会ってから。……唯、私が言えるのは』
「?」
随分と遠回しに言ってくれる。次の言葉を待ち、レッドは身を硬くする。
『それが良くない類の話であるという事。……いえ、先輩達にとってはそうとも限りませんが』
「……っ!」
レッドは話が見えた気がした。
今、ナツメは『先輩達』と言った。それは自分のみならず、同じくナツメにとっては先輩のリーフも含まれると言う事。そして、ナツメは自分達の過去を知っている。
――まさか
そこから見出せるのはたった一つの解答だった。
「……妹も連れて行く。それが条件だ」
『判りました。……リニア前の喫茶店。其処で16時に』
もう此処迄来たら疑う余地すらないと言う確信がレッドにはある。妹の同行を告げるとナツメはそれを拒絶しなかった。
「……了解した」
ギアの通話ボタンを押し、電話を切った。
時局が動き出した音をレッドは聞いた気がした。
……待つ事数分。喫茶店のドアに括り付けられたベルがなる。来客だ。
レッドとリーフはドアを注視した。中に入って来る女が一人。その女は二人に目が合うと口を開いた。
「御免なさい。遅れました?」
「い、や……時間通り?」
「う、うん。待ってない。全然待ってないよ?」
……何となく歯切れが悪いレッドとリーフ。何処か……否、明らかに二人は戸惑っていた。
「?」
そんな二人の様子を訝しむナツメ。とうとう耐え切れなくなってレッドがそれを言った。
「……あー、失礼を知りつつ言わせて貰うがな。……ナツメよお」
「は、はい」
すう、と息を吸いレッドが弾けた。
「お前その髪どしたぁー!? 悪い話ってこれか!? これなのか!?」
「悪い男に引っ掛かった!? 騙されたのね!? 可愛い後輩に何処の誰よ! あたしが寸刻みにして……!」
HGSSのナツメのあの髪型と服装について。FRLGであれだったのに、あの変化は彼女にあったであろう何かを勘繰らざるを得ない衝撃を回りに与えたのは確かだ。
※(少なくとも筆者は)
「待って下さい! これじゃありません! これは只のイメチェンですから! 高校も去年卒業したし別に良いじゃありませんかっ!」
ヒートアップした兄妹を何とか落ち着かせようとするナツメは半分涙目だった。
……其処まで驚かなくても良いんでないかい? ……的な顔だった。
「何だ、そうか。……畜生。お前のあの長い黒髪、好きだったのになあ。……惜しい」
「っ! あ、ありがとう、御座います//////」
「はいそこっ! サラッと口説かない。アンタも頬を染めんな」
レッドさんの好みが一つ知れた。の自分を褒められて嬉しいのかナツメ真っ赤だ。それが微妙に腑に落ちないリーフの反応は冷ややかだった。
「げふんっ! ……して、話とは?」
咳払い一喝。場の空気を無理矢理シリアスに持っていくとは流石はレッドさんだ。
……そんな事をしても下がった株は戻らないが。
「はい。では……」
運ばれて来たコーヒーに口を付け、ナツメが用件を話し始めた。
「お話しする前に断って置きます。これは伝え聞いた噂であって確証がありません。それを念頭に置いて下さい」
「……伝聞で更に噂? 不確か何てもんじゃないじゃないの。……アンタはそれを誰から聞いたのよ」
又聞きした噂程信憑性の怪しいモノは無いだろう。そんなものを聞かせてどうする気なのかと問い詰めたい気分だが、リーフはそれをしない。重要なのはその情報のソースだ。
それによって真偽は大きく違ってくる。
「エリカです」
「エリカ、ねえ……」
「あの子か。……あの子ならまあ、嘘は言わなそうね」
意外な人物。タマムシのジムリーダーの名が挙がった。
彼女もまたリーフの高校の後輩。彼女が入学当時にレッドとグリーンは既に卒業していたので、直接的な後輩ではない。まあ、それ故にエリカとの付き合いはリーフの方が多い。
お嬢様学校一直線で来たエリカが何故、レッド達の高校に入学したのかは結局の所不明なままだ。
「彼女が先日、ジョウトの客人に聞いた話だそうです。……何でも、此処数ヶ月で組織ぐるみのポケモン関連の犯罪が向こうでは右肩上がりに上昇中だとか」
「・・・」
犯罪絡みの話が出て来た。いよいよ嫌な予感しかしない。レッドは黙っていた。
「警察は何やってるのよ」
「お手上げだそうです。犯人一味は揃ってポケモンを使い、激しく抵抗し、場合によってはトレーナーへの攻撃も行うとか」
通常、大きなポケモン犯罪でない限りエキスパートであるGメンが動く事は稀だ。その場合対処に当たるのは普通の警官であり、その警官すら障害としない様な強引なやり方を是、とする連中。
「……警察程度の力では歯が立たない連中と言う事です。警官の全てがトレーナーと言う訳ではありませんからね」
「「・・・」」
予感の的中を知り、レッドは苦い顔で煙草のフィルターを噛み潰した。リーフも普段は余り吸わない煙草を咥え、火を点けた。
「何かに似ていると思いませんか?」
……昔、そんな奴等がカントーにものさばっていた。そして、此処に居る三人はそいつ等の事を良く知っている。
「その連中は揃って同じ格好をしている様ですよ。黒尽くめの服にハンチングを被り、白い手袋。そして、その胸には赤色で一文字」
そんな奇特な格好の一団は世界広しと雖も、一つしか思い浮かばない。レッドとリーフは同じタイミングで一つのローマ字を口にした。
「「R」」
Raid On the City. Knock out Evil Tusks.
R O C K E T……!
「……そう言う事です」
ナツメが辛そうに目を伏せた。これから起こる惨劇を嘆いている様だった。
コチコチと、喫茶店の壁に掛けられたアンティーク時計が秒針を刻んでいる。誰も口を開こうとしない。永遠に続くかに思われた重圧を破ったのはレッドだ。
「…………そう、か」
――カチャリ
飲み干されたコーヒーカップが更にぶつかり、陶器特有の音を響かせた。
「兄貴?」
「!」
瞬間、空気が凍った。全身の肌が粟立つ様な強烈な不快感。それに最初に反応したのはナツメだった。
「そうか……そうか……! 奴等復活しやがったかっ! 一度滅ぼしたのに未だ足りないってのかよ! ……哀れな奴等だぜ」
普段は仏頂面のレッドが醜悪な笑みを張り付かせて顔を歪めている。
溜め込む人間こそ爆発する時の反動は凄まじいと言うが、彼もその例に漏れないのだろうか?
少なくともレッドのそれは爆発と言うレベルではない。辺り一面を焼き尽くし、灰燼に帰して余りある大爆発。心臓の弱い人間ならそのまま卒倒して帰って来れなそうな、常軌を逸した負の面の発露だった。
「ぁ……っ! ぅ、あっ!」
「ナツメっ!? ちょっと、兄貴!」
そんな闇を無理矢理心に叩き付けられるナツメの精神へのダメージは如何程のモノか?
通常はフィルターが掛かり、自分の望む相手の心しか見えないナツメ。そんな彼女の精神防壁を易々と超え、蹂躙するレッドの心の闇は底無しに深い。
全身を硬直させ、痙攣し蹲るナツメとそれを引き起こしているレッド。リーフは何とかレッドを落ち着かせようとするが、無駄だった。
「なら、もう一度滅ぼすだけだ。もう二度と墓から出ない様に、潰して、叩き潰して、殺して、殺して……刺殺して圧殺して轢殺して撲殺して滅殺して射殺して爆殺して毒殺して斬殺して惨殺して絞殺して焼殺して溺殺して殴殺して撃殺して鏖殺だ……!」
人間の持つ汚い部分。その全てを抽出して濃縮し、更に毒性を数百倍に高めた様な言の葉の群れ。狂った様に吐かれるそれは憎悪と言う名の呪いの言葉だった。
「かっ、はあ! う、うああ……や、やあ!!」
崩れ落ち、過呼吸を起こしそうなナツメはもう半分パニックだ。店の主人が何事かとこちらを見ている。今にも救急車を手配しそうな顔だった。
「兄貴落ち着いて! ナツメが壊れる!」
――パンッ
それを打ち破ったのはリーフだった。
「・・・」
目の前で打ち合わされたリーフの両掌。レッドは今迄が嘘の様に鎮まった。
猫騙し。開戦直後に使えば確実相手が怯むそれを使い、兄の暴走を止めた妹はストッパー役として優秀らしい。
「落ち着いた?」
「失敬。取り乱したな」
一応、形ばかりの謝罪をしてみるも、レッドにその気は全く無かった。
「しかし、不用意じゃないか?」
「はあ、はあー……っ?」
開放され、荒い息を吐くナツメに鞭打つ様に酷い言葉をレッドは吐く。
「他人の心、面白半分に覗くもんじゃない。相応の代償が必要になるぜ?」
「覗いて、ません、っから……」
覗いた覚えなど、当然ナツメには無かった。強制的に突き付けられたのだ。
抗えず、ただ飲み込まれるしかなかった自分にどうすれば良かったのかと文句の一つもレッドに言ってやりたいが、そんな元気はナツメには一欠けらも無かったのだ。
――ヤマブキシティ リニア前
「では、私はこれにて」
「ああ。情報提供感謝する」
ナツメが落ち着いた所で三人は解散する運びとなった。未だナツメの足取りは若干ふらついている様だが、直ぐ近くに住んでいる彼女の事だから平気だろうと楽観しつつ、レッドは頭を垂れた。さっきの謝罪であったのかも知れない。
「……今日は悪かったわね」
「いえ。こうなるって見えてましたから。それでも、伝えなきゃって思ったんです」
未来視にも定評がある彼女だ。こうなるリスクを犯してまで情報を伝えてくれたナツメは中々に健気な娘さんである様だ。そんな心根は少し羨ましいリーフだった。
「先輩」
「何だ?」
去り際に一度振り返ったナツメ。じっとレッドの目を見ている。空色の、愁いを帯びた色。彼本来の色ではない偽りの色。
そこにナツメは未来の一端を見た気がした。
「……いえ。御無理は為さらぬ様に」
だが、それは伝えない。どうにもならない決定事項だと彼女自身が判ってしまったからだ。だから、せめて、自分が大好きな先輩がこれ以上傷付かない様に祈る事しか出来なかった。
「……ありがとう」
ふっ、と柔らかい笑みを見せるレッド。その笑顔に感謝の言葉を載せて、ナツメに送った。
「! は、はい//////」
向けられた笑顔にナツメが赤面した。
……そうだ。この笑顔が見たかった。だから、自分は危険を犯した。そして、それが報われた。危険手当としては十分な報酬だった。
「・・・」
久方ぶりに見た兄の笑顔。だが、妹はそれが作り笑いであることを知っている。顔面の筋肉を操れても目だけはそうはいかない。
兄の眼は闇よりも深くどす黒い感情を孕んでいる様に濁っていた。
……そして、それは自分もだと言う事をリーフは自覚していた。