伍:血の泪  
 
 
『墓参りに行こう』  
 レッドがそう言ったのは、ナツメに会った翌日だった。リーフには断る理由が無かったし、自分もそうしたいと思っていたので二つ返事でそれを承諾した。  
――シオンタウン 魂の家  
 ポケモンタワーのラジオ塔改装に伴い、安置されていたポケモン達の遺骸や遺灰を移す目的で新たに作られた慰霊施設。その一角にレッド達が目指す場所があった。  
 
「よう、相棒。元気に死んでるか?」  
「命日には早いけど、来ちゃった。……え、会いたく無かったって?」  
 隣り合わせに存在する小さな墓標。彼等の最初の手持ちの死後の家。墓の主の名はギャラドスとミロカロス。特別な墓碑銘は刻まれていない。  
 兄妹の持つ鱗のアクセサリーの素材を提供した者達だった。  
「お前が好きだったポロック、リーフが作ってくれた。味わってくれよ」  
「あなたにはこっちね。辛いポフィン。ちゃんと好み位は覚えてるって」  
 持参したケースから供え物であるポフィンとポロックを墓前に供える。レッドが釣り好きである様に、リーフも木の実栽培とお菓子作り(ポケモン用)を趣味にしていた。  
 リーフは態々供物としてそれを作ってきたのだ。各々の相棒が好きだった味。きっと死んでいても喜んでくれるだろう。  
「もう七年近いな。お前が死んでから。……お、お前は未だ六年未満だっけか」  
「そうよ。ミロちゃんは兄貴のギャラ君より一年遅い」  
 汚れている相棒達の墓を布巾で磨き、酒をコップに注ぎ、線香代わりの煙草をくべて談笑を交わす。  
 ……今だけは昔に戻りたい。そんな届かない願いを体現するみたいに二人は穏やかな顔だった。  
 
 出会いの数だけ別れはある。それは必然ではなく、出会いの中に内包去れているモノだ。だからこそ、その摂理は決して覆らない。  
 二人にとって不運だったのは、それが最悪の状況で齎された事だった。  
 ……凡そ七年前。ロケット団がタマムシデパートの5階を占拠する事件が起きた。その頃のロケット団は先代から親首領のサカキへ組織の継承が行われたばかりで、統率が全くと言って良い程取れていなかった。  
 丁度、ロケット団絡みの凶悪犯罪が頻発していた時期だった。  
 占拠グループの要求は多額の身代金と逮捕されているロケット団員数十人の解放、そして離脱の為のヘリだった。  
 運の悪い事に当時15歳だったレッドがその現場に居合わせてしまったのだ。これまた偶然なのだが、その人質の中には未だ12歳のエリカが含まれていた。  
 
「あー……俺は何もしてないぜ?」  
「黙れ小僧! これが見えんのか!」  
 絶体絶命な状況にも関わらずレッドは飄々としていた。鼻先に突撃銃……AKと呼ばれるライフルを突き付けられても余裕の表情を崩さなかった。  
「これ、鉄砲かよ。凄えや。始めて見た」  
「……貴様」  
 それも当然だった。学生をやりながら、片手間で身に付けたポケモン勝負の腕で近隣最強の若手トレーナーと呼ばれていた事にレッドは天狗になっていた。だから、相手に脅威や恐怖を感じる事が微塵も無かった。  
 ……戦いの中で驕る者はその危機意識の無さから命を落とす。その時のレッドがそうだったのだ。ポケモンの力を自分の力と信じて疑わないケツの青い餓鬼だった。  
 そんな驕りが惨劇を招いた。  
「――ガッ!?」  
 銃のグリップで思い切り殴り付けられた。ヌルっとした感触が額を伝う。  
 ……血だった。帽子を被っていなければ危なかったかも知れない一撃が叩き込まれたのだ。これがレッドに火を点けた。  
 
「てんめえ……! 餓鬼だと思って嘗めんじゃねえぞっ! やっちまえギャラドス!」  
 
 滴る血を拭い、とうとうレッドがボールの開閉スイッチを押した。  
――ぐるるるおおおおォォ……  
 召喚されたギャラドスは直ぐに怒り頂点に達した。主人を傷付けられた事に激怒したのだ。ギャラドスはその大きな口を開け、有り余る力で目の前のロケット団員を……  
――ぞぶり  
 文字通り『噛み砕いた』。  
 上半身と下半身が分かたれたロケット団員が血のスプリンクラーを撒き散らし、床に崩れ落ちる。  
「きゃああああああああ!!!!」  
 人質の一人が発した悲鳴。地獄の釜の蓋が開いた。  
 
 相手は銃で武装している。さっきから弾が頬を掠める音が聞こえてくるが、レッドの感覚は殴られた事により完全に麻痺していた。  
「俺達は無敵だ! そうだろ相棒!」  
――ぐうるるるううぅ……  
 この時、レッドの頭は事件を解決してヒーローになる事で一杯だった。図体のデカイギャラドスが何発も被弾している事にすら気付けなかった。  
「く、糞があっ!!」  
 五人近く居た仲間がどんどんボロ雑巾の様な無残な屍に変えられていく。占拠グループは突如現れた悪夢の光景が信じられなかった。死を恐れず向かって来る様な少年と暴龍が死神の使いに見える程だった。  
「動くな!」  
「きゃっ」  
 そして、最後の一人に追い詰められた主犯格が取った行動は人質を文字通り盾にする事だった。  
「ようし、動くな。動けばこのお嬢ちゃんの面が吹っ飛ぶぜ」  
「あ、あ……」  
 着物を着た育ちが良さそうな女の子が身動きを封じられて、頭に拳銃を突き付けられている。彼女がエリカだと判ったのは後の話であるが。  
 通常、この様な手を取られた場合、まともな感性の持ち主ならば手を止めてしまう。無関係の民間人を巻き込む事の罪悪感が邪魔をするからだ。  
 ……だが、攻め手がまともじゃない場合はどうだろうか。  
「やれよ」  
「――は?」  
 ロケット団も開いた口を塞げないらしい。  
「そいつと俺は無関係。顔も知らない女が死んでも知った事か!」  
 そのまともじゃない例がレッドだったのだ。……どう考えても正義のヒーローが言う台詞じゃなかった。  
 
「お、お前正気かあ!?」  
「てめえに言われたかねえんだよお!」  
 確かにレッドの言う事は正しいが、この場合はどっちもどっちの気がしてならない。人質作戦も失敗。ロケット団に残された手は……  
「あ、あのう?」  
「……畜生」  
 わたくし、死ぬのですか?  
 ……そんな言葉が聞こえてきそうな少女の視線だった。そして、それが彼に最後の切り札を使う事を決断させた。  
「さあ、諸共殺っちまえギャラ「これでも喰らえっ!!」  
 レッドが指示を出す前、一瞬早く彼は行動した。腰にぶら下げていたそれのピンを抜いてレッドの足元に放り投げた。  
「――え?」  
 足元に転がるそれをレッドは最初ボールだと思った。腰にぶらさげる物と言ったら普通はそうだ。だが、形が違う。まるで小さな林檎の様な……  
 其処でそれが映画や漫画で出て来る手投げ弾と気付いた時、もう二秒近く経過していた。  
 M67。ピンを抜いて凡そ5秒で爆発する破片手榴弾。爆発地点に居る人間は例外無く致命傷を追う。  
 ロケット団は女の子を破片の当たらない物陰に突き飛ばし、自分は既に低く伏せていた。  
――ヤバイ、これは助からねえ  
 瞬間レッドはそう確信した。だが、そうはならなかった。  
 爆発の数瞬前に、レッドは強い力で壁迄一気に弾き飛ばされた。  
「ぎゃ、ギャラド――」  
 それは主思いの相棒の仕業だった。  
――ドンンッ  
 派手な爆発音と共に僅かな煙。ギャラドスの真下で手榴弾が爆発した。  
 
「は、はは……ざまあみろ糞餓鬼が! 大人を嘗めるからこうなるんだよお!」  
「い、つつ……おい、あ、相棒……」  
 壁に手をやって立ち上がった時、その無残な光景に息を呑む。  
 真っ赤に血化粧を施した相棒の姿。苦しげに息をしながら何とか浮いていた。  
 破片が直撃した部分はズタズタで、肉はおろか骨すら覗いている。内臓の一部が零れそうな大穴を開け、更に内部には多数の金属片が食い込んでいる事が用意に想像出来た。  
 ……瀕死の状態だ。今直ぐポケセンに送らねば手遅れになる重篤な傷だった。  
「戻れ! 相ぼ――なっ!?」  
――パンッ  
 レッドの判断は迅速だった。直ぐにボールにギャラドスを戻そうとボールのスイッチに手を伸ばしたが、破裂音が響くと同時に受けた腕への灼熱感を伴う激痛でボールを落としてしまった。  
 撃たれたと判ったのは直ぐだった。硝煙を昇らせる銃口が自分を睨んでいた。  
「お前は良くやったよ。それだけの度胸があればロケット団でも出世間違い無しだ」  
 勝ち誇った様に男が嗤っていた。  
「だが、やり過ぎたな。……アディオス、糞餓鬼」  
 どうやら逃がす気は無いらしい。  
――ああ、死んだなこりゃ  
 本日二度目の死の覚悟。もう奇跡は起こらない。頭に去来する過去の映像。そこから何とか助かる術を模索するが引っ掛からない。走馬灯すら自分を見放した。  
 色々と言い残したい事があった気がするが、もうどうにもならないと諦めてレッドは目を閉じた。  
 ……だが、しかし。  
 
『ぎィるるるるるおォオォアァああAァあ――――ッッ!!!!』  
 
 大咆哮。誰もが耳を塞ぐ様な凄まじい雄叫びを上げ、ギャラドスがロケット団に突撃した。  
「――ぺぎっ」  
 それが男の断末魔だった。渾身のギガインパクトを喰らった男は壁を突き破り、地面へ落下して行く。……ぐちゃ。数秒後、肉が拉げる厭な音が僅かに聞こえた。  
 
「相棒……っ! や、やったなおい!」  
 撃たれた痛みも忘れてギャラドスへ駆け寄るレッド。だが、彼からは何の反応も返っては来なかった。……そして。  
――どしゃ  
 全ての力を無くした様に、ギャラドスは地に落ちた。自身の血が作り出した血溜りへと。  
「ぁ――えっ――」  
 状況が理解出来ない。そんな顔だった。何とか脳味噌を回転させ状況認識に勤める。  
 判ったのは、相棒が死に掛けている事。そして、そんな状況を作り出したのが自分の蛮勇だと言う事だった。  
 
「そ、そうだ。ボール……相棒を、治さなきゃ……」  
 ポケセンへ連れて行く必要がある。レッドはボールを捜すが見つからない。どうやら紛失した様だ。  
「くそっ! 糞ぉ! なら、なら応急手当! ……薬! 薬は!」  
 バッグの中に薬が幾つかあった事を思い出して、大急ぎで手当てを開始する。だが、手が片手しか使えず上手くいかない。  
「……っ、だ、誰か! 手を! 手ぇ貸してくれよお!」  
 周りに居る人質連中に呼びかけるも反応が無い。どうやら騒ぎに乗じて逃げ出した様だ。  
「あ……っくう」  
 漸く一人だけ見つけた。さっきの少女だ。だが、助けを求める事は止めた。諸共攻撃しようとしたのだ。結果的に助かったが、今更になって支援を求めるのは都合が良過ぎる。  
「どうすれば、良いんですの?」  
 しかし、彼女は手伝いを申し出てくれた。  
「っ! ありがとう! 恩に着るぜ。……済まなかったな、さっきは」  
「いいえ、お気に為さらずに」  
 地獄に仏とはこの事だ。先程の無礼も許してくれた。何て気風の良い可愛い子だと平時なら喜んだろう。だが、今は緊急時だ。手当てが優先される。  
 レッドは少女の手を借りながら出来る限りの手当てをして行く。しかし、それは手遅れだった。  
 手の施しようが無いのは明らかだったし、これ以上の処置は苦しみを長引かせると理解し始めた時、ギャラドスが一声鳴いた。  
――くるるるうぅ……  
 普段の威圧感含んだ泣き声じゃない。それはコイキングみたいな力の無い弱々しい声だった。  
「何だよ……相棒」  
 レッドはギャラドスの声に耳を傾けた。  
 
――じゃあな、相棒。……またな。  
   
 そんな声を確かにレッドは聞いた。そして、ギャラドスが呼吸を止めた事に気付いた時、レッドは理解した。  
 親友(とも)との離別(わかれ)と言う奴を。  
「――――っッッ!!!!!!」  
 瞬間、レッドは声にならない叫びを上げた。  
 手伝ってくれた少女も沈痛な面持ちでレッドとギャラドスを眺めていた。  
 ……そうして、一頻り喚いた後にレッドは床に落ちていた相棒の鱗の付いた肉片を掴み上げ、血涙を流しながらそれに齧り付いた。ギャラドスの存在を骨身に、魂に刻み込む為に。  
 ギャラドスの死に顔は主を守ると言う大役を果たしたかの様に晴れやかだった。  
 だが、レッドにはどうしてかそれが自分への恨みと、斃れる事への口惜しさが滲んでいる様に見えて仕方無かった。  
 
 
 其処から後の事をレッドは覚えていない。駆け付けた警官に外に連れ出され、病院に搬送されて手当てを受けて、タマムシ警察に呼び出され軽い事情聴取を受けたらしい。  
 彼が正気に戻ったのは彼の相棒がポケモンタワーに埋葬された数日後の事だった。  
 
 ……一体、何が悪かったのか。確かに、あの当時の軽薄な彼の行いは褒められたものではない。実際、レッドはタマムシ警察署から表彰されると同時に厳重注意も受けたのだ。  
 止むを得ない状況にしろ、殺人はやり過ぎだと。しかし、その功績は評価され、結果的に過剰防衛の罪に問われる事は無かった。  
 彼が変わったのはその一件からだった。快活だった少年は成りを潜め、無気力になり、粗一切の感情を表に出す事が無くなった。家族に対しても、妹に対しても。  
『もう、俺はポケモンには触れられない。……思い出しちまうんだ』  
 彼はそう言ってポケモンに関係する一切合財から手を引いた。それ程迄に彼の負った心の傷は深かったのだ。  
 
 一枚の鱗を残し、その身を灰に変えた彼の相棒。その時の鱗は今も彼と共にある。  
 
 
 

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