捌:詭弁と正論  
 
 
 墓参りを終え、魂の家を出る時に見知った人物と出会った。  
「おお……これは久しい」  
「「ご無沙汰しています」」  
 兄妹が同じタイミングで頭を下げた。人当たりの良さそうな老人だった。この慰霊施設の管理者であるフジ老人だった。  
 実は兄妹に取っては馴染み深い人物でもある。父がこの人に師事していた事もあり、子供の頃から何度も会っているのだ。二年前もロケット団が塔を占拠した時に助けた縁もある。  
「ギャラドス達の様子見かね。関心々々」  
「ええ。墓の掃除と……決意表明とでも言いますか」  
「命日には早いですけどね。来ちゃいました」  
「ほっほっ。こう言うのは気持ちと行動が大事なんだよ」  
 本当に話していて、心が解れる様な不思議な雰囲気の老人だった。あのレッドが家族以外でも感情をあまり硬化させない数少ない人物でもある。  
 ……この御仁がアレを作り出したと言うのは凡そ信じがたい事だ。  
 
「それにしても決意表明、かね」  
「「!」」  
 しっかり聞かれて居た事を理解し目を丸くする二人。意外と耳聡い。どうやら古狐としての一面もこの老人は持つらしい。  
「ロケット団かね?」  
「ご存知、でしたか」  
 やはり、彼は知っていた。それは当然だろう。二回の葬儀の時、その何れもフジ老人は参加していたのだから。  
「噂程度にはね。ジョウトが何やらホットな事態になっていると」  
 この人の耳に入る程事態は逼迫していると言う事か。ナツメの情報はその信憑性を大きく増した。  
「ふむ……」  
 ……まるで値踏みする様にこちらを見てくる。底知れない何かを感じ、自然と唾を飲み込む。  
「未だ、血を流し足りないのかな?」  
「量の問題ではありませんよ。復活したから、滅ぼす。それだけの事です」  
 自分達の事情を知っているフジに詳しい説明は不要だ。レッドは敵と相対する様に身構えて、考えを言う。  
「殺生を重ねて、君達は何を望んでいるのかね」  
「知れた事です。殺された相棒達の魂の安息。奴等がのさばる限り、成仏なんて出来ませんから」  
 それを叶える為に自分達は憎しみを募らせて来た。そして、二年前にそれは確かに叶えたのだ。だが、今尚ロケット団が跋扈する事実。  
 リーフにはそれが捨て置けない事態だった。  
 
「死んだ者の為か。その心意気は立派だが、それは本当に?」  
「それはっ」  
 図星を突かれた。リーフは言葉に詰まる。  
それは何度と無く考えた事だった。その度に忘却した。考えてはいけない事だからだ。  
「お見通しですか」  
 だが、レッドは少し違うらしい。リーフをフォローする見事な切り返しだ。  
「伊達に歳は取っておらんさ」  
 フジは尚も余裕を崩さない。不気味な怖さを保っていた。  
 
「相棒が成仏してるかどうか何て、確認しようが無い。その解釈は生きてる俺達にしか出来ない。だって、死人は意思疎通が基本、出来ませんからね」  
「つまり、君達のポケモンは復讐を望んでいると?」  
 確かに、イタコでも介さない限り、それは無理な話だ。だからこそ、その遺志を都合良く曲解するも、拡大解釈するも生者のみに許された特権だった。そして、相棒を殺されたレッドはそう出来る権利があった。  
「それを決めるのも元飼い主の俺達ですよ。少なくとも、俺のギャラは訴えてる。仇を討ってくれって」  
「あいつ等に殺されたポケは多い。だからこそ、あいつ等は知らなきゃいけない。死者の怨念は沈黙しないって。あたし達は相棒に代わって怨念返しするだけです」  
 何かを成すには大儀名分が必要になってくる。世の為人の為じゃない。殺された者の恨みを晴らす為に。それだけでも理由としては十分だ。  
 ポケモンと人間。どちらかの命が一方的に重い訳ではない。命と言う括りでは両者の重さは均等な筈だ。為らば、それを奪った者には相応の報いが与えられなければ嘘になる。  
 それが間違いと言いたいのだろうか。それを決めて良いのは当事者である二人だけだ。  
「ポケモンの魂を縛り付けているのは他ならぬ君達自身ではないのかね」  
「だから、何です? 解放されたいなら、切り上げろと? 相手を許せと、そう仰いますか」  
「出来ない相談です。それをしたら今迄の自分を否定してしまう。だから、出来ません」  
 自分等が恨みを捨てられないから、相棒達は逝き場に迷っている……この老人はそう言いたいのだろうか?  
 だとしたら反吐が出る話だった。何処迄行っても他人事な無責任な発言だった。  
 復讐に踏み切る迄に幾度も苦悩し、考えた。その全てを捨て去れとでも言うのか?  
 そんな事をすれば今の自分が崩壊する。だから出来なかった。  
 
「その先に何が待っているか、判るかね?」  
「さあ? 取りあえず、僅かな安息はありましたがね。それも、容易く破られましたが」  
「もう一度滅ぼせば、少なくとも相棒は成仏出来る。そう信じてますよ」  
 ……一体、この人が何を言いたいのか判らなくなってきた。  
 更正させたいのか、それとも背中を押したいのか。それとも、復讐を本当に遂げた後の生き方についてだろうか。……確かに、それについては迷っていた部分はあった。  
「つまり、何も無かった訳だね。そんな生き方に何の価値があるね」  
「無益と仰りたい? それはあなたにとってだ。少なくとも、俺達にとっては意味のある事だ」  
「無価値かも知れません。でも、最悪自己満足位は生んでくれますよ。そして、あたし達はそれで良い」  
 この世に無意味な物は存在しない。全てが世界を回す歯車だ。だから、過去に決着を付けると言う意味で、二人は復讐を遂げねばならない。  
 それに価値があるか否かは別の問題だ。リーフの言う様に、最後には自己満足しか得られないかも知れない。だが、二人はそれで良いのだ。  
 その生き方を貫く事にはきっと価値があるからだ。  
「何とも頑なだ。それ程、憎いか」  
「憎い。憎む事が、俺達の生きる糧だから。そう二人で誓ったんだ」  
「自身の正当化はしない。でも、あたしは憎いんです。だから、殺すんです」  
 復讐に縋らねば生きられなかった。そして、人殺しとして一生を地獄で生きて行く。  
 兄妹はそう誓い合った。それだけは曲げられない。……否、決して曲げてはならない誓いだ。何故なら、もうとっくに二人の全身は血塗れだからだ。  
 
「そう言うあなたはどうなんです?」  
「私かね?」  
 今迄受けに回っていたレッドが反撃に出た。手数は平等に……と言う訳では決して無い。  
「あなたのやっている事も自己満足と言いたいんですよ」  
「む」  
 無遠慮に古傷を抉ってくれたこの老人に一言言って置かなければどうにもリーフの腹は収まらなかったのだ。  
「俺達は自分の罪を認識してる。何れ、裁きを受け、地獄に落ちる。だが、それは今じゃない。殺さなくちゃいけない奴等が山と残ってる」  
「しかし、あなたは自分の罪から目を背け、その贖罪から慈善事業をやっている。ポケモンを助ける為ではなく、自分が救われる為に」  
 自分達は人殺しで、悪人で……冗談抜きで最悪の人間だって理解している。  
 それでも自分を曲げないのは遣り残しがあるからだ。  
 だが、目の前の老人はどうだろう?  
 慈善家としては有名だが、それ以前の彼の顔を知っていればそんな事は決して言えなくなる。その過去はどうやっても消えない。  
「「これが自己満足じゃなくて何だって言うんです」」  
 二人の声が重なる。フジは何も言わなかった。  
「ミュウツーを造り、その力に恐怖し、持て余してハナダの洞窟に捨てたな」  
「罪の意識から、ミュウを人里から隔離する為に最果ての孤島に捨てたわね」  
 フジの持つ後ろ暗い過去だ。ミュウツーに関しては自力で研究所から逃げたとの情報もあるが、持て余していたのなら遅かれ早かれ彼はミュウツーを捨てていただろう。その真偽は大した問題ではなかった。  
 兎に角、彼は自分の果たすべき責任を放棄したのだ。  
 ……そんなのは大人のやる事じゃあない。  
「元気にしてるよ。二匹とも」「あたし達のボックスでね」  
 その二匹は幸運な事に二人にピックアップされていた。ミュウツーは二年前にハナダの洞窟最深部で。ミュウはホウエンの友人から送られた古びた海図を頼りに辿り着いた孤島にて。  
 そう懐いている訳では無いが、二匹共一匹で居た時よりは幸せそうだった。  
「無責任」「偽善者」  
 持て余して捨てる様なアンタと俺達は違うと侮蔑たっぷり言葉を浴びせ続ける。  
「ポケモンを実験材料として、道具として使い、容易く切り捨てる」  
「そんなあなたはあたし達の生き方に口出し出来る程」  
「「優秀な人間なんですか?」」  
 敵愾心剥き出しにして吐かれたフィニッシュブローだ。  
 過去の自分を否定し、救われたいだけのアンタには何も言う資格は無い。  
 二人が本当に言いたいのはそう言う事だった。  
「……さあどうだったか、なあ」  
 フジは狼狽の一つもせずに、只目を閉じてそうとだけ呟いた。  
 
「最早何も言うまい。君達の好きにやりなさい」  
「「言われずとも」」  
 最早、互いに掛ける言葉は無い。去り際に背中に掛かる言葉に二人は振り返らずにそう答えた。  
 
「きっと、今の俺達では、表面上は重なっても、深い部分で絶対交わらない」  
「だから、全部の決着が付いた後に、もう一度会いたいものね」  
 シオンを去る間際にレッドが零した。別にレッドはフジ老人が嫌いな訳じゃない。寧ろ、人間的に尊敬出来る部分が多々あった。リーフもそうだ。  
だが、お互いに譲れない部分はある。だからこその衝突だった。  
 終わった後に何があるのかは判らない。だが、それが見えた時に、二人はもう一度此処に来ようと決めた様だった。  
 
「……偽善、か。確かに、そうかも知れん」  
 天井を見ながら、そう呟くフジ老人の顔は只管に疲れきっていた。普段は誰にも見せないであろうその表情こそが、この老人の真の姿なのかも知れなかった。  
 
 

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