]U:鬼姫  
 
 
「ミカルゲ!」  
「エアームド……!」  
 戦闘開始。各々の先鋒は封印ポケモンと鎧鳥。弱点無しの悪霊♀と物理受けに特化したデボンの鳥♂。レベルの点ではダイゴがやや有利。  
 北と南の頂点の対決。見物人が誰も居ない事が残念な程の好カードだった。戦闘BGMは章タイトルを参照。  
「撒き菱、展開」  
「悪の波動よ!」  
 最初のターン。ダイゴは撒き菱を使用する。入れ替え時に浮遊、飛行以外は割合ダメージを食らうトラップタイプの技。対してシロナはタイプ一致攻撃。効果は今一つだがエアームド自体の特殊防御は薄いのでそこそこのダメージは期待出来る。  
 だが、特防に数値を割いているのか、思う様に削れない。三割に届かないダメージしか与えられなかった。  
「撒き菱ランチャー」  
「もう一度! ミカルゲ!」  
 次ターン。再びエアームドが撒き菱を積む。シロナも同じく悪の波動でダメージを稼ぐ。これで大体半分を削る事が出来たが、例え急所に当たったとしても確定一発に届くか微妙なゲージの残り具合。落とすのに後二ターンは掛かりそうだった  
「連続で撒き菱? この戦法、何?」  
 ダイゴの展開する戦法に付いて嫌な予感がするシロナは手の内を読もうとするが、今迄シロナが経験した事が無い型なので仔細が判らない。しかし、何処かで耳にした事はある気がするのだが、思い出す事が出来なかった。  
「これにて打ち止め。仕込みは完了」  
「これで今度こそ……っ、流石に硬いわね」  
 そして、気付けなかった事が明暗を分けるとはこの時点でシロナは判らなかった。撒き菱を積み終えたダイゴはシロナの手を確認するが、残念ながらそれは悪手だった。  
 他にやる事があるだろと突っ込みを入れたくなったが、其処迄親切心を起こす程ダイゴは甘い奴じゃない。例え相手が恋人であっても、敵対している以上は首を落とさねばならないと言う事を良く知っているのだ。  
「……カムラの実、使わせて貰おうか」  
「っ!」  
 やっと体力が三割を切ったのでエアームドが木の実を使用。一度だけ素早さが二段階アップする貴重な木の実だ。これで積み迄後一歩。次でどうにか出来なければシロナは窮地に追い込まれる。  
 果たして采配はどうなる事やら。結果は直ぐに出る。  
「そして一端、羽休めだ。これで命が延びる」  
「うわ、止めてよね。嫌がらせそれ?」  
 此処に来てダイゴは延命を図る。ミカルゲの速さを更に大幅に上回ったエアームドが体力を半分戻した。ダイゴが戦法を磐石にする為の重要な一手。だが、シロナにはそれが嫌がらせにしか映らないらしい。  
「……そろそろ死ぬ覚悟は良いか?」  
 勝負の行方が見えたダイゴは実に詰まらなそうに呟いた。  
「そ、そんな脅し、引っ掛からないから! ミカルゲ、お願い!」  
「届かない、か。……さて、後は適当に頼むぞ」  
 もう馬鹿みたいに波動を連発するが、それで落とされるデボンの鳥では無いのだ。ダイゴはとうとう死刑執行を告げた。  
「吼える」  
 防音能力、若しくは吸盤を持たないポケモンを強制的に交代させる変化技。これと撒き菱が合わさればどんな事が起こるのか。小学生にだって判る事だ。  
「!? 昆布戦術……!」  
「遅い。もう手遅れだ」  
 此処に至り漸くシロナは自分の迂闊さに気付いた様だった。真っ先に落とさねばならなかった鎧鳥を放置していた事が大失敗の原因。  
 速いテンポで下から迫る螺旋運指にゲージが徐々に削られ始める。しかし、速さがグーンと上がったエアームドを抜けるシロナの手持ちは一匹も居ない。俊足を誇るガブリアスでさえ無理だった。  
 
 
――十数ターン経過  
「ふむ。こんな処、だな」  
「ぐっ、うう……」  
 シロナの手持ちは壊滅的な程にズタズタだった。幾らタイプ相性で有利と言ってもそれで覆らないレベル迄、バトルの流れはダイゴに傾いている。  
 悔しげに歯噛みするも、それが流れを変える事は在り得ない。十分に役目を果たしたエアームドを労う様にダイゴが指示を下す。  
「鋼の翼。奴に引導を渡せ」  
「くう」  
 交代が連続し体力の八割を喰われていたミカルゲは呆気無く一刀両断された。  
「どうする……どうする、あたし……!」  
 逆転の策が全く見えない。まさか、こんな変化球で攻めて来るとは。力尽くで勝負を決める事が好きなシロナにとっては最も苦手とするタイプだ。  
 こちらの手持ちで傷が無いのは一匹だけ。それに対し、向こうは後五匹も無傷の戦力を温存している。どうしようもない状態と言う奴だった。  
「早く次の生贄出せよ。サクッとぶっ殺すからさあ」  
 実際、こんなに上手く行くとはダイゴ自身も思っていなかったらしい。だが、相手が術中に嵌ってしまった以上、勝利は揺るがないと確信している様な顔をしている。  
 その傲慢な態度が鶏冠に来たシロナは半ば焼け糞気味に次を投入した。  
「ええい! ロズレイド!」  
「アーマルド。奴を始末しろ」  
 ブーケポケモン♀と甲冑ポケモン♂。相性的には可も無く不可も無いがシロナに勝ち目は無い。それでも怯んでいる場合では無いのでシロナは強気に攻撃を指示するが、ロズレイドは撒き菱にまたやられて瀕死に近い状態だった。  
「エナジーボール!」  
「門前払いだな。ほい、ステルスロック」  
 等倍ダメだが、それでもタイプ一致の特殊技。三分の一は削ったがそれで終わりだった。ダイゴは更に性格が悪い事に尚も設置トラップを仕掛ける。シロナにとっては嫌過ぎるダメ押しだった。  
「固めに来るわね……! ロズレイド、もう一度!」  
「お帰りはあちらだぜ。シザークロス!」  
 力押しでどうにかなる闘いばかりではないと言う事を好い加減理解して欲しいダイゴだったが、もうそれしかないみたいに攻めて来るシロナに別の意味で敬服しそうになる。  
 だが、それとこれとは別の話なのでさっくりとロズレイドの命を刈り取り、部屋の出口を指差してやる。だが、ドアは拉げていて外に出る事は残念ながら出来なかった。  
 
「く、糞……こんな事で……!」  
「泣き入るの早過ぎだろ? 未だ嬲り足りないんだが」  
 どんどん状況が悪くなる。シロナは半分涙目だが、ダイゴはそんな彼女の様子を気に留める素振りも無く淡々とした様子で恐ろしい台詞を呟いた。  
「悪趣味な奴……! なら、こいつでどうよ! ガブリアス!」  
「切り札出したか。では、こっちはボスゴドラだ」  
 シロナにも意地があるのでサディストに良い様にされて黙っている訳にはいかない。勝てない迄も、せめて向こうの手持ちの首の一つでも奪ってやろうと砂鮫を投入した。  
 場に出た瞬間、設置トラップで死にそうになったが、木の実を食べてガブリアス♀が何とか持ち直す。それを横目に見つつ、ダイゴはボスゴドラ♂を場に召喚した。  
「ボスゴドラ? ……アンタ、嘗めてんの?」   
幾ら流れがダイゴにあると言っても、その選択は無謀過ぎるとシロナは思った。ガブリアスはタイプ一致攻撃での四倍弱点が狙えるのだ。通常ならそんな手持ちを前に出すのは愚策だが……  
「もうこの勝負は見えたぜ。一つ位華を持たせても良いかなってさ」  
「〜〜っ!! 嘗めんなインポ野郎っ!! ガブリアス! 地震!!」  
 すると、ダイゴはシロナ相手に挑発を使った。好い加減、ダイゴの態度にキレそうだったシロナはその言葉で沸点が超えたのか、遠慮無く攻撃をぶち込んだ。  
 地震の衝撃波がボスゴドラを襲い、甚大な被害を与える。岩、鋼タイプのボスゴドラは特にその被害は顕著で、幾ら鉄壁の物理防御を誇ろうともそれに耐えられる道理は無いとシロナは確信していた様だった。  
「はっ、はは。どうよ? Sweet dream,jackass!」  
 地震が収まると其処には倒れ伏したボスゴドラが一匹居た。意趣返しが成った事を確認し、シロナはダイゴに向けて中指をおっ立てた。  
「……え?」  
「馬〜鹿。安い挑発に引っ掛かりやがって。糞アマが」  
 しかし。斃れた筈のボスゴドラが何と立ち上がったのだ。今にも死にそうな程の消耗っぷりだったが、彼は生きていた。気合の襷を持っていたのだ。  
 シロナはまたも策に引っ掛かった事を理解した。  
「メタルバースト」  
 ダイゴが親指で首を掻っ切るポーズをすると、ボスゴドラがそれを放つ。受けたダメージの1.5倍を叩き付けるカウンター技。消耗していたガブリアスに耐えられる道理は無かった。  
「な、あ」  
「乗せられたって思わなかったのかよ? 貴様、本当にチャンピオンか?」  
 ゲームではそうでも無いが、実際のポケモンバトルはトレーナー同士の心理戦が占める割合も多い。悪く言えば狐と狸の化かし合いの側面があるのだ。冷静さを捨ててダイゴの挑発に乗ってしまったシロナは自分の首を絞めてしまったのだ。  
「う……っ」  
 手持ちはボロボロで心理戦でも勝目が無い。此処迄追い込まれる負け戦はシロナとしても経験が無かった。しかも、その原因が自分の判断ミスに因る所が大きいと言うのが更に救えない。  
 もう、叫ぶ元気もシロナには無かった。  
「ルカリオ……」  
「ネンドール召喚」  
 波導ポケモン♂vs土偶ポケモン。相性云々以前にルカリオの体力は尽き掛けているので残念ながら勝負にならなかった。  
「インファイト!」  
「はいはい、無駄無駄。……壁張る必要も無いな。大地の力」  
 守りを捨てた特攻もタイプ不利と高い防御力に阻まれて、三割も削れない。代償に防御と特防を下げたルカリオに容赦無くタイプ一致攻撃が炸裂する。  
 効果は抜群。ネンドールは防御特化なので総合的な攻撃力は決して高くは無い。しかし、防御面で元々紙なルカリオには非常に重たい一撃でもある。  
 予め命を削られていたルカリオはとても無念そうな顔を張り付かせて倒れた。  
「――」  
 もういっそ殺して。自分の愚策で負け戦をしている手持ち達が哀れ過ぎてならない。だがそれでも、チャンピオンとして、否。トレーナーとして勝負を投げる事が許されないシロナにとってこの状況は地獄だった。  
 歪んだ笑みを顔に浮かべ、静かに笑っている自分の恋人が獄卒に見える程シロナは灰になりそうな気分だった。  
 
「ミロカロス……お願い……」  
「ユレイドル」  
 美の化身たる慈しみポケモン♀と要塞の異名を取るデスウミユリ♂。相性と残り体力を考えるにシロナ側に勝目はやっぱり無い。  
「冷凍、ビーム……」  
「ギガドレイン、発動。……もう諦めろ。積んだぞ?」  
 氷効果を期待した効果抜群攻撃。しかし、追加効果は発動せず、阿呆みたいに高い特防値で掠り傷にすら至らない。  
 転んだだけで死にそうな消耗度合いなのに、容赦無く吸収技を使うユレイドルにミロカロスは干乾びた骸に姿を変えられた。  
「未だよ! トゲキッス!」  
「じゃあこっちも〆に入るぜ? メタグロス!」  
 諦めろと言われてそれに頷く程シロナは潔くは無い。最後の足掻きの様に無傷のトゲキッス♂を放つも見えない岩が食い込んで三割弱体力を持っていかれた。  
 それに対してダイゴが投入したのは彼にとっての切り札である鉄足ポケモン。すっぱり息の根を止めてやる為にそいつを使ってくるダイゴは情けと言う奴を何処かに捨てて来たに違いない。  
「波動弾!」  
「怯み効果は捨てたか。ならさ、こっちはコメットパンチだ!」  
 タイプ不一致の等倍特殊ダメージ。止めには程遠い量しか削れなかった。  
 別にシロナはそれを捨てた訳ではなく、特性が張り切りなので最初から当てにしていないだけだ。まあ、どっちにしたって大差は無いので、ダイゴはメタグロスに全力攻撃を指示した。  
「!!」  
 重たい鉄の拳がキッスに突き刺さり、途端に警告音が聞こえて来る。しかも、尚悪い事に技の効果でメタグロスの攻撃力がアップする。はっきり言って指が釣りそうな状態。どう頑張っても閉店は避けられそうに無い。  
 此処でシロナは決断を迫られる。次のターンで勝利を奪われるか、道具に頼って時間稼ぎをするか。無論、シロナとしてはこのまま黙って引き下がる気は無いので懐から取り出した回復の薬を使おうとした。  
「使っちまうのか? 別に良いぞ?」  
「え」  
 しかし、ダイゴの言葉でシロナの手が止まる。その言葉を聞いてはいけない。いけないのに耳を塞ぐ事が出来なかった。  
「どうせ時間稼ぎにしかならんよ。手持ちを長く苦しめる気があるなら、使え」  
「……くっ……!」  
 ダイゴはシロナに再び揺さ振りを掛けた。そして、それは効果抜群だったらしい。  
自分の采配ミスでこの状況を生んだのに、これ以上負け戦に手持ちを付き合わせる事は死人に鞭打つ以上に酷い事の様に彼女には感じられた様だ。  
 シロナは戦意を消失した様に回復の薬を取り落とす。彼女の選択を尊重する為にダイゴはメタグロスに最後の指示を下した。  
「叩き潰せ。メタグロス」  
 神速のバレットパンチがトゲキッスに突き刺さると、飛ぶ力を失ったトゲキッスは地に落ちて動かなくなった。  
 
「――負けね、あたしの」  
 こんなに一方的な蹂躙はシロナにとっては初めての事。しっかりと落ち着いて対応すればひょっとしたら勝てたかも知れない。だが、それはもう過ぎ去った出来事であり、恨み言を並べても覆らない事だった。  
 だから、シロナはダイゴに対し負けを認める。就任早々敗北を味わう羽目になるとは思っていなかったが、その相手がダイゴである事は逆に一抹の安心感を抱かせた。  
 自分の彼氏はこんなにも強いと知る事が出来たからだ。  
「音に聞こえた鬼姫もこの程度か。一匹も仕留められないとは」  
「見せて貰ったわ。ホウエンチャンプの力……」  
 だが、シロナがどう思っていようがダイゴには関係の無い話だった。だから辛辣な言葉を並び立ててやると、シロナは悔しそうにするだけで、それ以上何かをする事は無かった。  
「しかし、どの道俺の負けだな、この試合」  
「え」  
 ダイゴが口走った言葉にシロナが俯き加減だった顔を上げる。  
「四天王無視して挑んだからな。貴様の言う通り、公式戦とは認められんだろ」  
「そう、だけど」  
 公式戦で無い以上、この戦いは私闘であって、リーグの記録には残らない。つまり、シロナの経歴に傷は付かないと言う事である。だが、これだけボコボコにされてノーゲームだと言われてもシロナとしては納得が出来ない。  
「だが、レコードに残らずとも、俺が勝負に勝ったのは事実だがな」  
「ぅ」  
 そして、ダイゴの言葉がシロナの傷を抉る。脳裏に刻まれた敗北が更に消えない染みの様に色濃く鮮明に記憶される。  
 だが、そんなものはこの次にダイゴが吐いた言葉の前では取るに足らない事だとシロナは気付かされる。彼女にとっての真の地獄はこれからだったのだ。  
 
「もう、俺が貴様に期待するもんは何も無え。賞金も要らねえ。さよならだ、シロナ」  
 
「――は?」  
 冷めた口調でさよならと、ダイゴは確かに言った。別れを告げる言葉。だがそれは一体に何に対してのモノなのだろう。恐らくそれはこの場に於ける別れの挨拶では無い。きっと、それは二人の関係を終わりにするさよなら……  
 其処迄思ってシロナは自分の馬鹿な考えを頭から一掃する。そうしたかったのだ。  
「聞こえなかったか? ……もう、俺は貴様とは逢わん。その価値も無い」  
「や、やだ。ちょ、何言って……」  
 最初、耳がおかしくなったのかとシロナは思った。だが、有難い事にダイゴは態々付け足して説明もしてくれた。いよいよ破滅の足音を聞いた気がしてシロナはダイゴに手を伸ばした。  
 嘘よね? 冗談よね!? 聞き違いよね!? そうだと言ってよダイゴっ!  
「触んな負け犬が」  
「嘘……嘘っ! 厭だ……っ!」  
――バシッ  
 触れる直前で汚らしい物を撥ね退ける様に強い力で手を叩き落された。好んで体験したくもない絶望的な状況を突き付けられ、可哀想にシロナはパニックに陥った。  
「……これでも期待してたんだぜ? 君ならば若しかしてって」  
 ダイゴは何故か一抹の情が感じられる声色でシロナに対し呟いた。  
君に縋りたかった。馬鹿な事をやっている僕を力尽くでも止めて欲しかった。  
「でも、駄目だったよ。……だから、貴様は俺の事は忘れろ。俺もそうする」  
 ダイゴが最後に当てにしたのは同じ頂点の座に至った自分の恋人だったのだ。  
 だが、ルールを無視して迄挑んだダイゴの目論見は外れ、勝手に抱いた最後の希望にも裏切られてしまった。  
 だから、もうダイゴはシロナに対し何も求めない。心を砕く事も無いし、情を注ぐ事も無い。もう彼にとってシロナは不要な存在に成り下がってしまったのだから。  
「厭だあああーーっ!!」  
 こんな現実、認められる訳も無い。半狂乱になったシロナは泣き叫びながらダイゴにしがみ付く。だが、もう二人の距離は絶望的な程開いてしまっていた。  
 
「好い加減にしろよ」  
 互いの温度差を象徴する様に苛立った口調と共にダイゴはシロナの首を掴み上げた。今迄付き合って来たが、手を上げられた事だけは無いシロナはダイゴが見せた暴力的な一面に萎縮して言葉を失ってしまった。  
「何も言わんで良いぜ。何考えてるかは判るから。でも奇妙な事にさ、俺、貴様の涙って大嫌いだったんだよね」  
「っ」  
 吐き捨てる様に呟かれた言葉がシロナを酷く傷付ける。  
 無理をするな。泣きそうなら素直に頼れ。そう言ってくれた昔のダイゴを思い出して、今の言葉との落差に涙が溢れる。  
 結局、あの言葉は嘘だったのか。態々、慰めにシンオウ迄来てくれたのは何だったのか。自分はダイゴの重荷に過ぎなかったのか。去来する想いは多過ぎて、考えが纏まらない。泣く事しか出来ない。  
「周りの同情心誘う為の安っぽい、自分勝手な涙。それにどんだけ騙された事か」  
「違う! それは違うよ! そんな事考えて……!」  
 そんな風に思われていた等知らなかった。しかし、それは絶対に違うとシロナは言い切れる。だって、自分が泣き虫だって事はダイゴも承知していた筈なのだ。今更そんな事を言われてもシロナにはどうしようもない。  
 少なくともダイゴを利用する為に泣いていたのでは無いとシロナは神に誓って言える。  
「いーや、もう騙されない。俺は、自分の自由に生きる。貴様もそうするんだな」  
「ダイゴ……待って……待ってよぅ……!」  
 だが、ダイゴは心を閉ざしてしまった様にシロナの涙ながらの訴えを聞こうともしなかった。そうして、掴んでいた首根っ子を離してシロナを解放するとダイゴは背を向けてしまう。  
「付き合い切れんね」  
「待って……ねえ! 置いてかないで……」  
 ショックでへたり込み、立つ事も出来ないシロナは遠ざかる背中に手を伸ばし、必死の声色で訴える。それでもダイゴは振り向く事はせず、シロナを置いて遠くに行こうとする。  
 もう、ダイゴを繋ぎ止める事は出来ない。そう思ってしまったシロナにダイゴは止めを刺した。  
 
「俺は独りが良い……」  
 
「ダイゴおおおおおおお――っっ!!!!」  
 シロナの慟哭がチャンピオンルームに悲痛に木霊する。ダイゴの心が動く事は無かった。  
 
――ガンンッ  
「動くな!」  
「豪勢なお出迎えだな、こりゃ」  
 ドアを蹴破って外に出ると、リフトは四天王と大量の警備員によって封鎖され、その先頭にはゴヨウが待ち構えていた。  
「大人しくしなさい。チャンピオンダイゴ。素直に投降すれば危害は加えません」  
「元、だ。……もう、こっちの用事は済んだ。直ぐに出て行くさね」  
 これだけの包囲を突破するのはダイゴとしても難しい。下手な動きを見せれば一斉にポケモンを繰り出してくる事も有り得る。そうなっては流石に勝目が無い。  
 だから、ダイゴは慎重に言葉を選びつつ、脱出の隙を伺う。焦ってはいけない場面だった。  
「それで済むと本気でお思いですか? これは確実にシンオウとホウエン両リーグの問題に発展します。どう責任を取るお積りです?」  
「決まってらあ。別に何もしない。反省も後悔もな」  
 無論、はいそうですかと逃してくれる甘い連中じゃない事は承知済み。だからダイゴは危険を冒して四天王を挑発する。怒った時に間違いを犯しやすいのが人間だ。何人引っ掛かるかは判らないがそれは賭けだった。  
「無責任な……!」  
「何て奴だ! お前、それでもチャンピオンか!?」  
「学習しねえな、糞餓鬼。元だって言ってるだろうが」  
 ゴヨウとリョウが先ず引っ掛かった。キクノとオーバは黙って静観している。最年長のキクノは兎も角、オーバが挑発をかわす事はダイゴにとってはやや意外。人間、見た目では決まらないと言う事なのだろう。  
 それならば、次はどうだ? ダイゴは尚も挑発を試みた。  
「でも、流石に謝罪は形にしないと拙いか。……おい」  
「痛」  
 ダイゴは懐を漁ると金子を取り出しゴヨウの顔目掛けてそれを叩き付けた。諭吉百人。些かサービスし過ぎだが、怒りを煽り嫌な奴に見せるならこれ位が丁度良い金額だった。  
 
「ドアの修理代だ。取っておけ」  
「……お金で解決を図るつもりならば、それは」  
「厭味な野郎だな、おい! 反吐が出るぜ全く!」  
 目論見通り、今度はオーバの気を引く事が出来た。残りはキクノだけだが、それに対する解決策もちゃんと用意してある。  
「っつーか、俺に感けてて良いのか? 貴様等の大将、今頃大変じゃないかなあ?」  
「まさか……貴方、シロナを!?」  
 引っ掛かった! あろう事か、ダイゴはたった今打ちのめしたシロナ迄も利用したのだ。  
 血相を変えたキクノが通路を走りチャンピオンルームへ入って行く。邪魔する気は無いので道を譲ってやると、周囲の視線はチャンピオンルームに注がれる。  
 それが決定的な隙だ。ダイゴは壁面を蹴って包囲を上から突破すると段差の下へ着地する。そして、カードキーで閉まっていたドアのロックを解除した。  
「おい、ゴヨウ! あいつ逃げるぞ!」  
「じゃあな、阿呆共」  
「な、ま、待ちなさい! ……逃げられた」  
 一早くそれに気付いたオーバが叫ぶがもう遅い。扉が閉じるとダイゴは向こう側から扉をロックする。ゴヨウが悔しげに顔を歪めた。  
 扉は直ぐに開けられるだろうが、一人を捕まえるのにあの人数は明らかに戦力過多である。後は警備の居ない部屋を入り口迄急いで駆け抜ければ良い。それでオールクリアだ。  
「さあて。何処に雲隠れすっかなあ」  
 だが、問題を起こした事に変わりは無い。ほとぼりが冷めるのを待つ為に何処かに潜伏する必要があるが、それについてダイゴは心配していない。ニッポンの数多くの洞窟が彼の味方だからだ。  
 しかし、どちらにせよ準備の為に一度ホウエンに戻る必要がある。ダイゴはエントランスのパソコンで手持ちを入れ替えると、外に出て、空を飛べるエアームドに乗って何処かへ飛び去った。  
 
 ゴヨウ達がチャンピオンルームに踏み込んだ時、シロナはとても無残な姿だった。  
 血涙を流し、床に座り込んでダイゴの出て行ったドアを虚ろな目で見ながら、壊れたラジオの様に只管同じ言葉をブツブツ呟いていた。  
『捨てないで』  
 その単語だけがシロナの心を支配していた。  
 
 

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