]]:落涙 
 
 
「待って」 
「何だ?」 
 遠ざかる背中。それに強烈なデジャヴを感じる。シロナはダイゴを呼び止める。それにダイゴは振り向かずに足を止めた。 
「・・・」 
 シロナは何も言わない。只、何か危険な空気が部屋を包んだ事がダイゴには判った。微かにだが、血の臭いを嗅いだ気がした。 
「待ってやったぞ?」 
「うん。ありがと」 
 相変わらずシロナは何も言わない。それに痺れを切らしたダイゴはさっさと用件を言って欲しかったが、返って来たのは礼の言葉。この時点でダイゴはシロナがしようとしている事を理解した。 
「一応聞くが」 
「なあに?」 
 それに付いてダイゴが尋ねる。惚けた様なシロナの手には何かが握られていた。 
「俺が今更拳銃如きでビビるとか、思ってねえよな?」 
「さあ。もうどうでも良いかな」 
 シロナの手に握られているそれは銃だった。 
 マカロフPM。旧ソ連製のオートマチック。PMM弾使用可能な構造強化型だ。 
 昔とは逆に今度はシロナがダイゴに銃を向けていた。前に向けられたそれを向け返すと言うのはお互いに命のやり取りをする覚悟があると言う事である。 
 そんなシロナに対し、ダイゴは恐怖を感じていない。シロナも何だか妙に明るい顔をしていた。 
「……血の臭いがしてると思ったら、そう言う事か」 
 部屋に入った時からダイゴは気が付いていた。シロナから春には無かった死臭が漂っていた事に。自分と同じ臭いだ。判らない訳が無い。恐らく、夏にドンパチやっていたギンガ団とか言う連中を何人か殺めたのだろう。 
 ダイゴもまたアクア団、マグマ団の下っ端を大勢始末しているが、彼が裏街道に首を突っ込んだのは随分昔の事である。デボンが手掛ける裏の仕事に手を染めたのは彼が高校の時で、それから大勢の血を彼は啜っている。 
 流した血の量で人の価値は決まらないが、少なくともシロナは殺しに慣れていないのは間違いない。カタカタと銃を握った手が震えているのだ。果たして、それで人を撃てるのか? 少なくともダイゴには関わりの無い事だった。 
 
「良いよ、やれよ」 
「え」 
 交渉なのか本気なのか、もうそれを問う段階に無いし、一々確認はして居られない。だから、ダイゴはシロナの好きにさせる事にした。何故かその言葉にシロナは面食らった様だった。 
「俺が命を惜しむとでも思うか? ってか、貴様を傷付けたのは事実だからな。気の済む様にしろよ」 
 だが、別に可笑しな事では無い。それはダイゴの言葉の通りだ。 
 一度自ら死を望んだ己は朽ちる事を望む生きた屍である。なら、此処で貴様に殺されるのも一興。 
 少なくともダイゴはそう思っている。 
「・・・」 
 しかし、何時迄待ってもシロナがそうする気配は無かった。 
「……はあ」 
 だからダイゴは振り返ってシロナの姿を見ると大仰に溜め息を吐いた。 
「貴様に俺は殺せないな」 
「な、何言ってるのよ! う、撃つわよ?」 
 銃口が狙っているのにその余裕がシロナには気に喰わない。だが、本当に撃つ気は無いので改めて照星を向けるだけに留まる。そんなブラフに戸惑うダイゴでは無いので冷静に指摘してやった。 
「セーフティが外れてない状態でどうやって?」 
「!? ――っ」 
 それを言われて改めて確認するシロナは安全装置を解除する為に一瞬、ダイゴから注意が反れる。確かにセーフティが上に上がっていた。マカロフのそれは普通のオートマとは逆なのでこれでは撃てない。 
 そして、ダイゴにはその隙だけで十分だったので、一瞬にして間合いを詰めるとシロナの真ん前に立って同じ様にやってやった。 
「な? 無理だったろ?」 
 付け入る隙があるのにそれを無視するのは流石に失礼な事だった。だからダイゴもまたそれに肖ってシロナの頭にゴリッと銃口を突き付ける。それは拳銃ではなかった。 
 レミントンM1100。ガス圧作動方式で長距離スラグ弾対応の非常に大きくてゴツイ強力な散弾銃だ。何処に格納していたのかは秘密だ。 
 それを向けられたシロナは両手を上げてマカロフを床に落とした。 
 
「俺を殺してさ、その後どうする気だったんだ?」 
「貴方を殺して、あたしも死のうと思った。だって、貴方の居ない世界に、意味なんて」 
 銃の制圧下に置き、ダイゴがシロナに尋ねるとそんな事を言い出した。昼ドラにありそうな修羅場模様を体験する事になるとは。ダイゴにとってもシロナにとっても貴重な経験である事には違いない。 
 シロナ目に涙を溜めているのに、ダイゴはそれとは対照的に能面みたいな顔だった。 
「俺が居なければ生きていけない、か?」 
 心中を希望するとは中々に狂った精神状態だ。それを笑う事も咎める事もしない。自分も同じく狂っていると言う事をダイゴは知っているからだ。 
「(こくん)」 
 迷い無くシロナが頷く。シロナ自身、自分の感情が依存的なモノであると気付いている。だが、そんなモノは所詮他人の視線と物差しであり、今更それを矯正しようとは思わない。 
 只、想い人にはその本気具合を理解して欲しかった。 
 
「じゃあ、死ねば?」 
 
「――」 
 その言葉はどんな刃物よりも鋭く、どんな鈍器よりも重たい。その衝撃に刻まれたシロナの心はバラバラに砕け散りそうだった。 
 ……神様、何故あなたはこの人の心を殺したのですか? 
 ダイゴへ恨みを向ける事はしない。それでも行き場の無い怒りは彼をそうさせた周囲の理不尽へと向けられる。ダイゴが味わったであろう徒労感がシロナを覆い尽し、また自分の言葉が届かない事に絶望した。 
『死んでやる』 
 もう、そうする外シロナには無かった。 
「腹を切れよ。首括れよ。脳天に向けて引鉄引けよ。面倒臭いから、介錯はしねえ。そして、そいつは俺の見ていない処で頼む」 
 そんなシロナの胸中をダイゴは御構い無しだった。 
 命だの何だの、そう言う大事な物を引き合いに出す輩程信じられない者は無い。いざその時が来れば皆それを惜しむ。少なくとも、ダイゴの目の前に現れた人間は全部そうだったのだ。 
 どうせシロナもその例に漏れないと決め付けたダイゴは強硬な態度を崩さない。 
「本気じゃないって、思ってる?」 
「あ? おいおい。一体何を信じろって言うんだよ。この世は皆偽善者だらけだぜ?」 
 改めてダイゴにシロナは尋ねると、相変わらずダイゴは聞き耳を持たない有様だった。 
 閉じられた鋼の心。それをこじ開けるのが無理ならば、自分で開けさせるしかない。だが、それすらも無理だと言うのなら、シロナがやる事は一つだ。 
「じゃあ、見せてあげるね?」 
「おい?」 
 銃を向けられているにも関わらず、シロナは両手を広げてダイゴに敵意が無い事と自分の決意の重さを見せ付ける。その穏やかな表情に何かを感じたダイゴは向けていた銃口を下げた。 
「銃を頂戴」 
「……茶番だぜ、こんなのはよ」 
 シロナが何を考えているのか判らない。ダイゴの思いはそれだけだ。同情を引くにしろ、些かやり過ぎだと思いつつも、結局はシロナの言う通りに足元のマカロフを拾い上げて床目掛けて引鉄を引いた。 
――タンッ 
「ジャムは起こらない。安心して使え」 
「ありがとう」 
 その時になって弾詰まりが起こっては台無しだ。確実に正常動作する事を確認したダイゴは硝煙を上らせる銃をシロナに手渡す。 
 見えない所で、と言った彼だがそのお遊びに付き合ってやる事にした。止める為では無い。化けの皮が剥れる瞬間を目にする為だ。それを受け取ったシロナは笑顔だった。 
「ダイゴ」 
「何?」 
 そうして、自分の側頭部に銃口を向けたシロナがその名を呼ぶ。ダイゴは尋ねながらも、眉間に皺を寄せてその成り行きを見守る。 
 
「あたしは嘘吐きじゃない。貴方が大好き。それを、信じて」 
 
 ダイゴが居ない世界に意味も価値も無い。そんな世界はこちらから出て行ってやる。でも、それは同情を誘うとか思い通りにならない事への八つ当たりではない。 
 この命でダイゴの心に他人は信じるに値すると僅かな希望を灯せるのなら、喜んでその礎となる。……それが、この恋に懸けるあたしの生き様。 
 シロナの頬につうっと涙が伝う、最後迄落とせなかったダイゴの心を思っての悔し涙だった。 
 
「・・・」 
 何だ、この状況は。 
 静観を決め込んだダイゴも流石に狼狽する。てっきり泣きを入れて土下座して来るものだと思っていたのに、目論見が完全に外れた。 
 確かに泣いてはいるが、卑屈な素振りは無く、寧ろ誇り高く散ろうとしているシロナに出会いからの記憶が呼び起される。 
『また、お会いしましょう。お兄さん』 
『あたし、あなたに甘えて良いのよね?』 
『今日だけ、だからね? 奥さん役をやってあげるのは』 
『ダイゴ……好き……♪』 
 走馬灯宜しく、脳裏を過ぎる過去の断片。蟠っていた消せない残滓。思わず縋りたくなる温もり。 
 しかし、それを認めてしまえば今の自分が崩壊してしまう。ずっと、心の底で求めながら、結局裏切りしか経験して来なかった。だからこんな風に拗れてしまった。 
 ならば生涯孤独で構わないと自分自身で決めたのだ。映画の様な展開は無い。今になっての改心は虫が良過ぎる。だから、その道を貫くしかない。 
 ……その筈なのに。 
「――っ」 
『無視して良いのかい?』 
 誰かの声が脳裏に木霊する。……否、誰かでは無い。それは他ならぬダイゴ自身の声だった。 
『見殺しにして本当に良いの?』 
 シロナは銃を頭に向けたままだ。このまま放置すれば、彼女の脳漿は石榴宜しく飛び散るだろう。 
 止めるならば今しかない。しかし、ダイゴにとってそれは何よりも忌避したい選択。自分がそうさせたのに、それで構わないと思ったのにそれは無い。 
 
『シロナの事、好きなんだろう?』 
 
 最後に聞こえた声は正にダイゴの葛藤と良心の呵責の具現だったのだろう。 
「!」 
 シロナの指が動く。それがスローモーションの様に感じられたダイゴは衝動のままに行動した。 
――パァン 
 
「――ぁ?」 
 カラカラカラ…… 
 弾き飛ばされたマカロフが回転しながら床を滑って行く。掌の銃ごと頬を平手打ちされたシロナは口から血の筋を伝わせてその場にへたり込んだ。 
「……呆が」 
 それをやったダイゴはワナワナと震えていた。 
「何で、止めるの?」 
「この……っ阿呆がぁっ!! 命を粗末にするなあ!!」 
 折角の機会が水泡に帰してしまった。頬を打たれた痛みより、ダイゴの行動が信じられないシロナは尋ねるが、ダイゴは俯いたまま大声で叫んだ。 
「何? 死ねって言ったり、今度は死ぬなとか。変なダイゴ」 
 死に場所を見誤る程惨めな結果は無いだろう。内心、助かってホッとしているのも事実だが、この落とし前をどう付けてくれるのかそれはダイゴに期待するしかないシロナ。尤も、残念ながら今の彼の状態ではそれは酷と言うモノだった。 
「……っかんねえ。判んねえよッ! お前が解らないよっ!」 
 ダイゴは完全に錯乱していた。意志を曲げてした行動に自分自身が混乱している。そうさせたシロナが何者なのか、ダイゴには判らなかったのだ。 
「もううんざりなんだ! 期待させておいて、裏切るのはさ! 持ち上げておいて、最下層に叩き落とされて、それでもまた繰り返して……!」 
 晒されたダイゴの心の闇。ずっと蓋をしていたそれが大声と共に解き放たれる。だが、それは恐怖よりは憐憫を誘うモノであった。 
 他人とのコミュニケーションが上手く出来ない。社会で暮らす上で必須のスキルが彼は下手糞だった。それ故にずっと仮面の裏で泣き暮らし苦しんでいた。生まれや育ちは関係無い。たったそれだけの事だったのだ。 
「何で、何でお前は俺を掻き乱すんだよお……っ!」 
 その姿は泣き叫ぶ迷子の子供の様に酷くみっともない。嘗て貴公子と呼ばれた男も弱点が露呈すればこの結果だ。ダイゴにはシロナの心が理解出来ない。それこそ、彼が渇望して已まないモノであったのに。 
「……ダイ、ゴ……貴方」 
「何だよ!?」 
 血の筋はそのままにそれに気付いたシロナが指を指す。怒りの篭った視線でダイゴはそれに注目すると、それが自分の顔に向けられていると気付く。そうして、自分の頬を伝っているモノがダイゴには漸く判った。 
「あっ――!? っく、糞。何で……何で、あれ? あれ……?」 
 涙だった。ダイゴが捨て去った、置いて来たと思っていた人間性の証。幼少の頃より今迄流される事の無かった、凡そ二十年振りの落涙だった。 
 それを止めようと目を擦るが、それは枯れる素振りを見せず、滾々と溢れて来る。他人を当てにする為の涙では無い。悲しい訳でも無い。自分では止める事が出来ないどうしようも無い涙だった。 
 
「もう、いいよ」 
 
「っ」 
「独りで、苦しまなくて」 
 ふわり。 
 男泣きを続けるダイゴをシロナは優しく抱き締めた。さめざめと女泣きをしながらも、そうやってきたシロナにダイゴは泣き叫ぶ事も暴れる事もせずに一切の動きを止めた。 
「何を」 
「あたしが側にいる。あたしがずっと、貴方の味方でいるから……」 
 何の冗談だ。またそうやって絶望させる気か。その手は食わない。 
 本気でそう思っている辺り、ダイゴの心は汚れ切っている。対して、シロナの心はそれを受け止め、飲み干す様に澄み切っている。其処に一切の打算や損得勘定は無い。純粋なダイゴへと向ける愛情だった。 
「っ!」 
「だから、信じて。あたしの手を取って」 
 暗い谷間に光が差す。奈落の底から這い上がるロープが上から垂れている。 
 床に膝から崩れ落ちたダイゴ。シロナはその目の前に片手を差し出した。 
 
「信じる勇気を持って」 
 
「ぁ――っ、あ……く、ぅあ……!」 
 ずっと、認められたかった。信じたかった。……人並みに愛されたかった。 
 そんな微かな願いすら叶えられなかった哀れな御曹司。しかし、それが叶う時が漸くやって来た。死んでいた心が蘇る。ダイゴはシロナの手をしっかりと握り締めた。 
「辛かったね。独りで頑張ってたんだね。……もう大丈夫だから」 
 結局、何て事は無い。弱さを誰にも晒せなかったダイゴにはそれを打ち明けられるたった一人が居ればそれで良かったのだ。それは親友のミクリすら無理だった事である。 
 そして、男と女の関係の果てにシロナは遂にその場所に至った。命と引き換えにしても伝えたかった思いは確かにダイゴに伝わったのだ。それは、シロナの激情と妄執が呼び込んだ奇跡だったのかも知れない。 
「シ、ロナ……ぁ」 
「ダイゴぉ……」 
 格好悪いとか誰にも言わせない。咽び泣くダイゴをシロナは啜り泣きしながら抱き締める。シロナの大きな胸で顔を抱かれて苦しそうな素振りを見せる事すらないダイゴ。 
 ダイゴを抱くシロナの姿は泣く子供をあやす母親の様な包容力と慈愛に満ちていた。 
 
 
「何やってたんだかな、俺」 
「うん」 
 一時間以上ダイゴは泣き続けた。眼球がふにゃふにゃに萎れそうな水分の放出だったが、涙腺が限界を超えた為にそれは止まってしまった。 
 今は部屋のど真ん中で膝を抱えて壁を眺めている。それに付き合うシロナもダイゴの手を握りながら体育座りだった。 
「最初から、全部お前が持ってたんだ。でも、それがどうにも胡散臭くてさ。手を伸ばせば手に入ったのに、どうしても怖くて……」 
「今も怖い?」 
 自分の愚行を悔いるダイゴ。今迄被っていた仮面が人を信じられないと言う弱さを助長していた。だが、御曹司であるが故にそれを脱ぐ事が出来なかった。こうやって裸の心を見せる事は自分の父親にも無かった事だった。 
「ああ。でも、安心感、みたいなのはある。心から受け入れられたんだって」 
「信頼に証明書とか、サインって無いからね。それこそ、形にするなんて、土台無理な話よ」 
 だが、シロナはそう出来る相手だとダイゴは心から理解した。だからこうやって心の絶対領域を捨てて弱い自分のままシロナと向き合っている。無理に飾る必要の無い相手。それを見付けられただけで十分にダイゴの心は救われていた。 
「お前だけは手放しちゃならんかったんだ。それなのに俺と来たら……」 
「責めないで。貴方はあたしの手を取ってくれた。それだけで、万事解決でしょ」 
 どれだけ手を伸ばそうが、相手がそれを取らなければどうしようも無い。かなり遠回りしたがダイゴは結局シロナの手を取る事を自分で決めた。受け入れられたと言うのならそれはシロナも同じだったのでこれ以上の謝罪は要らなかった。 
「それで済まして良い訳が無い。沢山傷付けて、泣かした。俺自身、気が済まねえよ」 
「もう良いってば! そりゃあ、ね。百回以上は泣いたけどさ。また一緒に付き合って行けるなら、あたしは何も言わないよ」 
 ダイゴは矢張り責任感が強いのだろう。シロナだってそれに悪い気はしないが、好い加減済んだ話にしたかったので関係の修復と復縁を告げるだけに留めた。 
「お前、天使過ぎんだろうが」 
「そうよ? ダイゴ専用の天使様よ? 光栄でしょ」 
「……ああ」 
 普通は恨み節の一つも出そうだが、シロナは望みが叶った事が本当に嬉しそうな顔で笑っている。ダイゴもその顔に釣られて硬かった表情を緩ませた。 
 
「本当に済まなかったな。許してくれ、シロナ」 
「ちょ、止めなって! それはやり過ぎだよ!」 
 もうこれ以上引張る事もしたくないので、ダイゴは姿勢を正し膝の汚れを掌で払うと此処一番的ゴッド☆な土下座を放ち心の底からの謝罪をシロナに向ける。 
 無論、男の土下座が安くない事を知っているシロナは其処迄して欲しくないので慌ててダイゴの顔を上げさせた。 
 本当に思い立ったら一直線な性格だ。恥だの自尊心だのを考慮しないでこれ程真っ直ぐだと言うのは可愛くて、同時に危なっかしい。こう言う素の部分は自分が守るしかないと改めてシロナは思った様だった。 
「いや、でもけじめは付けんとさ……」 
「もう。……じゃあ、一つお願いして良い?」 
 ダイゴは折れる素振りを見せない。これではずっと平行線になる可能性があるのでシロナは別の事を要求する事にした。 
「何だよ?」 
 咳払いをして呼吸を整えるとシロナはダイゴを見た。お互いに夕焼けの色に染まった視線が交差する。そして、シロナは一瞬だけ視線を外すと、上目遣いでダイゴにこう言った。 
 
「ぎゅって抱き締めてキス、して?」 
 
「――」 
 シロナのハートブレイク! 効果は抜群だ! 
『やべえ。マジ天使』 
 瞬間、ダイゴは全身の血が沸騰しそうになった。 
 やっぱり俺、この娘が好きなんだ。心の底からそう言いたい気分に駆られる。本当はずっとそうしたかったのに、しなかった、出来なかったのは自分の弱さの所為だとダイゴは初めて知った様だった。 
「……ずっと、何かが心に引っ掛かってたけど、やっと判ったよ」 
「え」 
 付き合う寸前に通過したやり取りが時を越えて蘇った。だが、その時とは立場が逆。前は受ける側だったが、今度は与える側だ。その直前に至ってダイゴは大事な事を思い出した。 
「口に出して言って無かった。俺自身が素直に成り切れて無かったんだ。そりゃあ、拗れるのも当たり前だよな」 
「あの、何?」 
 付き合っているにも関わらず、明確な好意の言葉が未だ嘗て出た事が無い。シロナは何度もそう言ってくれたのに、自分は違う。そんな隔たりがある関係は真っ当じゃない。 
 そんなのはもう嫌だ。だから、クロツグの言葉を実践する様にダイゴは楽になる事にした。素直になりたかった。 
「シロナ」 
「は、はい」 
 肩に両手を置いて、しっかりと相手と向き合う。照れてる場合じゃない。ガチになる必要がある。そんなのは今更で、考えれば馬鹿らしいが、それこそがダイゴの心にあった壁なのだろう。 
 それを砕く為に、ダイゴは生まれて初めて、心の底からの真剣な思いを口にした。 
 
「俺、お前が好きだ。本当に、愛してる」 
 
「――っ! あたしも……!」 
 欲しかった言葉。願っていた言葉。でも、それを強請るのは間違いだからずっと待っていた。そして、やっとそれを聞く事が出来た。 
 伝う涙を拭わずに、シロナはダイゴの口付けを焦がれていた様に情熱的に受け止める。 
 
「今迄、ずっと貴方に負け続けてきたけど、今度こそあたしの勝ち、だよね……?」 
「勝ちだな。そして、俺の負けだ」 
 色恋沙汰は先に惚れた方が負けだ。だが、シロナは今回ダイゴを逆に惚れさせた。イーブンな状態になっただけだが、上も下もない対等な状態と言うのはお互いにとって得難いモノであるのも確かだろう。そして、現にそうなったのだ。 
 その証として、切っても切れない絆と言う奴が二人の間に出来上がったのかも知れない。それこそが、彼女の言う所の勝利だった。 
 

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