V:奇妙な同行者  
 
 
「えと、話が見えないんだけど」  
 フリーズを脱したダイゴはそう答えるだけで精一杯だ。  
 まあ、確かに一人旅は気楽で良いが、その反面寂しさが常に付き纏う。ポケモンでは埋められない人恋しさと言う奴だ。  
 シロナの様な美人の姉ちゃんが側に居れば恐らく楽しい旅になるのだろうが、それとこれとは別の問題だ。そもそも何だってそんな突飛な事を言い出すのかダイゴは理解に苦しんでいる。  
「あ、あたしはこう見えても蝦夷っ娘ですし、色々案内出来るって言うか、いえいえそんな能力は無いかもだけど実際シンオウ何て広過ぎて行ってない処も多くて。  
で、でも地図を見る事位出来ますし居たら居たらで色々とお役に、え、えっちなのは未だ駄目ですけどもだ、ダイゴさんが優しくしてくれるならあたしは別に……」  
 だが、理由を聞いてみるも矢継ぎ早に繰り出される言葉の弾幕が理解を容易にさせない。些かテンパっている事だけは何と無く判った。  
 ってか、えっちって何だ。そんな事を期待していると思われているのだと言うのなら失礼な話だ。幾らシロナが上玉だと言っても、良く判らない相手に獣性を解き放つ程ダイゴは無鉄砲では無いのだ。  
「シロナ君!」  
「は、はい!」  
 平常心を失い、錯乱気味なシロナの肩にダイゴは片手を置くと、大きな声で呼び掛ける。それに体をビクリとさせるとシロナは直立不動で固まった。  
「落ち着け。そして、深呼吸だ」  
「は、はい! すー、は−……」  
 そんなに早口で駆け抜ければ酸欠になる……と言う事ではなく、落ち着いた状態じゃなければ言葉が通じないからだ。  
 
「落ち着いたな。で、改めて訊こう。どうしてそうしたい」  
「それは……っ! これでお別れにはしたくないから!」  
 リラックスして落ち着きを取り戻したシロナにもう一度ダイゴは問う。その詳しい理由について。シロナは何とか聞き入れて貰おうと必死の表情と声色で叫ぶ。  
 だが、そんな程度で揺らぐ程ダイゴは安い男ではない。  
「決め手に弱いな。僕にどうして欲しいんだ?」  
「違います! あたしがそうしたい! ……もっと、ダイゴさんと一緒に居たいから」  
 どうにもそこからシロナの本気度合いが伝わらない。  
 それ以前に何を望んでいるのか、何をしたいのか、その必死そうな顔の裏で何を企んでいるのか。……ダイゴはシロナを疑っていた。  
 彼だって馬鹿じゃない。自分の持つ御曹司と言う肩書き。其処に金の臭いを嗅ぎ付けたハイエナの様な連中が笑顔の仮面を被って近付いて来た事はそれこそごまんとあった。シロナもそんな連中の一人に過ぎないのではないかとダイゴは思ったのだ。  
 だが、シロナは疑いを向けるダイゴの思いを知らず、只管真っ直ぐな想いを叩き付ける。恋する乙女は無敵だと言わんばかりに。  
「もっと一緒にお喋りして、一緒に行動して、ダイゴさんを知りたい。そして、あたしの事も知って欲しいから……」  
 シロナは只、そうしたいからそうするだけだ。其処に打算や物欲と言った物は付随しない。酷く真っ直ぐで、そして自分勝手なシロナの都合だった。  
「ふむ」  
 その黄金の瞳を見て、瞬間ダイゴは悟る。馬鹿みたいな話だが、この女は本気だと。ダイゴにはそんな妄言に付き合う必要も義理だって無い。  
「だ、ダイゴさん。あたし」  
「……良く吼えたものだね」  
 泣きそうな顔でシロナが見て来た。胸中を全部語ったのか、ダイゴの名前を呼ぶ事位しか出来ないのだろう。  
 その声に耳を貸す必要等、無い。そんな自分勝手な都合に振り回される義理は無い。  
 何時もの様に作り笑顔を浮かべて別れを告げれば良い。  
 その筈だったのに。  
「気に入った! 乗りなよ、Sweetheart!」  
 どうしてもダイゴにはシロナの願いを切り捨てる事が出来なかった。それがどうしてか判らない。だが、もう決めてしまった以上、その正体についてはどうでも良い。  
 だから、車の助手席を開いてシロナを迎えてやった。  
 ……只、これが後々に益に働くかも知れないと言う損得勘定は働いたかも知れないが。  
「あ……は、はい!」  
 許可をもぎ取った! それが信じられなかったが、目の前に開いた車のドアを見てこれが現実だと確信する。シロナは去年と同じ様に車に乗り込んだ。  
 
「車中泊が頻発するだろうし、何処に行くかは一箇所除いて基本、未定。帰るなら今の裡だが、平気かい?」  
「とっくに覚悟してますよ」  
 シートベルトを締めているこの旅限定のパートナー(仮)にこれ以上進むなら覚悟を決めろと念を押す様に尋ねる。  
 だが、シロナはそれでも折れない。途中下車する気は更々無い様だった。  
「上等だ。なら最初は……ショッピングセンターにでも行くか」  
「買い物、ですか」  
 そうして、直ぐに本決まりしたパートナーに最初の行き先を告げた。  
「一人増えた訳だから、色々物入りだよ。お金は心配しなくて良いけど、君には先ず必要な物がある」  
「何でしょう」  
 元々、当ての無い旅だが、独りでする以上は別に大した問題じゃあない。去年と同様に気侭に彷徨い、石を掘っているだけで良い。だが、今回はそれで済まない。  
 趣味の石掘りに同乗者を無理に付き合わせる事は出来ないし、早急に作戦を立てる必要があった。物資調達が最たる例だ。  
「着替え。それ一着じゃ洗濯すら出来ないよ。それに替えの下着とか絶対に要るでしょ?」  
「あ……た、確かに」  
 シロナの格好はどうみても余所行きの一張羅。白いパンツに臍が見える丈の黒いキャミに足にはサンダル。頭には去年は無かった特徴的な髪飾りがあしらわれていた。  
 荷物はやや小さめのショルダーバッグのみ。其処に着替えが入っているとは考え難かった。シロナは今、コトブキにアパートを借りて一人暮らしらしいが、きっと彼女自身も旅に同行するとは当初は考えていなかったのだろう。  
「汗臭い女も別に嫌いじゃないけどさ」  
「え」  
 不意に、ダイゴの口を飛び出した意味深な台詞にシロナが固まる。それはつまり……  
 ……どう言う意味ですか?  
「意味は特に説明しないよ。自分で考えてね」  
「はあ」  
 ダイゴがアクセルを踏むと、当ての無い旅に向けて車が前に走り出す。  
 カーオーディオから流れるやたらスタイリッシュなBGMがシロナのテンションを上げて来る。 ……結局、その言葉の意味がダイゴから語られる事は無かった。  
 
 男一人、女一人の旅が始まり三日が経過。その間に艶っぽい話は一切無かった。  
 何処に行くか決め兼ねていたダイゴだったが、シロナが南に行ってはどうかと言うので、それに乗った。  
 シンオウの南の端。ゲーム中は行く事が出来ない襟裳へ進路を取り、その岬でタマザラシの群れを見て、本当に何も無い場所だと誰かの歌を思い出して二人して笑った。  
 次の目的地はノモセ。海岸線を北東へ進路を取り、只管走り続けた。  
 ……その途中。  
 
 
――シンオウ地方 ノモセ南西の海岸線  
 一日近く走り通して、流石のダイゴもくたくただった。そして、それはシロナも一緒だ。彼女はハンドルは握らないが、それでも居眠り一つせずに地図と睨めっこして、的確にダイゴのサポートを行っていた。  
 もうとうに日も暮れている。事前に買い込んで置いたレトルトパックのカレーとご飯を携帯コンロで湯煎した物を食し、その日の夕食は終了だった。  
 アイドリングを切り、シートを大きく後ろへ倒して、後部席のタオルケットを手繰り寄せる。そして、寝そべって窓の外に目をやると辺りは真っ暗闇だった。空は曇っているので星明りすら覗かない。  
 それが何ともつまらなくて。特に用があった訳では無いが、ダイゴはシロナに話し掛けた。  
「冒険したい年頃なのかは判らんが、些か選択を誤ったのでは?」  
「どうしてです?」  
 突然のダイゴの質問に眠ろうとしていたシロナは顔を横に向ける。  
「いや、只そう思っただけさ」  
 運転席のダイゴは瞳を閉じて、只じっとシロナの言葉を待っている様だった。  
「そりゃ、楽しい事ばっかりじゃないのは判ってました。でも、それも覚悟の上なんですよ」  
 僅か三日程度の行動だが、少しはダイゴと言う人間については見えた気がする。  
 何処まで行っても無色透明。自分と言う個性が無い様にダイゴは振舞う。何があってもマイペース。顔に出して怒る事も、大仰に笑う事も、悲しむ事も無い。  
 その凡そ空気を読まない発言に励まされた事もあれば、逆に腹が立った事もあった。それでも、無意識的に傷付ける発言だけはされた事が無い。  
「今はダイゴさんと一緒に居られれば、あたしはそれで良いんです」  
 極力、敵を作らない生き方、と言う奴なのだろうか。自分に対してだけでは無く、誰に対してもダイゴはそんな姿勢を取り続ける。普通ならば只の八方美人で終わってしまい兼ねないのに、ダイゴはそれとは違う。  
 余程、頭の回転が早く、又相手の心の機微に聡いに違いない。  
 ……だからこそ、気になる。一緒に居れば居る程、謎が増えるこの男が。  
「……僕も男だ。豹変する事もあるかもよ?」  
「その時は……ふふ。優しくして欲しいですね」  
 ダイゴがシロナに顔を向ける。何時もよりトーンが落ちた声。こちらにはその準備があるとでも言いそうな声。そんな警告的な言葉をシロナが真っ向から受け止める。  
 望む所だ、と。  
「「・・・」」  
 そして絡み合う二つの色の異なる視線。温度を感じさせない冷徹な白銀と闇に映える壮麗な黄金。お互いの心が通い合う瞬間だった。  
「呵っ! 馬鹿馬鹿しい! ……もう寝るよ」  
「…………はい」  
 その瞳にシロナの本気を垣間見たダイゴは話の一切を冗談の一言に済ませ、寝てしまう道を選んだ。  
 かなり勇気を振り絞った自分の発言が空振った事以上に、自分を真正面から見ようとしないダイゴの素っ気無い態度がシロナには悲しかった。  
「あ……」  
「ん?」  
 そうして、自分も寝てしまおうと決めた瞬間、シロナは思い出したかの様に呟く。それを耳で拾ったダイゴは何だと言う顔でシロナを見る。  
「そう言えば、預かったライター」  
「ああ、あれね。……良いさ。君にあげるよ」  
 それは去年、ダイゴがシロナに預けたオイルライターだった。再会に乗じて返すつもりだがシロナは今の今迄すっかり忘れていた。だが、今更ダイゴはそれを返して貰おうとは思わない。  
「良いんですか? 貰って」  
「勿論。大事にしてくれている様だからさ。僕の代わりに使ってやってよ」  
「……はい! そうします」  
 彼女が煙草を吸う時に見たそれは手入れが行き届いて居て、使われているライター自身が幸せそうに見えた程だった。  
 それなら、ライターはこのままシロナが使う冪とダイゴはそれを譲り渡す。それが初めて貰ったダイゴからのプレゼントの様に感じられて、シロナは嬉しそうに笑った。  
 
 
――ノモセシティ 大湿原  
 翌日。ノモセに辿り着いた二人はこの街の唯一の見所である湿原に足を踏み入れていた。  
「大したモンだなあ、こいつは」  
「嘗ての海の残り香。何度見ても圧倒されます」  
 その雄大な姿にダイゴも言葉を奪われた。数回に渡りこの地を踏んだシロナであってもその感動は色褪せない。  
「ホウエンにも自然は多いけどこれだけの規模のモノは無いよなあ」  
 この圧倒的な敷地の広さ。湿原内に列車が走っている等、スケールが全く異なっている。ホウエンのサファリも中々に広いが此処には敵わない。やたらと自転車のテクニックを試されるギミックはあるが、その程度のモノだ。  
 一応、此処もサファリゾーンの体を成してはいるが、二人の目的は観光であって、態々泥の中を分け入ってポケモンを捕らえたりはしない。不用意に服を汚して洗濯に回す真似は時間の無駄だった。  
「気に入りました?」  
「そう、だねえ」  
 去年に渡り、二度目のシンオウ行脚。故郷のホウエンとは全く表情が違う自然。文化。人々。同じニッポンでありながら、南北の距離がそのまま住んでいる人間の心の距離になっているかの様だった。  
 確かに、シンオウは美しい。だが、故郷であるホウエンの水にすっかり馴染んでいるダイゴはそれを素直に認められないのかも知れない。地域性と言ったモノに戸惑っているのかも知れなかった。  
「――」  
 ……そうやって。  
 遠くを見ながら、表情の一つすら変えずに思案に耽るダイゴの端正な横顔。時折吹く風がその銀髪を揺らして、女であるシロナを以っても目を離し難い危険な色気を放っている気がした。  
「どうしたの?」  
 その視線に気が付いたダイゴがシロナを見やる。だが、シロナの反応は鈍く、その声に反応する迄数秒を要した。  
「あ……いえ、絵になるなあって」  
「はあ?」  
――すみません。見惚れてました  
 そんな旨の発言に今度はダイゴがポカンとした。ダイゴ自身は判らないだろうが、彼は美形である。こんな景勝地で隣を見ればイイ男が居るのである。女であるシロナはその誘惑に抗えなかったのだ。  
「うふふ。何でもないでーす」  
 少しだけ赤い顔をしていたシロナはその顔をダイゴに見せない様に金色の髪を靡かせて、その場を駆け出した。  
「ダイゴさ〜ん! こっちー!」  
「・・・」  
 重そうにぶら下る乳房をユサユサと揺れさせて、シロナはダイゴに向けて手を振る。  
 屈託無い笑顔を見ながらダイゴは確かにこう思った。  
『絵になってるのはそっちの方だっての』  
 だが、それを顔にも口にも出さない。只、やれやれと呟いてダイゴはシロナの後を追う。もう少し、相棒の茶目っ気に付き合ってやろうと思ったのだ。  
 
 
 

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