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(うう…早く倒れてよぉ……!!)
ソウリュウジムへの挑戦中、メイは焦っていた。
ジムリーダー、シャガへの挑戦には例の如くジム内のトレーナーを突破しなければならないのだが、
二人目への挑戦で特に考えも無しに防御重視の方を選んだ結果、予想以上に苦戦し、勝負が長引いているのだ。
相手が粘り強く攻めきれないだけなので、こちらが負けるようなことはまずないだろうが、今この時だけは長引くと困る理由があった。
(ト…トイレ……漏れちゃう……!)
今現在、メイはかなり切羽詰ったレベルで催していた。
一人目のベテラントレーナーを撃破した時点で僅かに自覚はあったのだが、その時には既に次の対戦相手に向けて龍の像が動き出した後だった。
たった一回のバトルの間を我慢出来ない程行きたい訳ではないし、
この勝負が終わったらポケセンでの回復も兼ねてゆっくり行けばいい、簡単な話だと気楽に考えていたのだが……
(うぅぅ……こんなことならおいしいみずなんて飲むんじゃなかった……!)
勝負が長引くにつれ、加速度的にメイの膀胱には余裕が無くなっていった。
毎回ジムの入り口でガイドーから記念に渡されるおいしいみずだが、いつもならとりあえずバッグにしまうそれを今回に限って、
強敵と言われるシャガに挑む景気付けとばかりにあろうことかその場で一気飲みしてしまったのだ。
キンキンによく冷えたおいしいみずはとても美味しかったが、それがまさかこんな形で自分を追い詰める羽目になろうとは。
(ま、またみがわり……!?)
まもるで粘られ、防御重視という割には高過ぎるオノンドの攻撃や、いばるの自滅で受けたダメージの回復に気を取られている内に、
またもやみがわりを出されてしまった。今回ばかりはあのトボけたぬいぐるみが憎らしくてしょうがない。
(14歳にもなってお漏らしなんて絶対にやだ!早く、早く…!あと少しなのに……!)
相手の手持ちは僅か2体。一体目のオノンドはもう一息で倒せるはずだが、そのもう一息が中々決めきれない。
正直今すぐにでも足元のパネルを押して降りて行きたいが、このジムの仕掛けはチャレンジャーに課せられるルール及び安全性の都合から、
バトル中は龍の頭の昇降パネルがロックされ、反応しないようになっている。
つまり勝つにしろ負けるにしろ一度バトルを始めてしまったら勝負が付くまで降りられないのだ。
いっそのこと降参してしまおうかとも思ったが、たとえ降参でも負けは負け、決して安くない金額の賞金を提出しなければならない。
それに「トイレに行きたいので降参します」などと言い出すのは、
ここまで6つのバッジを揃えて来たトレーナーとして、そして何より年頃の女の子にとっては耐え難い屈辱である。
「もぅ、いい加減にしてぇ!!」
いよいよ考える余裕も無くなってきたメイはヤケクソ気味にダイケンキに交代し、念の為に覚えさせておいたふぶきを連発させる。
ドラゴンタイプには効果覿面だ。
が。
「あーもぅ、なんで当たんないのーっ!?」
こんな時に限って当たらない。命中率70%を今ほど恨めしいと思ったことは無かった。
「当たってよ…!サブウェイじゃあるまいし…!……はうぅっ!!?」
メイの焦りが伝播したかのように狙いの外れたふぶきがこちら側の足元に当たり、その余波のこごえるかぜがメイに吹き付ける。
(つ、冷た…!余計に我慢が……!うぅ〜〜〜!!)
足をトントンさせ、小刻みに跳ねるようにして必死に我慢する。
「集中が乱れているようね。それではシャガさんはおろか私にも勝てないわよ!」
目の前では暖かそうなコートを羽織った女性のベテラントレーナー、タツミがこちらの焦りを見抜いたかのように発破をかけてくるが、こっちはそれどころではない。
(だ、だから…集中、したいんだけど…もういいから早く倒されてよぉ…!)
―――守りを固めて持久戦に持ち込む戦法にはね、
ポケモンだけでなく相手トレーナーの焦りや疲弊による集中力や判断力の低下を狙う意味合いもあるんだよ―――
こんな時に何故かトレーナーズスクールでチェレンが語っていた講義の内容が思い起こされた。
相手はこっちの事情など知りはしないだろうが、追い込まれたメイには相手が分かっててわざとやってるのではないかとすら思えてくる。
と、祈るように指示したふぶきがようやく命中し、オノンドを戦闘不能にした。
「やった!あと一体!!――――あ」
チョロ…
「!?……〜〜〜〜〜//////!!!」
電光石火の速さで前を押さえる。
(ち…ちょっと出ちゃった……!?〜〜もうヤダぁ…!)
てこずったオノンドを倒してあと一体、というところでほんの一瞬気が緩み、少し、本当に少しだけだがパンツを濡らしてしまった。
暖かい、濡れた感覚が広がるの股間に感じ、メイは血の気が引くわすぐまた頭に血が上るわの混乱状態に陥る。
(だめダメ駄目!!お願いもうちょっと待って!もうすぐ勝てそうなの!勝てるの!!あと少しだから!!!)
思わず股間を押さえて前かがみになったメイにタツミが怪訝そうな表情を向け、慌てて手を離し平静を装う。
幸いパンツまでで止まったのでキュロットに染み出してはいない。外から見ただけでは気付かれることは無いだろう。
(……も、もう、最悪パンツは諦めるしかないかも……うぅ、なんで今日に限ってお気に入りのやつ穿いて来ちゃったんだろ……)
とにかくあと一体だ。もう少しの辛抱、あと一頑張りでこの苦しみから解放される。何がなんでも乗り切らなければ…。
―――数分後。
「か…勝ったぁ〜〜!!!」
ラスト一体と覚悟を決めたメイの最後の力を振り絞った攻めにより、今までの苦戦が嘘のような短時間で決着はついた。
バトルの終了が確認され、足元の昇降パネルに再び光が点る。
実際には試合開始から一時間も経っていないはずだが、もう丸一日見ていなかったようにさえ思える、メイにとっては何より待ちわびた勝利の証だった。
辛く長い、苦しい戦いにメイは勝利したのだ。
「負けたわ…あれだけの守りを突き崩すなんて。最後の方はまさに鬼気迫る怒涛の攻めだったわね。
貴方ならきっとシャガさんの元へ辿り着けるはず。――で次の相手だけど、この上のトレーナーは右が…
「ごめんなさいポケモンセンターに行って来ますっ!!!」
言うが早いか、タツミの台詞を遮ってメイは分岐点に戻る「→」のパネルを踏んだ。鈍い駆動音を立てて龍の首が下がり始める。
「そ、そう?まぁ大分PPも少なくなっているでしょうし、説明はまた後でも…」
遠くなっていくタツミの台詞はもう耳に入っていなかった。
最後の一体はすぐ倒せたとはいえ、もう我慢も限界に近い。もし次の波が来たら今度はキュロットも無事では済まないだろう。
いや、そのまま決壊するかも知れない。もういつ漏らしてもおかしくなかった。
(下に下りたら、急いで外に出て、自転車…ううん、揺れるから自転車はダメ、ちょっと遅いけど走っていこう…
で、真っ直ぐにポケセンに行って、すぐにトイレに入る!大丈夫、絶対間に合う!みんなごめん、その後でちゃんと回復するから!)
「早く降りて…早く…っ!」
今のメイには決して遅くは無い龍の像の動きですら鈍く感じられる。もう飛び降りでもしたい気分だった。ようやく中央の分岐点に着き、一旦龍の首が停止する。
(よし、後は下に降りていくだけ!)
「↓」のパネルを踏んで置けばジムの入り口まですぐだ。
「は、早くもう一回押さなきゃ。よいしょっ、っと、わわっ!」
石像が動いている間も、振動を耐えるよう内股でかがみ気味だった体勢から「↓」のパネルを踏もうとして、思わず足がもつれてしまう。
――今転んだりしたら間違いなく衝撃で漏らしてしまう!
メイは危うく転びそうになった体を根性で捻ってもう片方の足を踏み出し、なんとか踏ん張って転倒を回避した。
カチッ
「ふぅ、危な……へ?」
グゴゴゴゴ…
・・・・・・・
足元から聞き覚えのある音が響いたかと思うと、再び鈍い音を立てて足場が動き出す。左側に向かって。
「あ、え?なんで、え?ちょ、ちょっと待って、ねぇ…!」
足元を見ると、踏ん張るために踏み出した足が見事に「←」のパネルの真ん中を踏んでいた。
「ま、待って違うの、これは押したんじゃなくて、あのっ、そのっ、ねぇ!!」
言ったところで像が聞いてくれるはずもなく、ただパネルの入力に従って動くだけである。
そうしてついさっきまで死闘を繰り広げたタツミが見える位置まで来るとグイッと後退。絶叫マシンのレールのような「捻り」を付けて後ろに引く。
そう、この龍の像、戻るときは緩やかだが、トレーナーの前に移動する際は……
「…パネル押し間違えちゃったかしら?皆結構やるのよね〜私達も下に降りる時は時々…」
「…………」
まるでスローモーションのように周囲の風景がゆっくりに見える。
こちらの事態を察したらしく向こう側で微笑ましげに笑うタツミを、メイはまるでどこか遠くの世界のことのように見ていた。
メイは彼女に向かってどこか吹っ切れたような引きつった笑顔を向け、―――歯を食いしばった。
せめてもの「わるあがき」に、スカートを掴んだ拳をギュッと力一杯握り締め、そして。
ズ ド ン ! ! !
こうかばつぐんの、「ダメおし」が決まった―――。
――ソウリュウジムは元々トレーナー数が少なく、更に龍の像に合わせ上下左右に分かれて配置されているので、
基本的に各トレーナーは自分の持ち場にいる間、他の場所の様子を知ることは無い。
挑戦者の姿を見るのも、自分と闘う為に真正面に来たその時だけだ。
それに上の方に登っていれば、もう入り口にいるガイドーの位置からは挑戦者がどうなっているかなんて分かるはずもない。
(まぁどれも本当のことではあるんだけど。……どう声をかけようかしら……)
タツミはその「真正面に来た挑戦者」にかける言葉を、己の戦法のようにじっくりと考えようとしたが――当分、見つかりそうもない。
○月×日、ソウリュウジム
まるで挑戦者の悲哀を物語るかのように、白い龍の頭部からは金色の涙が溢れ、キラキラと降り注いでいた。