1日1ガオー、それがポンデライオンのモットーだ。  
 
雨の日も風の日も険しい山を登り、切り立った崖の上で「ガオー」と雄叫びをあげるのである。  
別段なんの意味があるわけではないが、ただ本能によってそれはおこなわれていた。  
その日も彼は「ガオー」するべく、山に向かう野道を歩いていた。  
 
「お〜い」  
急に声をかけられて、不思議な形の花が群生している中をさぐり見ると、ばさばさと音をたてながらフレンチウーラーが走ってきていた。  
走ってきた、とは言ったものの、彼女は元来足が遅くマイペースなため、気づいたポンデライオンの方から歩みよっていった。  
「ねえねえ、どこいくの〜?」  
ふわふわとした羊毛を花びらにさわらせながらウーラーが聞いてきた。  
「ちょっと崖まで。ガオーしようかと思って」  
「へ〜、いいなあ」  
うらやましそうにウーラーが笑う。彼女はいままで崖まで行ったことがない。  
体力がないことが要因だが、以前2匹で登ろうとしたとき、地面の大きな割れ目を飛べなかったのだ。  
なので気をきかせたポンデライオンが輪っかをはしごに渡したのだが、ちょうどお腹がすいていたウーラーにすこし食べられてしまった。  
あれはショックだった。  
 
なので、ウーラーの「つれってって〜」という言葉は彼的に黙殺しなければならない。  
さっきからそんな目線を感じるが。  
「じゃ」  
と言って早々に立ち去ろうとしたポンデライオンの背中に、ウーラーの声がかかる。  
「そういえば、あの山に『おたから』があるんだってね〜」  
「『おたから』?」  
 
「なんかね〜、ポンデくんのパパが言ってたの聞いちゃったんだ〜」  
「パパが!?」  
ポンデライオンは素っ頓狂な声をだして驚いた。  
彼は昔、父にセンジンの谷から突き落とされたことがある。シシはうんたらかんたらとか訳のわからないことを言われて。  
そんな育児も仕事も全部母にまかせっきりでちょっとラリっているどうしようもない父だ、借金はあっても『おたから』なんて隠し持っているはずはないのだが・・・  
「まさか、家ほっぽりだしてそんなとこに・・・?」  
ちょっとありうる。  
「大人がみんな夢中になって欲しがるんだって言ってたよ〜」  
「大人がみんな・・・」  
オトナという響きが好奇心を煽る。自分もそれを手に入れれば、1人前と認められるれるかもしれない。  
同時に、あの勝手気侭な父をギャフンと言わせるチャンスだとも。  
「ねえ、それって場所は?」  
「う〜〜ん、よくわからないけど」  
ウーラーは白々しくうなってから言った。  
「行けばわかるかも〜」  
 
 
山に入って30分。案の定ウーラーはすでにメエメエと息切れしはじめていた。  
はっきり言って足手まといだが、彼女なりに頑張っているみたいなのでまあ良しとする。  
「・・・ねえ、ほんとに『おたから』なんてあるの?」  
だんだん不安になってきたポンデライオンが、ウーラーを振り返る。  
「ほんとだよ〜。エリマキのお兄ちゃんも言ってたもん」  
お兄ちゃんことエリマキファッションは耳年増のお喋りで有名だ。  
いつもなにかしら勝手に喋っているが、たしかに彼が発信元なら信用できるかもしれない。  
なんとはなしに聞き流していたような話まで、後々に真実だったことが多いのだ。  
誰かの浮気相手とか次はどこに嵐が来るとか、名探偵湖南の前後編での真犯人とか。  
 
「たしか、崖の近くって言ってたような気がする〜」  
メエメエ言いながらも、ウーラーはやっとポンデライオンのペースに追いついていた。  
彼女のヒヅメが岩の上でコツコツと音をたてる。  
「じゃあ、1度崖まで行ってみようか。ガオーもしなきゃだし」  
「やったあ〜!」  
疲れの表情は拭い去れないものの、崖まで登れることでウーラーのモチベーションは上がったようだ。  
晴れやかな笑顔をにじませて、ポンデライオンと前足をならべた。  
「・・・そういえば、なんでそんなに崖に登りたいの?」  
当然といえば当然だが、ここまで『おたから』に気をとられて聞きそびれていた。  
以前もそうだったが、普段は身の丈以上のことはあまりしないはずの彼女がここまで必死になって崖にこだわるのは、なにか理由があるにちがいない。  
ウーラーに聞くと、彼女は興奮に頬を染めながら言った。  
「だってさ〜、崖の上はヒロインが王子様と出会うところでしょ〜?」  
「は?」  
「崖からおちそうになってるお姫様を助けに、どこからか王子様があらわれるのよ。ピンチの中でうまれる愛っていうの〜?」  
前々から夢見がちでお姫様願望の強烈な娘だとは思っていたが、まさかそんな理由だったなんて。  
ポンデライオンはもはや声も出ない。「あ・・・そう」としか。  
「てことは・・・まさか崖から落ちるつもり!?」  
「やだ〜、フリだけよ。フリだけ。気分だけでも味わいたいじゃない」  
流石にほんとに落ちるのはね〜、と笑う彼女に、ポンデライオンがなんだかな、と息をついた。  
 
 
――そのとき。  
 
 
ガラッと何かが崩れる音。とともに。  
「きゃぁ!!」  
横にいたウーラーが一瞬いなくなったかと思うと、さっきまであった彼女の足場は粉と化していた。  
いまにもそこからずり落ちそうなウーラーの体は、斜面に生えた脆弱な木にまたがる形でギリギリ持ちこたえていた。  
どうやら最近の雨で地面がもろくなっていたらしい。崖ももうあと少しというところで、土は崖下の谷になだれ込んでしまった。  
「だ、大丈夫!?」  
「今は・・・なんとか」  
カタカタと震えながらの返事が返ってくる。  
しかし、彼女のしっぽの下からメキメキと不吉な音が漏れる。  
ポンデライオンは考えを巡らせた。何かないか、はやくしないと。  
「・・・そうだ」  
唐突に頭から輪っかをひっこぬくと、それをしっぽに巻きつけ、彼女の方へと垂らした。  
「はやく!つかまって!」  
ウーラーの震える前足が伸ばされる。  
「う〜・・・」  
ちぎれんばかりに天へ向いたヒヅメの先が、わずかに輪っかを揺らした。  
・・・もう少し。  
ポンデライオンは自分も落ちる寸前まで腰を落とし、しっぽに力を入れる。  
そしてついにウーラーの前足が、輪っかをつかんだ。  
「・・・・・・やった!」  
 
 
バキッ  
 
 
「あ」  
2匹は土ぼこりを起こしながら、地面を逆さに転がり落ちていった。  
 
 
 
その頃、森の中の広場では、数匹の動物達の中心でエリマキファッションが細い木の枝を持って騒いでいた。  
「だからさー、これがその『おたから』なんだって!ポンデの父ちゃんが落としてったんだ。大事そうにしてたから絶対そうだって!」  
ただでさえ声が大きくてうるさいのに、興奮した彼のえりまきがいつもより広がっていて、広場の中でいっそう響いている。  
まわりを囲んでいた動物達も、ざわざわと顔を見あわせていた。  
「きっとこれはこの森いちばんの貴重な物にちがいないね!大人たちに聞いたってみんな話をはぐらかすんだ。俺たち子供に分けるのが惜しいにきまってるって」  
言いながら彼は、たいそう自慢そうに枝きれをまわりにみせつけた。  
と、ちょうどそこに、ロードワークを終えたウシシシココナッツの巨体が現れた。  
「なんだなんだ、うっせえな」  
ドカドカと足をならしながら、騒ぎの中心であるエリマキファッションに歩みよる。  
もちろん足元の小動物たちを押しのけながら。  
「『おたから』ってなんの話だ?」  
「・・・なんだよ、見せてやるけどやらないからな」  
ほら、と細長い身体を伸ばして枝をさしだす。  
ウシシシココナッツも、興味深げに顔をよせた。  
目にかかったくせっ毛の下から、意外にもつぶらな瞳がそれをのぞく。  
「―ばーか、こりゃおたからでもなんでもねーよ。ただのマタタビだ」  
「ま・・・たたび?」  
ウシシシシ、と特徴的な笑い声がエリマキファッションのえりまきに反射した。  
 
 
「っ・・・」  
自分達の身体で折れた枝葉や粉塵が舞う中、ウーラーは意識をとりもどした。  
どうやら大事には至らなかったようだ。自分の下にはかなりの枯葉がつもっていて、やわらかい。  
空を見上げると、まだぼやけている視界の先に、さっきまで歩いていた地面がかなり遠くにあった。  
そう高い位置から落ちたわけでもないが、だいぶ道をはずれてしまっている。  
「・・・あ、ポンデくん・・・!」  
そうだ、彼は無事なのか。  
思い出して急に不安になったウーラーは、立ち上がろうとしてがくんとくずれおちた。  
「いたっ・・・」  
見ると、ヒズメに大きな亀裂がはいっていた。落ちたとき、どこかでぶつけたかもしれない。  
「ウーラーちゃん!大丈夫?」  
たたっ、と目の前にポンデライオンがとびこんできた。  
少しはなれたところに落ちていたようだ。  
「ポンデくん・・・よかっ・・・」  
よかった、と言おうとしてウーラーは息をのむ。  
ポンデライオンの傷は明らかに自分よりひどかった。背中や足に、まだ生々しい赤色をひからせていたのだ。  
じわり、ウーラーの瞳がゆらぐ。  
「―ごめんね・・・私がついてきたりしたから・・・」  
「え?だ、大丈夫だよ」  
ウーラーの涙にすこし焦りながらも、ポンデライオンはにっこりと笑う。  
「僕は男の子だから大丈夫。強いひゃくじゅうの王だしね」  
「ポンデくん・・・」  
 
 
ふと、空から雲のうなり声がきこえはじめた。  
雨粒がひとつウーラーの鼻先におちて、すぐに辺りの枯れ葉が染まっていく。  
「また土砂崩れがおきるかもしれないね・・・どこか安全なところにいこう」  
ポンデライオンが、さっき自分たちと一緒におちてきた土につぶされている野花を見て言った。  
彼が歩くこともままならないウーラーを支えながら、岩でできた洞穴を見つけたころには、雨はすっかりどしゃぶりになっていた。  
「ふう、ここなら大丈夫かな」  
ふたりとも濡れてしとしとになった体をふるいながら、ごうごうとまわる空をみあげた。  
まだまだ雨はやみそうにない。  
薄暗い中で少し不安なのか、ウーラーはポンデライオンとじかにふれあうほど近いところに腰を落とす。  
まだ幼い2匹はつかれきっていて、自然と沈黙がながれた。  
かなり遠くで、かみなりがおちる音がする。  
「・・・あのね」  
ふと、怪我の痛みもあって特に言葉すくなになっていたウーラーが、口をひらいた。  
「ありがとう。たすけてくれて」  
「え?」  
 
「あのときのポンデくん・・・かっこよかったよ」  
ウーラーの長いまつげが伏せられる。  
濃くはない闇の中で、彼女のほほが染まっていた。  
「なんていうか・・・王子様みたいだった」  
「・・・は、はずかしいよそんな言い方」  
今度はポンデライオンが赤面しだす。  
彼女は照れ隠しのように笑って、目をとじた。  
そのまま小さな寝息が聞えはじめる。  
 
雨は、まだやまない。  
 
 

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