かおるが風邪をひいた。高熱に苦しむ余り意識は朦朧とし、ベッドに横たわったまま自力では  
起き上がる事も出来ずにいる。  
 ここで尽力せねばリーダーたる資格無し。かおるの看病を自ら引き受けるにあたってそう  
気負ったももこだったが、この場合、ヤル気の大小と事の良し悪しは必ずしも比例はしない。  
それが赤堤ももこであれば尚更だ。  
「かおる! あたしがきたからにはもう大丈夫! なんで家じゃなくて研究所で看病するのかよく  
わからないけど、とにかくあたしの熱愛看護で風邪なんてイチコロよ!」  
「うぅ〜…うるさい…」  
「え〜と、まずは空気の入れ替えね。いっくら寒いからって閉めっきりじゃ身体に悪いもんね」  
 そう言って、思い切り良く窓を全開にする。新鮮な、しかし冷え切った冬の外気が一瞬にして  
部屋の温度を下げた。  
「さ…寒いぃ」  
「はいはい、布団ちゃんとかけて!」  
 時折身悶えるようにする寝返りのせいで、かおるの布団は幾分か乱れていた。それをももこは  
やや適当な手つきで首元までしっかりと掛け直す。  
「…ももこ、か…?」  
 布団を直した際に大分近くなったももこの顔を見上げ、かおるが喘ぐように呟いた。  
「あれ、今までわかんなかった?」  
「うん…なんか、ボーッとしちまって…」  
 その言葉を裏付けるかのように、見上げる視線は距離の近さにも関わらずももこの目から  
僅かに逸れていた。  
「すっごい熱だもんねぇ。でも安心して! あたしが責任をもって面倒みるから!」  
「でも…いいよ、ももこにまで風邪うつっちまうし…。多分このまま寝てれば大丈夫だから」  
「大丈夫だって! ホラ、あたしバカだから!」  
 そんな事を言って本当に感染しなかったらどうしよう、という一抹の不安を敢えて無視して  
ももこは笑って見せた。病人の前では元気に振舞うのも看護の内だ。  
「いま一番くるしいのはかおるなんだから、その本人が遠慮しないの。ね?」  
「…うん」  
 高熱の苦しさ、或いは別の何かのせいか、じわりとかおるの目尻に涙が滲む。  
「…ゴメンな…世話かけて…。おまえ…いいヤツだよな…」  
「でしょ! ホレた? ホレた?」  
「うん」  
「…うわぁ、すっごい素直…」  
 日頃と比べて余りにも素直な反応が具合の悪さを物語っている。何となく焦りを感じつつ時計に  
目をやると、すでに正午を回っていた。そろそろ薬を飲む頃合だ。  
「でも、空きっ腹でおくすり飲むのよくないのよね。なにか食べられそう?」  
「…無理」  
「でも無理でもなにか食べないと。…あ、アイスクリームなんて食べやすいんじゃない? …いや、  
腹持ちを考えるとシュークリームとかいいかもしれない…いやいやクリームつながりでいうなら  
クリームチーズタルトなんかも捨てがたい…」  
「それより…み、水…飲みたい…」  
「え? なに? なんでもいって!」  
「水…」  
「水ようかんね! わかったわ、すぐに買ってくる!」  
「みずぅ〜…」  
 瞬く間にダッシュで消えるももこ。  
「……ももこ…水ぅ…」  
 騒音の主がいなくなった途端、部屋の中は静まり返った。当然ながら返事も無い。  
 急に心細くなる。  
「……ももこぉ…」  
 片手を布団から出して中空に迷わせる。それは高熱に浮かされてももこの名を呼ぶうわ言同様  
特に意識しての行為では無かったが、不意にそれを優しく包み込むように握る別の手を感じた。  
 ――違う。ももこが戻って来てくれたんじゃない。  
 更に曖昧になる意識の中で、かおるは朧げにそう思った。  
 励ましや慈しみ、労わりに加え、それらとは全く異なる別の感触を。  
 欲して求め、執拗に絡みつくような何かを。  
 ひやりとした警戒心と共に、己の手を包み込むその手指に感じたような気がしたからだ。  
 
 ぼんやりと焦点の合わない瞳で見上げてくるかおるを、みやこはまじまじと覗き込んだ。  
「…かおるさん、お具合は如何ですか〜?」  
「………みやこ…?」  
「はい〜」  
「…ももこは?」  
「ももこさんなら先程、物凄い勢いで走って出て行きましたわ〜。窓閉めますね〜」  
 手を放し、開け放たれていた窓を閉める。病人がいる部屋にしては寒過ぎた。  
「さ、かおるさん。そろそろお薬を……かおるさん〜?」  
 返事が無い。力無く目を薄開きにしたまま、ただ息を軽く荒げている。  
「かおるさん、お薬飲めますか〜?」  
 錠剤を一粒摘み、かおるの口元に近付ける。熱のある吐息が直接指にかかるまで近付けても  
反応が無い。錠剤を口の中に落とし込むべく、かおるの唇にそっと押し付ける。  
 すると。その指を。  
「…!」  
 錠剤の在り処を確かめるように、かおるの舌がみやこの細い指に触れた。その指先の冷たさが  
火照った舌先に心地良いのか、明確な意識の無いままでみやこの指を這い回る。  
 びっくりして手を引っ込める。そんな事には気付かず、錠剤を唇に挟んだまま息つくかおる。  
「かおるさん〜…」  
 みやこは何処と無く呆然とした気持ちで呟いた。己の指に目をやると、かおるの舌に触れた  
部分がかすかに濡れている。その指先を、そっと口に含んだ。  
 松原かおる。  
 まるで冗談のような出来事が元で親しくなる以前も、みやこはこの活発な少女を見かける度に  
こっそりと目で追っていた。  
 体育の授業や昼休み。素早く力強く確固たる確信を持って、跳ねる、駆けるその姿。自分や  
同世代の女の子達が追い求めて已まない“女の子らしさ”を、ともすれば何処か醜悪な気配すら  
漂う魔女裁判的な競争を、いとも簡単に捨て去った女の子。遠目に見るだけの、憧れの女の子。  
 だから、知り合う事が出来て間も無い頃、その憧れの気持ちをかおる本人に告げた時は本当に  
嬉しかった。何しろ、自分に恋文などを送り付けて来る有象無象のどんな男の子よりも格好良く、  
その一方で自分の周囲にいるどんな女の子よりも――ももこに負けないくらい――可愛らしい  
女の子と友達になれたのだ。もう遠くから眺めるだけではない。話だってたくさん出来る。  
 しかし、その気持ちが単なる友情ではない事を、罪の無い憧憬だけでは無い事を自覚した。  
 もっともっと、近くにいたい。例えば、抱き締めるとか。  
 もっともっと、触れ合いたい。例えば、抱き締めあうとか。  
 もし触れられるなら、あの身体の何処がいい。  
 他の誰にも触れさせられないような、密やかなところがいい。  
 それらは心の在り処である胸ではなく、もっと薄暗いところ――例えば子宮の辺り――から  
粘り気を伴って染み出すような気持ちだ。  
 だが、今のかおるを形成しているものは“女の子らしさ”への強い抵抗観念だという事を知り、  
そして自分はかおるが最も忌避するタイプの“らしさ”を持ってしまっている事に気が付いた。  
だから己の劣情は奥深くに閉じ込めた。きっと強く嫌悪されるだろうから。  
 しかし、今は。  
「…あの〜」  
 声をかけた。眠ってはいないようだが、反応は無い。  
「かおるさん〜?」  
 高熱に苛まれ、力を失い、無抵抗の。  
「………ふふっ…」  
 部屋の入り口、ドアの鍵をしっかりと閉める。  
「さあ、かおるさん。お薬飲みましょうね…」  
 声の響きが普段と違うのが、自分でも解かった。  
 
 コップの水を口に含む。風邪薬の錠剤を唇に乗せたまま苦しげに息をつくかおるに、ゆっくり  
慎重に覆いかぶさる。  
「…ン……」  
 優しく押し付けた唇を割り開き、口に含んだ水をそっと注ぎ込む。  
「ンンッ…?」  
 不意に口腔内に流れ込んできた水にやや戸惑う気配がしたが、みやこはそのまま唇を離さない。  
こくり、こくり、と水を飲み込むかおるの咽喉の動きが唇に伝わって来る。舌を這わせ、熱を  
もったかおるの唇を充分に貪ってから、ようやく身体を起こした。  
「…かおるさん、お薬ちゃんと飲めました? じゃあ、もう一ついきますね…」  
 注意書きを確認したところ、この風邪薬は二錠で一回分。錠剤を自らの舌先に乗せ、そのまま  
再びかおるに覆いかぶさる。顎先を摘んで軽く押し下げると、かおるは抵抗無く口を開いた。  
その口腔に、唇を押し付けるようにして舌を突き入れる。  
「…あ…ンン…んッ」  
 錠剤とは別の異物に反応して、かおるは僅かに肩を竦めるように身じろいだ。やめろ、と  
言われたような気がして、みやこは慌てて唇を離した。だが、だらしなく口を半開きにしたまま  
動きを見せないかおるの様子に、再び怪しい微笑みを浮かべる。  
「…み、みず…」  
 虚ろな目のまま、かおるが呟いた。  
「もっと……のみた…い」  
「…そんなに飲みたいですか…?」  
「うん…みず…」  
「では、いま差し上げますわ」  
 再度コップに水を注ぎ、口に含む。少し考えてから、そのまま濯ぐように口内で水を転がし  
続けた。水が体温で充分に温まってから、ゆっくりとかおるに顔を寄せる。口を開かせ、もはや  
何の遠慮も無く唇を塞いだ。  
「ンッ…ングッ…ングッ…んぅ…」  
 みやこの唾液を大量に含んでとろみのついた水を、みやこの体温と同じぬくもりの水を、何の  
疑いも無く嚥下するかおる。口の中の水を全て移し終えたみやこがそのまま舌を差し入れると、  
少しでも水分を求めての事か、直接舌に吸いつく。己の舌が予想外に強く啜られるそのぬめりと  
熱とに、みやこの背筋に寒気にも似た、しかしもっと別の感覚がゾクリゾクリと駆け巡った。  
 もっと。もっと。かおるさん、もっと。  
 かおるの顔を両手で抑え、出来る限り奥に舌をねじ込む。それに応えるかのように舌を軽く  
噛み啜られ、たまらずかおるの頭をギュッと抱き締めた。  
 もっと、唾液の最後の一滴まで。いっそ舌ごと噛み切って――。  
 
 と、唐突にかおるがみやこの身体を突き放すように口を離し、ごろんと横に身体を傾けた。  
小さくげっぷまでしている。  
「ん〜…ごちそうさん…」  
「……」  
「……」  
「…あ、あの〜、かおるさん〜?」  
「ん〜…?」  
「もっとお水、飲みませんか〜?」  
「も、いい」  
「…そんなぁ〜」  
 しまった。飲ませ過ぎた。もっと少しずつ、じっくりたっぷりネトネトとやるべきだった。  
後悔の余り、幾分か安らいだ感じのかおるを見下ろしながら暫し呆然としていたみやこだったが、  
ドアをノックする音で我に返った。  
「ちょっとちょっとちょっとぉ〜!? 何でカギ閉まってるのよぉ!」  
 ももこが帰って来たようだ。いずれにしろ、時間切れである。  
「あ、はい〜! ちょっとお待ちをですわ〜!」  
 唾液混じりの水でベトベトになったかおるの口元を素早く拭い、乱れた布団を整える。  
「ももこさん、お帰りなさい〜」  
 幾分か取り繕うような笑顔になってしまったが、とにかくドアを開けてももこを迎え入れた。  
「あ、みやこ。きてたんだ。何してたの?」  
「ごめんなさい〜、うっかり鍵を掛けてしまったようですわ〜」  
「それより、かおる! ほら、水ようかん買ってきたわよ! えーと、つぶ餡とこし餡と…あれ?」  
 相変わらず返事が無かったが、それは今までの様子とは違っていた。しっかりと目を瞑り、  
やや苦しそうにしながらもスウスウと小さな寝息を立てている。  
「…寝てしまったようですわ〜」  
「うん。ま、少しはよくなってきたみたいね。これで一安心かな。あ、そうだ。水ようかん、  
みやこの分もあるわよ。何味がいい?」  
 ももこがニッコリと笑いかけてきたので、みやこも微笑を返す。  
 いつものユルい表情に戻ったみやこのその胸中は、少なくともももこには解からない。  
   
 
数日後。研究所の同じ部屋、同じベッド。  
「…何なんだ、この状況は」  
「はいそこ! 病人が文句いわなーい!」  
 一時は治ったかのように思われた風邪が見事にぶり返し、結局かおるは再びベッドの中にいる。  
ただし、異なる点が二つ。比較して今の症状は遥かに軽いという事と、一緒のベッドで寝ている  
みやこの存在である。  
「まったくねぇ、いくらあたしが頼れる看護人だからって、そうぶり返されてもこまるのよね」  
「何言ってやがんだ、ちっとも付いててくんなかったくせに」  
「アンタのために水ようかん買いにいってたのよ!」  
「知るか。大体何で水ようかんなんだよ。風邪の時はもっと、こう――」  
「桃缶とかですか〜?」  
「そう、そうだよみやこ! やっぱ風邪には桃缶だよな。何だよ、水ようかんって」  
「あぁぁぁッ!? なによそれ!? アンタが買ってこいっていったんじゃなーい!」  
「言ってねぇ!」  
 上体を起こしてももこと言い合うかおるを、みやこは横になったまま見上げる。熱に浮かされ  
ぐったりとした姿もゾクゾクする程可愛かったが、やはり元気な方が素敵だ、と思った。  
「まあまあかおるさん〜、風邪ひきさん同士、仲良く寝ましょう〜?」  
「いやそれなんだけどさ。風邪っぴきが二人並んで寝てるのって、どうなんだ」  
「別々のベッドだと、看病してくれるももこさんが大変ですわ〜」  
「………そうかぁ?」  
 手間は変わんねぇと思うけどなぁ、と言いつつかおるも横になる。普通はそう思うだろうが、  
二人で寝る事を強く提案したみやこにとって、重要なのはももこの手間などでは無かった。  
「みやこ、ごめんな…」  
 いつまでもブチブチと文句が止まらないももこが部屋を出るのを待つようにして、かおるは  
声を落とした。  
「やっぱそれ、俺がうつした風邪だよな?」  
「そうかも知れませんけど〜、謝る事なんて無いですわ〜」  
 そもそも、それこそがみやこの狙いだったのだ。かおるの風邪を看病し、そのかおるが治った  
頃には自分も風邪にかかるようにする。己の風邪がうつったとなれば、かおるは献身的に看病し  
返してくれる事だろう。上手く事が運べば看病にかこつけて精一杯甘えてしまおう、という計画。  
食事を「あ〜ん」して貰ったりひざまくらして貰ったり、普段ではまず断られるであろう事でも  
してくれるかも知れない。  
 実際には、己自身が普段では絶対に出来ない事を色々やってしまったわけだが、結果、見事に  
風邪を貰い受けた。だがかおる自身も風邪が完治せず、みやこの看病どころでは無くなっている。  
「…おれさ、少しだけ覚えてるんだ」  
「なな、何をですか〜…!?」  
 覚えている、と言われれば狼狽せずにいられないのがみやこの立場だ。だが出来るだけ平静を  
保ったみやこに、かおるは申し訳無さそうに笑いかけた。  
「ももこのバカが行ってすぐさ、みやこが看病しに来てくれただろ? すっごく咽喉が渇いてた  
事と、水飲ましてくれた事だけはボンヤリ覚えてるんだ。あれ、みやこだよな?」  
「は、はい〜」  
「ありがとな。助かったよ」  
「い、いえ〜」  
 少し迷った。“水飲ましてくれた事”のどの部分をどれだけ覚えているのかが気になる。  
もし、仮に。濃密な口移しで飲まされた事を覚えており、その上で今のような口ぶりなら。  
 今後も。何度も。何度でも。  
「あの〜、かおるさん〜?」  
 訊いてみようと思った。が、返って来たのは穏やかな寝息だけ。どうやら早くも眠り込んで  
しまったらしい。  
 起こさないように、そっとにじり寄る。出来る限り身を触れさせると、生地の薄い寝巻きを  
通してかおるの体温が伝わってくる。  
「んんん〜…」  
「ひゃっ!?」  
 寝入ったままのかおるに、軽く抱き寄せられた。企んでいた以上の密着に、みやこは思わず  
身を固くする。が、すぐに身体の力を抜いて身を任せた。肩に手を置かれているのが嬉しい。  
吐息が髪にかかるのが気持ちいい。太ももが触れ合うのが温かい。  
 色々思うところはある。身体の奥底に広がりつつある狂おしい想いを、これから先どのように  
扱っていいかも解からない。でも、今は。  
 これはこれで――満足。  
                                                      終わり   
 

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