──ありがとう、おかあさん
やっと、言えた。
桃園家に来てから、実の娘とおなじようにわたしに愛情を注いでくれたひと。
そのひとに、ずっとずっと言いたかった言葉。
せつなは自室で手鏡を持ちながら洗いたての髪の毛をとかす。
少しくすぐったような、うれしい気持ち。自然と笑みがこぼれる。
おかあさんは、涙ぐみながらわたしを抱きしめてくれた。小さな子供にするように、優しく頭を撫でてくれた。
彼女は、先程あゆみに撫でられたところをもう一度さわってみる。
母親のいないわたしにとって、それははじめての経験。
あたたかいぬくもりと、サラサラと髪を撫でられる感触。せつなは思い出すように目を閉じる。
──ちがう。
頭の片隅で声がする。
──これははじめてのことなんかじゃない。
せつなはハッとして目を開いた。
いや。思い出したくない。必死で首を横に振る。
わたしの髪がまだ銀色だったころ。
わたしを最後に抱いた男が、大きな手で銀の髪を撫でる。わたしが眠りにつくまで。
思い出した瞬間、彼女の体に刻み込まれた記憶まで一気にフラッシュバックする。
幾度となく求められた。
唇、首筋、胸、腰、太腿、──そして、秘部。
男の手が、唇が体中を這いまわる感触がまざまざと蘇ってきた。
せつなは思わず身を震わせる。下腹部がじんと熱くなっているのが自分でもわかる。
みずから男の上に跨り、男のものを受け入れ、腰を振る。男と共に絶頂を味わう。
──ちがう、ちがうの、あれはあくまでも「任務」、望んでしていたことじゃない。
否定する頭の中とは裏腹に、せつなの女の部分が勝手に潤っていく。
風呂に入って取り替えたばかりの下着を、粘液が汚していく。
名を、呼ばれた。何度も何度も。──閨の中で。
あいつは、あの男はかつての自分の名を今も呼び続ける。
呼ばれるたびに、忘れたい記憶を無理矢理引きずり出されるような気がして、せつなはいつも耳を塞ぎたくなる。
任務。
三人の幹部のなかで、わたしだけに課せられていたこと。
十代前半の少女が、そのようなことをすることが、こちらの世界では異常なことだということを、せつなはすでに理解していた。
複数の男の相手をし、性欲を満たす。あまつさえ自らも快楽を貪る。
そういったことを職業とする女もいるし、金銭の授受なしにおこなう女もいる。
そんな女たちがどう総称されるかということも知っている。
売女。
そう呼ばれ、軽蔑され、哀れみの目を向けられるということを。
もしラブや美希や祈里、圭太郎やあゆみがわたしの過去を知ったら、どんな顔をするだろう。
かつてはラブ達に知られてしまってもかまわない、などと自棄になっていたこともあった。
でも、今は。
いやだ。絶対に知られたくない。
自分が今までしていたことも。そしてそのことを思い出して体を熱くさせていることも。
知られた瞬間に、わたしはここにいられなくなる。
忘れたい、お願いだからその名でわたしを呼ばないで……
疼く体を両腕できつく抱き締める。歯を食いしばる。
しかし一度悦びを覚えてしまった体を抑えきることはできない。
(たすけて……だれか……おかあさん……)
せつなは幼子のように心のなかで叫び続ける。
だがその頬に流れるものは、子供のものではない、女の、涙。