一体いつからだろうか、あいつにただの同僚以上の感情を持つようになったのは。
初めのうちは、単に体の相性がいいから愉しんでいただけだった。
けれども、時が経つにつれ、それとは異なる想いが徐々に芽生え始める。
行為が終わると、あいつはさっさと俺の体から離れる。
回数を重ねるたびに、俺の中に何とも言えない空しさが募ってくる。
──『任務』という名目なら、あいつはその間だけ俺の腕の中にいてくれる──
そう気づいてから、あいつの肌に少しでも触れていたくて、俺は何度もしつこいくらいにあいつを誘った。
あいつに鬱陶しがられているのは百も承知だった。
なんとか口実を作って、その華奢な腕を引き寄せて、眠りにつくまで髪を撫でてやって…
それが、銀色の髪の少女を最後に抱いた夜だった。
あんなに『プリキュアを倒す』と息巻いていたあいつが、俺の目の前でその憎き敵に姿を変えたとき、
俺は何が起こったのか全くわけがわからなかった。
ナケワメーケでおびき寄せてあいつを連れ戻そうとしたのは俺の独断だ。
あのときの俺は、とにかく自制が効かなかった。なぜあそこまで逆上したのか、自分でも分からなかった。
サウラーも、何か同じようなことをしでかしたらしい。あのあと、俺達はメビウス様にこってり絞られた。
「裏切り者一人にかまけている場合ではない。おまえ達にはFUKOを少しでも多く集めろと命令したはずだ」と。
釈然としないながらも、俺達は気持ちを切り替え、FUKO集めに専念することにした。全然集められないときもあったが…
そんな中でも、俺は心の片隅で淡い期待を抱く。いつかあいつが戻ってくるんじゃないかと……
俺の願いをよそに、あいつはすっかりプリキュアと四ツ葉町に馴染んでしまい、
ラビリンスに戻る様子などかけらも見せなかった。
事あるごとに俺達の邪魔をしてくるあいつに苛立つ。なぜいつもいつも邪魔ばかりするんだ…
──人の幸せを奪う権利なんて、誰にもないわ!──
時折、あいつの言っていた言葉が頭の中でこだまする。
ひょっとして、あいつのほうが正しくて俺達のしていることは間違っているんじゃないか…
ほんの一瞬そんな考えが頭をよぎり、慌ててその考えを打ち消す。
メビウス様の御意志が間違っているわけがない。そう自分に言い聞かせる。
打ち消し、言い聞かせ、誤魔化す。心がささくれ立ち、日増しに苛立ちが積もり積もってくいく。
その苛々が頂点に達したとき───俺はあいつを無理矢理犯した。
事の発端は、あいつの見当外れのセリフだった。
俺が、ラビリンスに戻れ、って話をしてる最中に、止めを刺せだの死ぬだの物騒なことを喚きだしたから、
そのやかましい口を塞いでやろうと思ったんだ。
だいたい、せっかく生き返った命を粗末にするようなことを言うのが悪いんだ。馬鹿じゃないのかこの女は…
って、当時敵だった俺が思うことじゃないよな。馬鹿は俺のほうか。
そしてあのとき、俺は自分の心の奥深くに眠っていた感情に気づいてしまった。
悔しかった。あんな売り言葉に買い言葉のような形で知りたくはなかったからだ。
それに、気づいたときには手遅れだった。俺はあいつをめちゃくちゃにした。
今はぶっ潰れてしまった洋館に帰ってから、あのときのことを思い返し、俺はすっかりヘコんでしまった。
あいつはずっと泣いていた。戦闘でどんなに痛い思いをしても頑なに涙を見せなかったあいつが、だ。
まったく抵抗しなかったのは、きっと恐怖で体が動かなかったせいだろう。
キスに積極的に応じてきたり、今まで聞いたこともないようなあえぎ声を出していたのも、
強姦されたショックでおかしくなってしまったからだと思った。
あいつは終わったあとに俺の顔も見ずに立ち去った。
そのことで、俺はあいつに思いっ切り嫌われたと痛感した。こっちの世界の言葉でいうなら、「フラれた」んだ。
まあ元々あまり好かれてもいなかったがな…ははは。
そりゃそうだ、あんな自分の気持ちばかり押し付けて、力づくでモノにしようとするやつなんかこっちだって願い下げだ。
サウラーの奴も、俺の様子が変なことを感づいたようだ。呆れ顔で溜息をつく。
自分の馬鹿さかげんに打ちひしがれつつ、俺は一つの決意をする。
甘酸っぱい関係になることが無理だとしても、今まで一緒にやってきた『仲間』として、
あいつにはやっぱり戻ってきて欲しい。その気持ちだけは変わらないと。
だから、俺はそのあともあいつに呼びかけ続けた。「三人で」一緒に頑張ろう、とも言った。
しかしその呼びかけも無駄に終わった。あいつはとっととプリキュアの元へと帰ってしまう。
無力感に襲われながら思った。
あいつはもう完全に俺達の敵になったんだ、メビウス様のご命令どおりに始末しなければならない、と。
彼女を倒すことになんのためらいもなかった。倒せるはずだった。
でも、無理だった。
果敢に立ち向かってくるあいつの姿を見た途端、俺の口は勝手に「ラビリンスに戻れ」という言葉を発し、彼女の名前を叫び続ける。
仕方ない。あいつは俺の同僚で、一緒にやってきた『仲間』で、俺が心底惚れた女だ。倒せるはずがない。
埒の明かない怒鳴り合いの最中に、俺達が何故、廃棄物処理場に送り込まれたかを悟る。
そのとき俺の頭の中に真っ先に浮かんだものは。
三人の幹部の中で一番忠誠心が高く、なんでも一人で抱え込もうとしていた少女。
その彼女が、ゴミのように無惨に使い捨てられたときの姿だった。
俺の記憶が、クラインの手紙があいつに届いた、とサウラーに聞かされたときの事まで遡る。
あのときから俺の心の奥底にくすぶり、抑えつけていたモヤモヤの正体がはっきりと分かった。
それは、偉大なる総統に対して生まれて初めて俺が抱いた、疑念、不信感、反抗心だった。
あいつを助けなければ。彼女が助かるんなら俺はどうなってもいい。無我夢中であいつのそばに駆け寄った。
そして、俺は初めて彼女の優しい笑顔を見ることができた。
二人で笑い合えた。『仲間』として、俺のことを認めてくれたことがとにかく嬉しかった。
以前と変わらない緋い瞳を間近で見て、ああやっぱりこいつ可愛いな、こいつに俺の作ったドーナツ食わせてやりたいなと思って……
「…やと?どしたの?」
ふっと我に返ると、藍色の髪の少女がこちらを不思議そうに見ていた。
「あ…すまん、イース、ちょっと考え事…」
言いかけると、せつなは少し困った顔になり、口の前で人差し指を立てる。
「考え事してたんだ…せ、つな…」
そうだった。こっちに来ているときは、隼人、せつな、瞬の名前で呼び合おうと決めたんだった。
「考え事?なんだか難しい顔してたから」
ふふっ、と俺に笑顔を見せると、せつなは食材がたくさん並んでいる棚に目を戻す。
日曜日の昼下がり。俺とせつなは四ツ葉町のスーパーで買い物をしている。
せつなが、コロッケの作り方を教えてやると俺に言ってきたからだ。
ラビリンスの人達に、おいしい食べ物のことを知ってもらいたい、という話をしていた時に、
「それなら…」とせつなが言ってきた提案に俺は飛びついた。
あくまでラビリンスの国民のためだ。せつなが直々に教えてくれるからってわけじゃないぞ。
瞬の奴は、美希と待ち合わせて既にどこかに行っちまった。おそらく日が暮れるまで合流は出来ないだろう。
俺と瞬は今、ラビリンスと四ツ葉町を行ったり来たりの生活をしている。
ラビリンス復興の手始めに、こちらの世界の文化などを調査するためだ。
あくまで「調査」だ。遊びに来てるわけじゃないぞ。
四ツ葉町に滞在している間は、カオルちゃんの家に世話になっている。
むさい男二人が転がり込んできても、文句ひとつ言わずに迎えてくれるカオルちゃんはホントにいい人だ。ドーナツもうまいし。
「おかあさん!」
「あらぁ!せっちゃん、隼人君!」
「こんにちはっ!」
会計に行くと、ラブのお袋さんがレジの前に立っていた。
「…はもうあげたの?せっちゃん」
「や、やだっ!おかあさんたら」
「あらあら?ごめんなさいね」
せつなはお袋さんと楽しそうに話をする。その光景を見て、俺はちょっと複雑な気分になった。
スーパーを出ると、俺達は商店街の路地裏に移動する。人気の無いことを確認する。
「アカルン…ラビリンス○○地区、ウエスターの家に」
赤い光が俺達を包み込んだ。
光が消えると、そこはラビリンス本国で俺と瞬がねぐらにしている建物の前だった。
「やっぱり便利だな、それ…ホントに返しちまうのか?」
「うん…戦いはもう終わったから…近いうちにスウィーツ王国の祠に返すことになると思う」
それを聞いて、また俺は複雑な気持ちになる。
急ごしらえで備え付けたキッチンに立ち、二人はジャガイモの皮を剥いたり挽肉を炒めたりの作業をする。
カオルちゃんの家の台所を借りても良かったんだが、せつなが「新しいキッチンを使ってみたい」なんて言い出したから、
女っていうのはそういうもんかと思って俺達の家で料理することにしたんだ。
…それでね、ラブったらなんて言ったと思う?…おとうさんもおかあさんも大笑いしたのよ。わたしも笑っちゃった…
手を動かしながら、せつなは嬉しそうな顔で途切れることなく家族の話をする。
相槌を打ちながら、俺はだんだん居たたまれなくなってきて、とうとう口を開いた。
「おまえ…ホントにいいのか?ラビリンスに戻っても」
せつなは手を止め、首をかしげて言った。
「なに言ってるのよ…あんなにラビリンスに戻れ戻れって言ってたくせに」
「いや、その…あの頃は、おまえがそんなに家族や友達のことを大切に思ってるって知らなかったから」
年明けのダンス大会が終わったらすぐにでもラビリンスに戻る、と言っていたせつなに、
せめて二学年が終わる春まで四ツ葉町にいろ、と引き止めたのは俺だ。
ダンス大会で楽しそうに踊っているせつなを見ているうちに、俺の心に迷いが生じてきた。
せつなをここまで明るく、表情豊かにしてくれたのは、ラブや美希や祈里、ラブの両親や四ツ葉町の人々だ。
その四ツ葉町からせつなをあっさり引き離していいのかと、そのときから俺は悩み始める。
「…あのね、ウエスター」
丸めたコロッケの具に衣をつける作業に戻りながらせつなは語りだす。
「わたし、ラブの家にお世話になって、家族っていうものがどんなに素晴らしいか初めて知ったの。
美希やブッキー、学校の子達や商店街の人達との触れ合いっていうのも学んだわ。
今ラビリンスでそういうことを知ってるのはわたしだけでしょう?あなた達も少しは知ってると思うけど。
ラビリンスの人達に、わたしが学んだことを伝えることが出来るのって、素敵なことじゃない?」
「う…ん、まあ、それはそうだけど」
「それに……」
「ん?」
「う、ううん、なんでもない!…さ、衣がついたから揚げましょう」
せつなは揚げ油の中に次々とコロッケを入れていく。
じゅうじゅうと音を立てて、きつね色に揚がっていくコロッケを見ながら、俺はまた考える。
異世界を移動する方法はいくつかある。ただ、アカルン以上に便利な移動方法は他にない。
アカルンを返してしまったら、今までみたいに気軽に四ツ葉町に行くことはできなくなるだろう。
それに、本格的にラビリンスの復興活動に入ったら、やる事が多すぎて里帰りどころじゃなくなるに違いない。
せつなが戻ってきてくれるのは個人的には飛び上がるほど嬉しい。ずっと呼びかけてきた甲斐があった。
けれど、俺の我儘のせいで彼女が皆と滅多に会えなくなってしまっても良いのだろうか……
「あつ…っ!」
突然、せつなが菜箸を持っていた手を引っ込めた。
「どうしたイース!?」
コロッケを揚げていた油が大きく跳ね、袖をまくっていたせつなの腕にかかったようだ。
俺は慌てて火を止め、せつなの腕をシンクまで引っ張り、思い切り水を出した。
「あー、赤くなっちゃってるな。気をつけろよ」
「う…うん、ありがとう…」
二人はしばらくせつなの腕に水がかかるのを眺める。
華奢な白い腕。俺のでかい手がほんの少し力を入れただけでボキリと折れてしまいそうだ。
プリキュアの超人的な力を得ていたときですら、細くて頼りない体つきだと感じていたんだ。
ふっと、いままでしてきた酷いことを思い返し、申し訳ない気持ちになる。
「ごめんな…」
「えっ?どうしたの突然?」
「その…今まで、殴ったり蹴ったりして」
「ふふっ、お互い様でしょ?わたしだってあなたのこと踏んづけたりしたんだから」
「あ…そうだな、ははっ」
違う、俺が本当に謝りたいのはこんなことじゃない。
でもそのことに触れたりしたら、きっとせつなはものすごく嫌がるだろう。
現にこれまで彼女の口から「あのとき」のことは一切出ていない。
きっと、無かったことにしたいんだろう。『任務』だってあいつは嫌々引き受けていたんだ。
(『任務』のことは絶対に他人には言うなよ。誰かに知られて一番傷つくのは彼女だ)
戦いが終わって平穏な日常に戻ってから、瞬に念を押された。もちろんそんなことは俺だって分かっている。
『任務』に忠実だった銀色の髪の少女はもういない、せつなは俺達の『仲間』として戻ってきてくれたんだ……
「ウエスター、あの、もう、水が冷たい…」
「あっ、ああ、すまん…」
俺はせつなの腕を水から離した。細い腕が、すっかり冷え切ってしまっている。
白い腕の内側に、火傷の赤い痕がついている。
それを見たときに、脳裏をかすめたものは。
俺があいつの白い肌につけた、無数の赤紫色の痣──
「あ…っ」
せつなの口から、かすかな声が漏れた。
俺の唇が、無意識にせつなの腕の赤い痕に吸い付いていた。
ひんやりとした腕に舌を這わせながら、俺はせつなの顔をチラリと見る。
彼女は困惑した表情で、自分の腕が舐められているのに見入っている。
俺はせつなの腕から唇を離し、彼女の頬に右手を当てる。
小豆色の大きな瞳が、俺をまっすぐに見つめた。形の良い唇が薄く開く。
柔らかい頬のぬくもりが、俺の手に伝わってくる。指を動かし、小さな顔の輪郭を上下になぞる。
せつなは微動だにせず、俺の目をじっと見つづけ、そして、瞳を閉じた。
俺は引き付けられるようにせつなの顔に自分の顔を近づける。
唇と唇が、かすかに触れた、その時。
頭の中で少女の叫び声が響く。
──あんなことはもういや!──
駄目だ。
俺はギュッと目をつむり、唇をすっと横にずらす。
あ、危なかった…もう少しで我を忘れるところだった…
瞳の色が鈍い赤でよかった。以前のような鮮やかな緋色だったら、今頃もう押し倒してる。
互いの右頬をくっつけた状態で俺は言った。
「…作り方は大体覚えた。あとの分は俺がやっとくから、おまえはもう帰れ」
やっとの思いで顔を離すと、そこには無表情のせつながいた。心なしか、目が据わっているような…
あ、この表情、昔よくしてたなあなんて思い出してたら。
「ぐはっ!!」
俺の口から、カオルちゃんの口癖のような声が出た。
せつなが、両の拳で俺の胸倉を思い切り叩いたのだ。
それからせつなはくるりと俺に背を向け、さっさと帰り支度をしはじめた。
ま、まずい、調子に乗ってキスなんかするんじゃなかった、絶対怒ってる…
キッチンの自動ドアを開けると、
「…忘れないうちに、ちゃんとメモしておいてよ、作り方」
それだけ呟き、振り返りもせずにせつなは出て行った。
俺は大きく溜息をついて、力なくダイニングチェアに座る。と、テーブルの上に見慣れない紙の手提げ袋があった。
ハートマークがプリントされた、ピンク色の袋を覗くと、中にはリボンでくるまれた小さな箱が入っている。
(なんだろう…?あいつの忘れ物か?)
箱を開けると、なんだかうまそうなお菓子が行儀良く並んでいた。
せつながここに遊びに来るたびに、ラブのお袋さんがよくお菓子やらおかずやら持たせてくれるから、
俺はこれもいつものお土産なんだろうと思った。
こげ茶色の塊を一つつまんで口に入れた。甘くてほろ苦い味が口の中で広がる。
あんまりうまかったので、俺は瞬に内緒で全部食べてしまった。
後日、少し機嫌の直ってきたせつなに、
「あのチョコレート、すごくうまかったぞ、どこで買ったんだ?」
と聞いてみたら、彼女は顔を真っ赤にしてそっぽを向き、その質問には答えてくれなかった。