これは夏の気配が感じられる、或る春の日のこと。  
(なんだよアイツ、せっかく街で会ったっていうのに冷たいんだから…)  
甘井シローは夕暮れの街を、少し拗ねたような表情で足早に歩いていた。  
(なんだかんだ言っても、お互いに頼り合える仲になったと思ってたんだけどな)  
他の町への入り口に辿りついた時には、自然と顔がうつむいていた。  
 
 手紙を配っている途中、シロップは街角でちょうど車に乗り込もうとしている制服姿の春日野うららと、  
彼女のマネージャーである鷲尾を見掛けたのだった。  
「おーい、うらら!」  
シロップはそう言って小走りにうららに近づきながら笑顔になっていた。  
最近のうららに対するシローの笑顔を観たら、出会った頃との違いに驚かされるー  
この時期に水無月かれんが美々野くるみに宛てた手紙には、そんな記述があったものだ。  
 ところが、うららは頬に手を当てながら頷いただけで、何も言わない。  
 シローに応えたのはドアを開けようとしていた鷲尾だった。  
「やあ甘井君、仕事の途中かい?何時も御苦労さま」  
「こんにちは鷲尾さん。今日はこれから仕事なのか?」  
後段はうららの方に向きながら尋ねたのだが、やっぱりうららは何も答えない。  
鷲尾が少し困ったような顔で答えた。  
「いや別に仕事と言う訳ではなくてね…うーん、まあでもアイドルにとってはこれも仕事の一種なのかなあ、  
 いわばまあ商売道具という訳だし一応事務所を通してだし…。  
 まあうららちゃんの今後にも良いことだし…ちょっと痛いかもしれないけどね、甘井君実はこれから…」  
「鷲尾さん。言わないで下さい」  
ごくゆっくりと、短くうららがしゃべった。その無感情で厳しい口調にシローは驚いた。  
「そうだね、誰にも言わないって約束したんだった、ごめんようららちゃん。  
 おおっと、植物園広場まで行くから時間だね、じゃあまたね甘井君」  
鷲尾に連れられてうららは車に乗り、シローの方を向くこともなく去って行ってしまった。  
「な、何だよ一体…」  
 
うららの不可解な言動に少し憤るとともに、どこか寂しくもあったシローは、  
今日は早く仕事を済ませようと、ふしぎ図書館に手紙を届けに向かったのだった。  
そのために、シローは運がなかったと後にこの一件を聞いた美希やタルト達には評されることになるのだが…。  
 
「おーい、キャンディはいるかあ」  
「あっシローさん、キャンディはみゆきちゃんのところだよ」  
ふしぎ図書館には何やらパソコンをいじっているやよいしかいなかった。  
「しょうがない、ここの机に置いておくから渡しておいてくれよ」  
何時ものシローならみゆきの家まで届けに行くところだが、今日はなにせ調子が今一つだった。  
手紙を置いたシローは、何も考えずにぼんやりとやよいの傍に行き、一体何を見ているのか尋ねた。  
「特撮ファンの掲示板。特撮番組に出てる声優さんの情報を知りたくって、  
 ねえ日曜朝の…」  
目を輝かせて何やら勢い込んで話し出したやよいの長い話に圧倒されたシロップだが、  
ふと掲示板に書き込まれた文言に目をやった。  
「枕××?」  
聞き覚えのない言葉だ。何かの仕事だろうか。  
「あっ、××業っていうのはね」  
何時も他の仲間達にこういう話はしないせいか、やよいは随分熱を込めて説明していた。  
やよいから一通りの説明を受けたシローは、どうも先程のうららの様子が気になってきた。  
(アイドルにとって仕事の一種…商売道具…ちょっと痛い)  
うららの押し黙った様子が目に浮かんだ。  
アイドルもそういうことをするのか、と質問したシローの話を聞いたやよいは思わず  
「うららちゃんの××の危機!」などと言ってしまった。  
シローは次の瞬間には駆け出して、シロップに姿を変えていた。  
 
ちなみに。  
この一件を知ったあかねとなおがりんとかれんを尋ねて平謝りしたとか、  
夕凪で開かれた「第11回戦士・妖精合同委員会」の席上、  
えりかから「芸能界のこと、どれだけ知った上でそんなこと言ったのよ」と言われ、  
アコからも「いい歳して、ネット掲示板の妄想と事実も区別できないなんて信じられない」  
と言われてしまったやよいが涙目になったとか、  
そういう伝聞もあるにはあるのだが、それはまた別の話。  
 
鳥となって空に舞い上がったシロップは、日の暮れかかった街を懸命に跳び回っていた。  
まずうららの家とサンクルミエールの辺りは捜したが、空からではうららの乗った車と見分けのつかない車は多い。  
闇雲に探していたのでは日が暮れてしまうだろう、とシロップは思った。  
(一体どこに行ったロプ。行き先について何か…)  
空中で静止するように考え込んでいたシロップは、鷲尾の発言を思い出していた。  
(「そうだね、誰にも言わないって約束したんだった、ごめんようららちゃん。  
 おおっと、植物園広場まで行くから時間だね、じゃあまたね甘井君」)  
引っかかっていた物が見つかった。  
(「植物園広場まで」)  
 
広場から少し離れた通りに車は停められていた。中にはうららのカバンが置いてある。  
傍には、少し古ぼけた感じのビル。  
シローは1階に入ると、受付の女性にうららの行方を尋ねた。  
制服を来た女の子なら2階の、という返事を終りまで聞かずに階段を駆け上がると、  
扉の前のソファで鷲尾が書類を拡げながら居眠りしていた。  
こんな時に何をやってるんだ、と怒りたくもなるがそんな暇はなかった。  
白い扉の前に駆け寄って耳を澄ました。うららと中年の男の会話が聞こえてきた。  
「じゃあ始めるから開いてくれるかな」  
「こんなに明るいところで…何だか恥ずかしいです」  
「ハハ、アイドルのうららちゃんでもこんな恰好は慣れないのかな。  
 でももう撮らせてもらって、さっきから中の様子も大体見えてるんだよ」  
うららの少し恥ずかしそうな声に、シローまで気恥ずかしくなってしまう。  
「ふーん、普段から自分でちゃんとしてるの?ここがこんなになってるね」  
「いえ…実は何時もはそんなにはしてません。1日に1度の日も多くて」  
やっぱりうららは恥ずかしいことを言わされているし、これからさせられるのかもしれないとシローは思った。  
「そっか、確かに濃いめの赤っぽい色だね。どれどれ奥の方はと。  
 少し痛いでしょ」  
「はい」  
うららの震えた声を聞いているうちに、何故自分が興奮しているのだ、とシローは少し動揺した。  
「じゃあやっぱりまず痛くならないように、ちょっと塗ってからやるからね。  
 自分でもうちょっと開いてくれる?そうそう、そういう感じ。  
 はいじゃあこれ入れるからね、初めてだと少し痛いかもしれないね」  
「んん、い、いた…」  
思わず唾を呑んで固まっていたシローだったが、さすがにハッと気がついて、勢い良く扉を開き部屋に飛び込んだ。  
「やめろ、うららが痛がってるじゃないか」  
 
「もうシローったら…何考えてたんですか、私の方が恥ずかしかったじゃないですか」  
「な、何をって別に…すまなかった」  
後ろで手を組んだうららは赤面しながら少し怒ったような顔で、渋い顔をしてうららのカバンを持つシロップを問い詰めていた。  
二人は夜の人気の無い、住宅に囲まれた小さな通りを、うららの家に向かって歩いていた。  
鷲尾は大通りで二人を降ろし、シローにうららを家まで送るように頼むと、車で去って行った。  
これは二人で話をしておきなさいということだな、とうららは思っていたが、  
シローは今日の罰としてうららの重い荷物を持たされた上に叱られるのだ、と思っていた。  
「だって知らなかったんだ…うららが歯が痛くて歯の医者に行ってたなんて」  
納得できない様子だったシローも、さすがに途中からは申し訳なさと恥ずかしさの混ざった声で言った。  
大食いで知られるうららだが、最近多忙だったことも重なって歯の負担が大きく、虫歯が出来ていたのだという。  
「でもそれならそうと俺に言ってくれても良かっただろ?  
 俺はお前の役には立てないのかよ」  
「見せたくなかったんです、情けなくて。  
 だって私の笑顔は…みんなの物なんですから。早く治してから見せたかったんです、みんなに」  
「そうか。うららの笑顔は、みんなの物だもんな」  
他の仲間達がこの遣り取りを聞いたら、うららはそこは「みんなの」ではなく「あなたの」と言うところだし、  
シローも「みんな」の一人として納得して良いのだろうか、と苦笑したかもしれない。  
二人は立ち止まるとお互いを見合って、静かに微笑みあった。  
少し間があってから歩き出すと、うららが悪戯っぽい笑顔を浮かべてシローを見つめながら、口調を変えて言った。  
「私が仕事のためなら男の人と寝るような、そんないけないことする子に見えたの?シロー」  
「だ、だって恥ずかしそうなうららの声を聞いてると…」  
「ふーん。男の子ってああいうのに弱いんだ」  
「おい、そんなことは…」  
「だって、感じてたんでしょう」  
「そ、その…」  
バツの悪い顔をしてシローがそっぽを向いた次の瞬間、うららの唇がシローの唇に重なった。  
まただ。どうしてこう何時も、キスの時はうららから先にされてしまうんだろう。本当は自分から包み込んであげたいのに。  
どうももじもじしてしまう自分に嫌気が差したのもつかの間、シローは瞳を閉じて顔を寄せているうららを一瞥すると、彼女の髪と肩を撫でた。  
うららのカバンが道に落ちてしまったが、二人は気にせずにしばらく堅く抱き合っていた。  
か細い体を支えるシロップの目は優しかった。  
唇を離したうららの上気した顔に、シローはまたドキッとしてしまったが、それに気がついたうららは、またも悪戯っぽい顔で言った。  
「キスと同じように、私の初めてもシローにあげちゃおうかな」  
「○、○◆□×■※〒ー!」  
「演技ですよ、演技。シロー夕食はまだでしょう、今夜は家でカレーを食べて行って下さいね」  
駆け出して門の中に入っていったうららを、真っ赤な顔をしたシローは見つめていた。  
 

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