「美翔さん、良かったら今度の日曜日、一緒に映画でもどうかな」  
「え? あ……他の友達と予定あるんです、ゴメンなさい」  
「そう……じゃあ、また今度」  
「そうですね、みんなと一緒なら」  
「そ、そう」  
肩を落として、三年の先輩が美術室を出て行く。  
ドアが完全に閉じると、今までどこに隠れていたのか、美術部のみんながぞろぞろと現れた。  
「……あちゃー、また舞に告って撃沈だよ」  
「なんで断っちゃったの!? あの先輩三年生の間では人気なのに〜」  
「みんな……いたなら出てきてよ」  
「いや〜、せっかくの人の恋路を邪魔しちゃ、馬鹿に蹴られて死んじゃうかな?って思って」  
「あの、馬です。鹿は余計です」  
「いいな〜、舞って転校してきてから、結構人気あるよね!」  
「そうそう! 彼氏とか作らないの?」  
「私は、今はそういうのはいいから」  
「みんな知らないの? 舞には超〜〜〜カッコいいお兄さんがいるんだから!」  
「あ〜、それじゃあ、普通の男には目がいかないワケだ」  
「だから、そういうのじゃないってば〜!」  
「じゃあ、ホントに日曜に予定あるの?」  
「えっ……。あ、あ〜、大変! 水がなくなっちゃったから、替えに行かないと!」  
「逃げた……」  
「舞って、人気あるのに勿体無いよね〜」  
「でも、ホントに好きな人とかいないのかな?」  
カラ……  
「ふう……」  
逃げるように水道まで来て、バケツをの水を替える。  
「あ〜あ、戻りにくいなあ……」  
すぐに水は替えられたけど、しばらくそこで時間を潰す。  
正直、恋愛の話なんかをされると、すごく困る。  
「(みんないろいろ言うけど……)」  
私は……。  
私は、咲が好き。  
 
「うう〜……」  
「咲……どうしたの? 大丈夫?」  
「うん、大丈夫、元気元気……今日も全壊、絶好調なり〜……」  
咲が遊びに来てくれた金曜日。  
何故か咲は、途中から急に元気がなくなった。  
「咲……明日は、部活の練習試合でしょ? そんな調子で大丈夫?」  
「うん……明日には全快して、全開でいけるから、大丈夫……」  
「ぜんかいぜんかいって、ワケがわからないよ〜! 咲らしくないよ? どうしたの?」  
「ホントに大丈夫だから、平気平気っ! 明日は試合、がんばってくるから!」  
「あ、明日の試合、私、応援行くからね!」  
「え? だって舞は、明日は見送りに行かなくちゃダメじゃん! いいよ、ただの練習試合だもん!」  
「そんなこと言ったって、咲がそんな調子じゃ心配だよ」  
「いいの! じゃあ、今日はもう帰るねっ!」  
「あ、ちょっと……咲! 咲ってば!」  
 
咲は勢いよく扉を開けると、そのままダッシュで走っていった。  
気のせいか、目尻が光っていた気がする……。  
「どうしちゃったのかなあ……」  
もしかして、嫌われたりしてないよね?  
そんなことを心配しながら、夕食の準備にかかる。  
「はあ……気が乗らないよ」  
今日はホントなら、咲にもごはんを食べていってほしかった。  
今日はいつもより、うんとごちそう。  
何故なら、お兄ちゃんが……。  
「舞」  
「あ、お兄ちゃん」  
「なんだか、ちょっと変わった匂いがするけど」  
「えっ? あっ、あーっ! フライパン、フライパンっ!」  
「あはは、ゴメンね、舞一人に任せちゃって」  
「ううん、いいの! お兄ちゃんはしばらく、日本食なんて食べられないかもしれないんだから!」  
「あっちにも日本食くらいはあるよ」  
「でも、うちの味はないもん」  
「そうだね、期待してるよ」  
お兄ちゃんは、明日からしばらく、アメリカにある、研究室の見学に行けることになった。  
高校生では、日本から何人かしか選ばれないらしく、けっこうすごいことみたい。  
「なのになあ……」  
「ん? どうしたの?」  
「お父さんもお母さんも、今日くらい帰ってくればいいのに」  
「仕方ないよ、二人とも学会で忙しいんだから」  
「それはそうだけど……」  
「それに、あの二人から見たら、一週間や二週間海外に行くことくらい、大したことじゃないんだよ」  
「うん……それもそうだね! じゃあ、今までで一番おいしい料理作るから、もうちょっと待っててね」  
「ははっ、もうちょっと焦げてるのに?」  
「も〜、お兄ちゃん! いじわる言わないでよー!」  
「あはは、ごめんごめん」  
だから、ホントは明日はお兄ちゃんを見送りに行かないといけないんだけど……。  
でも、咲があんなに元気ないのはめずらしいよね。  
お兄ちゃんのことかな……?  
でも、伝えたときは驚いてたけど、うちに来るまでは元気だったのに……。  
どうしよう……明日、応援に行きたいなあ。  
「あー、もう! どうしよう?」  
「舞、また変わった匂いが……」  
「ああっ、ゴメン! ゴメンなさーいっ!」  
 
「舞、先にシャワー浴びさせてもらったよ」  
「うん、私はこれから浴びるから、お兄ちゃんはゆっくり休んで、明日に備えてね」  
「ありがとう、おやすみ」  
「はあ……」  
夕食後の食器洗いを済ませて、シャワーを浴びに浴室に入る。  
明日どうしよう……まだ、考えがまとまってないのに。  
 
サー……  
頭を洗いながら、時間の都合を考えてみる。  
お兄ちゃんの見送りが、空港に10時でしょ。  
それで、咲の試合が9時から。  
空港から学校まで、どんなに急いでも1時間半はかかる。  
試合は普通だったら、午前中には終わるよね。  
「あーん、全然間に合わないよ〜!」  
実はどう考えても、結果は同じ。  
さっきから、同じことを繰り返し考えてるだけだった。  
「はあ……」  
キュッ  
シャワーを浴びて、タオルで体を拭きながら、やっぱり同じことを考える。  
恋を取るか、家族を取るか……。  
ゴメンね、お兄ちゃん。舞は悪い子です……。  
部屋に戻っても、どっちを取ればいいのか決まらない。  
って言っても、お兄ちゃんはしばらくしたら帰ってくるんだし……。  
お父さんもお母さんも、今日も帰ってきてないし……そんなに大したことじゃないのかも。  
でも、試合を見に行ったら、咲に怒られちゃうかもしれないよね。  
それに、お兄ちゃんはこういう時、自分の友達には言ったりしないから、一人だろうし……。  
「むー! むー、むーむー!」  
ごろごろごろ  
さっきから、ベッドの上で何回転がったかわからない。  
そのくらい悩んでる。  
「いっそのこと、ウザイナーが空港を襲ってきて、お兄ちゃんの出発延期にならないかなあ」  
お兄ちゃんゴメンなさい。舞はやっぱり悪い子です。  
「舞」  
「うひゃいっ!?」  
「ま、舞?」  
「お、お兄ちゃん? ビックリした……」  
「ゴメンね、考え事してた?」  
「うん……別にいいの」  
……やっぱり、明日お兄ちゃんの見送りに行こう。  
咲のことも大事だけど、お兄ちゃんの顔を見たら、やっぱり放っておくなんてできないよ。  
「明日、何時ごろ家を出るの?」  
「うん、そのことなんだけど」  
「ん?」  
「明日は見送りには来なくていいよ」  
「なんで!?」  
「明日、咲ちゃんの試合があるんだよね? だったら、応援に行ってあげなくちゃ」  
「え、な、なんで知ってるの?」  
「さっき、玄関で話してたじゃない」  
「そうだっけ」  
「うん、そうだよ」  
お兄ちゃんは笑いながら言った。  
 
「でも、お兄ちゃんのことも大事だもん」  
「はは、舞は咲ちゃんが一番大事じゃない」  
「そ、そんなことないよ。お兄ちゃんも大事なの!」  
「ありがとう」  
「うん……」  
そこでちょっとお兄ちゃんは黙った。  
「……お兄ちゃん?」  
「……ああ、ごめん。でも、舞が咲ちゃんのこと大事だって言うのは、見てればわかるよ」  
「そ、そんなことないよ」  
思わず、声がうわずっちゃった。  
「お兄ちゃんのことだって好きだよ」  
「好き?」  
「うん」  
「そっか」  
「……どうしたの?」  
いつの間にか、お兄ちゃんは隣に座っていた。  
「俺も、舞のこと好きだよ」  
「うん、私も」  
「うん……」  
「お兄ちゃん?」  
そこまで言って、次の瞬間。  
私は自分の体が何かに包まれたことに、最初、気がつかなかった。  
「……え?」  
「舞、明日は見送りに来なくていい」  
私の肩を抱きしめる腕。  
目の前にある大きな胸板。  
「その代わりに、今夜一晩、一緒にいてほしいんだ」  
「お兄ちゃん……」  
なんでかはわからないけれど、頭の上にある、お兄ちゃんの顔を見ることができなかった。  
背中まで抱きしめられた私の体は、動かすことも、力を入れることもできない。  
「お兄ちゃん……? 寂しいから一人じゃ寝られない……とか? な、なんてことは……」  
「寂しいよ」  
お兄ちゃんは、更に私を強く抱きしめた。  
「舞と離れるのは」  
「…………」  
わかってる。  
今、お兄ちゃんはすごいことを私にしてる。  
だけど、それに抵抗する力が、私にはなかった。  
「だ、だって、お兄ちゃん人気あるよね……? 私の友達にも、お兄ちゃんのこと好きってコがいるよ」  
「舞だって人気あるんだろ? 学校が共学だから、ちょっと心配してるんだ」  
「そ、そんなことないよ……私より素敵なコはいっぱいいるもん」  
「俺は」  
お兄ちゃんの手が、私の後ろの髪を撫でる。  
「舞のことが好きなんだ」  
もう、ごまかしきれなかった。  
 
「だから、舞のことは一番見てる」  
「え?」  
「舞に好きな人がいるのもわかってる」  
「そ、そんなことないよ!」  
すごく緊張してたのに、そのことを言われたら、思わず顔を上げてしまった。  
「あ……」  
お兄ちゃんと目が合った。  
まっすぐ私を見るお兄ちゃんの目に、私は……。  
ドキドキした。  
「だけど、それは前途多難な恋だよ、舞」  
「お、お兄ちゃんだって……」  
私のこと好きじゃない。  
そう思ったけど、言えなかった。  
「できれば、俺よりいい男を連れてきてくれたら諦めついたんだけどなあ」  
お兄ちゃんは軽く笑う。  
「い、いないよ、そんな男の人」  
「ん?」  
「お兄ちゃんより素敵な男のコなんて、いないよ」  
「そっか」  
お兄ちゃんの手が私の顔に触れる。  
「俺たち、親不孝な兄妹かも」  
「そ、そんなこと……」  
「だから、明日は咲ちゃんの応援に行きなよ」  
「……うん」  
ゴメンなさいと言おうと思ったけど、声が出なかった。  
「でも、俺だって舞のこと好きだよ」  
「え……?」  
「舞のことを俺のものにしたいと思ってる」  
お兄ちゃんの顔が近づいた。  
その時、抵抗するどころか私は……。  
お兄ちゃんをまっすぐ見られなくて、目をつぶった。  
「ん……」  
「…………」  
私の初めてのキス。  
小さい頃、初めてのキスはお兄ちゃんがいいなって思ってた。  
その気持ちは大人になるにつれて隠していって、次第にどこかへいったと思ってた。  
なんだか、小さい頃に戻ったみたいで、ちょっぴり嬉しくて。  
涙が頬をつたった。  
「でも……」  
「え?」  
「でも……もう私達は、大人なんだよね」  
それはどういう意味で言ったのかは、自分でもわからない。  
大人になったから、お兄ちゃんとキスしてはいけないから。  
それとも、これからキス以上のことをすることを知ってしまっているから。  
わからないけど、私はお兄ちゃんを目の前にして、微笑んだ。  
 

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