「おぉ! なかなかいいグラウンドじゃん♪」  
 りんたちフットサル同好会の5人は授業が終わると、3年前に閉鎖された機  
械組立工場の前に急いでやってきた。錆びた金網の向こうには、かつて工場が  
福利厚生で整備したグラウンドが広がっている。至る所に草が伸びているが、  
練習するだけなら、それほど気にもならないだろう。りんたちは公園の片隅な  
どではなく、縦横無尽、伸び伸びと練習できるスペースを探していたのだ。  
「じゃ、さっそく行きますか!」  
 りんは先頭を切って、金網をひょいっと飛び越える。  
「あ、りん! でも、ここ部外者立入禁止だよ!」  
 キャプテンの香織がりんに注意した。  
「えー。でもここもう使ってないんでしょ? 別に大丈夫じゃない?」  
「だめだよ。ちゃんと許可をもらってからにしよう?」  
「そうだね。なんか流石にまずいんじゃないかな」  
 亜紀や絵里もキャプテンの意見に賛成だった。  
「そうかな。平気じゃない。あ――ほら、先客がいるみたい」  
 りんはグラウンドに残る無数の足跡を指さした。足跡は最近できたものらし  
く、砂はくっきりと靴底の模様を写し取っていた。  
「キャプテン〜。ほら、ほかの人もやってるんだよ。大丈夫大丈夫♪」  
「――ったく、しょうがないな。今日だけだよ。明日からはきちんと許可をも  
らおう」。香織は他のメンバーとともに破れた金網から工場跡へと入った。  
 
「こっちこっち! パスパス!!」  
「だめだよ。もっと右。あぁそうじゃないってば!」  
 いざ練習を始めると、みんながボールに集中していた。セットプレーやフ  
ォーメーションの確認など、普段の狭い練習場ではできない動きを何度も繰り  
返した。時間はあっというまに過ぎ、空はすでに赤くなっていた。  
「ふぅ。今日はこのぐらいにしよっか」  
 香織の前にメンバーが集まる。みな汗だくなのが、練習の充実さを物語って  
いた。学校と違って、練習後にシャワーを浴びたりできないのがネックだが、  
このグラウンド自体は十分に使える。ここでなら納得がいくまで練習が重ねら  
れるし、大会に出て、実績を積み、同好会から正式な運動部に昇格することも  
現実的な道筋として見えてくるかも知れない。  
――いいとこ見つけた。  
 りんは気持ちの高まりを覚えた。  
「じゃ、みんなお疲れさまでした」  
 香織が解散を告げると、亜紀たちは再び金網の破れ目から出て、それぞれの  
家路についた。キャプテンである香織も後片づけを終えて、立ち去ろうとした  
が、その背中をりんが呼び止めた。  
「ごめん。もうちょっとだけ練習に付き合ってもらえる?」  
 いつもは店番で忙しいりんが居残りを申し出るのは珍しいことだった。  
「今日はお店いいの?」  
「うん。今日はのぞみたちが引き受けてくれてるんだ」  
「そっか。じゃ、少しならいいよ」  
 辺りはだいぶ暗くなっていたが、二人は仕舞いかけたボールを取り出し、ま  
た練習を再開した。ところが再開して間もなく、グラウンドに妙な明かりが差  
し込んできた。さらにいくつものドッドッドッというバイクのエンジン音が続  
く。金網ががしゃがしゃと揺すられ、いくつもの人影が二人に近づいてきた。  
 
「ひゅ〜♪ なんだおいおい、先客だ。女が二匹いるぜ」  
 軽薄な口調にりんは思わず顔をしかめた。グラウンドにやってきたのは、ジ  
ャラジャラとアクセサリーを鳴らし、ジーンズを腰履きにしたヒップホップの  
匂いがプンプンする連中だった。  
「か、帰ろう、りん――」  
 香織は険しい表情でボールもそのまま、りんの手を取ると、早足で金網へと  
向かった。  
「あらら、帰っちゃうの〜?」  
 二人の前にでっぷりと太ったスキンヘッドの男が立ちはだかる。  
「通してください!」  
 キャプテンが強い声で言った。だが、スキンヘッドはにやにやと笑ったま  
ま、まるで動く素振りを見せない。  
「なぁ〜 お前ら、サッカーしてたの?」  
 ピアスだらけの長身の男がりんたちのボールを指先でくるくる回していた。  
「サッカーじゃない! フットサル!」  
 今度はりんが叫んだ。スキンヘッドを「どいてよ!」と押す。  
「サッカー? フットサル? どっちでもいいじゃんか。てか、ここ、お前ら  
勝手に使っていいのかよ?」  
「明日からちゃんと許可をもらいますからッ!」  
「明日ぁ? てことは不法侵入かぁ? いけないなぁ?」  
 突然、スキンヘッドが香織とりんの両手をつかんだ。  
「悪い子にはお仕置きしなくちゃねぇ――」  
 二人はあっというまに取り囲まれた。13人。りんはキャプテンを自分の背  
後に隠すと、人数を抑え、さっと身構えた。  
「おぉ? やろうってのか?」  
 男たちも身をかがめる。  
「くくく、お前ら、ボール遊び好きなんだろ? 俺たちもみんな二個ずつボー  
ル持ってるからよ、遊んでくれよ?」  
 しゅっと音を立て、正面からパンチが飛んできた。だが、りんに避けられな  
いスピードではない。りんは男の懐に飛び込むと、そのまま拳を突き上げ、顎  
を打ち抜いた。男は口から血を飛ばしながら大きく仰け反った。  
「ガキが!」  
 背後から羽交い締めにされると、そのまま一本背追いの要領で投げ飛ばす。  
地面にたたき付けられ、がら空きになった鳩尾に遠慮なく踵を叩き込む。  
 右サイドから襲いかかってきた鉄パイプはウィービングで交わし、その反動  
を利用して、回し蹴りで撃退した。華奢そうな女の子に、あっというまに3人  
が倒され、男たちの血相が変わった。  
 
「ふん。何人きても同じだよ!」  
 りんは両手の埃を払いながら、自信満々に言い放った。だが、内心では「頼  
むから、これで帰ってくれ」と祈っていた。いくら運動神経抜群とはいえ、残  
る10人に一斉に掛かってこられたのでは、応酬できる自信はない――りんの  
言葉は虚勢だった。  
「チッ――」。ピアスの男が唾を吐き、「いくぞ」と仲間を顎で促す。地面で  
うめく3人も仲間たちに抱きかかえられて移動を始めた。  
――助かった。  
 香織はずっと震えっぱなしだ。やはり、もうこれ以上は限界だったのだ。  
「クソが、ホラよ。ボールだ。覚えとけよ」  
 ピアスの男がボールを高々と宙に放る。宵闇に消えかかったボールの行方を  
りんは思わず目で追った。だが、次の瞬間――。  
「なぁんてな――」  
 一瞬にして間合いを詰めたピアス男の拳が、りんの腹部に深くめり込んでい  
た。  
「げぼッ――」  
 かっと目を見開いたりんの体はくの字に折れ曲がっていた。膝ががっくりと  
崩れた。呼吸が奪われ、意識が薄れていく。目の焦点が合わない。  
――ここで、倒れたら、絶対、やばいよ  
 りんは気力を振り絞って立ち上がろうとしたが、その後頭部をスキンヘッド  
の飛び蹴りが刈り取った。  
「あ、が……」  
 りんはそのまま白目を剥いて、失神した。  
 
 体のあちこちがずきずきする――りんは苦痛で目を覚ました。辺りは暗い。  
――ここはどこ?  
 立ち上がろうとしたが、手足はロープできつく縛り上げられていた。這うよ  
うにしながら周囲を見回す。剥き出しのコンクリートと乱雑に置かれた無数の  
機械類――どうやら、グラウンドから工場内へと連れ込まれてしまったらし  
い。男たちが何の目的で自分を拉致したか、想像するだけで、怖くなった。  
「遊んでくれよ?」――連中の言葉が蘇り、りんは身を強張らせた。  
――早く逃げなくちゃ。  
 りんは焦った。必死になってロープを解きに掛かる。しかし、その時、辺り  
を切り裂くような鋭い悲鳴が工場内に響き渡った。  
「キャプテン?!」  
 りんの呼び掛けに応じたのはスキンヘッドだった。  
「目、覚ましたかよ。今、ちょうどいいところだぜ」  
 スキンヘッドは髪の毛をわしづかみにし、りんを仲間の元へ連れて行く。そ  
こでは男たちが輪になっていた。その中央にはユニフォームを無惨に引き裂か  
れた半裸姿の香織が床の上に大の字に抑えつけられていた。  
「りんッ!」  
「キャプテンッ!」  
 香織はりんの姿に泣きながら叫んだ。  
「ひひ涙の再会ってか。待ってろよ、今もっといい声で泣かせてやるからな」  
 顔中にニキビ跡が残る男が、香織を見下ろしながらズボンを降ろす。  
「しっかり手足抑えてろよ。一気にぶち込んでやるから――」  
 声にならない甲高い悲鳴を上げる香織の上に男は覆い被さっていく。男はも  
ぞもぞと腰を動かし、じっくりと狙いを定めた。  
「一生忘れられないようにしてやるからな――」  
 みるみるうちに香織の顔が涙でぐしゃぐしゃになった。  
「や、やめろぉッ!!!」  
 りんはスキンヘッドの手を逃れ、必死で香織の元へ這い寄った。  
――あたしのせいだ。あたしが勝手にグラウンドに入って、しかもわがまま言  
って練習に付き合わせたから――あたしの、あたしのせいで―――。  
「なんだこら。どけよ」  
 ニキビ跡は、りんを足で小突く。  
「………なら………を……………れ………」  
「あぁ? 聞こえねぇぞ?」  
 りんの口元にわざとらしく耳が寄せられる。りんはぎゅっと唇を噛みしめた  
後、大きく息を吸い込むと、つんざくような大声で叫んだ。  
「やるなら、あたしをやれぇぇぇぇッ――!!!!」  
 男たちの目がぎゅぅっと細くなる。  
「――美しい友情ってか。いいだろう。13人きっちり相手してもらうかな」  
 凄みの効いた声に、りんは無言のまま、ごくりと唾を飲み込んだ。  
 

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