花が咲いていた。  
 
                  温室の  
 
             つくられたへやのなかに はなが  
 
 
 
 ブラド・キルステンが温室に咲き誇る白い花々に水を遣っていたとき、シャ、  
という独特の機械音を立てて開いたドアから、その女性は入って来た。  
 
 「ブラド、ラボの者たちが呼んでいるわ。『検査』の時間よ。」  
 白いスーツに、青々とした髪。眼には特に感情というものが込められず、ただ、  
ソニアはブラドに呼び掛けた。  
 
 「――ああ、そうか。もう、そんな時間なんだね。有難う、『ソニア』」  
 「いいえ。私も今、済んだところだから」  
 
 そう言うと、彼女は咲く花々に目さえくれずに踵を返した。ブラドは手にしてい  
た如雨露(じょうろ)を手に、力無くその背を見て笑った。  
 
 青い髪の毛が、彼女の動きに合わせてゆらゆら揺れていた。  
 
 
 「――薬の量が、増えるんですか?」  
 
 はい。と、ベッドの傍らに佇む研究者が、幾分申し訳無さそうにしてそれに答えた。  
脳波の安定を見、漸くブラドの手足を縛めていた拘束を外す。  
 
 「……『抑圧』が、強くなっているようですので、薬の投与で安定を……」  
 一体今度は、嘔吐や減食ということの他に、どういった副作用が出るのだろうと  
いうことが頭を霞めた。だがそれ以上に、薬が増えるという意味するものに思考  
がいった。  
 
 「――今日は一体何人、『僕』はあなたたちを殺したんですか――?」  
 研究者は顔を伏せた。ひそりと告げられた数に、ブラドはきゅっと、纏ったシーツ  
を握り締めた。  
 
 「――あと、今までの部屋も移動となりますが――宜しいですね?」  
 
 研究者の言葉に、ブラドはただ頷くしかなかった。  
 
 
 温室の花々は、変わらず白い花弁を揺らしていた。緑色の葉が、黄色い電灯の明  
かりを受けて、青くゆらゆら照っていた。  
 ブラド、と掛かった声に頭を上げる。ソニアだった。  
 
 「どうしたの? 駄目じゃない。確かもう、眠る時間の筈よ?」  
 「――君は、どうしてここに?」  
 「私は目が利くから昼よりも、夜の方が外に出ることが多いのよ。今は任務を終  
えて帰ったら、研究者があなたを探していたのに会って――どうしたの?」  
 
 なんでもないよ。とブラドは告げた。ソニアは軽く首を傾げる。  
 「でも、良かったね。安定しているみたいで。そのうち、昼も夜も起きていても、  
平気になるね」  
 「――アンドロイドだもの。それを言うなら、今までだって昼夜は無かったわ。  
安定期までずっと寝ていたもの。睡眠が必要なのは、純粋な『生物』だけだわ。ね  
え、だからブラド、眠らなくちゃ」  
 
 僕は。と、乾いた唇をブラドは微かに戦慄かせた。如雨露から水が、僅かに零れた。  
 
 「――僕は、一体いつ、寝てるんだろうね、ソニア――」  
 
 え? と、問い返したソニアに、再度ブラドは「何でもないよ」と答えて返した。  
 
 「何でもないよ。おやすみ、ソニア」  
 
 
 意識の奥底で、無駄だと誰からがせせら嗤う。閉じ込めたところで無駄だと嗤う。  
知らぬ力で、壁を抜き、尖った爪で、辺りのものを傷つける。壊してやるよとせせ  
ら嗤う。  
 
 男は自分の永遠の拘束を、孤独を差して嗤う。今まで自分を封じていた罰だと嗤う。  
耳障りな、金属音にも似たがなりが響く。声を上げる。涙を流す。  
 
 朝起きると、シーツと自分の手は、真紅の色に染まっていた。  
 
 そしてブラドは、さらに薬の量と部屋の警備が厚くなった。  
 
 
 「――ブラドは、ここが本当に好きね。花が好きなの? それとも、温室が好き  
なの?」  
 
 ソニアの言葉に、ブラドは花から顔を上げた。剪定用の鋏を、側に立てかけた椅  
子に置く。  
 「――花が好きなんだ。温室は――外に出られないし、色々、育てられるから。  
それだけだよ。――また、『検査』の呼び掛け?」  
 
 そう。とソニアはブラドの言葉に軽く頷く。何だか、そういう役目になったよう  
ねと、僅かに苦笑した。つられてブラドも苦笑を返す。他の研究者や能力の低いサ  
イキッカー達から、恐らく自分は恐れられているのだろう、と思いながら。  
 
 「どうしてブラドは、花が好きなの?」  
 「え?」  
 言われてやや、戸惑った。美しいから、好きだと思うのだが、もう少し何かある  
気がした。暫く考えて、ぽつりとそれを言葉に出した。  
 
 「多分……優しいからだと思う」  
 「何故?」  
 「分からないけれど……。喋らないから、かな。よく分からないや。ゴメン。好  
きなのに」  
 じっと見つめるソニアにそう言って詫びると、いいのよ。とふわりとソニアは笑  
みを返した。  
 「よく分からないけれど、好きって、分かるもの。なんとなく」  
 
 
 「――キルステイン、さん――」  
 朦朧とした意識の中で、覚醒を呼びかける研究者の声。ふいにぼろり、と涙が零  
れた。拘束されたままの手を動かそうとするが、全くそれは意を封じ、自分の動き  
を封じ込める。ぱくぱくと、地上に上げられた魚のように唇を動かすブラドに、何  
ですか? と研究者は耳を近づける。  
 
   
 ――「オレ」はいつまで、束縛され続ければイイんだ? ええ?――  
 
 
 シャ! という音を立てて温室のドアが開いた。ブラド! と入った女が声を上げる。  
 
 「――よぉ、ソニア。お元気そうじゃねぇか。今日は何人『ヤって』来たんだ?」  
 「――黙りなさい。これは任務よ。それに私はお前に話し掛けているのではなく、  
『ブラド』に話し掛けているの。お前は素直に眠っていなさい」  
 
 素直ねぇ、とけたたましく男は笑う。何が可笑しいの! と声を荒げる。  
 「いやァ、ヨォ……。こんな状態でこいつ、起られるかなってな――。目を、覚  
ましたくないって思うぜ? このまま、眠っていたいってよォ……」  
 「黙りなさい! さぁ、そこから出なさい。ここはブラドが……」  
 
 「大切にしている温室、だろ? 知ってるさ。『夢』でよくよく見ているからな。  
ったく、ちまちまちまちま、こんな如雨露なんぞで水をやってよォ……。  
 こぉすりゃあ、いいだけの話じゃあねェか!」  
 
 ぎゅっと、側にあったバルブをブラドは捻った。途端、温室天井に備え付けられ  
たスプリンクラーから紅い雨が花たちへと一斉に降り注ぎ、花弁を紅く紅く染めて  
行く。水音と共に、けたたましい笑い声が重なる。  
 
 「――ブラドォ!!!」  
 怒りの声と共に視界を拭う。伸ばした手により電撃を放つ。激しいスパークを立  
てながら辺りの花々は散り焦げる。  
 
 「ああ、所詮は温室育ちだなァ。てめぇの言ったことを、てめぇで破ってやがらァ……」  
 
 後ろから唐突に響いた声に、はっと背を向けようとしたところで、首を掴まれ宙  
吊りにされた。ぎりぎりと、締め付けられ、そのまま手は離されずに、背を温室の  
ガラス壁へと押し付けられる。  
 
 「あいつはヨォ、そりゃあ『ここ』の花が好きだった。ああ、好きだった。  
好きだったさ。だから、壊してやらなきゃ気が済まねぇ――」  
 言い、手を放した。しかし重力に従い崩れ落ちることは許されず、その力によっ  
てソニアは両手両足を縛められたまま、宙へと浮かんだ。  
 
 「分かるか、壊すって。文字通りの意味でとんなよ? 壊すって、アイツの想い  
ってェことさ――」  
 つ、と。尖った爪がソニアの胸をそっとなぞった。何を、と瞠目するソニアに構  
わず、ブラドはスーツをぴっと破った。白い、破られたスーツの隙間から、紅に染  
まらぬ肌が顔出す。  
 
 顎を掴み、強引に唇を寄せ、舌を絡める。くぐもった声の後、僅かにブラドが眉  
を寄せて身を引いた。唇に、血が流れる。  
 「――まぁ、予想してたけどよォー」  
 
 指で流れたそれを拭い取ると、どしりとソニアは地面に落ち、『力』でもって縛  
められた。その上に、影を落として圧し掛かる。  
 「――それでも、壊すためにやぁ、必要だからナ――」  
 
 露出した肌に立った蕾を、じとりとブラドは舌で嬲った。『力』の篭もった爪で  
もって衣を切り裂き、無遠慮に触れて行く。腹を、大腿部を、丸みのある尻を、秘  
部を触れ、その度に押し殺すような呻きが洩れた。それに逐一からかいの言葉を、  
嘲りの言葉を掛けて一層嬲りを増して行く。  
 
 「あぁ、どうしてこぉいう機能まで付いているんだろうねぇ。エェ? 一人前に  
返してきやがる。乳もやたらと大きくしやがって。お前は何のためのロボットだ?  
 意外にヨォ、毎夜毎夜、あのケツの青い総帥やらメガネやらの慰みモノにでもなっ  
てんじゃねぇかァ? ええ?」  
 
 「――ち、違う。キース様は、そんなんじゃ……私はッツ!」  
 ばしり、と頬を殴打する音が響いた。黙りやがれ! と一喝する。  
 
 「あーあ。血で濡れてやがる。折角の美貌も台無しだ。いや、ヌクための人形にゃ、  
寧ろそれがお似合いってか? ヒャハハハ!」  
 
 唐突に強引に足を開かれ、切り裂かれながらも僅かに覆っていた布を取り捨て、  
そのままの姿勢で縛められた。ブラドはそれを眺めながら、ゆっくりと己の下部を  
解いて行く。  
 桃に彩られたそこを、指で、舌で嬲りながら、端々に掛ける言葉によって、精神  
までも苛んだ。  
 精液ではない、ただ、身体が傷を負ったときに保護として表面を覆うオイルが潤  
滑油代わりに差し入れられた身体を受け入れる。眉を顰める、唇を、噛締める。  
 
 「――強情だな。泣いたり、しねぇんだなァ。え、小娘でも、そこはプロですってか?  
 ヒャハハ!」  
 
 「――センサーが汚されない以上、『涙』は出ないのよ――」  
 ぴたりと、動きが止まった。ブラドは凍りついたかのように、何やら今にも泣き  
出しそうな表情で、繋がったままのソニアを見つめると。やがて顔を伏せ、一層激  
しく貫いた。そこでなんとなく、『彼』が何をしたいのか、ソニアは分かった。  
 
 恐らく彼はソニアを介し、自分自身を傷つけたいのだ。壊したいのは、ソニアで  
はない。ソニアは、壊すための手段でしかない。復讐をしているようだと、研究者  
からブラドの人格について耳にしたことがある。彼のやり方はひたすら自身を追い  
詰める。自分自身への復讐なのだと。  
 
 肉壁の音さえも響くほどに楔が打ちつけられる中、何故自分が選ばれたのだろう  
と、漠然とソニアはそんなことを考えていた。  
 
 
 ――分からないけれど……。喋らないから、かな。よく分からないや。ゴメン。  
好きなのに――  
 
 
 ふいに甦ったブラドの声に、ソニアは涙零れぬ眼を閉じた。  
 
 
 研究者たちが、呼びかける声がする。ゆっくりと目を開くと、幾つものコードが  
繋がれている自分自身が目に入った。窓の外では、不安げに自分を見詰める白衣の人々。  
 やがて拘束が解かれ、厚いドアがシュと音を立て、ひとりの人物が入って来た。  
 
 「ソニア、無事だったか」  
 「はい。――申し訳ありません。ブラドを逃しました」  
 「ああ、聞いている。――だがひとまずは、君が無事で良かった。とにかく、今  
は休みたまえ、指令は落ち着いてのち、出すこととする」  
 
 分かりましたと頭を垂れると、ノア総帥――キース・エヴァンスは踵を返して出て行った。  
 
 検査が済み、ソニアは荒れ果てた温室へと足を運んだ。  
 咲く花も、つくられた軒も、もうそこには見られなかった。  
 
 
 「見えないこころに、ひととは想いを寄せるものね……」  
 
 
 
             花が咲いていた。  
 
               温室の  
 
          つくられたへやのなかに はなが  
 
               <END>  
 

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