【サイプラ 緑×水】  
 
 
 唇に柔らかいものが触れる。僕はその正体を知っていて、目を開けながらすこし、笑った。  
「眠り姫みたいよ、緑君」  
 水の森ちゃんがしゃべるたびに、近さのせいで何度も何度も唇同士がかすめて感触を残す。  
じゃれあようなフレンチキスに、眠り姫の意味を考える間もなく、僕はまた目をつぶった。  
 
=  
 
 見えない砂時計を回転させ続けて、いつのまにか僕はそれを壊してしまったらしい。道す  
がら、ショーウインドウの鏡のような部分に自分をうつしてみると、黒髪の男の子が伏目が  
ちに目の前にいた。髪を直すと、目の前の男の子も同じことをする。時間稼ぎだった。  
「――ごめん!遅くなって」  
 待ち合わせ場所に先に来ていた水の森ちゃんは、見透かすように顔を上げて僕を見る。  
「緑君……最近忙しい?」  
首をかしげながら問う彼女の声は、降り始めた雪に凍えていた。あ、やばい、なんて右のほ  
うの脳が囁く。  
 それでも僕は昔したようにあわてて謝罪しながらも、それが本心からなのかご機嫌取りな  
のかわからなくなっている。ご機嫌取り?  
 そうだ、僕は水の森ちゃんを怒らせたくない。  
「初詣、無理だったなら言ってくれてよかったのよ」  
「ううん、前からの約束だったし」  
 水の森ちゃんとくっついて、周りをちょっと見てから手をつないで歩き始めた。  
「時間あるけど、どこか寄る?おなかすいてない?」  
「少し食べてきたから。うーん……どこかで二人きりになれないかしら」  
 
 二人きり、と聞いて刹那言葉が止まる。ようやく出した声はわれながら空々しかった。  
「来る間、ずっと人ばっかりだったよ」  
 彼女は目を細めた。  
「知ってる。ただ、一緒に悩んでほしかったのよ」  
 それから急にブーツの方向を変えて、人の流れを横切ってどんどん歩く。一心不乱と  
いうよりはもはや何も心にないのかもしれない。それくらい勢いがあった。それでもう、  
なんだか気づいてしまった。引き際に似た壊れた音。大事に二人の間においていたはず  
なのに、砂時計のガラスはヒビが入って、大切なものがこぼれている。  
 僕はのろのろ後を追い人とぶつかりそうになりながら、つないだ手だけはどうしても  
離せなかった。  
 神社のまわりにあった、露店の明かりが遠くなる。人の姿が減り、広い駐車場のむこ  
うにあった、公園に入る。雪が薄く積もっていた。  
「水の森ちゃん」  
 立ち止まって、何をいえばいいのかわからず、結局名前を呼ぶしかできない。  
 強くきっぱりと彼女が言った。  
「緑君、私が君を認めた時のことちゃんと覚えてる?」  
 忘れるわけがない。自分に勝った人間と付き合う、  
 そのぶっ飛びようと、潔さが、どれだけ僕に眩しかったか。  
「君が勝ったのなら、終わらせるときは君からがスジでしょう」  
「……なんのこと」  
僕はとぼけた。そんな足掻きを彼女はきっぱり切り捨てる。  
「私に物を動かす力はないけれど、好きな人の心変わりを、見抜けないわけじゃない」  
「心……そんなことない」  
「だったら私を避けるのはなぜ?」  
 
 口はひとつしかなく、表情もがんばっても喜怒哀楽4パターンのバリエーションしかない。  
あまりに少ない。超能力が使えなくなってからの、水の森ちゃんに対するなんとなくの不安  
とか、臆病な自分への呆れだとか、それがどうしようもないくらい大きくなったこととか、  
しまいには僕は水の森ちゃんを信じてないのかなんて疑心暗鬼になって、自分の影に飲み込  
まれそうな気分に一人で勝手におちてしまって。ずいぶん女々しくて、鋭い彼女に一端たり  
とも悟られたくない気持ちが溢れすぎて多くて、それらをすべて表しきるには、口も表情も  
足りなさ過ぎる。  
 好きの量が多すぎて僕の心からこぼれてしまう。  
 吐く息は白い。  
「怖かったんだよ。水の森ちゃんが好きすぎて、何かしようとしても怖かったんだ」  
付き合っている間にキスをした。胸に触ったこともある。でもセックスはできなかった。  
僕と水の森ちゃんの境界線がわからなくなったら、劣情程度の言葉じゃ済ませない思いが  
彼女に伝わってしまう気がする。それって、ホラーだ。会えば会うほどもてあます。  
 恋人ができたらどこまでプラトニックで済ませられるのだろう。  
 好きになったら、どこまで欲望に染まらずにいられるんだろう。  
 
 ……手をつないだままなのに、改めて苦笑して、じっとしたまま僕のとりとめのない  
言葉を聞いてくれている水の森ちゃんを抱きしめた。  
 くっついた肌が冷たい。  
 ホッとしていいのかしらと呟く水の森ちゃんにうなずくと、次の彼女の台詞に目が点に  
なった。  
 
「緑君、しましょう」  
え。  
「な……」  
「ああ、雪は冷たいわね。でも立ちながらでもできるでしょう。人も初詣のほうに行ってる  
から平気よ」  
「そうじゃなくて、その、なん」  
「生物なら性欲ぐらいあるでしょう」  
 あっさり言う。女の子としていいのだろうか、とセクハラになりそうなことを一瞬考える。  
「僕はいいけど、でも水の森ちゃんは…」  
「私に全部言わせる気なの?」  
僕は黙った。  
 
 水の森ちゃんの手が、僕のジャケットの金具を下ろすために動く。服越しになでられる感触は  
愛撫といえないほど弱かったけれど、目の前の女の子の手だと思うだけで愛しさがこみ上げた。  
本当に、僕は余裕派じゃない。  
 防寒具の意味も忘れて彼女のコートの止め具をはずし、僕は力いっぱい抱きしめる。ずっと、  
細い体が壊れる気がして遠慮し続けていたけれど、腕の中の体は崩れることもなくしっかりして  
いた。胸がつぶれて苦しいのか、彼女の浅く吐いた息が耳を暖める。  
「ごめん、水の森ちゃん」  
軽い笑い声。  
「面白かったかな」  
「ううん。今ね、ずっと耳をあててたから、声がのどを通ってく音が聞こえたのよ。ふふ、なん  
でかすごく嬉しいわ」  
 口に出す直前の音、そんなものがあるんだ。僕は楽しそうな声を聞きながら感心していた。  
 つ、と手の感触が下へおりていって、僕のジーンズの真ん中に到着する。コンマ何秒か、  
「好きな人が生きててくれるって、すごく嬉しいのね」  
思わず口ごもる。少しだけ彼女の光の届いてない部分を見た気がした。まだこんなに知らないと  
ころがある。  
 ……あとから、あるいはいつか。絶対その時になってつらくなるのに、また同じことを考える。  
駄目だなぁ、離れたくないな。この好きな人から。  
 僕は自分の手袋を口で抜く。水の森ちゃんにその冷えた指をくわえてもらって、首を動かして  
肌の露出している部分に舌を這わす。耳たぶにたどり着くと、のけぞるのがわかった。弱いのか  
もしれない。歯を立てて、甘く噛む。  
「んっ…!」  
預けていた指先に痛みが走る。  
「あっ…ごめ」  
はっとしたように誤る声は、こもって聞こえる。それから、生ぬるく柔らかいものがそっと指に  
絡まってきた。口からはずすとき細く糸が垂れる。  
 指が温まると短いスカートの中に差し入れる。狭い空間は意外に暖かい。タイツをたどって、  
見つける。  
「あ、」  
 
 そこはしっとり水気を含んで、突つくとどんどん奥からあふれてくる。  
 頭が熱くなってきた。水の森ちゃんが逃げるように顔を方に押しつけてくる。  
「…ゃ……耳だけなのに…」  
 水の森ちゃんは顔をあげてくれない。僕はそのままタイツをずらして、下着らしい  
ゴムのところを越える。へその下、見るもかなわない肌はすべすべしている。それからその先。  
「…っあ…ん、…ふぅっ…」  
 指でなぞるたびに、水の森ちゃんは声を抑える。というかその声は反則すぎる……。  
「水の森ちゃん、ごめんもう」  
 遠くても人の声が聞こえるたびに心臓が跳ねた。  
 風の音がするたびに怖いようなでも興奮するような。これ以上は耐えられない。  
「……いい、のよ。緑君……だから」  
 喘ぐ姿は苦しそうで、それでも声を出そうとする姿にどきっとする。  
 熱はすっかり膨張していっぱいになって、もう雪でも消えない。  
「好きだよ」  
彼女が笑う気配がした。多分、初めて会った時のように微笑んでいるんだろう。  
 僕はジーンズのジッパーを下ろして、自分のものを寒い外にとりだす。  
 芯から凍えるような冷たさはすぐに消えて、今度はとても暖かくなった。  
 
=  
 
 神社のほうで太鼓をたたく音がした。新年の合図だ。  
「……カウントダウンするの忘れたわ」  
 水の森ちゃんはコンビニまで歩いて、ダウンした。  
 
 ほとんどのベンチが埋まっていて、早速カップ酒をあけて酒盛りしている集団もいる。  
 端の方、一つだけ空いているところに水の森ちゃんを座らせた。  
「なんかあったかいの買ってくるよ」  
「じゃあちょっとだけ」  
 ジャンパーの前が開いているので、たやすくつかまれてしまった。  
 
 向き合って、改めてあけましておめでとう。  
「今年もよろしく」  
「これからもよろしく」  
 
 どちらがどっちを言ったかは内緒だ。  
 レジを済ませていると、ベンチに座る水の森ちゃんの頭がふらふらしているのが  
見えた。それなり体力使ったし、寝てしまうかもしれない。  
 そしたらそれはそれで、いつかされた眠り姫の仕返しをしてやろう。  
 相手がいなければ朝も来ないなんて、僕だけというのはちょっと悔しいし。  
 それから自動ドアが開くのももどかしく、彼女に向かった。  
 まっすぐ、よそ見もせず。  
 
 
=  
了  
 

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