「…ねぇ、マリー」
「な、なぁに!?フーちゃん」
「このシチュー、なぁんか苦くない?」
「…そ、それは。」
何のことはない。
行為に没頭してしまったせいで、弱火で煮込んでいたシチューを焦がしてしまったのだ。
直後に気付いて、シャオを突き飛ばしてまで鍋に駆け寄ったが既に遅く。
後に残ったのは、焦げ付いたシチューと傷付いた表情をしたシャオだけだった。
無論、そんな事実をフレデリカに伝えられる訳もなく。
「うっかりしていて焦がしてしまった」という、
非常に苦しい言い訳をする羽目になってしまっていた。
「…マリーにしちゃ珍しいな、なぁフレデリカ?」
何となく原因を察したらしいカイルがフォローを入れるも、
フレデリカは、目を皿のようにして手厳しい視線をマリーへと送っていた。
「…ま、別にいいんだけどね」
「ご、ごめんね…。フーちゃん…」
「怒ってなんかないわよ。失敗くらい、誰だってするでしょ」
「…うぅ、ごめんなさぁい…」
その口調が明らかに「怒ってなんかある」ものだった為、
マリーはひたすら、フレデリカに謝ることしか出来ずにいた。
「…いいわ。その代わり、次の休みにはまた作り直して貰うから」
「う、うん!分かった!」
あっさりと折れたフレデリカに、マリーは驚きつつも喜んだ表情を見せる。
「そうね…、今度はクリームシチューがいいわ。当然、グリンピースは抜きよ」
「うん、うん…!」
「それと、その時は私も手伝ってあげるから」
「………」
「………」
「………」
ヴァンを除き、全員の手が止まった。
しかしフレデリカは、そんな視線をものともせず。
テーブルに肘をつき、組んだ指の上に細い顎を乗せると。
含みのある笑みを浮かべ、シャオを見据えていた。
「…いいわよね、シャオ?」
「…………ああ」
ここで「何の話だ」とでもはぐらかそうものならば。
どんな仕打ちを受けるか分かったものではない。
シャオは、フレデリカの提示した条件を呑まざるを得なかった。
フレデリカに、マリーを手伝うつもりなどは更々無い。
ただ、シャオを遠ざけられればそれで充分なのだ。
良家の出身だけあり、優美ともいえる笑みを浮かべるフレデリカ。
しかしシャオを見据えるその瞳は全く笑っておらず、怒りに満ちていた。
(『ひっさびさのマリーのシチュー、どんだけアタシが楽しみにしてたと思ってんのよ…!』)
(『どうせ、絶対、二人でヤッてたに違いないんだから!…シャオのオタンコナス!!』)
(『今度、マリーは「おっぱいの刑」に処してやるんだから!』)
PSIは使っていないはずのフレデリカの背後に、サラマンドラの幻影が見える。
マリーは、青ざめた表情を。
カイルは、引き攣った表情を。
そしてシャオは、フレデリカの怒りに満ち満ちた思念を受け、疲れ果てたような表情を。
…それぞれに浮かべていた。
「…それはそうと」
フレデリカの更なる一言に、ヴァンを除いた全員が引き攣った表情を見せる。
「…どうして、サラダにきゅうりが入ってないのか・し・ら?」
「そっ…、それは…っ。」
ほとんど泣きそうな表情を見せるマリー。
それについては、冷蔵庫を探したけど無かったのだと説明を続けた。
「じゃあ、収穫して貰えばいいじゃない!マリーのグズ!!」
「だってぇ…、今週だけでもう20本は貰ってたんだよ?これ以上は貰えないよ…」
その原因は、主にフレデリカにあった。
最近のフレデリカはきゅうりにハマっていて、毎食きゅうりを出すことを要求していた。
その結果、マリーが栽培担当者に頭を下げ続け、
「きゅうりの支給は週に20本まで」という条件を取り付けていたのである。
ちなみに、その前は茄子。
更にその前は人参と、定期的に訪れるフレデリカの「偏食」に、
子供達と栽培担当は、常に悩まされ続けていた。
「それに!どうしてトマトが入ってんのよ!アタシが大嫌いなの、知ってんでしょ!?」
「…あっ、それは…っ」
焦げ付いたシチューの鍋。
「振動」で、まな板から転げ落ちた野菜。
全く用意のされていない食卓。
時計は、11時30分を指していた。
大慌てで二人がかりで用意をしたまでは良かったが、
フレデリカ用に「トマト抜きサラダ」を用意するのを、完全に失念してしまっていた。
こればかりは言い訳のしようがない。
困り切った表情を浮かべるマリーに、フレデリカは小さな溜息を吐く。
「それはまぁ、いいわ。で、誰がアタシのきゅうりを食べたのかしら…っ?」
フレデリカの瞳に、再び怒りの炎が灯る。
視線の合ったカイルは、慌てたように首を左右に振った。
「オ、オレじゃねえって!!一気に3本も食う訳ねぇだろ!!」
「じゃあ一体誰が…」
「あぁ、それなら。」
これまでの沈黙を破り、けろりとした表情でヴァンが口を開く。
これまでの火花散る状況を無視して食事を続けていただけあって、
シチューもサラダも、全て完食していた。
「ボクが昨日、夜食にいただきました」
「…はぁ?」
「いやぁ、最近重病人の治療続きでしたから。良くお腹が空くんですよねー」
「それで、ついつい。何となく目につきまして」
「…つい?…何となく?」
「あのマヨネーズ、マリーさんの手作りですか?凄く美味しかったです」
「…手作り?…マリーの??」
「はい。美味しくてつい3本も」
−バァァンッ!!!
何も聞いていなかったらしいヴァンの言葉に、フレデリカは両手をテーブルに叩き付けた。
椅子をひっくり返して立ち上がり、両手をぶるぶると震わせている。
「…どれ」
「フ、フーちゃん!!?」
嫌な予感を覚え、ヴァンを除いた全員が再び引き攣った表情を見せた。
「何フザけたことしくさっとんねん、おんどりゃああああ!!!!」
「わぁっ!?や、止めろっ、フレデリカー!!」
「シチューと同じに、おどれも焦がしたろかいコラァァァァッ!!!」
「何でさっきよりキレてんだよーーッ!!!」
−カイルの叫ぶ声だけが、部屋に響き渡っていた。