夜科アゲハと、雨宮桜子が「根」を訪れた初日。
2人の来客を迎えての夕食は、惨憺たる事態となっていた。
ヴァンの爆弾発言が原因で、主にマリーとシャオが大変な被害を被ったのだった。
「…………」
その内の一人、シャオは自室のベットの上に座ったまま頭を抱え込んでいた。
夕食の光景を思い返し、盛大な溜息を吐く。
『だってシャオくんは、ずーーっとマリーさんのこと…』
『うわああああやめろオオオオオ』
「ヴァンめ…、覚えてろ…」
普段冷静なシャオが取り乱す様を、カイルとヴァンがそれはもう楽しそうに見ていたことも思い出す。
夕食後にヴァンに厳しく注意をしようとすれば
「そんな真っ赤な顔で言われても説得力が皆無です」と一蹴され、
涙目のマリーからは「ヴァン君も悪気があった訳じゃないんだから」と
同じく被害を被ったはずなのに何故か諭され、
苦虫を噛み潰したような顔をしたフレデリカからは
「アタシはアゲハもアンタも認めないわよ!」と睨みをきかされ、
始終愉快そうな表情を浮かべていたカイルからは、
「こうなる前にさっさとヤッちまえば良かったのに」などと言われ、
達観した表情を見せるエルモアからは
「シャオもまだまだ修業が足りんのう」と遠い目をされる始末だった。
秘めていたはずの想い。
それが「周知の事実」だった揚句に、当のマリーだけは気付いていない。
その上、マリーの想い人であるアゲハの前でバラされる。
改めて状況を整理すると、シャオは再び溜息を吐いて頭を抱えていた。
「……最悪だ」
−コン、コン
そんな折、部屋の扉をノックする音が部屋に響いた。
遠慮がちなその音を、シャオは訝しく思いながらも扉へと近付く。
もしカイルかヴァンなら、明日にしろと言って追い返そう。
そう考えながら扉をやや乱暴に開く。
するとそこには、マリーの姿があった。
「マリー…」
「あ、あの…。こんな時間に、ごめんね…?」
「…いや、どうしたんだ?」
ある意味、最も会いたくない相手だった。
困り切ったような表情を浮かべ、こちらの様子を伺うように見上げてくる。
「…ちょっと、相談したいことがあって」
「…ああ」
「入っても、いい…?」
用件の見当はついていた。
が、それでも招き入れてしまうのは惚れた弱みなのか。
マリーを中に入れると、シャオは僅かに表情を曇らせた。
「…アゲハの件だろ?」
「…あ、うん…」
「オレじゃなくて、フレデリカやカイルに相談した方がいいんじゃないのか?」
マリーに背を向け、扉に向いたまま言葉を続けるシャオ。
そんな様子に、背後のマリーは申し訳なさそうにしている。
「フーちゃんには…、機嫌悪くしそうだから言えなくって…」
「…そうだな」
「それで、カイル君に相談したら『そういう事ならシャオに相談するといいぜ』って…」
「そう…だったのか」
「…うん」
(カ イ ル ー ー ー ! ! !)
カイルが気を使ったのか、それとも嫌がらせのつもりでやったのかは分からない。
完全に引き攣った顔のまま振り返ると、マリーは途端に表情を曇らせた。
「あ…ッ、ごめん。やっぱり迷惑だよ…ね?」
「……いや」
慌てて部屋を出ようとするマリーを制して、シャオは奥へ向かうように促した。
「で、でも…」
「オレじゃ、大して相談にもならないだろうけど。話なら聞いてやるよ」
「…ありがとう!」
マリーの表情が明るくなっていく。
その様子を見ながら、状況はどうあれこのチャンスは活用しようとシャオは考えていた。
「どこでも好きに座ってくれ」
「うん」
マリーは頷くと、そのままベットの端にちょこんと座り込んだ。
先程シャオが座っていた位置から、少し外れた位置だった。
(何でそこなんだー!!?)
シャオとしては、部屋に備え付けの小さな丸椅子を勧めたつもりだった。
カイルやヴァンが訪ねて来た際は、当然そちらに座っている。
そこまで考えて、シャオはある結論に思い至った。
マリーが普段フレデリカの部屋を訪れる際は、きっとベットに座るのだろう。
いつもの癖で、そこに座ったのに違いない。
これもまた、チャンスかもしれないじゃないか。
そんなことを一瞬の内に考え上げると、シャオも合わせてマリーの横へと腰掛けた。
僅かに離れた、けれどいつでも距離を詰められる位置。
マリーは特に気にする風でもなく、どう話題を切り出そうかと考えているようだった。
「今日、大変…だったね」
「…ああ」
みるみる内に、マリーの顔が真っ赤になっていく。
考えてみれば、マリーもヴァンに自分の想いをバラされているのだ。
しかも、当のアゲハの目の前で。
「私…、明日からどんな顔してアゲハさんに会えばいいんだろう」
(………オレのことは?)
マリーのその質問は、寧ろ先程の自分に解答を教えて欲しいくらいだった。
「想い人の前で自分の想いをバラされる」ことは、そのままシャオにも該当しているのだが。
マリーは、それを全く気にする様子がない。
シャオは再び、ある結論に達した。
マリーは、シャオ自身がバラされている時は自分のことで手一杯だったのではないか。
シャオもヴァンに「何かをバラされた」ことまでしか把握していないのでは。
あの場で怒っていたフレデリカも雨宮も、寧ろマリーのことで怒っていたようだった。
結果的に、全ての矛先はアゲハへと向かっていたのだが。
「…特に気にしなくていいんじゃないか」
「そう…かな」
「下手に気にした方が、かえってぎこちなくなると思うぞ」
「…うん、そうだね」
「………」
「……………」
「あのね、今日の料理はどうだったかな」
今日の夕食は、シャオも支度を手伝っていた。
アゲハという来客の為に、いつも以上に気合いを入れていたマリー。
只でさえ手際の良いマリーだが、今日は人数が増えたにも関わらずいつも以上に手早かった。
シャオの手伝いも、下ごしらえや盛り付けなどの人数が多い分のフォローに過ぎない。
「いつも通り美味かったよ。アゲハも褒めてたじゃないか」
「…だと、いいんだけどなぁ。お世辞かなとか思っちゃって」
「…オレは、本当に褒めてたと思う」
「そ、そう?」
「ああ。今日の食事当番はマリーじゃなかったのに、何でおばあ様はマリーに指示したと思う?」
ちなみに、本来の当番はフレデリカだった。
根の人間なら誰もがフレデリカの「壊滅的な料理の腕」を知っている。
だからこそ、エルモアがマリーに夕食の支度をするように指示したことは言うまでもない。
「じゃ、じゃあ、自信持っても…いいのかな?」
「いいさ。オレが保証する」
「…ありがとう!」
そう言って、満面の笑顔をシャオに向けるマリー。
勿論料理については本当の感想を述べた訳だが、
マリーの気持ちを思うと、複雑な感情を抱かずにはいられなかった。
シャオは無言のまま、夕食後のアゲハの言葉を思い出していた。
『いやー、美味かった!ごちそーさまッ!』
『ごちそうさまでした』
『アゲハさんも、桜子さんも、お口に合いましたか?』
『ああ、美味かったぜ』
『私もよ。色々限られてるはずなのにこれだけの料理を作れるなんて見事だわ』
『限られてる?』
『食材のことよ。私達の時代に比べればかなり制限されてるはずよ』
『そうなのか?』
『…ね。そういう事よ』
『うふふ。ありがとうございます!』
『いやーしかし、マリーは本当に料理上手なんだなぁ!』
『い、いえっ、そんなことは…!』
『謙遜しなくていーんだぜ?これならいつでも立派なお嫁さんになれるな!』
『そっ、そそそそ、そんなっ!!』
『なぁ、雨宮?』
『…………』
『…アンタって、本当に女心が分からないのね』
『へ?』
『…もう、いいわ。命が惜しければ、これ以上は何も言わないことよ』
「………」
この時、フレデリカは既に部屋に戻っていてその場には居なかった。
もし居たとしたら、きっとアゲハを黒焦げにしようとしていただろう。
「……………」
先程までの嬉しそうな表情とは一変して、沈痛な面持ちで俯くマリー。
シャオと同じ会話を思い返していたようだった。
「…やっぱり、アゲハさんは今も桜子さんが好きなんだよね」
「………」
シャオは、答えられなかった。
自分達にとっては10年前の事でも、アゲハ達にとっては僅かの歳月のことで。
幼い頃の自分達の元を訪れた際の様子を見ていれば、そんなことには嫌でも気がついた。
口では否定しながらも、決してまんざらではないといった風の桜子。
進展は遅いながらも、二人の関係が良好であることは容易に想像出来た。
「…さぁ、どうだろうな」
肯定も否定も出来ず、ただ曖昧な答えを返すシャオ。
互いに本当のことに気付いていながら、敢えて真実には触れない。
しばらくの間、重い沈黙が場を支配していた。
「別にね、アゲハさんに私を好きになって欲しい訳じゃ、ないの」
ぽつりと、ただ語るように言葉を紡ぐマリー。
シャオはただ黙って、その言葉を聞いていた。
「こうして会えただけでも充分で、それだけで幸せなんだって分かってる」
「だって、アゲハさん達は過去から来てるんだもん。…私達とは、違うものね」
「…だから、振り向いて貰えなくたって…、別に、いい…の…」
少しずつ小さくなっていく、マリーの言葉。
その一つ一つが、シャオの胸にも突き刺さっていた。
先を促すでもなく、ただ黙ってマリーの言葉を待つ。
(『だってアゲハさんには…、桜子さんが居るんだもん…』)
(『私なんかが割り込む隙間なんて…、無いんだもん…』)
言葉でなく、思念がシャオの意識へと流れ込んできた。
突然のことに驚いてマリーの方を向くと、マリーは俯いて肩を震わせていた。
「…っく、……ッ…」
膝の上で握り締められた両手の上に、ぽたぽたと涙が落ちる。
俯いていて表情を読み取る事は出来なかったが、それでも必死に鳴咽を堪えようとしていた。
「…う…、ひっく…」
抑えられない鳴咽。
マリーはとうとう、両手で顔を覆って泣き始めていた。
突然のことに、どう対処すれば良いか戸惑うシャオ。
僅かな逡巡の後、マリーとの間合いを詰めて真横へと座り直した。
そのまま、泣き続けるマリーの肩へと手を伸ばし、そっと抱き寄せる。
「…!?」
マリーの肩が、驚いたようにびくりと震える。
涙に濡れた瞳が、シャオの顔を見上げていた。
「無理はするな。オレで良ければ、いくらでも付き合うから」
「…シャオ、く…ん…」
「………」
黙って、肩を更に強く抱き寄せる。
本音を言えば、マリーの気持ちを聞いてしまった自分を誰かに励まして欲しいくらいだった。
けれどマリーが悲しむ姿を見るくらいなら、こうしていた方がずっと良い。
そうやって、自分の感情を押し殺そうとした矢先。
「…シャオ君ッ…!」
「う、うわあッ!?」
いきなり、マリーがシャオに飛び付くようにして抱き着いてきた。
突然のことに対応しきれず、バランスを崩してしまうシャオ。
どすん、という大きい音と共に、二人してベットの上へと雪崩込む。
咄嗟にマリーを庇うようにして抱き寄せたまでは良かったが、
同時にそれが仇となることに、すぐに気付かされる羽目になった。
ベットの中心から、斜めに倒れ込んだ二人の身体。
しがみつくマリーの身体と、庇う為に抱き寄せたシャオの身体は密着していた。
見慣れたはずの天井が、まるで知らない景色のように見える。
「…っく、…えぇ…ッ!!」
か細い、マリーの声。
マリーはシャオの胸に顔を埋め、堪え切れない鳴咽を漏らしていた。
シャオの服を握り締める手が、やけに痛々しさを募らせた。
マリーは、辛過ぎて耐えられなくて、それを吐き出したいだけなんだ。
そう「理性」が言い聞かせようとする反面、もう一つの感情がシャオの中で渦巻き始めていた。
しがみついて来る、マリーの身体。
その華奢で柔らかい身体の感触や、自分とは異なる体温の心地良さ。
女性特有の、ふわりとして甘い髪や肌の匂い。
そして、密着しているせいで気付かずにはいられないマリーの豊かな胸の感触。
それだけでも充分刺激的なのに、ベットを背にして二人で横たわっている。
シャオの心臓は、早鐘のように鳴り響いていた。
本能的に、下半身に血液が集まって行く感覚を覚える。
何とか自制しようとしたが、マリーの身体が密着している以上、大した意味はないように思えた。
(もしかしてこれは…)
マリーに気付かれないように溜息を吐きながら、考える。
(『据え膳』という奴なんだろうか…)
ベット。
抱き合っている二人。
失恋中の女。
密かに想いを寄せていた女。
ふと、脳裏にカイルの姿が思い浮かぶ。
満面の笑みを浮かべたカイルは、親指を立ててこう言った。
『喰っちまえよ★』
(…いやいやいやいや、何を考えているんだオレは!!)
慌てて、脳内のカイルという名の悪魔を追い払う。
あくまで想像の産物だったが、実際のカイルも全く同じことを言うに違い無かった。
(人の弱みにつけこむなんて、人として最低の行為じゃないか…)
マリーはまだ泣き止む様子はなく、シャオの胸に顔を埋めて泣き続けていた。
そんなマリーの頭を、あやすようにそっと撫でてやる。
(こんなに悲しんでるマリーを、更に傷付けるようなことになったらいけないしな、うん)
誰が聞いている訳でもないのに、必死に言い訳を続けるシャオ。
さりげなく、空いた手をマリーの背中へと伸ばす。
自分の腕の中で、子供のように泣きじゃくるマリー。
そんなマリーを、今だけ独占していることに満足感を覚えながら、シャオはマリーの頭を撫でた。
「…………」
それから約二時間後。
シャオは、部屋の隅で膝を抱えていた。
「…ん、…すぅ…」
ひとしきり泣き続けたマリーは、シャオに抱き着いていたことで安心感を覚えていた。
そしてそのまま、泣き疲れて眠りに落ちてしまっていた。
シャオにしっかりと抱き着いたまま、安心したような笑顔を浮かべて眠るマリー。
そのあどけない寝顔は、シャオの邪な感情を粉砕するには充分なものだった。
しっかりと抱き着いてくるマリーを、起こさないようにしてベットを脱出するのに一時間。
ベットに寝かせたマリーを正視出来ず、部屋の隅に座り続けて一時間。
「…アゲハ…さん…」
時折聞こえてくる寝言や衣擦れの音に、シャオは再び頭を抱え込んでいた。
「…最悪だ…」
時折ベットの方に視線を送ると、かけてやった毛布の奥からマリーの脚が覗いていた。
何かに縋るように、何度も時計を見上げる。
−夜明けは、まだ遠い。
どこか幸せそうな表情を浮かべて眠り続けるマリー。
そんなマリーを無理に起こすことも出来ず、シャオはただ時間が経つのを待つしかなかった。
そしてシャオは今日一番の盛大な溜息を吐くと、頭を抱えて呟いた。
「………生殺しだ。」
「…マジで?」
「………………。」
その翌日。
シャオは、カイルの部屋を訪ねていた。
朝から憔悴しきった様子のシャオに何事かと尋ねたら。
夜になって部屋を訪ねて来ると、昨晩の一部始終をカイルに語ったのだった。
「…本当に?」
「………………。」
「ベットに押し倒された揚句、ナニもしなかったってのか?」
「………………。」
「お前バカだろ」
「何とでも言え…」
それだけ呟いて、頭を抱え込むシャオ。
シャオは備え付けの丸椅子に、カイルはベットに腰掛けていた。
「傷心の女が居たらだな、慰めた後に美味しくいただくモンだろ!?」
「だから何でお前はそういう考え方しかしないんだ…」
「まぁ、それが無理でもキスくらいはしたんだろ?」
「出来るかそんなこと!」
「やれよ!!」
「お前と一緒にするな!」
ぜぇはぁと、荒い呼吸を繰り返しながら睨み合う二人。
そんな状況を先に破ったのは、カイルの方だった。
「…なら、せめて触るくらいはしたんだろ?」
「それはまぁ…少し、なら」
「だよなぁ!抱き着いてきた上にそのまま寝ちまったんなら、触り放題だもんな!」
「……………」
「おっぱいや尻や太ももを触りまくったってことだろ?そんくらいは当然だよな」
「…………………」
「…まさか」
「……もう、ほっといてくれ…」
そう言って、シャオは深々と頭を抱え込んだ。
「…はぁぁ!!?冗ッ談だろ!頭撫でただけで終わりかよ!?」
「…いいじゃないか。それでマリーは気が済んだんだから」
「だからどうした!その状況でナニもしねぇなんて、どうかしてるぜ!!」
「オレはお前とは違うんだ…」
「嘘つけ!今全力で後悔してんだろ!触っときゃ良かったって思ってんだろ!!」
「…だから何だ!」
「折角のチャンスを棒に振っといて、後からガタガタ言ってんじゃねぇよ!」
「オレはお前のように、下半身で物を考えていないだけだ!一緒にするな!」
「男が下半身で考えないでどうすんだ!据え膳喰わなかったヤツに言われたかねぇよ!」
「マリーを据え膳呼ばわりするんじゃない!」
「どう考えたって据え膳だろうがよ!このヘタレ!!」
「…ッ!!…何だと!?」
「…ん、…うるせぇ…よ…!」
大声で怒鳴る二人の声は、隣のアゲハの部屋まで響いていた。
突然始まった、深夜の言い争い。
自分がそもそもの発端とは知る由もなく、
アゲハは騒音から逃れようと、頭まで毛布をかぶって再び眠りに落ちていた。