「……腕が戻っても、まだ本調子じゃないみたいだな?」  
「なんの、まだ……これからだ」  
「思いっきり息切れしてんじゃねぇかよ」  
「余計なお世話だ……!」  
 
シャオは流れ落ちる汗を拭うと、深呼吸をして再び身構える。  
相対するカイルは汗こそ浮かべていたものの、余裕ありげな表情を浮かべていた。  
 
ウロボロスの出現によって、崩壊の危機に頻していた世界。  
過去からやって来た夜科アゲハと、皮肉にもかつてこの世界を破壊した天戯弥勒の手によって、今度こそ平穏を取り戻していた。  
太陽の光を受けて緑が芽吹き、禁人種に怯える心配もなくなった地上。  
空は未だ鉛色ではあったが、その色も徐々に変化しつつあり、再び青空を見上げる日もそう遠くはないだろう。  
これまでのように闘いに身を投じる必要もなくなった訳なのだが、長年の習慣はそう簡単には変わらず  
カイルとシャオは、いつものように運動ホールで組手に励んでいた。  
 
「張り切るのは勝手ですけど、無茶はしないで下さいね。治療するボクの身にもなって下さいよ」  
「ヴァンの言うとおりだぞシャオ。完全に治ってねぇのに無理して痛めてるしさ」  
「再生した腕が元通りになるには、それなりの時間が必要なんですよ。今みたいなことを続けてたら、治るものも治りませんからね」  
「ぐ……」  
 
階段に座り、組手を眺めていたヴァンが割り込む。  
ヴァンの言うように、戦闘に耐えられる程までには回復していないシャオの右腕は  
過度のトレーニングや組手で痛みを訴えることが少なからずあった。  
鈍ってしまった腕を早く元の調子に戻したいというシャオの思いは分からないでもなかったが、  
ヴァンとしては、再生して間もない腕を酷使することを看過する訳にもいかない。  
 
「かといって右腕だけは狙わないなんてのは組手にならねぇからな」  
「確かに、どうしてもダメージが集中するんでしょうね。だからといってシャオ君の無茶ぶりを許す訳にはいきませんけど」  
「僕は無茶なんかしていないからな」  
「盛大に息切れしておいて何言ってるんですか。これ以上同じことを続ける気なら、肘から先をサイコガンに改造しますからね」  
「ちょっと待て!どうしてそうなるんだ!!」  
「左腕じゃなくて右腕かよ?それはイタいなぁ」  
「でしょう?今のシャオ君には、それくらいやらないと効果がなさそうですし」  
「仕方ねぇなぁ、気は進まねぇけどオレも協力するぜ?」  
「やる気満々な顔して言う台詞なのかそれが!!!」  
 
結局、ヴァンのドクターストップにより今日の組手は終了となった。  
シャオは渋ったが、流石に「両腕をサイコガンに改造するぞ」とまで言われてしまっては閉口するしかない。  
そして手にしたタオルで汗を拭きながら、カイルが呟く。  
 
「あんまり言いたくないけどさ、組手の後にシャオが治療受けてるとオレがマリーに怒られんだよ」  
「ど、どういう事だよ」  
「さぁなー。多分、まだ気にしてんじゃねぇの?」  
「自分を庇って腕をなくした上に再生した腕を痛め続けてたら、気にして当然だと思いますけどね」  
「そうだったのか……」  
「オレだってこれ以上理不尽に怒られたかねぇし、シャオからマリーに言っといてくれよ」  
「ついでにボクの負担を減らす為にも、腕に余計な負荷をかけないようにして下さいね」  
「……分かったよ」  
 
マリーを庇いきれずに腕をなくしたことや、そもそも自分の詰めが甘かった為にマリーが攫われてしまったことは  
シャオにとって己の力不足を痛感するには充分過ぎる出来事であった。  
例え脅威が去ったとしても、マリーを守れるようこれまで以上の修行を積まなくては。  
そう思っての行動がかえってマリーを悩ませていることを知り、シャオは落ち込まずにはいられなかった。  
予想以上に肩を落としてしまったシャオに、カイルとヴァンは顔を見合わせる。  
 
「……ま、そんなことは明日考えてさ。今日はとっとと風呂入って寝ようぜ」  
「そうですね、ボクも賛成です」  
「そういや、マリーは何してんだろうな?たまに組手見に来てるけど、今日は来てなかったし」  
「へぇ、そうだったんですか」  
「そうだったのか?」  
「気付いてなかったのか?時々だけどな、見に来ることあるんだぜ」  
 
シャオが腕痛めてると後で文句言われるんだけどなぁと、さも面倒臭そうにカイルは愚痴を零す。  
まさかマリーが見に来ているなどとは予想だにしなかったシャオは、只々驚くばかりであった。  
 
「来てなかったのなら、お風呂に入ってるんじゃないですか?フレデリカさんと一緒に浴場に行くところを良く見かけますよ」  
「この時間なら風呂行っててもおかしくねぇか。二人で風呂かぁ……、洗いっこでもしてたりしてな?」  
「あの二人なら、有り得ない話じゃないですね」  
「「マリーちょっと胸大きくなったんじゃないの?」とか「や〜だっ、ちょっとやめてよフーちゃんっ」なんて会話があったりしてな?」  
「どこのまるだしっな園児の第105回(47号)ですかそれ。でも確かに、出来れば見開きでお願いしたいところですね」  
「だろォ?何なら今から覗きに行くか?」  
「それは遠慮しておきます」  
「何だよ、つれねぇなぁ」  
「……おい!!」  
「「??」」  
 
突然のシャオの大声に、二人は驚いて足を止める。  
シャオはそんな二人を見据えると、怒りもあらわに勢い良く指を突き付ける。  
 
「覗きだなんて、何を考えているんだ!そんなことは僕が許さないからな!!」  
「……冗談だっての。本気にすんなよな」  
「言ってることは正論なのに、全くもって説得力がないですねぇ」  
「何だと?」  
 
予想外の反応に戸惑うシャオと、呆れ果てた表情を浮かべているカイルとヴァン。  
その原因に気付いていないシャオを見て溜息を吐くと、カイルはシャオの顔を指差す。  
 
「鼻血出てんぞ」  
「想像力が豊か過ぎるのも困りものですねぇ」  
「………………」  
 
二人分の冷たい視線が、シャオとその鼻から流れる鼻血とに注がれる。  
シャオは返す言葉もなく、無言のままで溢れる鼻血を拭っていた。  
 
「今日のコーデいい感じ〜?シャッフル〜カラフル〜ビューティフル〜♪」  
「……いきなり何を歌ってんのよ」  
「ミスマッチも〜キャラのうち〜♪♪」  
 
一方その頃、マリーとフレデリカは偶然にも風呂に入っていた。  
しかもマリーがフレデリカの背中を洗っており、文字通り「洗いっこ」をしていたのである。  
シャオが鼻血を噴いたのは想像力豊かなだけではなく、マリーの思念を読んだからに他ならない。  
上機嫌で鼻歌交じりに泡立ったスポンジで背中をこするマリーに、フレデリカはどこか照れ臭そうな表情を見せていた。  
 
「……それ、5人出てくるヤツだっけ」  
「ううん、ハートキャッチしてる方だよ」  
「ああ、妖精が尻から種を生むヤツね」  
「そうそう。玩具も持ってたんだけどなぁ」  
「アンタ、昔からそういうの好きだったわよねぇ」  
「うん、どのシリーズも大好きだったよ。そういえば、どこかにDVDがあったと思うんだけど……」  
「そうなの?アタシも見たい!」  
「分かったよ、今度探しておくね」  
 
ひとしきり懐かしいアニメの話題に花を咲かせたところで、フレデリカはマリーを振り返る。  
マリーは相変わらず鼻歌に夢中で、フレデリカの憮然とした表情の意味に気付かずにいた。  
 
「……ところで、いつまで背中洗ってんの?泡だらけじゃないのッ!」  
「あっあっ、ごめん!前も洗わないとだよね!?」  
「前は自分で洗うからいいわよ……ってちょっと!きゃあ!?」  
 
マリーの手がフレデリカの背中から腹へと伸び、泡だらけのスポンジが身体を撫でる。  
脇腹に触れられ、身を捩ってフレデリカは素っ頓狂な声を上げていた。  
 
「もう、駄目だよフーちゃん。暴れないで大人しくしててね?」  
「あ、あ……ッ!そこ、やだあ……ッ!!」  
 
しかしフレデリカの抵抗も虚しく、マリーは暴れるフレデリカの身体を背後から押さえ込んで再び身体をこすり始める。  
スポンジやマリーの指先がとりわけ敏感な胸の先端を何度も刺激して、フレデリカは嬌声にも似た声を上げる。  
 
「はい、すぐ済むからじっとしててね〜♪」  
「はぁ、ん……ッ!!」  
 
フレデリカにとっては不運なことに、泡だらけな上に限りなく平坦に近い残念な胸のおかげで、  
マリーは自分がフレデリカの胸を弄くり回していることに気付いていなかった。  
せいぜい「何か尖ったものが当たったような気がしたが、そんなことはなかったぜ!」という程度である。  
その為丹念に胸元を泡まみれで愛撫するばかりか、同じく泡だらけのマリーのおっぱいが  
フレデリカの背中に押し付けられており、その豊満な感触を惜し気もなくフレデリカに伝えていた。  
傍目から見れば泡まみれの美少女二人が、くんずほぐれつ絡み合う極楽浄土のような光景であったが、  
当のフレデリカにとっては、勿論性的な意味で地獄のような事態であった。  
 
 
『おい』  
 
 
その時、突然テレパスによる「誰か」の声が二人の頭の中に響く。  
声のした方を見上げると、歪んだ空間にある人物の姿が浮かび上がっていた。  
 
 
『……む』  
 
そして珍しく困った様子の言葉と同時に、コントロールを失った「彼女」の身体はそのまま浴槽へと落下していった。  
 
 
「……お?電気点いてるな、本当に風呂入ってるぞ?」  
「覗きに行ったら駄目ですよ、シャオ君」  
「行くわけないだろ!!」  
 
その頃、カイル達も浴場へと到着していた。  
女湯の電気が点いていた為、好き勝手な軽口を叩きながら男湯へと向かおうとしたその時−  
 
 
どぼんっ  
ガラガッシャーン!  
「「きゃあああああああッ!!」」  
 
 
「何だ今の!?」  
「マリーッ!!」  
「シャオ君!?」  
 
浴室では有り得ない轟音に続いて、うら若い乙女の悲鳴が廊下にまで響き渡る。  
その悲鳴の主に気付いたシャオは、脇目もふらずに女湯へと飛び込んでいた。  
 
(クソ……ッ!こんな時に敵襲か……!?)  
 
もう「敵」が侵入することなどあるはずがないと、シャオは心のどこかで油断していた。  
マリーが攫われた時も、同じように油断していたではないか。  
地中を潜り、陰に潜む「侵入者」が居てもおかしくはないのだ。  
今度こそマリーを奪われるような無様な真似はしない。  
ましてや、変態の芸術家だと思っていた奴がマリーを庇って命を落とし、あまつさえ意外な一面を見せることで  
マリーの好感度が上がるどころか、フラグが立つような真似をされてはかなわない。  
後半は明らかに私情丸出しで、シャオは血相を変えて浴室の扉を開く。  
 
「マリー!!無事なのか!!?」  
「シ、シャオ君!?」  
 
しかし眼前に広がる光景は、シャオの予想の少し斜め上を行くものであった。  
 
 
まず、泡まみれで絡み合うマリーとフレデリカ。  
当然のことながら全裸と思われるのだが、もこもこと全身を包む泡のおかげで正直なところ巨大な泡の固まりにしか見えない。  
実際はその泡の中に破廉恥な姿が隠れていたりするのだが、コミックスならぬ保管庫ではこの泡が修正されることは勿論ない。  
 
そして広々とした浴槽には、何故か車椅子が真っ逆さまに突っ込んでいた。  
車椅子と一緒に白い足が二本飛び出しているだけでなく、湯の中では見覚えのある青い髪がなびいている。  
湯面にはぼこぼこと、人が呼吸しているかのような泡が立っていた。  
 
「……な、」  
 
何だこれは、と言うより先にマリーと目が合った。  
はじめはぽかんとしていたマリーの顔はみるみる内に真っ赤に染まる。  
 
「……きゃあああああああーーッ!!!」  
「うわあああああああああああッ!!?」  
 
そしてマリーの絶叫と共に浴室内に置かれていた洗面器やシャンプーの容器などが浮かび上がると  
全てが猛烈な勢いで、シャオに襲い掛かっていた。  
 
 

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