「もうすぐアレですね、カイル君」
「ああ、そうだなヴァン」
「…何の話だ」
「アレといったらアレですよ」
「そうだぞシャオ、アレだぞ」
「俺には何の話だかさっぱりだな」
「まーたまたぁ、とぼけちゃって♪」
「流石はムッツリだなー」
「だから、俺はムッツリでもヘタレでもストーカーでもないといつも言っているだろう!!」
「それこそ何を言ってるんですか。ヘタレもストーカーもシャオ君の代名詞じゃないですか」
「待てよヴァン。ムッツリを忘れてるぞ」
「ああ、うっかりしてました!」
「…大体、何でお前達が俺の部屋に居るんだ!」
「嫌だなあ、用があるから来たんじゃないですか」
「そうだぞシャオ、オレ達を暇人扱いするなよな」
「……何の用だよ」
「からかいに来たんですよ」
「オレはその付き添いな」
「お前ら、今すぐ帰れーーーッ!!!」
何の変哲もない、穏やかなとある休日。
それは非常に珍しいシャオの絶叫により、滑稽な現場へと変貌しつつあった。
「まあまあ、そう怒るなよ?あんまり怒ったら血糖値上がるぞ?」
「余計なお世話だ!帰れよ!!」
「まあまあまあ、シャオ君にいいことを教えてあげようと思って来たんですよ」
「どうせ下らないことなんだろう!」
「マリーさんの」
「ことでもか?」
ぴたり、とシャオの動きが止まる。
カイルとヴァンは、にやにやと意味深な笑顔を浮かべている。
この二人がこんな笑顔を見せる時は、得てしてロクなことが起きた試しがない。
勿論、シャオにとってはの話である。
(落ち着け、落ち着くんだ…。そうだ、これは孔明の罠だ…!)
ならば、問答無用で追い返すべきである。
シャオは毅然とした態度で、二人に向けてこう言い放つ。
「話だけなら、聞こうじゃないか」
例え「穴が丸出しの落とし穴」ばりに露骨な罠であろうとも。
マリーが絡めば落ちてしまう。それが、シャオの性分であった。
そして、そんな性分を巧みに利用してシャオが自ら落とし穴に落ちてしまうように仕向け、
シャオの落ちた穴を覗き込んで楽しむのがヴァンの性分であり、
面白そうなことには首を突っ込みたがるのが、カイルの性分であった。
「…で、明日なんだけどな」
「何なんだ、唐突に」
「何の日か分かります?」
「14日…?何かあったか?」
「ったく、ヘタレな上に鈍感とはなァ」
「四重苦とは救いようがないですねぇ」
「関係ないだろうそこは!!」
「バレンタインデーですよ」
「ああ…、言われてみればそうだったな」
ヴァンの言葉にも、あまり関心を示した様子のないシャオ。
それもそのはず、現代と違いこの『根』ではバレンタインデーの意味は大きく異なるものとなっていた。
千架やマリーなどの女性陣が中心となり菓子を作り、子供達に振るまう。
子供達を喜ばせるイベントの内の一つであり、ついでに男性陣にも振るまうという具合であった。
マリーの手作りならまだしも、女性陣共同の手作りである上にシャオは甘いものが得意ではない。
その為こういったイベントについて、関心を持つはずもなかった。
「どうも今年はですね、いつもと違って一人一人に手渡しするらしいんですよ」
「へぇ、昔みてーなことするんだな」
「しかも、ボク達の分はマリーさんが手作りしてくれるんですよ!」
「…もっと詳しく聞かせてくれないか」
ヴァンの話を要約すると、こうなる。
以前夜科アゲハと雨宮桜子が根に滞在していたことがあった。
年頃の乙女が集えば、必然的に他愛もない話に花が咲く。
そんな他愛もない話題の内の一つに「流行しているスイーツ」というものがあったらしく、
雨宮からマリーが様々なレシピを教わり、時折珍しい菓子を作るようになっていた。
今年はどうやら、それぞれが「お世話になっている人」に菓子を作ろうということになったらしい。
「…そういうことだったのか」
「この間マリーさんのお手伝いをした時に教えて貰ったんですよ」
「へー。何作るんだろうな?」
「それは流石に教えて貰えませんでしたよ」
「でも、何でわざわざ手渡しするんだ?」
「雨宮さんの影響じゃないんですかね?」
乙女達の話題の中に、バレンタインデーについての話があったのかもしれない。
忘れられて久しい「過去の風習」についての話を聞き、感化されたとしてもおかしくはなかった。
「それに、もしかしたらまたアゲハさん達が来るかもしれないじゃないですか」
「あ、成程な。どうせなら手渡したいってことか」
「健気な乙女心ですよねぇ」
「泣かせるなぁ」
「『また来るといいね』なんて言いながら遠い目をしてましたよ。いじらしいですよねぇ」
「来るかどうかも分からないアゲハの為にかぁ」
「一途ですよねぇ」
「…おい」
「何だ?」
「何ですか?」
「いつまで、その白々しい芝居を続けるつもりだ?」
シャオは、眉間に皺を寄せて非常に険しい表情をしている。
こういった形でアゲハのことを話題に出され、心中穏やかでいられるはずもない。
「さぁ、何のことでしょう?」
「とぼけるな!最初から分かった上で言ってるだろう!!」
「チッ、バレてたか」
「当たり前だ!!」
それもそのはず、二人は終始にやにや笑いながらシャオを見ていたのだった。
心を読むまでもないその露骨な態度に、シャオの怒りは再び頂点に達しつつあった。
「もういい、分かった!今すぐ帰れよ!」
「まあまあ、そう怒るなって」
「そうですよ、悪気はないんですから許して下さい」
「その方が余計にタチが悪いんだ!」
シャオが激昂しようとも、二人は平然としている。
それどころか、まだ居座り続けるつもりのようだった。
まだ何かを企んでいるのかと、シャオの顔が引き攣る。
それを察して、カイルが言葉を発した。
「ヴァンからその話を聞いてさ、折角だからシャオにも教えてやろうって言ったのはオレなんだ」
「…それで、わざわざ嫌がらせに来たのか」
「違うって。どうせならマリーが何を作るか予想でもしてみようって話をしてたんだよ」
「でも、ボク達二人で話しても盛り上がりに欠けるんですよねぇ」
「それなら三人で話そうぜってことになったんだ。本当だぞ?」
「…そうか」
「で、本題だけどな。何作ると思う?」
「やっぱり普段とは一味違うものを作ってくれるんじゃないですかねぇ」
「手渡し出来るモンとなると、ケーキはないだろうなァ」
「そうなると、限られて来るんじゃないのか」
「だよなぁ。チョコ味の何かとか生チョコとか生クリームの女体盛りくらいしか浮かばねぇよなぁ」
「ちょっと待て!最後がおかしいぞ!!」
「へ?別に普通だろ?」
「そうですよ、チョコレートで女体コーティングよりはまだ一般的ですよ?」
「どこの一般なんだそれは!!」
「あぁ、カスタードクリームとかチョコクリームの方がいいんだな?」
「そっちじゃない!!」
「『チョコじゃなくて私を食べて♪』ですよ。鉄板じゃないですか」
「一体どこの鉄板なんだそれは!!!」
動揺するシャオとは対照的に、きょとんとした表情を浮かべる二人。
顔を見合わせると、盛大な溜息を吐いていた。
「…ったく、分かってねぇよなァ」
「ですよねぇ」
「男の浪漫じゃねぇかよ。マリーのあのおっぱいで生クリームだぞ?」
「ボクは山盛りの生クリームに心惹かれますけどね」
「そうか?オレは生クリームの盛られた女体の方に…」
「そういう問題じゃないだろ!!」
「はァ?まさかお前、果物も盛ろうなんて言うんじゃないだろうな?」
「どう見てもエロゲ脳ですね。本当にありがとうございました」
「流石はシャオだな。オレ達の予想の斜め上を行くマニアックさだぜ」
「だから、根本的に間違ってると言ってるんだ!!!」
シャオの尤もなツッコミにも動じず、にやりと意味ありげな笑みを浮かべるカイル。
その自信満々な態度に、何故か正論を述べているはずのシャオの方が圧倒されていた。
「…そうとも言えねぇぞ?」
「な、何でだよ」
「マリーって、ああ見えて意外とノリはいいからなぁ。もしかすると、…もしかするかもしれないぞ?」
「そうですよシャオ君。望みは捨てちゃ駄目ですよ」
「でも、ありえないだろう。そんな」
「オレなら、させる自信あるけどなぁ」
そんなカイルの一言に、シャオの周囲だけが凍りつく。
顔面蒼白といった体で真っ青な顔をして冷汗を浮かべるシャオに対し、妙に自信満々なカイル。
そんな二人を交互に見比べ、ヴァンはにこにこと楽しそうな笑顔を浮かべていた。
「な、なな、何を馬鹿なこと、を」
「ん?馬鹿なことなんて言ってねぇぞ?」
「いくらマリーでも、そんな、無茶な要求に」
「けど、マリーって押しにはすっげー弱そうだよなぁ?」
「そうですよねぇ。根が優しいマリーさんのことだから、頼み込まれたら断れないかもしれませんね」
「頼み込むなんて情けねぇ真似するかよ。シャオじゃ…、いや、あるまいし…、なァ?」
「それで伏せてるつもりなのか!!」
「そうですね、シャオ君じゃあるまいし」
「わざわざ繋げなくていい!!」
「ま、冗談はさておいてだ。オレが『説得』しても、無理だと思うか?」
「…そ、それは…!」
自信たっぷりに、腕組みをしながらカイルはシャオを見据える。
その瞳には、絶対の自信が宿っていた。
とにかく押しが強い上に、頭の回転も速いので難なく相手を言いくるめてしまうカイル。
例え心を読めるシャオが相手であったとしても、その事実に変わりはなかった。
「いくらマリーさんでも、カイル君が本気で説得にかかったら難しいでしょうね」
「何言ってんだよ。絶対させてみせるに決まってんだろ?」
「あー、その光景が目に浮かぶようです」
「無理矢理させる訳じゃないんだぞ?あくまでマリーが自主的にやるように仕向けるんだからな」
「要するに『カイル君がそんなに言うなら…。ちょっとだけだよ?』ですね、分かります」
「分かるかーーー!!!」
突然響き渡ったシャオの絶叫に、驚いて目を丸くする二人。
シャオは息を切らしながら、胸倉を掴まんばかりの勢いでカイルに詰め寄っていた。
「マリーにそんなことはさせないぞ!絶対にだ!!」
「何だよ。別にマリーを食う訳じゃないんだから、いいじゃねぇかよ」
「そうですよ、何を不埒な想像を働かせてるんですか?」
「そうそう。ただちょっと裸体に生クリームを盛ってもらって、色んな方法で堪能するだけだしな」
「裸体の時点でアウトに決まっているだろう!!」
「シャオみてーに脳内であんな妄想やこんな妄想の餌食にするよりは、ずっと健全だと思うけどなぁ」
「そうですよ、普段は一体どんなえげつない妄想のネタにしているんだか」
「違うぞヴァン。それを言うならオカ」
「何の話をしているんだ!!」
ここで否定はしないあたりが、シャオがシャオたる所以である。
シャオは、珍しく怒りに我を忘れつつあるようだった。
普段は冷静沈着を装いながらも、ことマリーの話題に関してだけはそうもいかないようである。
「ともかく、マリーにそんな真似をさせてたまるか!」
「へ?でもシャオがそんなこと言う筋合いはねぇだろ?」
「そうですよ、別にシャオ君のものじゃないですし」
「そういう問題じゃない!仲間として言ってるんだ!!」
「オレは仲間として頼むつもりなんだけどなぁ」
「仲間に頼むようなことかそれが!!」
「スキンシップの一環ですよ」
「そんなスキンシップがあってたまるか!!」
再び、にやにやと笑みを浮かべ始める二人。
真剣に怒っているところにそんな笑みを見せられて、シャオの堪忍袋の緒は切れる寸前だった。
「もういい…!どうしてもやるつもりなら、俺が相手だ…!」
「…へぇ。オレと勝負しようってのか?」
カイルとシャオの視線の間で、バチバチと火花が散る。
いつの間にか室内には、張り詰めた鋭く険しい空気が漂っていた。
「そんな頭に血が昇った状態で、オレに勝てると思ってんのかよ?」
「何とでも言え…!」
「この間の手合わせでもオレに負けたじゃねーか。最近負け続きだよなぁ?」
「そんな挑発に乗せられると思うなよ…!」
間合いを取り、身構えるシャオ。
相対するカイルは構える素振りこそ見せなかったが、先程までとは違い全く隙が無い。
以前星将達と闘った時にも勝るとも劣らないどころか、明らかに数倍は勝っている気迫。
原因が「マリーのおっぱい生クリーム盛り」でさえなければ、少年漫画の王道を地で行くような展開である。
「…どうした?かかって来ないのか?」
「そうだなぁ、思考はもう読まれちまってるみてぇだし、どうするかな」
「らしくないな。いつもは構わず先制を仕掛けて来るじゃないか」
「それは手合わせの時の話な。今は状況違うしなぁ」
「そうか」
「そうだな」
「…ならば、こちらから行」
「はーいちょっと落ち着いて下さーい」
緊迫した空気を打ち砕くような、ヴァンの間延びした声。
それに決め台詞までもを打ち砕かれ、シャオとカイルは呆気に取られた表情を浮かべていた。
「熱血バトル漫画みたいなことをするのも結構ですけどね、誰もそんな展開求めてませんからね」
「あ、ああ」
「スレ違いもいい所ですよ。何が求められているか、分かってるんですか?」
「ちょっと待て。何の話だ」
「求められているのはエロですよ!ここがどこだと思ってるんですか!!」
「おい、さっきから何言ってんだよ」
「あちらのシャオ君は上手いこと空気を読むというのに、こちらのシャオ君ときたら…。
とにかく、二人とも少しくらいは空気を読んで下さいね。恥をかくのはボクなんで」
「「お前が言うな!!!」」
ヴァンの言っていることは理解出来なかったが、それでも空気を読めなどとヴァンにだけは絶対に言われたくない。
そんな思いからか、二人の声は見事に重なっていた。
「それでなくとも、こんな狭い場所で暴れたら駄目ですよ」
「う」
「………」
「マリーさんに怒られちゃいますよ?下手したらバレンタインに何も貰えないかもしれませんよ?」
「それはヤだなぁ」
「…ああ」
「あ、そういえば」
ぽん、と手を叩き、何かを思い出したらしいヴァン。
シャオの方を向き、にこにこと笑顔を見せている。
そんな満面の笑みを見せられ、シャオは「非常に嫌な予感」を抱かずにはいられなかった。
「マリーさんにこの話を聞いた時に、言っておいたことがあるんです」
「へぇ、それは聞いてなかったな」
「…何だよ」
「実はマリーさん、シャオ君が甘いものを苦手だということを知らなかったらしくてですね」
「へ、そうだったのか?」
「驚いてましたよー。『じゃあ、今までは無理して食べてくれてたのかな…』って言ってましたし」
「確かにいっつも無理してるよなぁ」
「余計なことを…!」
しかしヴァンの言う通り、無理をしていたことは事実である。
幸か不幸か、ヴァンとフレデリカが大半を食べ尽くしてしまうのだが、
それでも多少は、シャオの元にも苦手な甘いものはやってくる。
勿論マリーの手作りとなれば、例え苦手であろうとも食べるのがシャオなのだが。
「だから、気を利かせて言っておきました!『そうですね、あげない方がいいかもしれませんね』って」
「おおー、気が利くな。やるなぁヴァン」
「ボクだって、たまには空気を読むんですよ」
キラッ☆とでも音がしそうなポーズを決め、満面の笑みを見せるヴァン。
さながら天使の笑みとでも言いたいところだが、その全身からは腹黒さが溢れ出していた。
しかし元が愛らしい容姿であるだけに、そのポーズもやけに決まっていてそれがまた小憎たらしい。
『こんな可愛い子が女の子のはずがない』を地で行くヴァンを前にして、シャオの怒りはとうとう限界を超えていた。
「…さま…」
「ん?」
「どうしました?」
「ヴァンンンン!!貴様アアアアアッ!!!」
「あっはっは、やだなぁシャオ君大人気ないですよー」
「馬鹿!そんなこと言ってる場合かよ!?早く逃げろ、今すぐ!!」
「離せーーーッ!!!!」
「誰が離すか!お前本気で殺る気だろッ!!」
「やだ、皆一体どうしたの!?」
「何なのよアンタ達…。騒がしいわねぇ」
「………!!?」
「う、おお??」
「お騒がせしてすみませんねぇ」
ヴァンに掴み掛かろうとしていたシャオ。
その尋常でない殺気に気付き、背後に回り込んでシャオを羽交い締めにしているカイル。
そして「来訪者」の存在に気付いていた為、一切動じていないヴァン。
三人の視線が、一斉に扉の方へと向く。
入口には、怪訝な表情を浮かべたマリーとフレデリカが立っていた。
「…で、一体何やってんの?」
フレデリカの指摘は尤もである。
ベッドの上に座り、にこにこと笑っているヴァン。
そんなヴァンに、今にも襲い掛からんといった勢いのシャオ。
そんなシャオを、背後から羽交い締めにしているカイル。
やけに騒がしい部屋のドアを開けたら、こんな光景が繰り広げられていた。
勿論、フレデリカとマリーにこの状況が理解出来る訳もない。
正に「どうしてこうなった」と言うしかない状況であった。
※ここだけ若干ホモネタ注意
「見て分かりませんか?」
「分かったら聞いてないわよ」
「1『アッー!!』 2『これ絶対入ってるよね』 さあ、どっちでしょう?」
「「3『どちらでもない』!!!」」
再び重なる、カイルとシャオの声。
慌てて離れる二人を見て、フレデリカの顔は引き攣っていた。
「アンタ達…、まさか、そんな…!」
「ち、違う!誤解だフー!!」
「フーちゃん、どういうこと?」
「マリーは黙ってなさい。知らなくていい世界の話よ…」
「だから、誤解だと言ってるだろう!」
「や ら な い か」
「「ヴァンは黙ってろ!!!」」
ヴァンの入れた茶々のせいで、フレデリカの誤解を解く為に多大な時間を要したことは言うまでもない。
その間、唯一意味を理解していないマリーは終始首を傾げていたのだった。
「…そういうことだったのね」
「ウホッ!」
「だから、これ以上言うなとさっきから何度も言っているだろう!いい加減にしろ!!」
「もういいわよ。ヴァンが悪いってことは良く分かったから」
「…で、そもそも何の用だったんだ?」
「あっ、そうそう!」
ようやく自分の出番が回ってきたことに気付き、持っていた袋をごそごそと漁るマリー。
綺麗にラッピングされた袋を一つ取り出すと、それをカイルに差し出していた。
「はい、カイル君」
「ん?何だ?」
「一日早いんだけど、バレンタインデーのプレゼント。良かったら食べてね」
「お、サンキュー!でも、何で今日なんだ?」
「あのね、今年はいつもと違って一人ずつ手渡ししようって話をしてたの」
「うん」
「でもやっぱり子供達には、いつも通りにお菓子を作ってあげようって話になって…」
「明日はそっちの準備で忙しいのよ。だから、一日前倒しってワケ」
「成程なぁ、そういうことなら有り難く貰っとくぜ」
「はい、ヴァン君にはこれ」
「うわ、デカッ!」
「わー、ありがとうございます!約束通りですね!」
「ヴァンばっかりズルいわ!アタシだって欲しいのに!」
続いてヴァンに渡された袋は、やたらと大きかった。
ヴァンはそれを受け取り、満面の笑みを浮かべている。
そしてそんなヴァンを見て、フレデリカは不貞腐れた表情を見せていた。
「この間色々お手伝いして貰っちゃったから。それに、皆と同じ量じゃ少ないって言ってたしね」
「じゃあ、中身は同じなのか?」
「うん。チョコレート味のマカロンだよ」
「前に雨宮が来た時に教えて貰ったのよ。あっちの世界じゃ人気なんですってよ」
「へー。そうだったのか」
「ボク、結構好きだったんですよ。また食べられるなんて嬉しいですね」
「えへへ、気に入ってくれたらいいんだけど」
「マリーさんの手作りなら、何でも気に入るに決まってるじゃないですか」
「やだ、ヴァン君ったら…!」
嬉しそうに頬を染めるマリーを、シャオは呆然としたまま眺めていた。
するとマリーはシャオの方を振り向き、にっこりと微笑む。
先程と同じように持っていた袋から中身を取り出し、ラッピングされた小さな袋をシャオに差し出していた。
「あ、あの…、シャオ君、これ…!」
「あ、ああ。ありがとう」
おずおずとマリーから差し出された袋を受け取るシャオ。
するとマリーは、緊張した面持ちでこう続けた。
「ヴァン君から、甘いものは苦手だって聞いたの。私、ずっと知らなくて…!」
「あ、いや、それは」
「だから、あげない方がいいかなって思ったんだけど…」
「いや、別に俺は」
「でも、やっぱりシャオ君にも食べて貰いたかったから」
「な…」
「…へぇ」
「ふーん、そうなんですかぁ」
「…………フン!」
予想外の方向から返って来た三者三様の反応に気付き、マリーは顔を真っ赤にしている。
そして慌てふためいた様子で、シャオに詰め寄っていた。
「一応甘さは控え目にして作ってみたの!だから、良かったら味見してくれると嬉しいんだけどね!?」
「数も、皆のよりはちょっと少なめにしてあるから!に、二個くらいならっ、大丈夫かなと思って!」
「あのッ、嫌なら無理して食べなくてもいいから!だから、本当にっ!!」
「あ、ああ…」
畳み掛けるようなマリーの勢いに圧倒され、若干及び腰になっていたシャオ。
その様子を見て困っているものと勘違いしたのか、マリーは湯気でも出しそうな勢いで顔を赤くする。
「や、やだッ、私ってば…!!じゃ、それじゃ、私っ、明日の準備が、あるからっ!!」
涙目になりながらやたらと歯切れ悪く捲し立てると、持っていた袋を抱えてマリーは部屋を飛び出していった。
残された四人は、呆然とマリーの立ち去った後のドアを眺めていた。
「…さて、オレも戻るとすっかなぁ」
「それならボクも一緒に戻りましょうかね。『用事』も済んだことですし」
「じゃあな、シャオ。邪魔したな」
「あ、ああ」
そう言って、何事もなかったかのように部屋を出ていくカイルとヴァン。
後に残ったフレデリカは、憮然とした表情で腕組みをするとシャオを睨みつけていた。
「シャオ」
「…何だ」
「それ、絶対に食べなさいよ」
そう言って、シャオが手にしている袋を指差すフレデリカ。
突然のことに状況が理解出来ず、呆然としたままのシャオに対して苛立った様子を見せていた。
「…マリーはあんな風に言ってたけど。それ、作るのに相当苦労してたのよ」
「そうだった…のか」
「そうよ!お陰様でこっちは何個も「甘くないマカロン」の味見までさせられたんだから!」
「………」
「何が納得いかなかったのか知らないけど、何回も作り直ししてたんだから」
「その度に味見させられるアタシの身にもなってみなさいよ!アタシ、甘いのが好きなのに!」
「『甘いのが苦手な人でも、これなら大丈夫かな??』って、何度も聞いてきて鬱陶しいったらなかったわ」
「…………」
「とにかく!甘いものが苦手だか何だか知らないけど、それだけは何があっても食べなさいよ!分かった!?」
「あ、ああ…」
「絶対に絶対よ!残したりでもしたら、アンタのこと燃やしてやるから覚悟なさい!!」
そう吐き捨てて、シャオを振り返りもせずにすたすたとドアへと向かうフレデリカ。
バァン!!とけたたましい音を立ててドアを閉めると、そのまま立ち去っていた。
「何が…どうなってるんだ…?」
一人残されたシャオは、ぽつりと呟く。
余りにも予想外で想像すらしていなかった事態を前に、自分の身に起きたことの意味を理解出来ずにいた。
正確には、理解は出来ているのだがそれが現実だとはにわかに信じ難いという方が正しい。
何故ならこの10年間の経験から言って、こんなことは「ありえない」のだから。
シャオはそのまま、しばらく呆然としながら手にした袋を眺めていた。
「…マリー。何してんのよ、アンタ」
「あっ、フーちゃぁん…!」
一方その頃、フレデリカは食堂の前の廊下でマリーを見下ろしていた。
何故かマリーは、廊下にしゃがみ込んで酷く落ち込んだ表情を浮かべている。
「もう、どうしよう…!やっぱり、迷惑だったんだよ…!」
「な訳ないでしょ。アンタがいきなりあんな調子で捲し立てたから驚いただけよ」
「…ううぅ、やだあぁぁぁ…」
そう言って、マリーはその場で頭を抱えてしまう。
フレデリカは呆れたように溜息を吐くと、丸まっているマリーの背中をべち!と叩いていた。
「ほら、いつまでもこんなトコでウジウジしてないの!」
「だって…、だってぇ…」
涙目のまま、顔を覗かせてフレデリカを見上げるマリー。
そんなマリーの姿と先程のシャオの姿を思い浮かべ、フレデリカは苛立った表情を見せていた。
「アンタが作ったものを、シャオが食べない訳ないでしょ!?いい加減に自信を持ちなさいよ!」
「でも、やっぱり…。無理だよ、そんなの…!」
「あーもー、面倒臭いッ!!!」
この数日間、マリーの『悩み』をさんざん聞かされ続けていたフレデリカの怒りはとうとう頂点に達する。
そんなフレデリカの怒号が、廊下中に響き渡っていた。