「………」  
「…すぅ…」  
 
カイルとフレデリカが後片付けを始め、先に部屋を出たシャオはマリーの部屋の前に立っていた。  
背負われているマリーは、シャオの背中ですやすやと寝息を立てている。  
意識のない人間の身体は重い。  
しかし背中に密着しているおっぱいだとか、抱えている太ももだとか、やっぱり気になるおっぱいだとか。  
酔っ払っている為にやけに体温の高いマリーの身体と、その柔らかさの前では些細なことであった。  
 
マリーを背負ったまま、器用にドアを開く。そしてスイッチで明かりを点ける。  
すると、明かりに気付いたのかマリーの身体がぴくりと反応していた。  
 
「……?シャオ…くん…?」  
「気が付いたのか。大丈夫か?」  
「…どう…して…?」  
「晴彦さんに飲まされて潰れてたんだ。今日はこのまま寝るといい」  
「そう…なの…」  
「ああ」  
 
どこか不満気なマリーの声。  
酔い潰れた揚句に目覚めたのだから、機嫌が良い訳もないだろう。  
そう判断したシャオは、そのまま室内へと向かおうとする。  
 
「…いいよ…。自分で…歩ける…」  
 
すると、マリーに動きを制された。マリーは背負われていた身体を振りほどくようにして、その場に足を着く。  
そして、シャオが振り向くよりも先に、  
 
 
−ガンッ  
 
 
壁面を荒っぽく殴りつける音と共に、部屋は再び暗闇に覆われていた。  
 
「な…ッ!?」  
 
突然のことに動揺するシャオの首に、するりと何かが巻き付いた。  
暗闇に浮かぶ、白くて柔らかくてどこかひんやりとした感触を伴う何か。  
白蛇を彷彿とさせる「それ」がマリーの腕であることに気付いたのと同時に、  
背後のマリーは、シャオに身体をぴったりと密着させて抱きついて来た。  
 
「…うふふ…。シャオ君、…捕まえたぁ…」  
 
鼻にかかるような猫撫で声が、シャオの首筋を撫でる。  
背後から響いたその声に、シャオの背筋は凍り付く。  
そこに居るのはマリーのはずなのに、まるで別人のような毒気と艶を帯びた声。  
心を半分捨てた、デレたり病んだりトンファーを振り回したりする某ヒロインを思い出させる豹変ぶりである。  
今のシャオに確認出来ることは、とりあえず肌の色に変わりはないということだけだった。  
 
 
「マ、マリー…!?」  
「…うふ、…ふふふ…っ」  
 
身を乗り出すようにして、シャオにしっかりと抱きついて来るマリー。  
背中にはマリーの胸が押し付けられており、その柔らかい感触がこれでもかという程に伝わってくる。  
そんな「あててんのよ」な状況にありながらも、シャオの全身からは冷汗が噴き出していた。  
 
武術の心得があるからこそ、感じ取れてしまう。  
首に回された腕は、甘える女のそれではない。  
明らかに、仕留めようとする者の腕だ。  
耳元で囁く甘い声は、媚びる女のそれではない。  
獲物を前に、自制心を失いつつある獣の咆哮だ。  
 
 
−喰われる。勿論性的でない意味で。  
 
 
シャオが、そんな感情を抱いたことを知ってか知らずか。  
背後の「マリーのような物騒で危険な誰か」は、指をシャオの身体に這わせながらこう囁いた。  
 
「ねぇ…。えっち、しよ?」  
「は…?」  
 
一体、何をどう聞き間違ったというのか。  
今のマリーの言葉は、溢れんばかりの殺気を放ちながら使うような単語ではなかったはずだ。  
混乱しつつあるシャオの首に、ぎゅっと両腕を絡めて甘えるかのように抱きついて来るマリー。  
そんな仕草とは裏腹に、頸動脈に薄刃を当てられているような威圧感にシャオは気圧されていた。  
 
「シャオ君…、ねぇ、しよう…?」  
「な、何を、馬鹿な、ことを」  
「私と…するの、いやなの…?」  
 
嫌ではありません。  
嫌な訳がありません。  
大事なことなので二回言いました。  
しかし据え膳食わぬは男の恥といえど、いくら何でも猛獣の檻の中にある据え膳は食べられません。  
シャオがそんな思考を巡らせていると、抱きついているマリーは悲しそうな態度を見せる。  
 
「シャオ君…、私のこと、きらい…?」  
 
嫌いだなんてとんでもない。  
寧ろ好きすぎて気が付いたら10年経ってましたが何か。  
ストーキング技術において、右に出る者は居ない域にまで達しましたがそれが何か。  
誰にともなく、心の内で言い訳を延々と繰り返すシャオ。  
当然のことながら背後のマリーはそんなシャオの心情にも構うことなく、耳元に唇を寄せて囁く。  
 
「私…、知ってるんだよ?」  
「な、何をだよ」  
「シャオ君、いつも私のこと…見てるでしょ?」  
「!!」  
「気付いてないと…思ってた…?」  
「お、俺は、別に」  
「…嘘つき」  
 
熱を帯びた甘い吐息が、シャオの首筋を這う。  
心拍数は跳ね上がり、喉がからからに渇いていた。  
背後のマリーは何が楽しいのか、シャオに抱きついたままくすくすと笑い声を上げている。  
マリーが煽るように身体を密着させればさせる程、シャオの背中に伝わる胸の感触。  
そんな極楽のような状況にありながらもシャオの全身は硬直しており、冷汗が引く気配はない。  
 
今のマリーは、明らかに尋常ではなかった。  
言動はどう見てもシャオを誘っている者のそれなのだが、気配が別人のように凶悪である。  
例えるならば、鴨がネギを背負って調理器具まで携えてやって来たが、  
実は戦闘力が53万の鴨だった、というくらいの凶悪ぶりであった。  
酒に酔ったからといって、こうも豹変してしまえるものなのか。  
いっそ「中の人など居る」状態ではないのか。  
そうやってシャオが現実から目を背けようとしていると、背後のマリーは再び口を開いていた。  
 
「私の胸ばかり…見てるじゃない…?」  
「そ、そんな訳じゃ」  
「見てるだけなんて…、つまらないでしょ?」  
「な、なな、何を、言って」  
「シャオ君の好きなようにして、いいんだよ…?」  
「な」  
 
何これ、幻聴?  
 
「シャオ君になら…、私、何されても…いいよ?」  
 
やっぱり幻聴だ。そうに違いない。  
 
「どうせ私の身体、勝手にオカズにしてるんでしょ?」  
 
してます。……じゃなくて今、何て言った?  
 
「胸で挟ませたり、口で(ピー)させたり、無理矢理(ピー)させたりとか、してるんでしょ?」  
 
いや、流石にそこまでは時々しか。  
おかしいな、さっきからマリーの声が途切れて良く聞こえないんですが。  
 
「それとも(ピー)が(ピー)して、(ピー)させたりしてるの?」  
 
 
 
…人は本能的に許容し難い状況に陥ると、その原因となる情報を無意識の内に遮断してしまうことがある。  
今のシャオもまさしくその状態にあり、先程からマリーが発する卑猥な言葉の数々を耳に入れることを拒絶していた。  
あのマリーが、こんなことを言うはずがない。  
しかし現実は得てして非情であり、最終的にマリーの口をついて出る言葉は全て放送禁止用語になっていた。  
 
恥ずかしがりながら卑猥な言葉を口にするのであれば存分に萌える、或いは燃えるところではあるのだが。  
恥ずかしがるどころか、嬉々として放送禁止用語を連発されては、萌えるどころか萎えるだけである。  
口に出来るということは、そもそもマリー自身にそういう「知識」があるという訳で。  
その事実に、シャオは驚愕せずにはいられなかった。  
 
「(ピー)が(ピー)で(ピー)を(ピー)とか…」  
「……………。」  
 
延々と続いている、マリーの放送禁止用語のみの発言。  
萎えるという次元も通り越し、そのうちシャオは考えることをやめた。  
そして完全に沈黙したシャオに対して、マリーはとどめの一言を放つ。  
 
「だから、私とえっちしよう?」  
 
だから、何故そうなる?  
 
今のマリーの思考回路は、シャオには到底理解出来ないものだった。  
マリーが自分をこうも積極的に誘ってくること自体は歓迎すべき、というよりも有り得ない事態なのだが。  
余りにも想定外の事態と想定外の変貌を遂げたマリーを前に、シャオは困惑していた。  
この状況を打破する、有り体に言えば「この状況から逃げ出す」方法を思案するものの、良策は浮かばない。  
沈黙を続けるシャオに、マリーも流石に苛立ちを覚えたらしく。  
シャオの頭を掴み上げると、噛み付かんばかりの勢いで耳元に唇を寄せていた。  
 
「いい加減にしなさいよ…?」  
「何を…だよ」  
「私とヤるの?ヤらないの?その程度のことも答えられないの?」  
「その程度のことじゃないだろう!?」  
 
どうやら変身には二段階目があったようです。  
デレが完全に消え失せているようです。  
やっぱり肌の色が黒くなっていたりはしませんかこれ。  
…いや、白いな。それよりさっきから首を絞めようとしてませんかこれ。  
 
「うるさいのよ、このヘタレ…!」  
「何だと…!?」  
 
それが、シャオが自分の意思で発した最後の言葉だった。  
マリーは掴んでいたシャオの頭を無理矢理自分の方へと向けた。  
 
「が…ッ!?」  
 
その勢いでごきっ、と嫌な音がしたがマリーは気にする素振りもない。  
強引に向けさせられた視線の先で、マリーの瞳がじいっとシャオを見据えている。  
 
「……………」  
 
その瞳は、完全に据わっていた。  
両手でシャオの頭を掴み直すと、更に自分の方へと振り向かせる。  
 
「ぐぁ…!!?」  
 
今度はべきっ、とこれまた嫌な音がしたがマリーはやっぱり気にする素振りすら見せなかった。  
身長差がある為か、マリーはシャオの頭を掴んだまま爪先立ちになる。  
そしてそのまま、何の躊躇いもなくシャオに唇を重ねていた。  
 
「!!?」  
「…んっ…」  
 
突然のことに身を引こうとしたシャオを逃すまいと、両手でしっかりと頭を固定させる。  
それから舌を滑り込ませると、やけに慣れた動きでシャオの歯列をなぞる。  
深く差し込まれた舌は、惑うシャオの舌を捉えていた。  
ちゅぱ、ぴちゃっ、と唾液の絡み合う音と、マリーの吐息だけが響く。  
シャオは石化したかのように指一つ動かすことも出来ず、ただマリーの責めを受け続けていた。  
 
(…何…故だ…!?)  
 
その間シャオの意識を支配していたことは、酒臭くてどこか甘い吐息でも、マリーの柔らかい唇の感触でもなかった。  
勿論、積極的という次元ではない言動や、密着しているおっぱ…身体の感触でもない。  
 
(一体、誰が…!マリーに『こんなこと』を教えたんだ…!!?)  
 
そんな疑問を抱かずにはいられない程、マリーの舌技はやけに手慣れていて巧みだった。  
唐突に唇が離れ、顔も離された。マリーは少しだけ呼吸を乱しながら、  
俯いたままで二人分の唾液で濡れた唇を無造作に拭う。  
そして呆然としたままのシャオを見上げた瞳は、ぎらりと光っていた。  
 
 
 
 
「あーあ、本当に災難だったよなァ」  
「…うん」  
 
一方その頃、片付けを終えたカイルとフレデリカは自室へと戻ろうとしていた。  
相変わらず変な様子のフレデリカに、カイルは横目で視線を送る。  
 
「… なぁ、フー」  
「何よ」  
「酔っ払ったマリーに、何かされたことでもあんのか?」  
「なッ!!アンタ、何で、それをっ!?」  
 
その場に立ち止まり、素っ頓狂な大声を上げるフレデリカ。  
予想以上の反応に驚きながらもカイルはフレデリカを制すると、納得した表情を見せていた。  
 
「いや、もしかしたらと思ってな?」  
「あ…、何だ。そういう…ことなの…」  
「だってなぁ、オレもあんな目に遭うとは…思わなかったしな」  
「… でしょうね」  
「で、フーの態度も何かおかしかったからさ」  
「ああ…、うん」  
 
「…大丈夫だったのか?」  
 
カイルのその一言に、フレデリカは思わず顔を上げる。  
茶化す訳ではなく、カイルは至って真剣な様子だった。  
マリーがカイルに何を言ったかは分からない。  
しかし「酔っ払ったマリーの恐怖」を体感した者同士の、奇妙な連帯感がそこにはあった。  
 
「………」  
「言いたくねぇんなら、無理して言わなくていいぜ」  
「………うん」  
「…ま、無事だったんならいいけどさ」  
「……………」  
 
果たして、あれは「無事」と言えるのかどうか。  
フレデリカは俯いたまま、その時のことを思い返していた。  
 
 
今日の嵐と晴彦のように、マリーとフレデリカとで酒宴を開いたことがあった。  
酒宴というよりも、パジャマパーティーといった方が近い。  
持ち寄った中にアルコールもあったという程度のものである。  
現代ならいざ知らず、この「根」において「お酒は20歳になってから」という法律はさしたる意味を持たない。  
その為厳密にはまだ成人していないフレデリカが酒を持ち出そうとも、咎める人間も居なかった。  
 
甘ったるい酒をちびちびと舐めていても、そうそう酔っ払う訳がない。  
他愛もない話をしながら、持っていたグラスの中身が半分ほどになった頃。  
ついさっきまでにこやかに話していたマリーの顔からは、表情が消え失せていた。  
 
「…何よ、マリー。どうかしたの?」  
「…………」  
 
突然の異変に気付き、グラスを置いてマリーの側へとにじり寄る。  
怪訝に思いつつも、下からマリーの顔を覗き込もうとしたその時。  
 
「え?」  
 
いきなりマリーに手首を掴まれ、フレデリカはその場に押し倒されていた。  
ばさりという音と共に、結えたマリーの髪が流れて落ちる。  
逆光の中、どこか虚ろなマリーの瞳が呆然とするフレデリカを見据えていた。  
 
「フーちゃん…」  
「マ、マリー?」  
 
そして身体に圧し掛かるような重みと共に、マリーはフレデリカの身体に覆い被さる。  
脚に何かが触れたと思った時には、マリーの太ももに両脚を押さえ込まれていた。  
ポニーテールの毛先が、フレデリカの耳元をくすぐる。  
潤んだ瞳には、動揺する自分の顔が映っていた。  
熱っぽい吐息が、鼻先や頬を撫でる。  
そんな至近距離でやけに艶っぽい瞳に見つめられ、フレデリカの鼓動はどきどきとうるさいくらいに鳴り響く。  
予想外の事態とアルコールのせいで頭は正常に働かず、この場から逃げ出すという発想すら浮かばずにいた。  
 
「…すき」  
「ア、アンタ一体何言っ…!?」  
 
マリーの唇がかすかに動き、耳に入った言葉。  
聞き間違いではないかと思ったフレデリカの予想を裏切り、マリーはフレデリカの唇を塞いでいた。  
 
「……うぅ…ッ…!!」  
「…ん…、ふ…ぅ…」  
 
じたばたと抵抗するフレデリカに構わず、思うがままにその唇を貪るマリー。  
不利な体勢であることに加え、小柄で華奢なフレデリカとテレキネシスを操るマリーとでは力の差は歴然だった。  
柔らかい唇と、生温かく絡みつく舌の感触にフレデリカは動揺する。  
唾液と共に口腔に無理矢理流し込まれた、果実の匂いと甘ったるい液体。  
それは先程まで飲んでいた酒なのか、マリーの唇そのものの「味」なのか。  
変に冷静な頭の片隅でそんなことを考えながら、フレデリカは抵抗も出来ずにされるがままになっていた。  
 
マリーの舌は、強引ながらも壊れものを扱うかのような繊細さでフレデリカの口腔を愛撫していた。  
ぴちゃぴちゃとやけに生々しい音や、唇や粘膜を通して伝わる感覚に堪えかねてフレデリカは目を閉じた。  
そのせいで余計に感覚が研ぎ澄まされてしまったことに気付き、フレデリカは再び目を開こうとする。  
 
「……ッ!!」  
 
まるでそれを見透かしたかのように、マリーの舌が奥深くへと潜り込んで来た。  
マリーの舌に自分の舌を絡め取られ、フレデリカの肩がびくりと跳ねる。  
そんな反応をも楽しんでいるのか、マリーはフレデリカの口腔を蹂躙していた。  
激しくなった動きに合わせて、唇の端から唾液が溢れて零れ落ちる。  
 
身体の芯から、何かが這い上がって来るような奇妙な感覚にフレデリカは戸惑っていた。  
マリーの行為によって与えられていることは分かっても、何の救いにもならない。  
それどころかマリーがこの「行為」を止めない限りは止むこともないという事実に、酷く不安を煽られていた。  
 
「…っは、…ぁ……」  
「フーちゃん…、かわいい…」  
 
一体どれだけの間、いいようにされ続けていたのか。  
ようやく唇を解放されて、恐る恐る目を開いたフレデリカの瞳に照明の光が突き刺さる。  
その眩しさに思わず眉を顰めると、やけに含みのあるマリーの声が上から降ってきた。  
 
「…アンタねぇ…!一体、何考えてんのよ…」  
「いやだった?」  
「それ以前の…問題でしょ…!?」  
「……そう?」  
「やっ、ちょっと!!」  
 
つう、とマリーの指がフレデリカのネグリジェの裾へと潜り込む。  
ひんやりとした指先が、太ももをざわざわと這い回る。  
その感覚に惑わされ、気付いた時には指先は下着に掛かろうとしていた。  
 
「ねぇ、フーちゃん…?」  
「…や…、あ…ッ!」  
「本当にいやなら、どうして逃げないの?」  
「…だっ、だって…!」  
「フーちゃんだったら、そのくらいのこと…出来るよね?」  
 
唐突にマリーが、フレデリカの顔を覗き込んだ。  
情欲に溺れた瞳が、じっとフレデリカを見据える。  
フレデリカは凍り付き、喉まで出かかっていた反論の言葉は飲み込まれてしまっていた。  
 
「それとも」  
「…ッ!!」  
「もっと、して欲しいの?」  
「ひ…あぁ…ッ!!」  
 
マリーがフレデリカの耳元に顔を埋め、その白い首筋に舌を這わせたのと同時に。  
フレデリカの喉からは、明らかに艶を帯びた嬌声が発せられていた。  
下着の端に掛けられていた手が、躊躇うことなくそれを引き下げる。  
外気に晒された、誰も触れたことのない場所へとマリーの指が伸びていた。  
 
 
「…おい、フー?」  
「!!?」  
「どうしたんだよ、いきなりボーッとして?」  
「…ぁ、カイ… ル…?」  
 
いきなり名前を呼ばれて我に返ると、怪訝そうな顔をしたカイルがフレデリカの顔を覗き込んでいた。  
どうやら「マリーとの一件」を思い返している内に、意識を手放しかけていたらしい。  
 
ちなみにその直後、アルコールの回り切ってしまったらしいマリーはフレデリカに覆い被さったまま眠ってしまった。  
幸いなことにフレデリカの貞操は守られた訳なのだが、いきなり襲われ押し倒された揚句に唇を奪われ、  
よりにもよってそれがフレデリカにとってのファーストキスであったとなれば、その衝撃は筆舌に尽くしがたい。  
おまけに翌日目覚めたマリーが何一つとして覚えていなかったとあれば、尚更のことである。  
勿論そんなことを自ら説明するなんてことも出来ず、その事件はフレデリカだけの秘密となっていた。  
但し、それ以来マリーをアルコールの類から徹底的に遠ざけるようになったことは言うまでもない。  
 
「…ん、大丈夫…。何でもないわ」  
「…そうかぁ?」  
 
赤みを帯びた顔と、もじもじしつつもあからさまに動揺している態度。  
どう見ても大丈夫そうには見えなかったが「マリーとの一件」を思い起こした結果であると察したカイルは  
それ以上追及しようとはせず、その場を取り繕うかのように廊下の先へと視線を向けていた。  
 
「ん…?」  
「な、何よ、どうしたの?」  
「今、何か聞こえなかったか?」  
「え?」  
 
フレデリカの声と重なるようにして、微かだがしかしはっきりと廊下の先から声が響く。  
気のせいだろうかと首を傾げようとしたところで、再び同じ声が廊下に響いていた。  
 
 
−アッー!  
 
 
それは、とても良く知った「誰か」の悲鳴だった。  
 
「………」  
「………」  
 
引き攣った顔で、互いを探るように見つめ合うカイルとフレデリカ。  
仲間の危機には、何をおいても駆けつけるのが彼らエルモア・ウッドである。  
だがしかし、彼ら二人は別の「秘密」を抱えてもいた。  
 
酔っ払ったマリーの恐怖。それを身をもって知っている二人は思わず身が竦む。  
今度こそ。今飛び込めば、今度こそ『喰われる』。  
それが分かっているからこそ、二人は迷っていた。  
 
「なぁ」  
「う、うん」  
 
先に口火を切ったのは、カイルの方だった。  
フレデリカは緊張した面持ちで、カイルをじっと見上げている。  
 
「もう遅いし、とっとと戻って寝ようぜ」  
「…そ、そう…ね」  
「マリーの様子なら、朝見に行けばいいだろ」  
「うん、そうよ。そう…よね…」  
 
カイルの提案に、どこかほっとした様子を見せるフレデリカ。  
そして自分の提案を了承したフレデリカに、カイルも安堵した様子を見せていた。  
 
(悪りぃ、シャオ…!許せよな…!)  
(…まぁ、いくら何でもシャオ相手なら大事には…ならないわよね…?)  
 
勝ち目のない相手に対し、立ち向かうだけが兵法ではない。  
危険を回避することもまた兵法である。  
逃走することは恥ではない。勇気ある撤退でもあるのだ。  
自分たちは宣戦の儀で、それを知ったではないか。  
そして大事の前には、得てして小さな犠牲がつきものである。  
 
要するに二人は、最も無難かつ安全な「シャオのことは放っておく」という選択肢を選んだのだった。  
 
いくら何でも、マリーの力でシャオをどうこうすることは出来ないだろう。  
さっき悲鳴が聞こえたけれど、そこから状況を立て直すくらいは出来るだろうし。  
いくらテレキネシスがあるとはいえ、シャオの能力があれば太刀打ち出来ないはずがない。  
明らかに必死な感じの悲鳴だったような気がしなくもないけど、聞き間違いかもしれないし。  
万が一「何か」が起きたとしても、命まで取られることはないだろう。  
性的な意味では、ともかくとして。  
 
 
「…ん…、うぅ〜…」  
 
そして翌朝。  
マリーは、激しい頭痛と共に目を覚ましていた。  
ガンガンと、頭を内側から殴りつけるような痛みに思わず呻く。  
身体を起こしてからシーツごと頭を抱え込んだところで、異変に気付いた。  
 
「え…?」  
 
何故か、服を着ないまま眠っていたらしい。  
慌ててシーツをめくり、中を確認してぽつりと呟く。  
 
「はいてない…」  
 
そもそも昨晩は、一体何があったのか。  
必死に思い返そうとするのだが、頭痛に遮られて何一つとして思い出せない。  
今のマリーは自分が酔い潰れていたことはおろか、嵐と晴彦の元に料理を届けたことすら忘れ去っていた。  
 
「私…、何してたんだろう…?」  
 
疑問と不安を抱きつつ、首を傾げながら起き出そうとするマリー。  
ふとその視線の先にある「もの」に気付き、驚愕の余り声すら失っていた。  
 
 
「…… うぅ…」  
「え、あ、シャ、シャオ君ッ!?」  
 
何故か床に、シャオが転がっていた。  
しかしマリーを絶句させたのは、それだけではない。  
 
床に転がっていたシャオは、全裸だった。  
正確には、シーツと一緒に放り投げられているような状態だった。  
おまけに身体のあちこちに、いくつか引っ掻き傷まで付いていた。  
うつ伏せになっているせいで表情は窺えなかったが、その顔は明らかに青ざめていた。  
 
「…… たの、む…。…もう…止め…」  
 
どう見ても虫の息といった体のシャオが漏らした言葉に、マリーの顔からは血の気が失せていく。  
慌てて室内を見渡すと、自分とシャオの衣類があちこちに散らばっていた。  
 
 
「何が…、起きたの…!?」  
 
 
ずきずきと痛む頭を抱え、呻くように呟く。  
昨晩の記憶を全て失っているマリーが「真実」にたどり着けるはずもなく。  
マリーは縋るように、身体を包んでいたシーツを掻き抱いていた。  
床の上に転がったままのシャオが上げた呻き声は、既にマリーの耳には入っていなかった。  
 

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