「…ねぇ」
「…何だよ」
「…どうするの?」
「どうする、ってもなぁ」
「悪かった!本当に悪かった!!」
「済まない。オレが止められれば良かったんだが」
「…いいわよ別に。嵐が悪い訳じゃないんだし」
「そうだな」
「とりあえず晴彦は死刑ね」
「…ま、仕方ねぇかな」
「ちょっと待てコラ!どーしてランは良くてオレは死刑なんだよ!?」
「うるっさいわよ、このバカ彦!どーせアンタが無理矢理勧めたんでしょ!?」
「い、いやいや、そんなコトはしてねーって!」
「確か『オレの酒が飲めない訳ないよな』と言って迫っていたはずだが」
「あ、この野郎!バラすんじゃねーよラン!!」
「…予定変更ね。今すぐ千架を呼びに行くわよ」
「頼むからそれだけは止めてくれェェ!!バレたら確実に殺されちまうだろがよォォ!!」
「なら、あのマリーをどうにかしなさいよ!今すぐ!!」
「ぬぐッ…!」
額に青筋を浮かべ、指先をビシ!と突き付けるフレデリカ。
指差した先には、真っ赤な顔をして寝転がるマリーの姿があった。
「…うふ…ふふふ…っ、…ふふふ……」
酔い潰れたらしいマリーは、険悪な空気に構わず不気味な笑い声を漏らし続けていた。
この天樹の根には、現代で流通しているものに比べれば質は悪いが酒類が存在している。
醸造に関する書物が残されていたこともあり、嗜好品の一つとして生産されるようになっていた。
崩壊の後に成人を迎えた天樹院の子供達は、あまり酒類を好まなかったのだが
転生の日以前に既に成人していた人間にとっては、例え質が悪かろうとも酒の力を借りたくなることが往々にしてあるようだった。
所謂『飲みでもしないとやってられない』状態なのだが、その概念は、子供達には今一つ理解し難いものでもあった。
そんな『やってられない』状態にあった晴彦が、今晩飲まないかという話を嵐に持ち掛けていた。
そして偶然その場に居合わせたマリーが、良ければ何かつまみになる物を用意しようかと申し出た。
マリーの料理で酒が飲めるとなれば、彼らに断る理由などあるはずもない。
二人は当然の如くマリーの好意に甘え、その結果むさ苦しい酒の席に華を添える肴を手に入れたのだった。
酒宴が始まってから、手料理を携えてやって来たマリーを晴彦は必要以上に歓迎した。
というより、大して強くもない癖に飲みたがる晴彦は既に出来上がっていた。
そんな晴彦の前に現れたマリーは正に恰好の餌食であり、
まるで『社員旅行でお酌にやって来た女子社員に絡む酔っ払いの課長』よろしく
「オレの酒が飲めないのかよォ!?」とこれまたベタな絡み方をしていたのだった。
そして、困り果てた表情を見せていたマリーに気付いて嵐が止めようとしたものの。
あと一歩のところで間に合わず、思い詰めたマリーは手にした酒を一気に煽ってしまっていたのだった。
いきなりその場に倒れて笑い声を上げ始めたマリーに動揺する嵐と晴彦。
組手を終えたばかりだったカイルとシャオに助けを求めたまでは良かったのだが、
付き合いの長い彼らですら、マリーの『惨状』には呆然とする他なかった。
自分達だけではどうにもならないと判断し、カイルはフレデリカを、シャオはヴァンを呼びに向かった。
そして先に到着し、事の顛末と晴彦の言い訳を聞かされたフレデリカは盛大な溜息を吐いていた。
「…じゃあ、まずは晴彦を黒焦げにするところから始めましょうか?」
「ちょ、待てよフー!落ち着けって!!」
「そんなの無理に決まってんでしょ!?マリーに一気させるなんて、何考えてんのよッ!!」
「だってよォ、まさか一杯であんなになるなんて思わなかったんだって」
「えへへへへぇ……」
不気味な笑い声を上げ続けながら、寝返りを打つマリーを全員が見つめる。
マリーは何も知らず、真っ赤な顔をして満面の笑みを浮かべていた。
「…まあ、オレですら知らなかったもんなぁ。マリーがあんなに酒に弱かったなんてさ」
「だから、人前では絶対飲ませないようにしてたのに…!」
「何だ、フーは知ってたのかよ?それなら教えてくれればいいじゃねぇか」
「…別に、その必要はないと思ってたのよ」
「ま、今更何言っても始まらねぇか」
「そうよ!元はと言えばアンタが悪いんだからね!?このバカ彦!!」
「だから反省してんじゃねーか!いい加減許してくれって!」
「黙りなさいよバカ彦!アンタなんかブリーフ一丁でペンギンが管理人のマンションに住めばいいんだわ!」
「それ作者が違うだろ!?」
「コラボまでした仲なんだから問題ないわよ!」
「つーか、それ打ち切」
「明日は我が身よ!その単語を口にすることだけは許さないわよ、絶対に!!」
「…さっきから一体何の話をしているんだ」
「…さぁ。オレが聞きたいよ」
嵐の問い掛けに、肩を竦めてみせるカイル。
晴彦の言葉はどうやらフレデリカの逆鱗に触れてしまったらしく
最も嫌う言葉である「ちっちゃい」と言われた時並に怒り狂っていた。
「アンケ」だの「ドベ5」だの「定位置」だのという、耳慣れない単語が飛び交う中。
マリーが再び寝返りを打ち、掛けられていた毛布から白い脚を投げ出していた。
「ん」
その変化にいち早く気付いたのは、カイルだった。
壊れた笑い袋の如く、延々と続いていた不気味な笑い声もいつの間にか止んでいる。
笑みを浮かべてすやすやと寝息を立てているその姿を見て、カイルと嵐は安堵していた。
寝相と真っ赤な顔さえ除けば、ある意味無防備で可愛らしくもある。
カイルはおもむろにマリーの元へと歩み寄り、屈み込んで顔を覗き込む。
酔っ払っている為に呼吸はまだ乱れていたが、これといった異常は見られない。
「おーいマリー、大丈……ぶはっ!?」
念の為にと掛けられたはずのカイルの声が、素っ頓狂に途切れる。
そしてカイルの首には、いつの間にやらマリーの腕が回されていた。
「うおっ!!?」
突然のことに、バランスを崩してそのままマリーの上に倒れ込むカイル。
身体をかわしてマリーに体重を掛けてしまうことは避けたものの、抱き寄せられて身動きが取れなくなっていた。
「ちょっとカイル、何やってんのよ」
「羨ましいことしてんじゃねーぞー。ちょっとそこ代われよォ」
「…そんなことしたら、骨まで灰にするわよ?」
「だから、何なんだよこの違いは!?」
「人徳の差という奴だろう」
「うるせー!!」
嵐も晴彦達の側に寄り、3人でカイルを眺めては軽口を叩いていた。
いきなり抱きつかれただけなのだから、すぐに起き上がると思っていたのだ。
カイルもそう思っていたようで「しょうがねぇなあ」と呟きながらマリーの腕を外そうとした矢先。
マリーが両腕をカイルの首にしっかりと絡め、小声でぼそりと何事かを呟く。
「…あ?マリー、一体何言っ…」
そして再び、カイルの声が素っ頓狂に途切れていた。
「ちょ、おい、コラッ!?止めろって!何してんだよ!!」
「……!!?舌、舌!うわ、舐めるな、いや噛むなッ!!」
「うわああああああああッ!!!」
先程とは違い、明らかに必死で抵抗しているカイル。
3人の側からはマリーがカイルにしっかりと抱きついているだけにしか見えない。
しかしどうも状況は違うらしく、カイルはマリーに拘束されてじたばたともがいていた。
カイルの必死な叫びで流石に異常に気付いた嵐と晴彦が、慌ててマリーからカイルを引き剥がす。
漸くマリーの腕から開放されたカイルは、その場に尻餅をついていた。
肩で息をしながら、流れ落ちる冷汗を拭う。その顔は、誰の目にも明らかな程青ざめていた。
「サ、サンキュー…、助かった…」
「大丈夫か?一体どうしたんだ?」
「いきなり叫び出したから、ビビったぜー?」
「あー…、うん、何つーか…。食われるかと…思った…」
「「??」」
「……………。」
疑問に満ちた表情を浮かべる嵐と晴彦。
突然のことに珍しく動揺を隠し切れないカイル。
そして、沈黙するフレデリカ。
「…うふふ…、やだぁ…もう…」
先程までとは違う意味で凍りついた室内に、マリーの笑い声が響く。
変わらず無邪気な寝顔が、余計に彼らの不安を煽っていた。
そんな中、やや場違いな感のあるノックの音と共にシャオが部屋へと入ってきた。
マリーの傍らに座り込んでいる顔色の悪いカイルを見て、怪訝な表情を浮かべている。
「…どうか、したのか?」
「…いや、何も。それより、ヴァンはどうした?」
「追い返されたよ…」
『酔っ払いなら寝かせておけばいいじゃないですか。そんなことでボクの睡眠を妨げないで下さい』
二日酔いになったら診てあげますとだけ言い残し、部屋から閉め出されてしまったのだった。
「…まぁ、確かに無理矢理引っ張って来たら後がめんどくせぇよな」
「そーね。このまま寝かしつけといて、何かあれば診て貰えばいいんじゃない?」
「そうだな」
珍しくまともな意見を口にするフレデリカと、それに同調するカイル。
そして、その後ろでうんうんと頷く晴彦とやっぱり同調している嵐。
全員の視線が、すやすやと寝息を立てて眠るマリーに注がれていた。
明らかな違和感を感じつつも、シャオはその正体を理解することが出来ずにいた。
「…じゃあ、片付ける?」
「だな」
「なら、オレ達も」
「あ、いーよ嵐さん達は。後はオレ達がやるからさ」
「そうね、それより晴彦の面倒見といてよ」
「もう何もしねーよ!」
「うるさいわよバカ彦!元はと言えばアンタのせいなんだからね!?」
「が…ッ!」
「そういう事だ」
「…チクショー。何だよ皆してよォ…」
肩を落としてうなだれる晴彦をよそに、片付けに取り掛かろうとするカイルとフレデリカ。
シャオがそこに加わろうとすると、カイルがそれを制する。
「あ、片付けはオレとフーでやるからさ。シャオはマリーを部屋に連れて行ってくれねぇか?」
「それは、別に構わないけど…」
「なら、任せたわよ」
「……ああ」
違和感が、どうしても拭えない。
普段ならばシャオにマリーを任せるというのに、フレデリカが何も言わない時点で既におかしい。
それどころか、寧ろ積極的に送り出そうとするとは。
4人ともマリーを心配してはいるようなのだが、意図的に避けようとしているようにも見受けられた。
「…んぅ…、すぅ…」
床に寝かされたマリーは、小さな寝息を立てながら眠っていた。
先程までの惨状を知らないシャオは、そんなマリーを眺めて首を傾げていた。