「…まったく。一体何をどうしたらこんなことになるんですか?」
「まぁまぁ、そう言ってやるなって」
「そうは言ってもですね。ここまで酷い頚椎捻挫なんてそうそう…」
「頚椎捻挫?」
「まあ、平たく言えばむちうちってことですね」
「へぇ〜…、そう、なのね…」
「そりゃ大変だなぁ」
どこかバツの悪そうな顔をしながら、横目でベッドに視線を送るカイルとフレデリカ。
視線の先にはベッドの上で上体を起こしているシャオと、その傍らの椅子に座って俯くマリーの姿があった。
二人の顔は、どことなく青ざめていた。
「………」
「………」
ヴァンがあれこれと病状について説明している間も、ひたすら無言を貫き通していたシャオとマリー。
あの『大惨事』を思えば、無理もない話ではある。
一言で言うと「酔っ払ったマリーにシャオが襲われた」で済んでしまうのだが。
その「結果」が、一言では済ませられない事態となっていた。
それを知っているからこそ、ヴァンでさえも茶化すことすらしなかった。
単に「ツッコミどころが多過ぎて何もツッコミきれない状況」とも言えるのだが。
シャオを見捨て、もとい仲間だからこその信頼からマリーを任せて就寝した翌朝。
寝ぼけまなこのヴァンを引きずり、カイルとフレデリカがマリーの部屋の扉を開いたところ。
扉の向こう側には、理解不能な光景が広がっていた。
「きゃあああああああっ!!!」
「……うぅ……」
「シャ、シャオーー!!?」
「何よコレ!何なのよコレ!?」
「どいて下さい二人とも!救急カートを呼ばないと!!」
突然入ってきたカイル達に驚き、大声を上げるマリー。
マリーは全裸にシーツを巻き付けただけという姿で、床に屈み込んでいた。
本人に自覚はなかったが、背中や太ももが丸出しというかなり際どい格好である。
そんな格好で、床に転がる「何か」を覗き込んでいた。
その「何か」とは、言うまでもなくシャオである。
床に転がされて呻き声を上げているので、一応生きてはいるらしい。
しかし全裸でシーツと一緒に投げ捨てられたような状態で放置されており、
流石のカイル達も青ざめる他ない状況であった。
背中や腕には引っ掻き傷が付けられており、手首にはきつく縛られたかのような跡まで残っている。
うつ伏せであった為に「視界の暴力」は最小限に抑えられていたのだが、
背中どころか尻まで「まるだしっ」な状態となっており、
これが園児ならばギャグで済まされるところなのだが、一歩間違えれば出版的なタブーに抵触しかねない。
それが単なる「まるだしっ」であればカイル達も指をさして笑うところなのだが、
「虫の息のまるだしっ」とあっては、流石に安否を気遣わずにはいられなかった。
おまけにマリーが、そんなシャオの傍らに屈み込んで何やら手を伸ばそうとしていた。
この時マリーは、よりにもよってシャオの側に投げ捨てられていた自分の下着を取ろうとしていたのだが、
昨晩の惨事を知っており、尚且つ正常な判断力を失っていたカイル達から見れば
どう見てもトドメを刺そうとしているようにしか見えず、事態は更に悪化していた。
「もう止めろマリー!シャオのライフは0だぞっ!」
「そうよ!だからせめてパンツくらいは穿かせてあげなさいよ!」
「二人とも落ち着いて下さい!!パンツより生命優先ですからっ!!」
「いやああああっ!パンツは穿かせてええっ!!」
「アンタも穿いてないの!?」
「何やってたんだよお前ら!!?」
「マリーさんはパンツ優先でいいですから、とにかくシャオ君を治療室に!!」
「じゃあパンツは!?」
「いりません!!!」
昨晩の恐怖による相乗効果で混乱しているカイルとフレデリカを叱り飛ばすヴァン。
医療班なだけあり混乱した現場は慣れっこなのか、シャオに駆け寄って容態を確かめる。
遅れて到着した救急カートで治療室へと搬送されたシャオは、勿論全裸のままであった。
「…まあ、命に別状がなくて良かったというべきですか?」
「…………」
ヴァンの問い掛けに、シャオが答えられる訳もない。
治療室から自分の部屋へと運ばれたシャオ。流石に服は着ていた。
迅速な処置により全身の外傷はすっかり消え去っていたのだが、心に負った傷はプライスレスである。
早朝ということもあり被害は最小限に食い止められたものの「まるだしっ」の事実は
傷口に塩どころかハバネロをすり込む程のダメージを、シャオの心に与えていた。
「…と、とにかくさ、無事で良かった、よな?」
「そ、そうよ!だから元気出しなさいよっ!」
「マリーもそんな暗い顔してんなよ、な?」
「…………」
「…………」
どこか空回りしているカイルとフレデリカの励ましにも、反応すらしないシャオとマリー。
それどころか、表情は更に陰りを増していた。
そんな仲間達を尻目に、ヴァンは呆れたような溜息を吐く。
「傷は治せましたけど、首は完全には治ってませんからね」
「そうなのか?」
「何せむちうちですから。少し時間が掛かると思いますよ」
単なるむちうちであれば、ヴァンの能力で治癒することは容易い。
しかし実際はむちうちどころか「頚椎の著しい損傷」に近いレベルであった為
ヴァンの能力をもってしても、そう簡単に完治出来るようなものではなかった。
マリーの手前だからこそと口には出さなかったが、いつもと違い真剣な態度のヴァンを見ていれば
ある程度のことは、その場に居た彼らにとっても想像に難くなかった。
「…とにかく、今日一日は絶対安静ですからね」
「………」
「うん、まあ、無理はしない方がいいな」
「そ、そうよ」
「………」
「じゃあ、何かあれば呼んで下さい」
「オレ達も戻ろう…ぜ」
「それなら治療室の片付けを手伝って下さいよ」
「分かったわ。じゃあマリー…後は頼んだわよ」
「………」
後ろめたさと重苦しい空気から逃れようと、ヴァンを追って部屋を去っていくカイルとフレデリカ。
後に残されたシャオとマリーは、変わらず青ざめた顔をして押し黙っていた。
「………」
「………」
重苦しい空気に包まれた室内には、時計のカチコチという音だけが響いている。
椅子に座りシャオに背を向けたまま、俯いて沈黙を続けるマリー。
誰が声を掛けても、返事どころか反応すらしない有様であった。
ちなみにヴァンの治療を受けている為、酔いならば既に完全に醒めている。
相当なショックを受けているらしく、誰の目にも明らかな程肩を落としていた。
それでもシャオの側に居続けるのは、罪悪感ゆえか。
人一倍責任感の強いマリーのことだから、どうにかシャオに詫びたいと考えているようだった。
その強過ぎるくらいに強い思いは思念となり、シャオに突き刺さる程伝わってくる。
(参ったな…)
マリーに気取られないように、シャオは小さく溜息を吐いていた。
「あの…、シャオ…君…?」
「あ、ああ」
いきなり名前を呼ばれ、驚きを隠せないまま返事をする。
マリーは口を開いたものの、変わらず肩を落としたままであった。
「ごめんなさい…」
「…気にしなくていいさ。マリーのせいじゃない」
「でも、私が…やったんでしょ?」
「まぁ、それは…」
やっていないと言えば、勿論嘘になる。
マリーを更に落ち込ませることは避けたかったが、かといって嘘を言う訳にもいかない。
「私、酔っ払ってた時のこと、何も覚えて…なくって…」
「そんなことは、良く…あること、じゃないか」
酔っ払って記憶を失くす。それならば確かに良くあることである。
しかし別人のように凶悪化して、性的な意味でも違う意味でも他人を襲う。
それは果たして、良くあることと言ってもよいものなのか。
そんな疑問が脳裏を掠め、口をついて出る言葉も途切れがちになっていた。
「…それに、パンツだって…」
「いや、そこは本当に気にしないでくれ」
むしろ早急に忘れて下さいお願いします。
しかしそんなシャオの思いとは裏腹に、マリーは「全裸での搬送」について特に気にしているようだった。
緊急事態ゆえに、パンツを無視して治療を優先させたヴァンの判断は確かに正しい。
しかし裏を返せばパンツを穿かせる猶予もない程危険な状態であったということにもなり、
仲間をそこまでの目に遭わせてしまったことを、マリーが猛省しない訳もない。
しかも自分がやったことを何一つ覚えていないとあれば、尚更である。
結果として、唯一記憶にある「パンツすら穿かせず治療室送りにしてしまった」
という事実を酷く気に病むという、色々な意味で最悪の事態へと発展していた。
先程からビシビシと伝わってくるマリーの思念も、9割方がパンツのことである。
「マリー」
「…うん…」
「俺は、もう大丈夫だよ。だからそんなに落ち込まなくていい」
「でもっ!!」
ぐるりと振り向き、ベッドの上のシャオに詰め寄るマリー。
瞳の端には涙さえ滲ませており、今にも泣き出しそうな顔をしている。
その勢いに「昨晩の恐怖」を思い出し、シャオは僅かに身を竦ませていた。
今とは別人のような表情のマリーに押し倒され、馬乗りになられたとあっては仕方のない話ではあるのだが。
「こんな、酷いむちうちだなんて…」
「ヴァンも、今日一日安静にしていればいいって言ってただろ?」
「ヴァン君でも、簡単には治せないってことじゃない…!」
「単に、首だから大事を取ってるだけさ」
「でも、そのせいで…、私の、せいで…。パンツが…」
「…だからそこは特に気にしなくていいんだ、本当に」
いくら言葉で誤魔化そうとも、痛々しい姿までは誤魔化しきれない。
シャオが何を言おうともマリーには通じていないようだった。
瞳の端に滲んでいた涙が溢れ、ぽろりとマリーの頬を伝う。
「重傷を負った自分の身を案じて泣いてくれている」というシチュエーションは悪くない。むしろいい。
しかし「パンツのことを気にし過ぎたあまりの涙」となると、最悪にも程がある。
何故少なからず想いを寄せている相手に、自分のパンツについて反省させなくてはならないのか。
それどころか、どうして自分のパンツのことで泣かせるような事態に陥っているのか。
マリーの手前平静を装ってはいたが、内心頭を抱えたくなるような状況にシャオは困惑していた。
「っく…」
「マリー…」
「ご、ごめん…!私が、悪い…のに…っ!泣いたり…して…」
「いや、いいから」
「う…、もう…っ!」
どこか幼さの残る仕種で、ぐいぐいと自分の目元と頬を拭うマリー。
瞳にはまだ涙が残っていたが、それでも真剣な目でシャオを見つめていた。
「あ、あの…っ!」
「ああ」
「こんなこと、聞いちゃ駄目だって分かってるんだけど…」
「何だ?」
「私…、シャオ君に、一体何を…したの…!?」
「そ、それ…は…」
いつの間にかベッドの上に乗り、シャオに迫っているマリー。
予想外のマリーの言葉に、シャオは思わず口ごもる。
マリーの瞳は真剣そのもので、だからこそシャオは余計に戸惑っていた。
あのマリー(仮)がしたことを、今のマリーに話せる訳がない。
間違いなく、マリーの予想の遥か頭上を音速で突き抜けるような内容である。
「別に…、知らなくてもいいことじゃないか…?」
「でも、シャオ君をこんな目に遭わせておいて…!何も知らずにいるなんて出来ないよ…!」
「まあ、でも…」
「…私、そんなに酷いこと…したの?」
「いや、その」
「私が酷いことしたから…、シャオ君、私のこと嫌いになった…?」
「な」
何 で そ う な る ! ?
と、ツッコミそうになったがマリーの心情も決して理解出来なくはない。
些か短絡的ではあるものの、こうもはぐらかされてはそう誤解してしまっても仕方がない。
どうしたものかと思案するシャオの脳裏に、再びマリーの思念が飛び込んできた。
(『やっぱりそうなんだ…、シャオ君、私のこと嫌ってるんだ…』)
(『理由は分からないけど、こんなに酷いことしちゃったんだから、当然だよ…』)
(『しかも何も覚えてないなんて言われたら…。そんなの、許せないよね…』)
「………」
マリーは再び俯き、手元のシーツをぎゅっと握り締めていた。
その肩が小さく震えていることに気付き、シャオは動揺する。
これはまずい、非常にまずい。
どうにかしてマリーの誤解を解かないことには、フラグ終了のお知らせは免れない。
元から立っていなかったと言われればそれまでだが、立つ前から折ってどうするという話である。
10年掛かってフラグすら立っていないというのも、それはそれで問題ではあるのだが。
とりあえず、目先の問題をどうにかしないことには始まらない。
「マリー」
「…うん…」
「俺が、マリーを嫌いになるなんてことはないから」
「え…?」
それどころか大好きだ、とはどうしても言えないのがシャオがシャオたる所以である。
マリーは驚いた様子で顔を上げ、きょとんとした表情を見せていた。
そんなマリーを前にして、シャオは真実を告げるべきか否かを迷っていた。
「酔っ払っての行動だからな…。覚えてないんなら、言わない方がいいと思ったんだ」
「どうして…?私、そんなに酷いこと、したの…?」
「いや、そういう訳じゃなくて…」
「なら教えて!お願い!」
「…いいのか?」
「うん!」
興奮からか、マリーは身を乗り出していた。
上目遣いでシャオを見据えるその姿に、昨晩のマリー(仮)の姿を思い起こす。
同じ上目遣いでも、こうも違うものなのか。
飢えた獣のような血走った目をしていた人物と同一人物だとは、到底思えなかった。
「…出来れば言いたくなかったんだけどな」
「う、うん」
「キスをしてきたんだ。…マリーが、俺に」
「え」
覚悟していたものとは別方向の衝撃的な内容に、マリーは目を見開く。
そしてシャオを見上げたままの格好で、みるみる内に顔を真っ赤に染めていた。
「あ…の、えっと…」
「…聞かない方が良かっただろ?」
「え…、あ、あの…本当に?」
「ああ」
「………ッ!!」
真っ赤に染めた頬を両手で押さえ、マリーは俯いていた。
予想通りの反応に、シャオは困った様子で溜息を吐く。
「…覚えて、ないんだろ?」
「そ、そそそ、それ…は!」
ちら、とシャオを見上げてはすぐさま俯くマリー。
ほんの一瞬シャオの唇にも目をやっていたらしく、動揺した思念が飛び込んできた。
(『どうしよう…。本当に、全然覚えて…ない…』)
(…だろうな)
もし少しでも覚えていたのなら、そもそもこの場に居なかっただろう。
マリーは赤面したまま、シャオの方を向いては俯くことを繰り返していた。
(『わ、私から!?私からって言ってたよね!!?』)
(『シャオ君がそんな嘘や冗談なんて言うはずもないし…。な、何で私、そんなことを!?』)
(『初めて…だった、のにな…。あっあっ、今はそんなこと考えてる場合じゃ…!』)
(な、何だと…!?)
以前フレデリカを押し倒して唇を奪っているので、厳密には『初めて』ではない。
しかしマリーはその事実を覚えていないし、当然のことながらシャオも知る由がない。
マリーは無意識の内に、ドキドキと響く鼓動を鎮めようと胸元をぎゅっと握り締めていた。