「………」  
 
深い、暗闇の中。  
フレデリカは巨大な水槽を前に立ち尽くしていた。  
遥か上空から、僅かな明かりが漏れている。  
水中で泳ぐ魚を照らすそれを、ぼんやりと見上げる。  
不意に襲い掛かった虚無感に、フレデリカは首を振った。  
 
「…馬鹿みたい」  
 
そして再び、水中に視線を落とす。  
明かりに照らされた部分はほんの一角に過ぎず、泳ぐ魚は光の届かない闇の向こうへと消えて行く。  
闇に飲み込まれるその姿が、今日『別れた』ばかりのアゲハ達と重なった。  
 
思わず、水槽のガラスに手を触れて闇の奥を覗き込む。  
しかし先程の魚の影を追うことも出来ず、濾過装置の作動するモーター音が僅かに響くだけだった。  
フレデリカは、地下にある養殖施設の中に居た。  
大量の魚を養殖する為に設けられた、巨大な水槽。  
脇にある階段を降りれば、ガラス越しに水槽を覗くことも出来る。  
普段は水面から餌を与える為、わざわざここに降りる必要もない。  
あくまで管理用である為、非常に殺風景な設備ではあったのだが。  
僅かな明かりに照らされた、水族館を連想させるこの光景をフレデリカは密かに気に入っていた。  
泳ぐ魚こそ何の変哲もないものだが、暗闇を泳ぐその姿はどこか幻想的ですらある。  
滅多に人が訪れることのないここは、一人で考え事をしたい時にはうってつけの場所だった。  
 
こつり、と音を立てて額を水槽に当てる。  
冷たいガラスの感触が、額に心地良い。  
自分の内に燻る感情も、体温と共に引き受けてくれればいいのに。  
そんな事を考えながら、フレデリカは掌と額をガラスに触れ合わせる。  
吐き出した吐息で白く曇るガラス。  
まるで自分の胸の内を見透かされてしまっているようで、フレデリカは僅かに苛立った。  
 
燃やし尽くす事は出来ても、燻るものを掻き消す術も熱を冷ます術も知らない。  
そんなものは必要無かったのだ。  
失った大切なものは取り戻せないから。  
ただ前だけを見て、この能力で薙ぎ払うことだけを覚えていれば、それで良かったのだから。  
 
「信じらんないわ…」  
 
きっと、自分は怖いのだ。  
一度失ったと思っていたものは、奇跡的に取り戻された。  
そして、再び失う日がやってくる。  
いつかは分からなくとも、確実にその日は訪れる。  
次か、そのまた次か。  
或いは、今回なのか。  
 
マリー達の前では強がってみせたものの、改めて状況を整理すると、途方もない不安が押し寄せる。  
それが分かっているからこそ、一人になりたくてこんな所まで来ていたのだった。  
額をガラスに預けたまま、大きな溜息を吐く。  
再び白く曇ったガラスを袖口でごしごしと拭うと、今度は頬を触れさせる。  
無機質で冷たいガラスの感触が、今の自分には一番必要なものだと思った。  
暗闇と、燻るこの感情を吸い取ってくれる冷たさに、フレデリカは目を閉じて身を預けていた。  
 
「…フー?」  
「!?」  
「あぁ、やっぱりここに居たのか。探したんだぜ」  
 
…だから、階段を降りてきたカイルの気配に気付くのが遅れた。  
慌てて身体を起こしたが既に遅く、水槽に身体を預ける姿はしっかりと見られてしまっていた。  
 
「アンタ、何で…ここに!?」  
「フーの姿が見えなかったから探してたんだよ」  
「アタシを…?」  
 
気恥ずかしさから、声が上擦る。  
しかしカイルはそれを気にする風でもなく、いつもと変わらない様子を見せていた。  
 
「ああ。もう0時過ぎてんだぜ?」  
「え、嘘!?」  
「嘘じゃねーよ」  
 
軽く見積もっても、3時間はここに居たことになる。  
それならカイルが探しに来るのも、不本意ながら頷けた。  
 
「アゲハ達が帰ったからって、そんなに落ち込むなよな?」  
「だッ、誰がよッ!?」  
「お前だよ」  
「馬鹿言ってんじゃないわよ!どうしてアタシが…!」  
「顔に書いてあるぞ。言い訳しても無駄だっつの」  
 
コツコツと音を立て、打ちっぱなしのコンクリートに覆われた通路を歩くカイル。  
水槽に背中を預け、顔を赤らめているフレデリカを見下ろすと小さく笑っていた。  
 
「じゃあ何よ…、アンタは平気だって言うの!?」  
「んな訳ねぇだろ?」  
「なら…!」  
 
笑みは崩さないまま、真剣な眼差しでフレデリカを見据えるカイル。  
水槽から漏れる弱い光に照らされたその表情に、フレデリカは動揺する。  
 
「考えたって、どうしようも無いことだろ」  
「…だけど…!」  
「オレ達はオレ達で、アゲハ達はアゲハ達で。今はやるべきことがあるんだぜ」  
「………」  
「そう、約束しただろ?」  
「分かってるわよ…」  
「…やっと会えたのに、次はいつ会えなくなるか分からねぇのは辛いけどさ」  
 
「でも、アゲハは生きてんだぜ。それで充分だけどな、オレは」  
「………ッ!!」  
「生きる世界が違うってだけだ。だから大した問題じゃねぇよ」  
「でも、でも…ッ!!!」  
 
カイルは困ったような表情を浮かべると、フレデリカの頭を撫でる。  
驚いて目を丸くするフレデリカの瞳の端に滲んだ涙を見て、思わず苦笑していた。  
 
「…もう分かったから、ベソかいてんじゃねぇぞ」  
「だ、誰が…ッ!!」  
 
「オレが居るだろ?」  
 
頭を撫でていた手を、そのままフレデリカの頬へと滑らせる。  
そして身体を屈めると、フレデリカの唇に自分の唇を重ねていた。  
 
「…っん…」  
 
最初は抵抗したフレデリカも、すぐにカイルの口付けを受け入れる。  
暗闇と不安に覆われていた自分自身を払拭するかのように、カイルを求めていた。  
折れそうな程に細いフレデリカの身体を、腕を回して抱き寄せるカイル。  
そんなカイルに縋り付くように、フレデリカはカイルの背中に手を伸ばしていた。  
 
「…うぅ…、ん…カイ…、…っ」  
 
ぴちゃぴちゃと音を立て、絡み合う舌。離された唇を、再び重ねるカイル。  
カイルを呼ぶフレデリカの言葉は、塞がれた唇の奥で掻き消えた。  
それでも足りず、いつしか貪るように互いの唇を求め合う。  
己の想いを誤魔化し、慰め合う為に激しい口付けを交わす二人。  
ガラス越しに暗闇を泳ぐ魚達だけが、そんな二人の姿を見ていた。  
 
「はぁ…、ん…」  
「フー…」  
 
唇を離し、フレデリカの頭ごと掻き抱くカイル。  
フレデリカは無言のまま、カイルの胸に顔を埋めていた。  
 
「フーの身体、すっげぇ冷てぇ」  
「…そうかしら」  
「ああ。このままじゃ風邪引くぞ、だから戻ろうぜ」  
「………」  
 
カイルの背中に回した手を、緩めようとしないフレデリカ。  
その様子に、身体を抱いていた手の片方を上げてカイルは再びフレデリカの頭を撫でていた。  
 
「何だ、戻りたくねぇのか?」  
「そんなんじゃ…ないわよ」  
「つーことは何だ、ここで『暖めて』欲しいのか?」  
「!!?」  
 
がば、と顔を上げるフレデリカ。  
その瞳は、驚愕で見開かれていた。  
 
「ア、アアア、アンタ何言ってんの!!?」  
「だって、そういうコトだろ?」  
「コトじゃないわよ!冗談言わないでよね!!」  
「や、半分くらいは本気だけど」  
「はあぁあぁ!!?」  
「ここ、暗いし人気もねぇし。ヤるにはいい場所だと思わねぇか?」  
「思わない!絶対思わない!!」  
「そうやって抵抗されると、かえって燃えるよなァ」  
「いやーッ!冗談は止めてよぉ!!」  
「だから冗談じゃねぇって。…このままだと、全部本気になりそうだけどな」  
 
そう言って、フレデリカをしっかりと抱きしめるカイル。  
カイルの言葉を真に受けたフレデリカは、じたばたと暴れ出していた。  
その様子に笑いを噛み殺しながら、カイルはしばらくフレデリカを抱きしめ続けていた。  
 
「…落ち着いたか?」  
「うるさい、馬鹿」  
「そう怒るなって」  
「死になさいよ、馬鹿」  
 
ようやく落ち着いたものの、憮然した表情を見せるフレデリカ。  
その頭を宥めるように撫でてやりながら、カイルは笑う。  
 
 
「とにかく、いい加減戻ろうぜ?このままじゃオレまで風邪引きそうだよ」  
「…なら」  
「ん?」  
 
「本気は絶対イヤだけど、もう少しだけ…暖めてよ」  
「…りょーかい」  
 
二人は、再び唇を重ねる。  
それから『暖め合い』の為に部屋へと戻って行く二人を、残された魚達が見送っていた。  
 
 
 

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