暗い、暗い闇の中。
怨嗟の声が響いている。
――ああ、いつもの夢だ。
俺を引きずり込む、無数の手。
オマエハ ナゼ イキテイル
ワレワレハ オマエニ コロサレタノニ
仕方がなかった。そうしなければ、ならなかったから。
俺は、死にたくなかったんだ。
ワレワレトテ ソノオモイハ オナジダッタ
コノ テヲ フリホドキタクバ マタ コロセバイイ
toten sie toten sie toten sie toten sie
もういやだ。やめてくれ。戦争は終わったはずだ。それなのに――
いつまで続く?いつまで?いつになったら俺は許される?
ユルシ ナド アタエナイ
オマエハ ココデ クチテユクノダ
ソレガイヤナラバ―― コロセ
イヤだイヤだイヤだ
もう誰も殺したくない
やめろやめろやめろ――――――――!!!
「…う。伍長!私はここだ。ここにいるぞ!」
聞きなれた、澄んだ高い声。……ああ、少尉だ。
そうか、俺また……。
「大丈夫か。ひどい寝汗だ。」
そっと頬をなでるやさしい手。絹糸のような金髪に縁取られた美しい顔が
曇っている。こんな表情をさせたいんじゃないのに。
「すみません…。起こしちゃいました、ね…。」
俺はちゃんと笑えているだろうか?
ひどく声もかすれている。震えがとまらない。あの夢を見た後はいつもそうだ。
俺はゆっくりと上体を起こすと、ベッドの下に落ちているパジャマを拾い集めた。
「どこへ行く?今夜はずっと一緒だと言ったではないか。」
不安げな声が背中にぶつかる。
俺だって、一緒にいたい。
だけど。
「――向こうの部屋で寝ます。約束を破ってごめんなさい。これ以上、少尉に迷惑を
かけられません。」
白磁のような頬に触れ、額にキスした。
ずきり、と胸が痛む。本当は、片時だって離れたくはない。
初めて少尉が俺を体ごと受け入れてくれた、そのときからずっと。
だけど、俺の中の悪夢はいつか少尉を壊してしまうかもしれない。
それだけが、恐ろしかった。
「い・や・だ!!ほかの事は言うことが聞けても、これだけは譲らん。
絶っっっ対に、ダメだ。
――どうしておまえはいつも一人で背負おうとする。……そんなの、ヒドイじゃないか。」
涙をためたエメラルド・グリーンの瞳が俺を見据える。
怒りに上気した頬も、ふくれっつらをした唇も、たまらなく愛おしい。
俺の――――俺だけの少尉。
だから、護りたい。護らなくてはならない。
たとえこの身が傷つこうとも。
たとえこの心が破けようとも。
あの泥沼に堕ちて行くのは、俺だけでいい――――
俺はそっと少尉の頬をなで、壊れ物を扱うようにキスをした。
「ごめんなさい、少尉。だけど、これは、俺が…ランデル・オーランドがカタをつけなくちゃ
いけないことだから。だから……んんっ」
突然に少尉の腕が俺の首に絡み、唇をふさがれた。
身体ごとぶつかってくるように唇を求める。
どうしたんだ、いつもの少尉らしくない。
驚きながらも、むさぼるように、唇を重ねあい、
舌を絡めた。頭の芯がジンと熱くなる。
「んんんっ、…くはっ……。」
先に口を離したのは少尉のほうだった。
涙をポロポロとこぼしながら、俺の胸にもたれかかってくる。
「……やなんだ。おまえを、誰にも渡したくない……っ!私の、伍長だ!過去なんかに、
悪夢になんか、これっぽっちもやらない!!」
この女性は、こんなにも激しくて、どこまでもまっすぐで、
なんて、まぶしいんだろう。
俺は、少尉の小さな体をしっかりと抱きしめた。ほんの少し、少尉が体をこわばらせる。
「…わかってる。どうしようもないことだって。一番つらいのは伍長だって。
だけど。……私はこんなにも独占欲が強かったんだな……。あきれているだろう?
私を、嫌いになった……?」
興奮が収まったのか、今度は一転して弱弱しい。
本当にこの女性は、俺を困惑させるのが得意だ。でもそれは、嫌な困惑じゃなくて。
むしろとても幸せな困惑だけれども。
少尉のあごに指をかけ、顔をあげる。涙のあとが無数についている。
目じりに残った涙をそっとぬぐいながら、俺は本心を打ち明けることに決めた。
「俺は…困ってます。少尉に心配かけて、泣かせちゃって、それなのに、どうしようもなく
幸せだなんて思ってる。少尉を、嫌いになんて、なれるわけがない。今の俺は、少尉を失うこと
より怖いことなんて、何もないんです。
だから、いつか悪夢に―――ランタンに飲み込まれてしまうのが怖い。
少尉を――俺の一番大切な人を、傷つけてしまうかもしれないから。」
パジャマをつかんでいた手が解かれ、俺の顔を包み込む。
傷跡をやさしくなでられ、先ほどの熱が少しずつ戻ってくる。
そっと少尉を横たえると、自らの体重でつぶしてしまわぬように覆い被さった。
「私が、伍長を守る。私のすべてで、守るから。
―――だから、ランタンなんかに負けないでくれ。私とともに、未来を生きて―――」
俺の頭をかき抱きながら、少尉が小さく、けれどもはっきりとささやく声が聞こえた。
――――――暗い闇の中に差し込む陽光。俺を明るい世界へ導く光。
すぐには届かなくても。
二人なら、戦っていける。
END