「いってきます。」
「いってらっしゃい。今日もしっかりな。」
どちらかが出かける前のキス。
一緒に暮らし始めてからずっと、習慣になっている
一日の始まりの儀式。
今日は少尉が非番なので伍長を送り出す。
いつもどおり、平和な一日が始まる。
少尉も伍長も、ひとかけらもそれが破られるとは疑いもしなかった。
そんな、一日の始まり。
不慣れな家事にもようやく慣れてきて、手早く部屋の掃除を
済ませ、洗濯を終わらせる。シーツのようなシャツを干し、市場へ買い物をして、
食事の支度をする。
平凡で、平和な一日。
夕刻になって、玄関の扉がたたかれた。
きっと伍長だ。
疑うこともなく玄関を開けた。
そこに立っていたのは、少尉のかつての婚約者だった、レオニール・テイラーだった。
「こんばんは、姫君。探しましたよ。まさか、こんなところに居られるとは。」
花束を差し出しながら微笑む。
柔らかな笑顔はどことなく子供っぽい。
そう、かくれんぼの鬼が、隠れている子を見つけたような――――
「レオニール殿…?なぜここに…」
うなじがむず痒い。
怖い。この男は危険だ。
反射的に後ずさる。
レオニールは一歩踏み出す。
「こんなところで、草食獣とともに暮らすなど、あなたにはふさわしくない。
獅子は獅子とともにあるもの。―――さあ、帰りましょう。」
「どこにいるかは、私が決める。――それ以上近づくな。」
2度もこんなところ呼ばわりされ、腹立たしい。
恐怖よりも怒りが勝った。
「フフ……クックッ……。それでこそ我が姫。では、強引にでも連れていくこととしましょう。」
心のそこから楽しんでいる口調。
相手の思惑などまったく意に介そうともしない。
それもまた、腹立たしい。
「もはや姫などではない。このアリス・L・マルヴィン、思うままにできようものならやってみろ。」
手にしていたお玉をまっすぐにレオニールに向ける。
様にならないのは致し方ない。継承器たる宝剣は、家を出るときに返上してしまった。
しかし徒手空拳では危険すぎる。
幾多の戦いを経験した本能が、そう告げていた。
ジリ……、と間合いを計りつつ移動する。
無造作にレオニールが大きく一歩を踏み出す。
いつの間に取り出したのか、その手には小さなナイフが握られていた。
逆袈裟に切りつける一閃を半身で避けながらお玉で跳ね上げる。
息をつく間も与えないほどすばやくナイフを繰り出してくる。。
―――斬撃が、重い。
次々と攻撃を払い、避け、跳ね上げる。
防御に手一杯で攻撃へ転じられない。徐々に疲労がたまる。
―――こいつ、強い。……このままでは、持たない。
右手に持ったお玉を左手に持ち替えようとした一瞬をレオニールは逃さなかった。
大胆に踏み込むと、少尉の腕をねじり上げた。
「……結構、楽しかったけど、僕の勝ちだね。さあ、捕まえた。」
少尉の襟元にナイフをつけ、ブラウスを一気に引き裂く。
「―――ッ!何を……っ!」
「この僕に、逆らった罰を与えなくちゃ、ね。」
足をかけ、一気に引き倒す。
片手で少尉の両手の自由を奪い、空いた手でパンツを下着ごと引き下ろした。
「やめ……っ!」
少尉は必死でもがくが、体格が違う。跳ね除けることができない。
「やっと、見つけたんだよ。僕が本気でじゃれても壊れない、相手を。
あんな、牛のような男に奪われてしまっては、獅子の名折れじゃないか。」
臥してなおその存在をあらわにしている胸に歯を立てた。
下着に血がにじむ。
「……っ!やめろっ!それ以上触るな!」
痛みと屈辱感で声がうわずる。
「うるさいな。」
馬乗りになったまま、少尉の頬を何度も打つ。
唇が切れ、血が一筋流れた。
「う……。」
「あーあ、血が出ちゃった。大声を出すからだよ。」
そういいながら、歯を立てる場所を下へずらしてゆく。
わき腹やふとももに、歯型がつけられ、血がにじむ。
頬を強く打たれたため、意識が朦朧となった。
「僕のところへ戻ってこられるように、してあげるからね。」
やさしげな、それでいて残忍なささやき。
レオニールは自らのズボンと下着をずらすと、剥き出しの下腹部へ押し当て、
腰を落とした。
「――っ!イヤぁぁぁぁーーーーっ!!」
耐えがたい痛みに絶叫する。
愛撫もなく蹂躙され、腰を動かされるたびに鮮血が白い太ももを濡らした。
「やめ……、やめてぇぇっ、いやぁ!」
――たすけて。たすけてたすけてたすけて、伍長――。
――――――――
そのころ、伍長は家路についていた。
「すっかり遅くなっちゃったなぁ。……少尉、心配してるかな。」
緊急の出動要請の嘆願書が届いたため、郊外のとある領地まで
視察に出たためだ。
行った先では、そんな嘆願書など出していない、という例によって
イタズラの類だったが。
――まぁ、そんなこともあるだろう。何事もなければ、それに越したことはない。
軽くため息をついたころ、自宅に到着した。
玄関が半開きになっているのをいぶかしみつつ、声をかけ、中に入った。
「ただいま――――」
家の中は乱闘の後で乱れ、ダイニングには、衣類を引き裂かれ、血液をこびりつかせた
少尉が横たわっていた。
そのすぐ隣に、レオニールが立っている。
「少……尉……?何が……」
状況が飲み込めない。――――何があった?どうしてここにレオニールがいるんだ?
少尉、少尉は――――
伍長は自分のコートを少尉にかけ、肩を揺さぶった。呼吸はあるが、意識を失い、反応がない。
「少尉、少尉!なぜこんなことに?!」
「罰を、与えたんだ。僕から逃げようとしたからね。」
クスクスと忍び笑いをもらしながら、レオニールが無邪気に言葉を継ぐ。
「な……にを……した……?おまえが、少尉をこんな目に……?」
――――どす黒い感情が頭をもたげた。こいつが、少尉を……。
許さない。こいつだけは、絶対に許さない。
まぶたの裏に、深青色の昏い光が浮かぶ。
toten sie toten sie toten sie toten sie
体の内側から沸いてくる憎しみと殺意に、身をゆだねる。
伍長はゆっくりとレオニールに向き直り、ホルダーからドアノッカーを抜いた。
「どうせ戦えないんでしょ?それじゃつまらな――――」
カチリ。撃鉄を上げ、引き金にかけた指に力をこめる。
ためらいなど、はなからなかった。
大口径の銃弾がはぜる。窓ガラスが派手な音を立てた。
レオニールは、間一髪で身をかわしていた。
「ふふふ……。結構楽しめそうかな。でもね、隙だらけだよ。」
すばやくステップをふみ、ナイフを繰り出す。
一撃ごとに伍長の腕や腹に鮮血が飛ぶ。
急所をガードしつつも、伍長は前進をやめなかった。
レオニールを壁際に追い詰め、繰り出されたナイフを左手で受けると、
銃口をレオニールの口の中にねじ込んだ。
「―――シ、ネ。」
―――――――――
少尉は、ガラスの割れる音で目を覚ました。
「……う……ご、ちょう。」
――――夢ではない、体の痛みが、そう告げていた。
体にかけられたコートで、伍長が帰っていることを知る。
――――夢であれば、よかったのに。
恥辱と申し訳なさ、己の浅慮に唇をかみ締めた。
涙が幾筋も頬を伝う。
バタバタと争う音がする。
「僕は、勝者でなくちゃいけないんだ、とまれ、とまれよ!何で倒れないんだ!」
引きつった男の声。
「ヒグ……ウァ……ッ」
「―――シ、ネ。」
感情も何もない、機械のような声。
いけない。とめなければ。
うなじの疼きを強く感じながら反射的に思う。
一瞬からだの痛みを忘れコートを羽織る。
大きな背中に抱きついた。
「――ダメだ、撃つな!お前が苦しむ!……私なら、平気だから……っ!」
びくり、と背中が硬直した。
伍長は緩慢な動作で銃口を下げ、床に向かって引き金を引いた。
轟音がとどろき、床に大きな穴があく。
「ヒィ……ふ、ふふふ、アハハハ……。」
レオニールの笑い声が響く。
目はうつろで、口の端からはよだれをたらしたまま、ひきつけるように笑っている。
「……何が、おかしい。――言ってみろッ!何がおかしいんだッ!」
伍長の大きな拳がレオニールの胸倉をつかみ、頬を殴りつける。
「何が、――少尉が、何をしたっていうんだ!畜生ッ、畜生ォォッ!!」
返事が返ってくることはない。殴られつづけながらも、目を見開いたまま笑うことをやめない。
精神のバランスを崩してしまったのだろう。
「やめろ。――もう、やめるんだ。」
少尉は伍長の腕に自らの手を重ねる。
伍長の手から力が抜け、失神したレオニールを床に降ろした。そのまま、ひざをついて
うずくまる。
「……すみません。俺、守るって言ったのに。……守るって、決めたのに……!!」
「すまない。私の不注意だ。……お前は何も悪くない。私の、力が足りなかったから……」
少尉は伍長の肩に手を置いた。その手が、震えている。
「少、尉……?」
手の震えを感じ、涙と鼻水でクシャクシャになった顔をあげる。
少尉の目からも、涙があふれていた。
伍長は少尉の体を引き寄せ、抱きしめた。
大きな胸の中で、汗ばんだ伍長のにおいを少尉は感じていた。
洗濯のときに感じていた、幸せな気持ちを。
壊れてしまった。こんなにもあっけなく。
「……私は、汚されてしまった。……お前のそばに、いる資格なんてない。
お前にこうして抱いてもらう、資格なんてないんだ。……離してくれないか。」
伍長はその言葉を聞き、腕に力をこめた。
「……ごめんなさい。怖い思いをさせてしまって、
怪我をさせてしまって、ごめんなさい。」
伍長の大粒の涙が少尉の首筋を濡らす。
緊張の糸が切れた。
「――怖かった。ずっとずっと呼んでたんだ。助けてって。
伍長早く帰ってきて……って……っふ、うわあぁぁん!」
小さな子供のように伍長の胸に取りすがって大声で泣いた。
疲労と怪我の消耗で眠りに落ちるまで泣き声は続いた。
少尉が眠ってしまったのを確かめて、伍長は少尉の傷の手当てをし、体を拭き清めた。
生々しい傷が伍長の胸をえぐる。再び憎しみが湧きあがるのを、必死でこらえた。
パジャマを着せてベッドに寝かしつけ、傍らにひざをつく。
「少尉……少尉は、汚されてなんか、いません。
何があっても、そばにいますから――――」
少尉の小さな手に、自らの大きな手を重ね、ゆっくりと意識を失った。
――――――――――――
「まったく、暴走した挙句にこのザマとはな。――――グラン、ヤツを屋敷まで運べ。」
銀の長い髪を後ろに束ねた仮面の男が、黒服の中年男に指示を出す。
黒服の中年男は手早くレオニールを担ぎ上げ、車へ運びいれた。
「いくぞ、グラン。」
高級車の排気音を残し、仮面の男は闇の中へ消えていった。
END