ノックもなしに大きな音を立ててマルヴィン家の客間の扉が開く。
来客中だと言ったはずだ、そう疑問に思い振り向いたアリスや、ランデルの目に映った
のは、転がるように飛び込んで来る小さな子供だった。
黒髪で、たれ目で、父親によく似た男の子だった。
「姉上!アリス姉上!」
「アレン」
驚いて布張りの豪奢な椅子から腰を浮かすアリスに、アレンが抱きつく。反動で椅子に
戻るアリスの膝にアレンは椅子の手すりを掴みながら登った。
アリスはまだ着替えを済ましていないのか軍服のままだ。しかしそれが姉の魅力を引き
立てているようで嬉しく、アレンは気の済むまでアリスの胸に甘え、ひたいをこすりつけた。
姉はあたたかく、やわらかく、いい匂いがする。
それになんといっても、凛々しい人で、尊敬できる。
現在の次期継承者なのも当然。アレンはそう思っている。
「お久しぶりです姉上!」
「うむ。アレンも元気そうで何よりだ」
頭を撫でる手はあたたかい。
けれど、きっぱりとした声がアレンの頭上に降った。
「しかしだ、アレン。私はメイドに来客中だといっていた筈だが、お前は聞かなかったのか?」
「聞きました。けど足が勝手に走りだしてしまったんです。僕のせいではありません」
悪戯っぽく笑う弟をアリスはさらにたしなめる。
「カールに叱られるぞ」
「執事など怖くはありません」
「わかった。だがこれだけは聞け。客をないがしろにするな」
アリスはアレンをじっと見つめていた。
少し考えると、アレンは自分から膝を降りた。
アレンはもうひとつの椅子を振り向くと、かかとを合わせた。右手を胸の前で水平にし
て、軽く頭を下げる。
「失礼しました。我はアリス・L・マルヴィンが弟、アレン・マルヴィンと申します」
「ランデル・オーランドです」
アレンは顔をあげて驚いた。立ち上がった客の男は、自分の母や姉達、いや父よりも背が
高く、天をつんざくかと思うほど大きかった。シャンデリアの明かりが大男の頭で遮られ
暗くなり顔が見えない。
不吉な予感を感じ、アレンは一歩下がる。ぽん、と軽い感触がして振り向くと、アリスが
自分を見つめていた。
アレンはもう一度ランデルを見上げる。暗く見えない顔の一部が深青色に変わって自分を
見据えているようだった。
「オクさぬ、ならば……」
姉の言葉を真似て呟くと、勇気が出てくるようだった。
アレンは腰に手を当てる。
「貴様、膝をつけ」
鷹揚な言い方にアリスがたしなめるが、ランデルがしゃがみこんだのでそれは封じられた。
ようやく顔が見えて、アレンはほっと息をつく。思っていたよりはやさしそうな顔をして
いる男だったが、顔を横に走る大きな傷が気になる。
「それは戦ってできた傷か?」
問われ、ランデルは自分の顔を撫でた。
「これは――そうです。先の大戦で、作ってしまいました」
「そうか。ご苦労だったな。しかしだ、今は姉上と同じブタイなのだろう?カイキュウは何だ?」
「伍長です」
「そうか」
聞いてもどの程度の地位にいるのかアレンにはわからなかった。アレンはフン、と顔をそむける。
「しかしだ。姉上と同じブタイならば、いちいちそんな傷を作られていては困るな」
「アレン」
声をアレンは無視した。
「もっと、そう――姉上を守れるくらいの強さが欲しいものだ!」
言ってちらりとランデルを見ると、きょとんとした顔を晒していた。
『どうだ!』
アレンは胸を張った。これで自分にかなわないことがわかったらさっさと帰って貰いたい。
ところが、ランデルはアランの予想に反し、にっこりと微笑んだ。
「はい。お任せください」
しかもそればかりか、足を組みなおし片膝を床につけ、手を差し出してアレンの小さな手
をとった。
これではまるで、王族に忠誠を誓う騎士のようではないか。
「姉上ぇ」
困って膝に甘えると、アリスの手がアレンの髪を撫でた。
ランデルの唇が何か言いたげにうごめいたが、言葉は出なかった。
アリスは窓の外の闇を見る。
「……アレン、子供はもう寝る時間だ。帰りなさい」
驚き目を上げると、アリスはじっとアレンを見つめていた。
アレンは唇を引き結ぶと、アリスの膝から名残惜しそうに離れ、こぶしで目をぬぐってか
ら、礼をひとつして、退室した。
パタン、と静かな音を立てて扉が閉まるのを、ふたりは見つめた。
軽く息をつくアリスの背中にランデルが聞く。
「弟さんがいたなんて、知りませんでした」
「うむ。社交界でもお披露目はまだだしな……。今のところは、秘密なんだ」
翳りを帯びた答えに、ランデルは立ち入ってはいけないようなものを感じた。
恐らく、13貴族だからこそ、守らねばならないものもあるのだろう。
けれど、アリスの態度は、トンネル復旧工事で食料を盗んだ村の子供に対し見せた優しさ
の片鱗を思わせた。
優しさの根本はここにあったのだとランデルは理解した。
「少尉は、弟さんを好きなんですね……」
アリスはわずかにうなずいた。
「大事な弟だからな。当たり前だ」
自分で言いながら、嘘臭い、と思う。
もう少し時間が経てば、アリスは次期後継者としての資格を剥奪されるだろう。
そして時代が時代なら、左の護剣(マン・ゴーシュ)を守るため、それを体得するアリ
スの左手は落とされているだろう。
しかし、時代はそこまで古くない。
だがアレンが次期継承者となれば、「武人のアリス・L・マルヴィン」は不要となる。
その時、自分はどうするのか――。
「可愛い弟だ」
アリスは立ったまま椅子に座るランデルの肩に手を当てた。軽く振り向くランデルに気
付かず、アリスはわずかに苦く笑う。
「その時が来ても、私はきっと武人だ……」
パンプキン・シザーズで、平和を守る。仕事に従事する。そのつもりだ。
そして、できるなら、この男と共に。
不意に手を握られる。
振り向くと、男の瞳が優しげに自分を見つめていた。
「……ちょっと、甘えてしまったか?」
「いえ。頼っていいんですよ」
「すまぬ……」
アリスは握られた手を優しくほどくと、ランデルの頭を抱いた。背中をあたたかく抱き
返され、涙が出そうになるのを、アリスはこらえた。
「少尉。俺でよかったらいつでも甘えてください。そのために俺はいるんです。だから
――そう、さっきの弟さんみたく、膝に乗ったって、いいんですから」
「馬鹿者……」
突飛な発言にくすりと笑うと、なぜか余裕ができた。
体を離し、見下ろすと、ランデルはいつもの優しげな微笑みを浮かべていた。
「では、甘えさせていただこうか?」
微笑みが深くなり、大きな手が導く。
アリスはごく自然に、ランデルの膝に座った。ランデルもごく自然に、アリスの腰に手を
回してその体を支える。
やわらかくあたたかい。それは二人の共通の思いだった。
アリスはさらにそこに、懐かしさを覚えた。
「……おお、これは」
それは、まだ小さな頃、父や大祖父の膝と似ていた。
安堵し、信頼し、甘える。子供の特権のそれが、アリスに郷愁を呼び覚ました。
「すごいな」
背中をランデルの胸にあずけると、彼の笑みが深くなるのが振り返らなくともわかった。
それにさらに安堵し、瞳を閉じる。厚い軍服ごしに、ランデルの鼓動が感じられた。その
規則的なリズムは、安堵を通り越し、眠気すらも誘った。
このままこうしていたい。
けれど――。
男に再び右手を握られ、アリスは目を上げた。
『ああ、そうか』
優しい瞳に見つめられ、アリスは思う。これは私の男であって身内ではない、と。
アリスのやわらかなお尻が、ランデルの左腿だけに乗る。
背中を支えるランデルの腕にアリスは甘える。その瞳に、とろん、と熱さが加わった。
ゆっくりと唇が近付き、触れ合う。
このキスは気持ちがいい。やわらかく、あたたかく、満たされる。
しかし、今日ばかりは、そんななまぬるい温度ではなかった。
もっと深いところにある熱が、互いの唇を通して、呼び覚まされる。
胸の奥がときめき、その熱に抵抗できなくなる。
『熱い』
アリスはわずかに唇を離し、吐息をつく。それにすら温度を感じてしまいそうだった。
わずかに上がった唇をランデルが追う。また触れ合い――ランデルは思い切って唇を開き、
わずかに舌をのぞかせ、アリスの唇に触れた。
びくりとアリスの肩が震えた。ランデルの肩もまた、叩かれるかと萎縮する。
しかしアリスは何もしない。手をぎゅっと握ったまま、まるで自分の身をゆだねるかのよ
うに、頬をわずかにランデルの体に向けている。
『これは――』
ためらいながら、ランデルはまたアリスの唇に舌で触れた。またもぴくりと体が反応する。
手を握る力が強くなる。
『いいんですよね……?』
繋ぎあった右手に伝わる熱が、ゆだねた白く小さな体が、アリスの唇が。
その全てがランデルを誘惑する。
『少尉』
ランデルはたまらず唇に深く吸い付き、舌を差し込んだ。アリスの唇はとうに開き、ラン
デルの舌を容易に受け入れた。互いの舌がぬるりと絡む。
抱き合い、唇を交わし、舌を絡め――アリスは、熱くなった自身の体を、持て余す。
「ぅン」
普段のランデルの態度通りに、舌使いは優しい。あまり激しくなく、かといって臆するこ
ともなく、ただ深い愛情のみを伝える舌使いに、アリスは震えた。
やめないでほしい。
アリスは繋いだ手をほどくと、ランデルの首に抱きついた。
大きすぎる身長差に、ランデルはぐっと猫背になる。こんなときだけ、自分の巨体が恨めしくなる。
『少尉』
それに、力も強すぎる。ともすれば強く抱きすぎて痛い思いをさせてしまうかもしれない。
それを恐れる気持ちが大きい。だが欲望には勝てず、ランデルは、彼にしては、とても強
く唇を吸った。
「んん……!」
くぐもる苦情を無視し、つながりを深くする。
「ん……!」
細い背中がしなる。
しかし、首に絡まった手はほどけない。
そればかりか、アリスの手は逆にランデルの体を引き寄せる。深く唇を合わせ、積極的に
舌を絡ませ、戒めた後頭部を離そうともしない。
『少尉……』
触れたい。けれど婚約者がいる。ランデルは逡巡する。
溺れる予感を覚えながら、ランデルはアリスの背中に回した手を離した。
『少尉』
誘惑には逆らえず、ランデルはアリスの胸に触れた。
「ん」
まだ軽く触れただけだがアリスは敏感に反応した。
唇が離れ、見つめ合う。
熱く潤んだ瞳が、ランデルを見据えた。
「す、すみません」
「謝るな……」
アリスはランデルの手をとると、自分の胸に導いた。
ランデルの胸がざわめいた。どくどくと心臓が脈打ち、呼吸が困難になる。
手に伝わるやわらかさは間違いなくアリスの物で、例えようもない弾力と大きさがあふれていた。
「触れて欲しいんだ……」
顔を紅くして呟くように伝えるアリスの姿に、ランデルは我を失いそうになる。
触れただけで、こんなに、熱い。
優しくしなければと思えば思うほど、ランデルはためらい、その先に進めなかった。
「伍長……?」
不意にアリスが問う。見下ろすとアリスはどこか悲しそうな顔をしていた。
「こんなのは、嫌か?」
「あ……いえ、その……あの……」
意味のない呟きが漏れ、伍長は思わず手を離して頭をかいた。
嫌ではない。むしろ嬉しい。だからこそ、どこまでしていいかわからなくて、伍長はため
らう。それを勘違いさせたのが申し訳ない。
けれど本当にそうしていいのか、迷うランデルの手元で、不穏な気配がした。
「少尉、何を」
伍長の制止も聞かずアリスはコートの前を開く。自然と裾が落ち、制服に包まれた姿が現れた。
分厚いコート越しにではなく、アリスの体のラインが透けて見えるかのような薄い生地だ。
胸が微妙にくすんだ色味のシャツを押し上げる。ベルトできゅっと絞られたウェストが、
腰のなまめかしいラインが、ランデルの目を吸い寄せた。
見つめている間にもアリスはシャツのボタンをひとつずつ外していく。
「少尉、いけません」
「いいんだ」
決して美しいとは言えないシャツの向こうから、白い肌がのぞいた。一瞬手が止まり、軽く
息を吸うと、アリスはまたボタンを外した。
機能的でシンプルだが美しい刺繍を施した高価そうな下着が見えた。
「しょう……!」
胸部を隠すそれはしっかりとアリスの胸を支えている。美しく高い胸の秘密を目の当たりに
し、ランデルは頬を染めた。
「しょう、尉!」
アリスは首を振り、軽く襟を広げた。
「言っただろう? 触れて欲しいんだ。――お前だけに、な……」
襟の向こうで、白く輝く肌で出来たやわらかな胸の谷間が、ランデルを誘った。
ランデルは目をつむり、こらえる。
しかし欲望を乗せた息を吐き出すと、ランデルはもうひとつ、息をついた。
口腔に唾がたまり、飲み込む。その音がアリスに聞き取られても構わない。
「少尉」
ランデルがアリスの唇にではなく、頬にキスを落とした。
やはり嫌なのだろうか、そう勘違いしたアリスの首に、キスがもう一度落ちる。
「あ……!」
初めて受ける感覚にアリスは震えた。ぞくりと震え、近付いた男の腕を押し返そうとすると、
片手で抱きしめられ、アリスはまたさらに震える。幾度となく首筋にキスが落ち、唇が這う。
「は……ぁ……」
喘ぎ、アリスは目を見開く。自分の唇からこんなにいやらしい声が出るとは夢にも思わな
かったからだ。
ただキスをされている。それだけなのに。
ランデルはうわずる声で聞く。
「い……いいんですね……?」
「やめないでくれ……」
答えにランデルの頭が暴発しそなほど、熱くなった。
ちゅ、と音を立てて、唇が首筋から離れる。
シャツ越しだが、大きな片手が、アリスの胸に、わずかに触れた。
「あ――ん……」
恐れるように触れていた手のひらが、しっかりと、触れる。初めは体温を確かめるように。
そのうち、ぴくりと指先が動く。弾力を確かめるように、指の一本一本が乱打するように
うごめく。
アリスの耳元でランデルのわずかなため息が響いた。熱い吐息が耳にかかりアリスは肩を
すくませる。
自分の唇がアリスの耳に触れたことにランデルは気付いた。やわらかく冷たい耳朶を噛んでみる。
「あっ……」
喘ぎをこらえた声が、ランデルをさらに刺激した。腰の中心に血液が集まりはじめたのを
自覚しながら、試しに胸を揉んでみる。
「凄い……」
いつか聞いたような言葉がランデルの唇を割る。ランデルの頬は赤味が減り、目が期待に
大きく見開かれた。
もういちど、きゅっ、と胸を揉んでみる。
「凄い」
ランデルはこれほどにやわらかいものを知らなかった。アリスを見下ろすと、頬を上気さ
せながらも、彼女はうなずいた。
「続けて、いいぞ……」
アリスの白い指が、ランデルの頬を包む。自然に唇を交わし舌を絡め合うと、頭のどこかが
とろりと溶け、欲望に支配されそうになる。
ランデルの手に胸を揉みしだかれ、アリスは喘ぐ。声を我慢できない。聞かせたくないのに、
聞かせることになってしまい、アリスはそれにも酔った。
シャツから手が離れ、その中に手が入る。素肌に傷だらけの手のひらが這う。
「んっ!」
下着越しの感触はアリスに快楽をもたらした。わずかにしなる背中はランデルに支えられ
たまま。眉目が寄せられ、ひときわ高い嬌声が立つ。膝頭がきゅっと引き寄せ合い、腿が
くっつきあう。
ランデルの手に包まれたふくらみの中では、乳首がしっかりと存在を主張していた。下着
越しにその存在を知り、ランデルはまたも大きく息をつく。
「す……すごく、やわらかくて、気持ちいいです」
「私も、だっ……んっ……」
「少尉、座ってください」
言うが早いかランデルは素早く場所を変わりアリスを椅子に座らせ、自分はその足元に膝
をついた。はぁはぁと互いの荒い息遣いが、やはり互いを刺激し合う。
「少尉」
男の大きな手が近付き、たわわに実った胸に触れ、捧げ持つかのように持ち上げる。
白い胸にキスが落ちた。
「んっ!」
ランデルは夢中で白い胸にむしゃぶりついた。じかに触れたくて仕方なかった胸に顔を埋
め、白いレースと刺繍越しにキスを繰り返す。
「あぁ……」
快楽に震えながらアリスはランデルの頭を抱く。黒髪がやわらかい。
自分の胸を愛しそうに抱き、吸い付くランデルの姿に、アリスは切ないほどに満たされる。
これほどまでに求めてくれたのが、嬉しい。
下着越しにランデルが乳首を吸う。
「あん」
びくりと震えるアリスの瞳に、涙が浮かんだ。
うれしくて、気持ち良くて、涙が頬を伝う。
――その瞬間、首の後ろがむずむずした。
目を見開くアリスの胸では、噛み裂こうとランデルが舌でレースをすくい取っている。
「!」
振り向いたアリスの目に映ったのは、扉から身を半分乗り出して自分を泣きそうな目で
見ている弟だった。
自分の体は椅子の背もたれに隠され見えないはずだ。アリスはそう確信する。
しかし、とっさに言葉が出ないアリスに、震える声が言う。
「……大祖父様のおはなしを、聞かせてもらおうと思ったの……」
怒られると思っているのか、アレンは大きな目に涙をいっぱいに浮かべている。
「アレン」
声にランデルは顔をあげ、慌ててアリスのシャツを引いて胸を隠す。
アリスの体は見えないが、ランデルがアリスの膝にいたことは間違いないとアレンは気付いた。
そして、アリスの頬に残る涙のひとすじ。それに気付いたアレンは、肩を怒らせた。
「……姉上の、お膝に……姉上……。姉上、を……!」
ぐっと歯を食いしばるが、アレンは自分を止められなかった。
「この、おおばかもの!」
アレンは客間に飛び込むと小さなこぶしでランデルをぽかぽかと殴った。
アリスは衣服を整えながらアレンの背中を見る。幸いにもこの状況を見られていない。
「ばかもの!ばかもの!ばかもの!」
「痛、ちょ、アレンさん」
「何がまかせろだ!姉上を泣かせて!この、ばかもの!ばかもの!ばかもの!」
顔を真っ赤にして殴るアレンのこぶしは本当はそんなに痛くない。けれどランデルは困惑し、
逃げ惑った。それを追ってまだ殴るアレンの顔は涙と鼻水でぐちょぐちょだ。
「アレン、落ち着け!」
「姉上を!この!」
背中に聞いた姉の言葉をアレンは聞かない。そればかりか自分の左手を掴み、同時に手袋を
していなかったことに気付いた。これでは決闘を申し込めない。
「おおばかもの!」
渾身の力を込めて殴りかかる。と、その手がすかっと空を切った。背中に手がかかり、服を
しっかりと掴まれると、アレンの体がふわりと宙に浮いた。アレンはランデルと同じ目の高
さになり、高さに怯える。
「こっ、このばかもの!下ろせ!下ろすのだ!」
アレンは困惑するランデルを睨みつけ、しばらく手足をじたばたとさせていたが、そのうち
疲れて泣き出してしまった。
「姉上!姉上!姉う……うぇぇん……」
「アレン」
服を直したアリスがアレンに手を伸ばす。
「すまぬ、伍長、下ろしてくれ」
「はい」
「あねうえぇ……」
泣きべそをかきながら、アレンはアリスの胸に抱かれる。
アリスはアレンの髪を撫でた。
「もう泣くな。私とて泣いていたわけではない。め、目に、ゴミが入って、痛かっただけだ」
聞いているのかいないのか、アレンはアリスの肩にひたいをこすりつけるばかりだ。
アリスは軽く息をつく。
「伍長。すまないが、『会議』は、また今度……」
ランデルはうなずく。
「慰めてあげてください」
「うむ。お前は街まで馬車で送らせるから。す――すまない」
「いえ……」
ランデルはすっと身をかがめると、アレンと同じ目の高さになった。
「あの、アレンさん、すみませんでし――」
言いかけたランデルの頬に、アレンの平手が、飛んだ。
両親はアレンの言葉を信じなかったようだ。
「仮に、アリスが部下と口論したとしても、泣くはずが無かろう」
「でもあなた。アリスはやはり女の子ですし、早めに軍を辞めさせて、
結婚を早めた方がよろしいのではなくて?」
嫁いだ姉はわずかに視線を逸らせて笑った。
「アレンちゃんたら。婚約者様もいらっしゃるのに、アリスちゃんがそんな不貞を働くはずが
無いでしょう?」
唯一信じたと言えるのは、もう一人の姉だった。
「姉上。僕はあの男を許せません!泣かせるなんてひどすぎます!」
「わかったわ。わかったから――まず、裏をとらなきゃね」
弟の必死な叫びに、エリスは腕を組んだ。
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