ここはいつもの陸情3課。  
執務室にはハンクス大尉の姿しか見えない。  
「おーい、誰か珈琲淹れてくれないかな?」  
待てども暮らせど誰も返事をしない。  
それもそのはず、まだ始業時間前なのである。  
マイマグカップを片手に──誰が見ている訳でもないのだが──ハンクスは気まずそうに頭をポリポリ掻いた。  
所在なく煙管を燻らせていると、執務室の扉をノックする音が聞こえた。  
開いてるよー、と言う前に横柄に扉が開かれ、白衣を着た女性がズカズカと入ってきた。  
「これ、お裾分け」  
ずいっとハンクスの目の前に差し出されたのは、底の浅い籠。レースペーパーが敷かれ、その上に色とりどりに個包装されたお菓子が盛り付けてあった。  
「なんだ、藪から棒に。……ミュゼ・カウプラン殿」  
胡乱な眼差しでお菓子を摘み、ひと通り眺めてから籠に戻した。  
「まさか、タダで呉れるってぇ訳じゃ……ないよな?」  
「訊きたい事があって来たのよ。わかるでしょ?」  
ミュゼの些か性急な物言いが腹立たしい。しかしここで事を荒立てたくはないと、渋々承諾することにした。  
「しゃーねぇなぁ」  
ハンクスはミュゼを執務室の外に追い遣るように扉に向かった。  
 
        ◆  
 
「おはようございまーす!っと。あれ?誰もいない」  
「本当だ。大尉もいないのだろうか?」  
執務室の扉を開け、ステッキンとアリスの2人は応接セットを横切ろうとする。  
「あれ?お菓子がありますよ、アリスさん」  
2人の目の前にはレースペーパーの上に銀紙やパラフィン紙で包装されたお菓子らしきものが置いてあった。  
「昨日まではなかったのだが……。頂き物なのだろうか?」  
「わーっ、なんだか美味しそうな予感がします!」  
そう言うが早いか、ステッキンは銀紙を剥がして丸いチョコのようなものを口に含む。  
「こら、勝手に食べてはいかんだろうに。そろそろ始業時間だぞ」  
窘めてはいるが、それほど本気で怒ってはいないアリス。  
「あっ!これボンボンです。リキュールが入ってます。アリスさんは食べないほうがいいですよ」  
ボンボンが包まれている銀紙とは違うパラフィン紙の包みを剥がすと、アリスは四角いチョコらしきものを口に放り込む。  
「……これは普通のチョコだな。うん、美味い」  
口の中で蕩ける甘さを噛み締めていると、執務室の扉が開いた。  
「おはようございます。あれ?2人とも今日は早いんですね」  
現在の時刻はまだ始業時間前である。いつも早目の出勤を心掛けるマーチス准尉は自分が遅刻したのでは?と錯覚する。  
「ああ、たまたまだ。気にするな」  
「はあ、そうなんですか……」  
取り敢えず制服に着替えてきます、とロッカールームに向かうマーチスを見送ると、また執務室の扉が開いた。  
「おはようございます。あれ?2人とも今日は早いんですね」  
次に出勤してきたのはランデル・オーランド伍長。顔の真中にサンマ傷が特徴的だ。そのサンマ傷の近くにまた新たな傷が出来ている。  
「お前、また傷作ってきたのか?」  
「こっ、これは猫に引っ掻かれて……」  
しどろもどろになるランデル。その自信なさげな態度が余計に腹立たしい。アリスはそんなランデルをロッカールームへ追い立てた。  
「いつもいつも傷ばかり作りおって……」  
「アリスさん、怒らないであげてください。ねっ」  
「……う、うむ」  
アリスは眉根に皺を寄せ、腕組をして考え込んでしまった。そんな彼女の側にいるのは少し気が引ける。  
「私、マー君のお水汲んできますー」  
努めて明るく振舞うと、ステッキンは給湯スペースに向かって行った。  
 
        ◆  
 
いつもいつも伍長は傷を増やしてくる。  
一人で受け止めて、戦って、傷を作って。  
今度は猫だと?不注意にも程がある!  
 
──もう傷つけたくはないのに……。  
 
「うわーっ!遅刻したっ!!」  
いつものごとくオレルド准尉が慌しく執務室の扉を開けた。  
またどこぞの女と朝まで一緒だったのだろう。いつものように窘めようと、オレルドに向かってアリスは口を開いた。  
「まったく。まいにちまいにちいつまでちこくをすればきがすむんだ?おれるど」  
当の本人はきょとん、としている。いつもならばここで襟元を開いてキスマークのひとつでも見せるというのに。  
ロッカールームから着替えを終えたマーチスとランデルがやってきた。やはり二人ともきょとんとしている。  
あれ?伍長がやけに大きく見える。こやつは成長期なのか?背丈が足りないというコンプレックスを持ってる私に対してのあてつけか?  
そういえば、オレルドもマーチスも……こんなに大きかったか?  
「アリスさーん!粗熱取れたみたいなのであとの作業やっちゃいましょう」  
むむ?曹長まで大きくなってる??  
ああ、そうかわかった。私は酔ってるのだな。ということは食べたチョコにはアルコールでも入ってたのだろうか?  
みんなが急に大きくなるなんて有り得るはずが……。   
「アリスさんっ!?ど・どうしちゃったんですかっ!?なんでちっちゃくなってるんですか!???」  
「わたしがちっちゃいだと!?ひ、ひとがきにしてることをっ」  
給湯スペースから出てきたステッキンはその場で立ち尽くしてしまった。  
「少尉……なんですか?」  
眼鏡がズレていないか確認するマーチス。  
「うはっ!こんなにちっちゃいと威厳がないなぁ。声もかーわいーしなぁ」  
「……不謹慎だよオレルド。それと早く着替えてきたら?」  
オレルドは肩を竦めロッカールームに移動しようとした。  
呆然と立ち尽くしていたランデルは、やっと口を開いた。  
「すごい……。少尉にそっくりだ……」  
 
「ばっ!ばかなことをいうな!!」  
 
勢い余って継承器を抜こうとしてアリスは異変に気付く。腰に帯刀しているハズの継承器が掴めないのだ。  
見ると継承器は床に落ちている。継承器だけでなく、自分の着ていた軍服もズルズル引きずっている状態だ。  
「さしずめ5歳児ってところですか、今の隊長は」  
足を踏み出した筈のオレルドだったが、アリスの目線に合わせて腰を屈めている。  
……5歳児。彼らの上官である私が5歳児……。何がどうなったのかさっぱり見当がつかない。  
アリスは軽く眩暈を覚えた。  
「と、とりあえずその格好をどうにかしましょう。アリスさん、ちょっと失礼しますよ、っと」  
ズルズルの服ごとアリスを抱きかかえ、落ちた服やブーツ、手袋などを拾ってロッカールームに入って行った。  
 
        ◆  
 
「今のアリスさんが着られるサイズなんてないので……これでなんとかしちゃいましょう」  
少し小さめの女子用制服である半袖のブラウスをアリスに着せる。  
「ウエストが覚束ないですねぇ」  
とこれまた女子用制服のベルトをぐるぐる巻きにした。ちょっとしたワンピースのようである。  
「おおっ?」  
「どうしたんですか?」  
「いままでむねがじゃまして、じぶんのつまさきがみえなかったのだが。みえるようになったぞ」  
自分の胸の前ですかすか手をかざすアリス。そう、彼女は胸も5歳児並みになっていた。やり場のない怒りをどこにぶつけたら良いのかわからないステッキン。  
着替えを終えロッカールームを出ると、ハンクス大尉が戻ってきていた。  
「事情は今聞いた。……本当にちっちゃくなったなぁ、アリス」  
「もうしわけありません、たいい……」  
項垂れるアリスの頭をぽんぽん、と優しく撫でるハンクス。  
「少尉。はい、これ」  
ランデルが手に継承器を持たせる。しかし5歳児の手には少し大きい。  
「こしにさげるのはむりだな……」  
益々しょんぼりするアリスを見かね、ランデルは肌身離さずが基本の継承器を背中に背負わせるようにアリスの身に付けた。  
「なんだか少年剣士みたいだなぁ」  
「オレルド!」  
「……アリス、お前これから帝立科学研究所に行ってこい」  
普段聞きなれない単語を耳にして急にハンクスの方へ顔を向けたアリスだが、継承器の重さに耐えられずそのまま背中から転倒してしまった。  
「伍長、お前連れてってやれ」  
「えっ?はい。……でもなぜそこに?」  
転倒して手足をジタバタさせるアリスを起こしながら、ランデルは訝しむ。  
「知らない仲ではないだろうに。チョコ持ってきたの、ほれ、ミュゼ・カウプランだ」  
ハンクスは紫煙を吐きながらゆっくりとそう言った。  
 
        ◆  
 
カウプラン研究所の扉の前に立つ2人。正確には1人と荷物がひとつ。  
『子供が軍の施設にいるなんてわかると何言われるかわからんからなぁ……』  
とハンクスの命で、毛布でぐるぐる巻きにされたアリスをランデルが担いで来た訳である。  
ノックをして中に入る。  
「あら、珍しい。何の用かしら?」  
室内にはミュゼ・カウプラン女史が居た。  
「これは何だ?」  
ランデルはアリスが食べたチョコの包みとまだ手をつけていなかった同装のチョコをデスクに投げ出す。  
「チョコよ。あなたのところの大尉さんにあげたんだけど?」  
「これは市販のものなのか?」  
「さぁ?おやつ置き場にあったものを集めて持ってきただけよ。お裾分けってことで」  
「おやつ……だと?うちのとこより、おきらくだな!?」  
と憤慨したアリスが毛布から顔を出した。  
不意を突かれたミュゼは椅子にからズリ落ちそうになりながらも、なんとか体勢を整える。  
「え……?もしかしてあなたのところの少尉さん?」  
ランデルは荷物──もとい上官を降ろすと、毛布を剥がし、ミュゼの向かいにあった椅子に座らせた。  
「あなたがもってきたちょこをたべてからっ!このような……すがたに……」  
ギリギリを歯を食いしばって膝の上で握りこぶしを作る見た目5歳児のアリス。  
「チョコを食べてからって……多分普通のチョコだとは思うんだけど……」  
ミュゼはしげしげとアリスを見ると、何かを思いついたように目を輝かせた。  
「ちょっと調べてみたいんだけど……宜しいかしら?」  
「何をするつもりだ?」  
そう言うが早いか、ランデルは素早くアリスを抱きかかえ、ミュゼを冷たく見下ろす。  
「こんな珍しいサンプルそうそう見つからないわ。調べさせてもらうわよ」  
「ダメだ。原因が解るまで少尉は触らせない」  
口では格好いいことを言っているのだが、どうみても父娘にしか見えない。  
「でもそのままじゃ困るんじゃなくて?そのためにここに来たのでしょう?」  
ランデルの顔が少し曇る。  
「ごちょう」  
アリスが呼ぶ。  
「このままだとわたしもせんさいふっこうがおこなえない。だいじょうぶだから……」  
「別に変なことしないわよ。健康診断に毛の生えたようなものだと思って頂戴」  
しぶしぶアリスを椅子に座らせると、ランデルは彼女の目線まで腰を屈めて心配そうに見つめた。  
「厭なことされたら遠慮なく声をあげてくださいね」  
「ああ、わかった」  
厭なことって何だろう?と思いながらも頷くアリス。  
「じゃあ貴方は出て行って」  
「なぜだ?」  
「決まってるでしょ。外見は子供といえ彼女は仮にも女性なのよ。それともずっと見てる?」  
 
──15分か20分経っただろうか、扉が開いてランデルは研究室に入ることを許された。  
 
「心電図、心拍数、血圧、脳波その他異常なし。あとは採取した血液、爪、髪の毛などのサンプルを調べてみるわ。今日はもういいわよ。」  
中ではアリスが着替えに手間取っていた。着替えといっても継承器を身に付けることがなかなかできないのだが。  
ランデルはそんなアリスを毛布でぐるぐる巻きにして研究所を足早に退散した。  
こんなところから1秒でも早くアリスを連れ出したかったのだ。  
「(厭なことされたりしませんでしたか?)」  
ボソボソと毛布に向かってランデルは尋ねる  
「(いや、とくに。なんかうれしそうだったけどな)」  
ボソボソと返事をする毛布。  
再び3課に戻ってきた2人はハンクスの言葉に唖然とした。  
「お前らもう帰れ」  
「え?まだお昼前ですよ!?」  
とオレルド。  
「まあ、確かに今の少尉に任務は無理だとは思いますが……」  
とマーチス。  
「伍長さんも帰るんですか?」  
ステッキンが当たり前の質問をした。  
「アリス、今のお前に仕事は任せられん。自宅療養という形で暫く休みを取れ。いつ元に戻れるかわからんからな。理由は何でもいいぞ」  
上司の当然の判断にただ頷くしかなかった。自分は分かるがなぜ伍長も一緒に?  
「伍長、今日は風邪が悪化したとかでマスクして帰る準備をしろ。そのときにアリスを忘れるなよ」  
つまり荷物に扮したアリスを外に出す為にランデルを早退させる、と云うのが狙いらしい。  
ランデルが帰り支度をしてアリスを抱えたとき、ステッキンが大きな紙袋を持ってきた。  
「これ、アリスさんがさっきまで身に付けていたものです」  
とランデルに渡す。  
「気をつけてお帰りくださいねー」  
 

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