「ああ、起きちゃいましたか」  
 男の睫がじわじわ動いた。半目が開いたのを見て、フランシスカは声を上げた。慌てて半歩、離れる。  
「……なんだ」  
「いえ、なんでもないです。施錠しに来たら眠りこけてる奴がいて、誰かと思ったら副長で、起きるのを待っていただけです」  
「そうか。悪かったな」  
 感情の色のない顔に敬礼する。見下ろす傷顔は上下が逆で、何だか新鮮に思えた。  
 ストーブがしゅんしゅん音を立てていて、更衣室はとりあえず温かかった。普段は男達で溢れるこの部屋、フランシスカが一人で入るときには、体臭やら何やらが染み付いている気がする(もちろん、不快であるなどとは言わない)のだが、今は違う。  
 ベンチの上で眠りこける男の、心なしか普段より甘い匂いの方が、枕元に佇むフランシスカには強く思われた。  
 12月24日が、あと一時間ほどで終わるくらいのことだ。更衣室に忘れた衣類を取りに戻ったフランシスカは、およそありえない光景を目にした。恐るべき副長が、尊敬すべき副長が、憧れの、大好きな、素(以下略)な副長が、ベンチに横たわっていたのだ。  
 凛とした容貌から、だらしなく寝ているとは言えない。けれど気の張ったいつもの副長ではない。  
 フランシスカはうろたえた。風邪を引くのではないかと思ったが、寝顔を見ていたい気もした。副長と二人っきりという貴重な時間を満喫するのか、副長の健康を第一に考えるのか。  
 悩んだ末こう決めこんだ。副長は風邪など引かない。風邪など引かない。だから――そうだ。日付が変わるまで、他の者が立ち入らないよう見張っていよう。  
 だが、クリスマスが訪れる前に副長は目を覚ましてしまった。  
「あと15分だったのに……」  
「何がだ」  
「0時まで副長が寝ていて下さったら、私の拘束時間がちょうどいいことになっていたんですよ。時間外勤務手当てが貰えていたのに」  
 何から何まで口からでまかせだ。けれど副長は疑った様子はなく、というか考える様子もなく『それは悪かった。帰っていいぞ』と適当に言った。  
 フランシスカはむくれた。  
「副長」  
「なんだ」  
「今日ってクリスマスイブですよね」  
「ああ」  
 そこで少しだけ言いよどむ。フランシスカを見る副長の目は面白がっているように見えた。思わず、視線を逸らす。  
「明日はクリスマスです。しかも、私は明日休暇です。こんなことめったにありません」  
「良かったな」  
「今晩は部屋の窓からツリーを眺めながら、ゆっくり日付が変わるのを待つつもりでした」  
「それで?」  
「……それで、でも、副長がこんなところで寝ていました」  
 寝顔を見ながらメリークリスマスを言おうと思ったのに。  
 そしてあわよくば――本当に軽く、軽くだ、一瞬触れるだけでいい。  
 副長からクリスマスプレゼントを貰おうと思っていたのに。  
「台無しです。これじゃあ、軍の廊下でメリークリスマスになりますね」  
 
 フランシスカは待った。素直じゃないというか、こういう接し方で正しいのは分かっている。ただ、副長が『悪い』の一言でも言ってくれれば、フランシスカはわがままを言ってみるつもりだった。コーヒーでも一緒に飲みましょう。  
 見る。じっと見る。じーっと見る。  
「……」  
「どうした。早く帰らないのか?」  
 フランシスカは思わずため息をついた。やっぱり無理だ。この副長は上司と部下という関係をどうこうするつもりはないらしい。  
 それでいい。恋人にはなれなくても(いつか絶対なる予定だ)、一番近くにいる。この間なんか花までもらった。ドライフラワーにして家に飾ってある。  
「帰ります。副長、……そんなかっこじゃ、風邪引いちゃいますから。私知りませんよ」  
「それはどうも」  
 くるりと回れ右。ふん、と鼻を鳴らして外へ出た。扉を閉めて――また回れ右をした。扉を開けて、部屋に戻る。  
「忘れ物です。『失礼します』を言い忘れました。それと」  
 かつかつ靴を鳴らして、未だベンチに座る副長に近づく。相手はニヤニヤ笑いだった。意味は分からずとも不快だった。  
「これ、私から副長にプレゼントです」  
 鞄の中から、自分用のピンクのマフラーを取り出す。ぐるぐる巻きに出来る長いものだ。素早く副長にまきつける。首に二重して、頭にかけて――  
「フランシスカ」  
「失礼します!」  
 フランシスカは勢い良く脱出を試みた。油断ならない相手は、間男をしてふられたり、更衣室で眠りこけたり、ナイフ二本で何でも解決できると思っていたり、とにかく、『格好いい』上司だ。  
 寒空に出向く小娘にマフラーを施されるぐらいの失態、なんでもないだろう。情けなく思えばいいのだ。こんなときぐらいにしか、とても間抜けにはならない人だから。  
「……フランシスカ」  
 くそ、と胸のうちに毒づく。あっさり掴まれた自分の腕と副長の顔を交互に見て、最後に足元に視線を落として、フランシスカは呟いた。  
「マフラー、良くお似合いですよ」  
「悪いが、趣味じゃない」  
 知っています。ああいう女の人が好きなんですよね。間男止まりでしたけど。  
 頬を膨らます。副長が時計を見上げた。長い針が1を指していた。  
「日付が変わったな。クリスマスだ」  
「副長のせいで私、気づかなかったです」  
 つまり共に聖夜を迎えましたね。全然色気、ないですけど。  
「……へるもんじゃないし、まあいいか」  
「何がですか。大体副長はいっつも」  
「フランシスカ。マフラーは返す」  
「いっつも――」  
「代わりにこれを貰おう」  
 
 
 ……フランシスカが熱に浮かされてぼんやりした頭で穿り返した記憶によると。  
『ご褒美』を貰ったとき、やっと副長が酔っていたことに気が付いた。副長のいつもの匂いと、そういえば違うなと思った。なるほど、部屋の汗臭さが気にならないはずだ。  
 
 
「く、」  
「く?」  
「訓練、してください。副長。そしたら私もっと、副長よりもっと上手にできますから」  
「……高くつくぞ」  
「構いません」  
 
 
 
 おしまい?  
 
 

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