どこまでも続く、昏い水面。  
――また、この夢か……。  
悪夢を見続けることと引き換えに、俺は自分が伍長であることを選んだ。  
だから、後悔はしない。  
だけど、俺がしたことは正しくなんかない。街の人たちを救うといいながら、  
やったことはただの人殺しだ。  
 
だから、これは、罰。  
水面が揺らめき、白い手が現れる。まもなく無数の腕が、俺をこの沼に引きずり込む――  
はずだった。それなのに。覚悟を決めた俺の前に浮かび上がった手は2本だけだった。  
正確にいうと、1対だけ。  
わずかな水音を立てて肩口までが現れ、明るい金色の髪の毛に覆われた頭がそれに  
あわせて浮かび上がる。あ、た、ま?  
豊かに輝く、ぱっちりと切りそろえられた金髪。  
しずくを引きながら上半身までせりあがってくる。華奢で薄い肩と、やや大ぶりな胸までもが  
あらわになって……はっきりと見覚えのある、だけど見たことのない裸の女性。  
俺の上官の――パンプキン・シザーズの少尉だった。  
こちらを見据えた瞳は潤んでいる。  
「……ご、ちょ、う」  
恥らうように少しかすれた声には、はっきりとした媚態が含まれていた。  
こんな声は聞いたことがない。いや聞きたくない。  
やめろ、俺のバカッ!いくら夢にしたってやっていいことと悪いことがあるだろ!  
早く目を覚まさなくちゃ。ダメだってこんなの。  
そう思いながらも、白くつややかな肌から目が――正確にいうと意識が――離せない。  
身じろぎすらも出来ずにいる俺。  
水面を静かに波立たせて近づいてくる少尉。  
近づかないでください少尉。っていうか早く目を覚ませ俺。  
そんな願いもむなしく、少尉の腕が俺の首に絡みつき、その豊かな胸を押し付けられる。  
耳たぶをやんわりと噛まれ、熱っぽい吐息とともにささやき声が鼓膜をくすぐる。  
「伍長、私を抱いて……」  
俺の理性とともに、周囲の景色が真っ白に塗りつぶされて――――  
 
 
 
「わあああああああ!!」  
「うわ!どうしたっ!?大丈夫か伍長。どこか苦しいのか?」  
俺は自分の叫び声で飛び起きた。殺風景な壁紙が目に映る。  
周囲を確認すると、簡素なホテルの一室のようだった。  
ずっと側についていてくれたんだろうか。少尉が心配顔で俺を覗き込んでいる。  
少し、惜しいことをしたような。それでいて安心したような。  
自分でもよくわからないけど、とりあえず夢でよかった。うん、そう思おう。  
「非道くうなされたようだったが……。まだ少し熱があるな。まだ寝ていろ」  
額に柔らかい手が当てられた。妙に生々しく夢の光景が頭を掠めた。  
真っ白な、柔らかい、おっぱ……イヤイヤイヤ。忘れろ。思い出しちゃダメだ。  
頭を激しく振ってよこしまな記憶を消そうと努力する。  
「医師から安静にしていろと言われていたぞ。おとなしくしていろ。  
 ……!おまえ!痛みはないか?!」  
明らかに不審な行動をとる俺を、あきれたように見ていた少尉の表情が険しくなり、  
一点を見据える。視線をたどるソコには……。  
シーツを持ち上げて、その存在をアピールしまくってる、俺の、アレが……!  
「ななななな何でもないですっ!痛みも何もありません大丈夫です!」  
大慌てでシーツを手繰り寄せて隠す。ついでにぎゅうぎゅうと手で押さえつけてみるものの、  
収まる気配もない。何てモノを少尉に見せちゃったんだよ。恥ずかしくて顔から火が出そうだ。  
そんな俺の気持ちを知る由もない少尉は、ただひたすら優しさゆえにシーツを引っ剥がそうとする。  
「撃たれた所にばい菌が入ったのかも知れん!見せてみろ!」  
たとえ命令だって絶対聞けない。聞けるわけがない。  
「イヤあのっ!本当に、大丈夫ですから!!」  
「バカモノッ!敗血症にでもなったら、命取りなんだぞ!グダグダ言わずに、さあ出せ!」  
ああもう、どうしてボカして教えちゃうんですか少尉のお姉さん。  
シーツをめぐる攻防を繰り広げている間も、俺のアレは一向に萎えるそぶりも見せない。  
寝起きの朝立ち状態なんだろう。  
「あ、あの、少尉。俺ちょっとトイレに」  
シーツはもはや、みりみりと悲鳴をあげている。直接向かってこられたら、怪我をさせないように  
払いのけるのも難しくなる。  
ベッドは壁に密着して置かれていた。つまりその場を離れるには、目の前の少尉にどいてもらわない  
といけない。  
前かがみになりながら腰を浮かすと、少尉がシーツから手を離した。  
やっとあきらめてくれたんだ。ああよかった。さあトイレに!  
……だけど少尉は道を譲ってはくれなかった。それどころか身をかがめてベッドの下をごそごそと  
探っている。  
「少尉?俺、トイレ行きたいんで……」  
ひょこっと顔をあげた少尉は、手にしたものを俺の目の前に突き出した。  
「安静にしていろ、と言っただろう。そういうわけでな、コレを使え。大丈夫だ。  
 介添えくらいはしてやる」  
それは、ランタンの悪夢とは別の、忘れることのできない悪夢の再現だった。  
俺のアレに二針の傷を負わせた、ガラス製の――  
「我慢は体に毒だからな。ホラとっとと済ま」  
冷たいイヤな汗が全身から噴き出す。逃げ出したい衝動に駆られ、後ずさったが  
ほどなく背中が硬い壁に突き当たった。その間にも少尉はずんずんと近づいてくる。  
「子供じゃないんだ。手間を取らせるな」  
視界いっぱいの少尉。手にはガラス製の尿瓶。  
少尉の手がガッチリと俺のズボンをつかみ、――――そして。  
 
 
ベッドサイドに活けられた花から、花弁が一枚、はらりと落ちた。  
 
おわり。  
 

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