その日アルルは補習があるから帰るのが遅くなるとのことなので、
シェゾは夕方彼女の家に先にお邪魔して、カーバンクルといっしょに帰りを待っていた。
外はけっこう寒い。
日が暮れて、雪もちらほら降ってきた。
「補習ねえ……」
「ぐう」
アルルの帰りがちょっと遅いけど、カーバンクルは別に気にしてる様子もなく、
いつもの御機嫌な調子で、寝たり踊ったりふらふらしている。
シェゾもそんなカーバンクルを見ながらぼーっとしていた。
そんなとき、カーバンクルがいきなりぴくんと動きを止めた。
「?」
そして玄関のほうをじっと見つめる。
で、その数秒後にアルルが帰ってきた。
おう……とおかえりのあいさつをかけようとする間もなく、アルルが叫んできた。
「シェゾッ!」
一目で異様に気付く。
アルルはいつも着てるコートを着ずに両手で抱きかかえて、ぐすぐすと涙ぐんでいた。
「どうした」
「シェゾ、助けて……」
丸めたコートを差し出してくるアルル。
そこにはぐったりとした猫がくるまれていた。
「……あ、あ、あのね、帰り道で、草むらのなかで、見つけたのっ。
ぐったりしてて、死にそうになってて……。血、血とか、出てて。
あ、赤ちゃん猫も……。なんとか、助けてあげないと……!」
シェゾはコートを受け取って開いて見た。
大人の猫と、今日生まれたばかりのような子猫が二匹出てきた。
出産した直後だったのか、その猫達は血と、雪と泥で汚れていた。
シェゾはアルルにお湯を用意させて、汚れをそっと落としていく。
母親猫と子猫の一匹は、もう死んでいた。
「うう、う…、も、もう一匹は……?」
「まだ、なんとか、息があるみたいだ、が」
母親猫の亡骸に隠れていた一匹の子猫は、なんとか呼吸していた。
でも目も開いてなく、鳴き声も出さず、胸がかすかに上下しているだけ。
「なんで、こんな時季に猫が出産しているんだ……」
それに、猫好きなアルルとつきあっているとこの街の猫はよく見ているのだが、
この特徴ある白黒模様の猫は全く見覚えがない。少なくとも近所の猫じゃない。
「そんなのわかんないよ!とにかく助けてあげないと!」
「…ああ」
でも、いくらシェゾでも、どうやって助ければいいのか見当がつかなかった。
とりあえず、冷えきっていたので、子猫を暖める。
お湯を張った桶の水面に手を入れてその上にタオルを置いて、それで子猫を包んだ。
「ねえ、ヒーリングは!?ヒーリングかけちゃだめ?」
「いや、かけてみよう…。ただ、人にかけるような魔導力をそのまま投射するのはだめだ。
出来るだけ小さく、こいつの体が受け入れられる容量の魔導力じゃないと」
「え、え。そんなのボクは無理だと思う、から。シェゾ…」
「いや、お前のほうが適任だ。お前のヒーリングのほうが、俺のより、暖かいから」
「でも、小さくとか、そんなのできないよう……」
「俺が補佐するよ」
シェゾはアルルと両掌を重ねて、その上に子猫を乗せる。
そしてアルルの手がヒーリングをかけ、シェゾの手がそれに制限を加えて出力を調節する。
二人は手と意識を重ね合わせて、子猫に微弱なヒーリングをかけ始めた。
きぃぃーー……ん
「お願い……死なないで……」
アルルが涙声で語りかけた。
カーバンクルも寄ってきて、珍しく口をきゅっと閉じた表情で二人と子猫をじっと見つめた。
「死んじゃ、だめだよ、ね……」
子猫に小さなヒーリングの輝きがかざされた。
でも、なんの変化もない。
「ねえ、効いてないんじゃないの!?」
「……少しずつ、出力をあげていく」
シェゾはアルルにはまだ出来ない魔導力の細密な調節を絶妙にこなしていく。
輝きが増していった。
でも、二人には子猫がそれを吸収していないことが掌の感覚で分かる。
もはや、吸収するだけの生命力すらもないようだった。
つまり手遅れ。
全神経を集中してる掌の感覚は、子猫の容態もいやというほど把握出来た。
鼓動が弱っていく。
「あ、あぁ、死なないで!おねがい!がんばってよう!」
アルルは涙で顔をくしゃくしゃにした。
とくん……とくん、とく、ん……………
「あー、あー…あー………」
消えていく鼓動にアルルが弱々しい声をあげる。
「ああ、だめ!だめだよ!」
「………」
二人は懸命にヒーリングを続けたけど。
「うくっ……」
子猫は小さく吐息を漏らすと、完全に動かなくなった。
子猫は、その目で世界を見ることすら出来ないまま、生まれ落ちたその日に死んでいった。
「ああぁ、うう、うう〜…ッ」
アルルは、亡骸になった子猫を両手で包んだまま、ひっくひっくと嗚咽を漏らす。
シェゾも唐突に運び込まれて、呆気に取られたままなんの手の施しようもなく
あっさりと死んだ子猫に無念を感じた。
でもアルルのほうがきっともっと辛いだろうと慮る。
ただでさえ猫が大好きで、というより生きるもの全てを愛してやまない彼女が
帰宅途中の草むらで瀕死の猫の親子をみつけたときはショックだっただろう。
そしてそれが自分の掌の中で死んでいったのだから。
「ア、アルル」
シェゾは、アルルが子猫の死を認められずに取り乱すのではないかと一瞬心配した。
でも、アルルはそうはしなかった。
「シェゾ、ありがと」
「……え」
小さく静かな声でお礼の言葉を言われて、意表をつかれる。
「い、いっしょにヒーリングかけてて、すごく、伝わってきたよ。
シェゾ、この子のためにいっしょうけんめいになってくれたよね。
やっぱりキミってとっても優しい人だ。それ、うれしい、よ……うぅ」
童顔でいつも年齢より幼く見られてしまうアルルだけど
今の彼女は、とても大人の女性に見えた。
「でも…………ごめんね。猫ちゃん。助けてあげられなくて、ごめんね……」
アルルはそのまま子猫の亡骸をぎゅっと抱くと、母猫と兄弟に寄り添うようにそっと置いた。
でも亡骸は力なくころんと倒れる。
「あ、あ」
アルルは慌ててまた置き直した。
そんな彼女を見てると、シェゾもなんだか感情が昂ってきた。
「アルル!」
思わずぎゅっと抱き締めた。
「きゃ…」
抱き締めてみて、アルルの体も冷えきっているのにようやく気付いた。
シェゾは両腕でぎゅっと彼女を包んだ。
「ア、アルル……ありがとうって、俺のほうこそ、だよ……」
「シェゾォ…」
「俺、今、こんな気持ちになってるなんて、な……。
お、俺はもともと、猫なんか、いや、誰か人だって、死んだところで、
なんとも思わないようなどうしようもない人間だったんだ。
でも、お前に会えて、こうしていっしょにいられるようになって、
俺は、いつの間にか、人間らしい気持ちをまた持てるようになってたのかな…。
優しいお前が、いてくれるからだ、ありがとう…アルル……」
「シェゾ、そんな」
「……それとな。こいつらだって、そうだ、ぞ……。
自分を責めたりするなよ。こいつらは、助けられなかったけど、
こいつらにとって最期の場所は、雪の上なんかじゃなくて、お前の手の中だったんだ。
それだけでもどんなに救われることか、俺には分かる!」
「ぐー…」
カーバンクルが一声鳴いた。
「やだ……シェゾ……そん、なこと言わないでよう。ボク、また、泣いちゃうよう……」
「……」
「泣いちゃう、よ……?」
「……ああ」
「うっ………うわああんッ…あ〜ん……」
アルルはシェゾに抱き締められながら泣いた。
シェゾも彼女が落ち着くまで抱いててあげた。
どれくらいの間泣いてたのか分からない。
泣きやんだアルルは、猫の親子の亡骸を改めて清めて安置した。
そしてその夜はシェゾから一時も離れようとはしなかった。
二人はカーバンクルをそっと寝かし付ける。
「おやすみ、カーくん」
「ぐ……」
アルルのとても優しい囁き声に、カーバンクルは素直に眠りについた。
そして、二人も寝室に行って、ともに夜を過ごした。
シェゾはアルルを横たわらせて、服をひとつひとつ脱がしていく。
アルルはおとなしくされるままになっている。
そして二人とも全裸になるとシェゾはアルルの顔に手を添えて、何度もキスをした。
「ん、んう、ん、ふぁ……」
涙で腫れたまぶたにもキスする。
「あ、あんまり顔、見ないで……」
アルルはふとんの中に頭まで潜った。
シェゾもいっしょに入っていく。
アルルはふとんの中で丸まって、顔を近付けるといやいやってして、
でもしきりに寄り添ってきて、シェゾは本当に猫みたいだなと思った。
おびえてて、でも寂しがっている猫をあやすような気持ちで、
シェゾはアルルとセックスをした。
アルルの脚を開かせて、ペニスを膣口にあてがう。
実のところ今シェゾは気分的にはほとんど欲情はしてない。
彼女を愛しいって思う気持ちだけでペニスを勃起させていた。
そして挿入させていく。
「あ、ああ……」
アルルは両手両足をぎゅっとシェゾの体に絡み付けて、彼を受け入れた。
「シェゾ、シェゾ……だいすきぃ……」
「アルル……」
ぐちゅ……ぐちゅ……
ゆっくりと優しく動いた。
普段はいろんな趣向を凝らしてセックスを楽しむシェゾとアルルだけど、
今夜はただ正常位で繋がってひたすら愛し合うだけだった。
「あ、ああ、ふああぁ、ああん……」
それでも二人はじゅうぶん高まった。
そしてあっけなく達する。
「アルル……アルル……」
「ああ、ふやあぁ、シェ……!」
どくん!
「あああぁーッ」
びく…びく……びくん……
シェゾはアルルの一番奥でペニスを何度も脈動させて、精液を注ぎ込んだ。
アルルもシェゾが射精すると同時にいったけど、
いつもの真っ白になるほどの絶頂ではなくて、軽くいっただけだった。
それでも、アルルはとってもうれしいと言った。
ことが終わった二人は、その後始末もそこそこに、寄り添い合って深い眠りに落ちた。
疲れてたのかすぐ眠った。
翌日の土曜。
アルルもシェゾも休みだったので、二人は街の近くの林まで出かけていった。
あの猫の親子を埋葬するために。
林で一番大きな樹のそばでシェゾがシャベルで深く穴を掘っていく。
アルルはじっと亡骸を抱きかかえて見ていた。
「ちょっと深く堀りすぎたか」
「いや、いいんじゃない」
アルルはこの親子を埋葬するにあたって2つ贈り物をした。
ひとつは名前。せめて名付けてあげたいと思ったようだ。
「じゃあ、ね、アンジェ、ミント、リップル。
いっしょに過ごしたのは一晩だけだったけど、忘れないよ…」
アルルが名前を呼び掛けながら墓穴に亡骸を納めて、お祈りした。
3つとも、いつかもし猫を飼えたらこんな名前を付けたいと前々から考えていたものらしい。
もうひとつは骸布。最初に使っていたアルルのコートだった。
アルルのお気に入りで、シェゾによくこれかわいいでしょと自慢してたやつだ。
「このコートもキミ達にあげちゃう。かわいくてあったかくていいやつなんだよ…」
その通りだとシェゾは思う。
なにより誰よりも優しいこいつのぬくもりが込められているんだ。
もう決して寒さにこごえる心配はないぞ。
あと、これは後日になってシェゾが街に住み着いてるケットシーから直接聞いたことだけど、
シェゾの言った特徴に合う出産間近の猫なんてこの街近辺にはいないそうだ。
ひょっとしたらあの猫は、シェゾ達がいるこの世界ではないどこかから、
なにかの事故でいきなりこの街に放り込まれてしまったのかもしれないと思った。
そういうことは多いのだろうか。
世界を飛び越るようなこと、すべきでもない者が意図せず巻き込まれてしまうことは。
帰り道、ここからだとシェゾの家のほうが近いので、そっちに向かった二人。
林の中は昨日の雪があちこちに薄く積もってて、ざくざくと歩いた。
しばらく黙っていたけど、アルルがふと呟いた。
「……ボクは…やっぱり、助けてあげられなかった、って後悔は、してしまうと思う」
「…………そうか」
「ね、この世の全ての生き物は、みんな多かれ少なかれ魔導力を持ってるものなんだよね」
「ん……ああ」
「昨日さ、道端の草むらであの子達を見つけたのって、たまたま見たからじゃないんだ。
もともと小さかった魔導力が、それがさらに消えかかってるのを、確かに感じたの。
助けてって言ってるみたいだった………」
シェゾはその話は本当だろうと思った。
普通ならそんな超微弱な魔導力を感知するのはよっぽどじゃないと無理だ。
でも、こいつなら偶然それが出来てもおかしくない素質を持っている。
「もし、ボクが将来りっぱな魔導師になれたら、あんな風に誰かが助けを求めてるのを
もっとすばやく気付いてあげられて、それで助けてあげられるように、なれるかな」
「きっと、なれるさ」
「そ、そうかな……ありがと。うん、ボク、がんばる」
「ボクは、将来、りっぱな魔導師になるよ」
「ああ」
「…………そ、それとね、それとね」
「ん」
「魔導師もだけどね、ボク、もうひとつなりたいもの、あるの……。
お、お嫁さん……大好きな人と結婚して、その人と子どもを作って、さ。
それで、お仕事とお母さんをしっかり両立出来る兼業主婦。ほんと、なりたいって思うよ」
照れながら、そんなことを言ってくるアルル。
なんだかこっちまで照れそうになる。
「…………それはどうだろうな」
だからつい意地悪を言ってしまった。
「な、なんでよう」
「お前、家事大して上手でもないだろ。魔導師の勉強しながら、出来るのか。
だいたい昨日補習くらってたくせに」
「……もう!か、家事だったら分担していっしょにすればいいでしょ!
それに昨日の補習は、成績が悪いから受けるようなやつじゃないの!
魔導倫理学を選択してる生徒はみんな受けなきゃだめなやつなの!
シェゾのいじわる!」
シェゾは、そうやって元気に言い返してくるアルルが嬉しくて、つい笑ってしまった。
「……ははっ」
「もう…………くすくすっ」
つられてアルルも微笑んだ。
おわり