『BIBUN−SEKIBUn』
こつこつこつこつ。
机を小刻みに叩く音が、ほとんど生徒がいなくなった教室に意外なほど高く響く。
音の発信源はユリだ。
窓の外を珍しく難しい顔をしながら睨み、恐らく無意識なのだろうが、指が机を叩いている。
「う〜……」
口から唸りとも溜息ともつかない声が漏れる。
「何よ、ちょっとくらいかわいくって、胸おっきいからってさ…」
ボソリと恨み言めいた言葉が漏れている。
そんな事を言っている本人もそれなりにグラマーなプロポーションではあるのだが。
「おー、おったか……って、な〜にヘンな顔して窓睨んでんねん?」
教室に入ってきたタイガの変な訛りの言葉も、ユリの耳には一切入っていないようだ。
「アタシだってさ…」
まだ何かしらブツクサ呟いている。
「おい、ユリ」
タイガは再度呼びかけるが、彼女は相変わらず窓の外から目を離さない。
表情は『難しい』から『険しい』に変わっている。
「あ、あんなに寄り添っちゃって! 胸押し付けるなっての!」
独り言にしてはかなり大きい声である。
(あん? 胸?)
タイガはユリの傍まで近づく。 その気配にもユリは反応しない。
しばらくタイガは、何かしらボヤいているユリを眺めていたが、少し笑いを浮かべ、
「何や、乳がどないかしたんか?」
と、彼女の無防備な胸を大きな手で揉むようにタッチする。
「ぎゃわっ!?」
奇妙な叫び声を挙げてユリが我に返る。
胸を触った主がタイガだと気付いた時には、大きく右手を突き上げ、タイガに拳を食らわせていた。
「あだっ!」
クリーンヒットは回避したものの、派手な音を立ててタイガが床に転がる。
「何すんのよ、このバカ!!」
「いったぁ…いきなり拳かいな」
「何なら、股間に蹴り入れようか!? このスケベ!」
「ま、待てや!」
蹴られて男として『終わる』のは勘弁とばかりに、タイガは素早く立ち上がり距離を取る。
「先刻(さっき)から何遍も呼んでんのに、乳触られるまでボヤ〜ッとしてたん、お前やろ!?」
「胸と何も関係ないでしょ! っていうか、何よ!」
角でも生えそうな勢いで怒鳴るユリに、タイガは後ずさりながら、
「ロマやんから伝言や。 部屋に来いって言うとったで。 大方、補習の話やろ」
さっさと用件を言い捨てる。
「え!? マジで〜!?」
さっきまでの険しい表情はどこへやら、ユリが不正解時のような表情でゲンナリとする。
「そらなあ、先刻の授業、お前ボロボロやったしなぁ…」
「うっさい! 行きゃあいいんでしょ! このバカ!」
タイガのセリフがからかいに聞こえたのか、ユリはタイガのボディーに軽く拳をぶち込み、教室を後にする。
「……いちいちシバくなや…でも、やっぱアイツええ乳しとるわ…」
派手な音を立てて教室のドアが閉まった後、タイガは腹をさすりながらボヤく。 自業自得だが。
「何睨んどったんやろ? ……ん? アレか…」
タイガはユリが睨んでいた方角をみて、納得する。
中庭のはるか先のベンチに二人の生徒。 二人ともに、特徴のある赤い髪。
レオンとルキアが仲睦まじそうに談笑しているのが見えた。
「やれやれ……ナンギな事になりそうやな…」
「ふえ〜…疲れたよぉ…」
ユリが心底疲れ果てた声をあげて、自室の床にへたりこむ。
ロマノフ先生の長〜い補習(説教の方が多かったが)からようやく解放されたのだ。
「センセ、あれはないよぉ…二次方程式とか、アタシらの階級の範囲じゃないじゃんよ…」
どうやら数学の問題にコテンパンだったようだ。
『数学、と言うと堅苦しく聞こえるが、要は数字を使った論理学、パズルみたいなものじゃ』
とロマノフ先生は言っていたが…
「意味わかんな〜い!」
ひとしきりボヤいてから立ち上がり、ブーツと制服を脱いでハンガーに掛け、髪のリボンをほどく。
ファサ、とロングヘアがなびく図は、なかなかに惹きつけるものがあるが、本人に自覚はゼロだ。
下着姿のままという少々はしたない姿でユリは台所へ行き、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出しラッパ飲みする。
「ぷはー! 爽快!」
少々気が晴れたのか、普段通りの快活な表情を見せる。
そして自分の寝室に戻ると、ぴょん、と軽く跳ね上がって自分のベッドにうつ伏せに着地する。
「ま〜ったく、そんな数字パズルのより、こっちの方程式を解きたいわよ〜…」
言いながら、ベッドサイドに立てている写真立てを取る。
「…ね、レオン」
物言わぬ写真にユリは呼びかけてウインクする。
もはや言わずもがなだが、ユリはレオンにホレている。
何時からだろうか、レオンを『クラスメイト』から『男』へと意識し出したのは。
彼女自身もよく覚えていないけど、ふと気付いてレオンを見た瞬間に、衝動を覚えたのだ。
その衝動が『恋』であると自覚した瞬間から、ユリは積極的にアプローチ……できなかった。
もちろん、これと決めたら、後先なしに飛び込むのがユリである。
それが、例え初めての恋であったとしても、何ら変わらない。
でも。 少し遅かったのだ。
ユリが飛び込もうと動いた時には、レオンの隣には、既にルキアがいたのだ。
自分に良く似た、明るく活発な少女。 そして…かけがえの無い親友。
(は〜、なんで同じ人を好きになっちゃうのかなぁ…)
ユリは溜息をつく。 普段は凛々しい眉が『ハ』の字に下がる。
自分が今後、レオンと結ばれること。 それは、親友を傷つけ、泣かせてしまうことと同義。
(でも………このまま、諦めろっての…? そんなの無理!)
ユリはブンブンと首を振る。
もともと、諦めの良い性質(たち)ではない。
まして、自分が本当に好きになった相手に何もできずに不戦敗、なんて我慢できるわけない。
「よ〜し、見てなさいって!」
何を思ったのか、彼女の口から決意めいたセリフが出る。
「ルキア………ゴメンだけど、こればっかりは譲れないんだからね…」
ユリはうつ伏せの姿勢から起き上がりベッドに座り直す。
「考えたら、相手にとって不足なし! いいわ、アタシの方が魅力的だってわからせるんだから!」
グッと写真立てを握る手に力がこもる。
「ルキア、勝負よ!」
力強く宣言すると同時に、
パリン。
力を込め過ぎたのか、写真立てのカバーガラスが音を立てて割れてしまう。
「ぎゃぼー!? ゴ、ゴメンね、レオン! …あーーーっ、写真に傷がー!」
…まあ、何というか、前途多難なのは間違いないようだ。
「ルキア、勝負よ!」
さて、翌日の昼休み。
食堂にかなり遅れて入ってきたユリは、ルキアを見つけるなり近づいてそう宣言する。
お弁当をほぼ食べ終わり、デザートが入ったタッパーの蓋を開ける姿勢のまま、ルキアはキョトン、とユリを見る。
一緒にお弁当を食べていたシャロン、クララ、アロエ、ヤンヤンも同様だ。
「…え〜と、どしたの、ユリ?」
固まったまま、ルキアが聞き返す。
「だ〜か〜ら〜、勝負なの!」
ユリが妙な抑揚をつけてゆっくりと言い直す。
「…一体、何を勝負するつもりなんですか、ユリさん?」
「早食い競争なら、もう無理アルよ」
「そう、今日の日替わり定食をどっちが早く食べられるか……って、ちっがーう!」
「ユリ、少し落ち着いて静かになさい。 周りの皆に迷惑でしてよ」
シャロンが紙ナプキンで口許を拭い終えてから、そうたしなめる。
お嬢様育ちのこのゆったりとした余裕が、少々苛立たしい。
「シャロンは黙っててよぉ! …って、そうそう、ルキ…」
「ねぇ、ユリも一緒に食べよ? リンゴむいてきたんだ〜」
勢い込むユリをよそに、ルキアは屈託のない顔で、タッパーのリンゴを差し出す。
「今日はウサギさんにしてみたの♪」
「可愛らしくカットできてますね」
「わ〜、お姉ちゃん、かわいい〜! アロエも、アロエも食べた〜い!」
「もっちろん、アロエちゃんの分もあるわよー」
「ワタシにも食べさせるアル!」
「うん! みんなで一緒につまんじゃお♪」
「ちょっとぉ!? スルーしないでよぉ!?」
ルキアが差し出したリンゴに話題を持っていかれて、ユリがまた絶叫する。
「ユリ、いらないの? リンゴ、嫌い?」
ルキアが眉を下げて少し寂しそうに彼女を見つめる。 …そ、そんな手(?)にのるもんか!
「リンゴじゃなくって、ルキア! いざ、尋常に…」
何が尋常なのか、そもそも何を競うのかは本人以外わからないが、ここで、一旦大きくタメを作る。
「……しょ…」
グ〜〜〜〜…
ユリのお腹が大きく鳴る。 あまりの決まり悪さに彼女が赤面する。
「…ね? 一緒に食べようよ。 お話なら食べながら聞くから、ね」
ルキアが小さくクスリと微笑んで、そう促す。
(超サイテー…何でこんな時に鳴るかな、アタシのお腹ってば…)
「…た、食べてやろうじゃないの!」
せめて、挑戦している姿勢だけは崩さないように大仰に言い放ち、ユリがパクリとリンゴを口に放り込む。
(あ、甘くて、おいし〜い! …あ、いやいや、ルキアの腕は関係ないもん、いいリンゴなだけなんだもん!)
ユリは一瞬表情を崩したが、また、顔を引き締めて―周囲には睨んでいるようにしか見えないが―ムシャムシャとリンゴを頬張る。
「………アホやろ、アイツ…」
「ん、何か言った、タイガ兄ちゃん?」
離れたテーブルで男子生徒たち―レオン、セリオス、カイル、ラスク、タイガ、ユウ―も一部始終を見ていた。
「何でもないわ。 ボン(坊っちゃん)は黙ってぇ(黙ってろ)」
「その呼び方やめてよぉ! てか、ユリ姉ちゃん、なに騒いでたんだろ?」
「理解不能だ」
「ま、まあ…落ち着いて食事に戻ったようですし、大丈夫じゃないですかね」
「ふーん…(あれ? サツキお姉ちゃん、何笑い転げてるんだろ? 後で聞いてみよっと)」
「ま、アイツら、仲いいからさ。 ジャレてるだけだろ」
(…お前が火種やっちゅーねん…ったく、あの逆噴射タコ…ムチャしよらんかったらえぇけどな…)
能天気なレオンに少し呆れながら、タイガは冷めたラーメンの汁をすすった。
「…あ〜ん、もう!」
その日の晩、ユリが自室のベッドの上でまたしてもボヤく。
結局、ルキアにははぐらかされたまま(?)、『恋のライバル宣言』は不発に終わったのだ。
「もー、アタシのバカ! なんで食べ物に釣られてんのよぉ!」
リンゴだけでは当然物足りず、定食(ご飯大盛り)を掻き込んでいるうちに、午後の授業となり、
そして授業が終わると、ルキアはレオンと一緒に教室を出て行ってしまったのだ。
慌てて二人を追いかけるユリを待っていたのは…リディア先生の補習だった…。
「リディア先生も、普段天然なのに、お仕置きはなんであんなにキツいのよぉ…」
自分の授業中の天然ボケ回答を棚に上げて、またボヤく。
「さすがにヘコむなぁ……ねえ、レオン」
写真立てをまた取り出す。 取り急ぎ、カバーガラスにはメンディングテープが貼ってある。
「アタシじゃ、ダメなの?」
寂しそうに呟く様子は、普段の姿とは真逆の、いかにも恋に悩む少女のそれだ。
「こっちを向いてよ……アタシだけ見ててほしいよぉ……」
思わずしおらしいワガママをぶつけてしまう。
そして、今度はあまり力を入れすぎないように、レオンの写真をかき抱く。
(はぁ……レオン…)
普段の能天気にも映る笑顔。 特にスポーツなどの勝負事の時に見せる凛々しい顔。
そして、屈託のない優しい笑顔。
(ん……また……熱いよぉ…アタシのカラダ…)
ここのところ、心にレオンを強く思い描く度に、ユリの体は火照り始める。
(…見ちゃ、ダメ…)
写真立てをサイドテーブルに伏せて戻す。 そして、右手を服の上からそっと胸をなぞる。
「ふぅ…」
普段のユリからは想像もつかない程の、細く切なく、甘い溜息が漏れる。
少し力を込めて、自分の乳房を掴む。 脳裏と子宮の辺りに向かって、強い電流のような刺激が疾る。
(あんっ、しびれるよぉっ……!)
声を殺して、ユリが青い刺激に酔う。 手の動きが少しずつ激しくなってくる。
乳房を強く揉みしだく度に、快感が生じ、その度に、堪えきれないように、苦しげな吐息が漏れる。
「はぁ……ん……くっ…!」
服の上からの刺激では物足りなくなったのか、ユリはもどかしげにパジャマのボタンを取り、脱ぎ捨てる。 パジャマの下から、快感に張り詰めた乳房が晒される。
そして、寝転がったまま身をよじり、下のパジャマも脱ぎ捨てると、パンツ一枚の姿になり、右手を滑らせるように下腹部へ下ろす。
(ああ…レオン…アタシを……)
淫らな願望を脳裏に描いて、右手をパンツにくぐらせて熱を帯びた箇所に直にそっと触れる。
「あんっ!」
ユリの体がビクリと跳ねる。
この所、幾度かの行為で、自分の感度の高さを自覚している彼女は、しばらく敏感な蕾を擦り続ける。
彼女の秘部からは、処女とは思えない程の蜜が溢れ、粘った音を室内に響かせる。
(ああ、もっと、欲しい………! もっと、奥までぇ…!)
甘い吐息を漏らし続けながら、もっと淫らな欲望を求め続ける。
(もうダメ…!)
ユリはついにパンツも脱ぎ去り、サイドテーブルの引き出しからある物体を取り出す。
男のものの形を模した性具…に見立てた、デッキブラシの柄を切って加工したものだ。
(ああ…コレがレオンのだったら…)
無機質なそれに無意識に舌を這わせ、ユリの表情はこの上なく淫らに蕩ける。
(い…挿れる真似だけ…ね)
快感で靄がかかり始めた頭でユリはそう念じて、濡れて光るソレを自らの秘部に当てる。
そして、少し強めに擦りあげて、絶頂に達するつもり。
…誤算があったとするならば、本人の感度が、自分が思っていた以上だったことだろうか。
ユリが秘部に押し込むように擦りつけた途端、彼女の秘部はスムーズにソレを深々と飲み込んでしまった。
何か、体の奥で、一息に裂けて壊れる感触。
「@&%#@+>&〜〜〜!!!」
最早、どんな文字でも表現不可能なユリの悲鳴が、しっかり防音の効いた自室にこだました。
伏せて置いていた写真立てが、ベッドの枕元にトサリ、と落ちた……。
自分の頼りなげな足音が、保健室から教室へ向かう廊下に嫌になる程耳障りに響く。
「うう…まだ痛いよぉ……」
ユリが涙目で教室に戻っている。
朝イチで、ミランダ先生の所に駆け込んで(もちろん、実際は痛さのあまり這いずるように)、
痛さと恥ずかしさで泣きながら事情を説明、処置をお願いしたのだ。
『………そう………』
大体の事には慣れっこのミランダ先生も、さすがに絶句し失笑したが、女として初体験の相手がデッキブラシの柄ではさすがに可哀想と思い、
復元魔法(といっても大まかな再生しかできないが)と痛み止めの薬を処方してあげたのだった。
『内緒にしといてあげるから、もう、そんなムチャしちゃダメよ』
色々とアドバイスしようか考えあぐねたミランダ先生が口にできたセリフはこれだけだった。
(ふえ〜ん…初めてはレオンにあげたかったのに…)
まさしく『自爆』で処女喪失(肉体的には処女に戻っているが)してしまい、ユリは意気消沈してしまった。
「おっはよー、ユリ! …あれ、顔色悪いよ?」
ルキアが普段どおり明るい声で挨拶するが、ユリのあまりの顔色の悪さに表情を曇らせる。
「………何でもないよ…」
「ウソ! そんな真っ青な顔して! 熱あるんじゃない!?」
ルキアは慌てて、ユリの額に手を当ててみる。
(う〜〜〜〜、そんな優しくしたってねぇ、アタシは負けないんだからね!)
痛み止めが効いてきたのか、少し体が楽になってきたのもあり、ユリが少しずつ、いつもの調子に戻ってくる。
「大丈夫だっての!」
言って、ルキアの手を握ってゆっくり額から話す。
「ホントに? ムチャしないでね…」
彼女は心底心配そうにユリを見つめている。
少し、気に障った。 八つ当たり、嫉妬なのは自覚しているが、自分でも止められなかった。
「あのねぇ、ルキ…」
ユリがルキアに言い寄ろうとした矢先に、始業のチャイムが鳴り、同時に授業担当のリディア先生が入ってきたため、またもや勝負宣言はお預けとなった。
「…えーと、授業を始める前に、課外授業のお知らせでーす」
のほほんとしたリディア先生の声が教室に響く。
「今回は、アカデミーと提携しているハンバーガーショップで、店員として働いていただきまーす」
(何だそりゃ?)
席に座っていたユリは突っ伏しそうになる。 恐らく、大半の生徒もそうだろう。
「聞いてくださーい。 調理は任せられないけど、その他の接客・管理等、今後の授業の知識になるから頑張ってくださーい」
教室が少しざわめく。 あまり歓迎していないニュアンスである。
「もちろん、昇格試験の採点の上積みにもなりますし、ちゃーんとご褒美もありますよー」
リディア先生が続けると、ようやく納得した―諦めもあるだろうが―空気が流れる。
「で、期間は2週間のうち7日間勤務、時間は朝から休憩込みで7時間なの。 で、これがシフト表でーす」
そう言うと同時に、机の魔法パネルが反応し、シフト表が映し出される。
「基本は2人一組、男の子と女の子でペアになってもらいまーす」
ユリは何の気なしにシフトを見る。 …相手は、レオン。
「やったぁー! チャンス!」
思わず席から立ち上がり、大声を上げてしまう。
「あ…ゴメンなさい、お騒がせでした…」
授業中ということを思い出し、ユリが恥ずかしそうに座り直す。
「あ、ちなみに、日ごとに組み合わせは変わるから注意してね」
その言葉にユリは再度シフト表を見直す。
レオンとの組み合わせはそのうち3日だけ。 他はタイガとだ。
(がーん…ベタで一緒じゃないのぉ!? えーと、レオンは…)
目で追うと、レオンの組み合わせは、自分以外は…ルキア。
(何ですってえぇぇぇえぇぇ!? ひどっ、ひどいよ、リディア先生!)
「組み合わせの変更は認めませーん。 成績に響くから、しっかりね。 じゃ説明を続けるわね…」
しかし、もはやリディア先生の説明など、彼女の耳には届かない。
(……ル、ルキアなんて、バクハしてやるんだからぁ!)
両手の拳を震わせながらユリは物騒な事を心に誓う。
…とりあえず、リディア先生が、お仕置きの雷を落とすまで、ユリはブツブツとルキアへの対抗意識を燃やしていた…
「ありがとうございました〜!」
商品をお客さんに渡して、ニッコリ笑顔で送り出し。
いつもは大きくなびくポニーテールも短くまとめたユリ。
かわいらしい制服にハキハキした応対もなかなかサマになっている。
「ふ〜、とりあえず、客入りも落ち着いてきたな。 お疲れさん」
レオンが声を掛けてくる。 少し疲れたのか、首を動かすとゴリゴリと筋が張っている音がする。
「結構大変なんだね〜」
ユリも少々疲れたような声で応じる。
「ま、でもさ、悪くないよな。 少しだけどマジカもらえて、メシもタダ食いだしさ」
「そーだね、アタシ、さっきメガバーガー食べちゃった」
などと他愛ない会話を続ける二人。 知らない人が見たら、なかなかにいい雰囲気だ。
「…おっと、もう終わりだな」
レオンがそう言う。 ユリもつられて時計を見るときっちり7時間経っている。
「あのさ、レオン…」
「ん、どうした?」
ユリがおずおずと言葉を切り出す。 少し頬が染まっている。
「一緒に、かえ……」
「あ、お二人ともここにいましたか。 皆で戻りましょう」
厨房の奥で、調理器具洗浄などを担当していたカイルが現れる。 チビっ子組も一緒だ。
「おう、行こうぜ。 あー、晩メシが楽しみだぜ」
「レオン兄ちゃん、相変わらず食い意地張ってんなぁ〜」
ラスクが茶々をいれる。
「うるせーよ。 行こーぜ、ユリ」
軽く返しながら、レオンはカイルたちとさっさと戻ろうと歩き出す。
(ちょっとぉ、カイル、自重してよぉ! あーん、また誘えなかったよぉ…)
週末。
折角の休日なのに、課外授業でまたもバイトのユリは少し不機嫌だ。
「おいユリ、商品や、客に早よ渡したれや」
「…わかってるっての……ありがとうございましたー!」
タイガにテイクアウトの袋を渡され、何とか笑顔を取り繕って、ニッコリと接客に戻る。
(あー、何だってコイツと一緒のシフトなのよ〜……)
さすがに休日だ。 客の入りがかなり多い。
今日のユリはテイクアウト担当だが、テイクアウト客も多いからなかなか息がつけない。
(ふー、さすがにしんどいなぁ)
ユリが軽く音を上げていると。
「いらっしゃいませ! …毎度」
タイガの声が少し微妙だ。
「…かしこまりました。 メガバーガーセット2ツ、プレーンバーガー2ツ、ドリンクはアイスティー! 保温状態でテイクアウト!」
タイガの声が響く。 …てことは、家族連れかな。
商品から客筋を推理し、ユリが待ち客を捌きながら手元を動かす。
8人組の客に商品を手渡すと同時に、先ほどのセットが届く。
ユリはテキパキと保温容器にハンバーガーと付け合わせを入れ、アイスドリンクを分別して入れる。
セットが完了すると、ニッコリと笑顔で、
「ありがとうございましたー!」
と応対する。
「サンキュー」
「頑張ってね」
…え?
よくよく見ると、歩き去るその客は2人組の若いカップル。 私服で帽子をかぶっているが二人とも赤い髪。
そして、聞き間違いようのない、耳慣れた声。
レオンとルキアだ。
(〜〜〜〜〜! な、何よ! デートのアシストしちゃってんじゃないのよ! キ〜〜〜!)
テイクアウト待ちの客が怯むほど、ユリは拳を固く握り締め、鬼の形相で体を震わせていた…
(も、もうダメ、限界!)
帰り道、未だに怒りで震えが治まらないユリ。
「こうなったら、実力行使よ!」
思わず漏れる声に、並々ならぬ決意と怒りがこもっている。
(…やっぱ、ナンギな事になりそうやな…)
同じ帰り道のタイガが、彼女から5歩ほど退がってそう思う。 今ヘタな事を言ったら、パンチだけでは済まないのは明白だ。
寮に戻り、自分の部屋へ辿り着く。
「ん? 何よこれ?」
自室のドアの前に何か置かれている。 …バイト先のハンバーガーの袋だ。
「誰だろ? これ食べろって言うの? もう冷めてんじゃ…」
袋を開けて、少し驚く。 思った以上に保温状態が良い。
「…メガバーガーセットじゃん! 誰だか知らないけど、サンキュー!」
怒りは収まらないが、とりあえずお腹がペコペコなので、こちらを満たす方が先に立ったらしい。
「ふぅー、ごちそーさまー!」
部屋に入るやいなや、一息にハンバーガーを平らげたユリが満足げにお腹をさする。
袋もそのままに、ユリは立ち上がり、服を脱いで、いつも通りの下着姿でベッドに寝転がる。
そして、写真立てを手に取り、写真のレオンに向かって、
「ゴメン、レオン…もう限界なんだ…ちょっと強引な手を使うけど、許してネ…」
恋する乙女の眼差しで、言っている事はかなりムチャだ。 でも、そこまで気は回らない。
「すんません、俺、休憩入ります」
「了解、一時間だぞ」
「わかってますって」
レオンが正社員の店員に声を掛けて、休憩モードに入る。
少し長めの廊下を歩き、角を2つ曲がって控え室―として使わせてもらっている倉庫に着く。
「さーて、メシだぞ、っと」
軽く呟きながら、レオンがドアを押し開けて、部屋に入る。
「…あ? どうしたんだよ、ユリ?」
ユリがいることに気が付いた。 チューブトップとミニスカートにサンダルといったいでたちは、なかなかセクシーで可愛らしい。
「今日、非番だろ? なんでいるんだ?」
「うん、ちょっと大事なものを忘れてて…」
言いながら、両手を後ろに軽く組みながら部屋をポツリポツリと小さな歩幅で歩く。
「そーか。 折角の休みなんだし、忘れ物持ってって遊びに行きなよ」
レオンは軽く返し、
「俺、ここでメシ食ってるけど、気にすんなよな」
「うん…」
ユリはそう言うが、別に何も探す風ではない。 少し表情が固い。
レオンはさほど気にもしないで、ユリを追い越し、食事をしようとする。
…ユリの動きは素早かった。
不意にレオンの腕を掴むと、強引に振り向かせ、両手を彼の頭に添えて引き寄せながら、自分も背伸びして唇を押し当てる。
「!?」
レオンは驚く間もない。
唇から、何か痺れるような感触がレオンの体を疾る。
ユリが離れる。
「お、おい!? ユリ! …!?」
レオンが混乱しながら問い詰めようとして―気が付く。
体が、動かない。 部屋の真ん中で棒立ちになったままだ。
「ゴメン、レオン…」
ユリが少し申し訳なさそうに呟く。
「ちょっとの間、動けないかもしれないけど、我慢してね」
そこでレオンは、自分が魔法を掛けられたことに気が付いた。
「おい! 術を解け………よ……!?」
大声で怒鳴りかけたレオンの声が勢いを失い、止まる。
ドアに背を向けた位置にいるユリが、チューブトップを脱ぎ去るのが見えた。
「ま、待て!」
レオンが声を落としながらも叫ぶ。
眼前で唐突に繰り広げられるストリップに、まるで理解が追いつかない。
あられもない姿を見てしまうまい、と目を強く瞑っている。
「…ダメ。 待たないし…もう、待てない」
パンツも脱ぎ終え、身に纏っているのが、トレードマークのリボンと、正面だけたくし上げたスカートだけ、という扇情的な姿でユリが言う。
「………好きなの、レオン…」
「……!?」
またしても唐突な展開に、レオンは思わず目を見開いてしまうが、ふくよかな乳房と淡い草むらが目に飛び込み、また目を閉じる。
「アタシじゃ、ダメなの…?」
切なそうに眉を下げて、ユリが問いかける。
「いや…その前に、そのカッコやめてくれ…目のやり場がねぇ…」
目を強く瞑ったまま、レオンが苦しそうに返す。
「やだ、アタシを見てよ…」
ユリが手をかざし、軽く詠唱すると、レオンの目が強制的に開かれる。
「わぁ! やめろって!」
目も閉じれず、かといって動きが封じられているから顔も背けられず、レオンが顔を真っ赤にして抗議する。
「…お願い。 答えて。 アタシじゃ…ダメ?」
ユリがレオンの手を取り、自分の乳房に触れさせる。
その感触に眩暈がしたが、早鐘を打つような鼓動が手のひらから伝わる。
やってる事は滅茶苦茶だが、彼女の顔は真剣そのものだ。 耳まで真っ赤に染めて、彼に切なげな視線を寄越す。
彼女の本気を悟り、レオンは固唾を呑む。
「…ユリ、悪りぃ、その気持ち、受け取れねぇ」
真剣さがわかったからこそ、曖昧な返事はできない。 そう思い、きっぱりと『NO』と返す。
「…アタシ、魅力ないの?」
「いや、そうは言ってないだろ。 元気でかわいいし、てか、むしろ、他に彼氏いないのが不思議なくらいだってば」
眉を下げるユリにレオンは言葉を継ぐ。
「…でもよ、俺にはルキアしかいないんだ」
「………」
「………入学したその日から一目惚れしてさ。 そりゃ、他にもいい子はいっぱいいたさ。 でも、アイツしか見えなかったし、今もそうさ」
「………」
「…勝手と思うだろうけど、お前の気持ちは受け取れねえ。 ゴメン、諦めてくれ…」
「…アタシの『NGワード』を言わないでよぉ!」
しばらくレオンの言葉を聞いていたユリだったが、『諦める』の言葉を聞いた瞬間に激昂する。
「…いいわよ、もう、力ずくでも、トリコにするんだからぁ!」
そのセリフと共に、ユリがレオンのズボンのベルトを緩め、一息にずり下ろす。
「…!? や、やめろ!」
彼の悲鳴を無視して、彼女の手が、さらにトランクスに掛かり、これもまたずり下ろされた。
女の子の裸に年頃らしく反応した、昂奮状態のものが晒される。
(うわ、さすがに、おっきい…)
初めて目にする男のものにユリもさすがに少し息を呑むが、覚悟を決めたのか、顔を引き締めて、
「せめて……カラダだけでも、モノにさせてよ…」
と言って、レオンを床に座らせる。
「ダ、ダメだ…やめろ…あっ、人が来る…!」
身動きもとれず、逃げ場のないレオンは必死で抵抗を試みる。
一瞬、ユリは振り返るが、
「そんな手は食わないよ、覚悟して」
また向き直り、彼に覆いかぶさるべく、上体を反らし気味に大きく深呼吸する。
(ダメだ…!)
レオンが歯を食いしばり身構える。
ゴン。
不意にドアが大きく内側に開き、上体を反らしたユリの頭に角が直撃する。
派手な音とともにユリが昏倒する。
(あ、あれれ!? なんでいきなり星が出て夜になってんの!? レ、レオン、待って…!)
気絶するほんの刹那、ユリはそう思っていた…。
「うーん………」
「気ィ付いたか?」
「え…あ、あれ!? なんでタイガが!? ここどこ!?」
「落ち着けや、ガッコの保健室や」
ユリはガバリと上体を起こし、せわしなく左右を見回す。 確かに、普段見慣れた保健室だ。
「あっ!?」
不意に、先ほどまで、ほぼ全裸になっていた事に気付き、視線を落とす。 …ちゃんと服を着ている。
「なんでアタシここにいるの!? レオンは!?」
思わず言って、顔を赤らめる。
「お前がバイト先でドタマ(頭)打って倒れたって連絡あってな、とりあえず連れて帰って来たんや。 ホンマ、どないしたんや?」
タイガが呆れ顔で言う。
「ウソ、そんなはずない! アタシ、レオンと…」
「大方、ドタマ打って、記憶違いしてんのとちゃうんか?」
「絶対、ありえない! そんなの…!」
ユリが必死に否定し、首をブンブン振るが、
「アタタタタ…あーん、痛〜い…」
後頭部が激しく痛んで、声が小さくなる。
「しばらく大人しくしとれ。 結構、デカいコブできてるさかいな」
涙目のユリにタイガが諭すように言う。
「………ええ加減、諦めたらどないや? アイツ、脈ないで。 ルキアにベタ惚れしてんの、わかるやろ?」
「アンタまで、『NGワード』を言うなぁ!! …アタタ…つーか、何で知ってんのよぉ!」
「んなもん、見とったら一発でわかるわ。 チビどもでも気ィ付いてるぞ」
「げっ!?」
ズバリと指摘されてユリが驚くが、また表情を険しくして、
「…わかってるわよ、そんなの! でも、アタシだって好きになっちゃったんだもん、黙って諦めるなんてできないわよ!」
二人きりの部屋に声が響く。
「大体、アンタに何がわかるって言うのよ!」
ユリが握り拳を震わせ、感情を爆発させてタイガに詰問する。 タイガの瞳孔が小さくなる。
「…ほな、お前は、わかるんやな?」
感情を殺した平坦な口調で言って、ドアの方を見る。
派手な音を立ててドアが引き開けられて、一人の少女が転がり込むように入ってくる。
「はあ、はあ、大丈夫!? ユリ!?」
「ルキア…どうして?」
驚いて質問するが、彼女はタイガを押し退けるようにユリに近づくと、
「タイガと……レオンから聞いたの…ゴメンね……」
ユリを抱き締めて、涙声で謝る。
「………」
「同じ人、好きになっちゃって、ゴメンね…」
強く抱き締め、片手をコブのできた後頭部に撫ぜるように添えながら、ルキアは涙を流す。
「………謝んないでよ、そんな風にされたら、アタシ、何も言えないじゃん…」
抱きとめられたユリは、小さく身じろいで呟く。
ルキアは小さくかぶりを振る。
「倒れたって聞いて、私、本当に心配したんだよ? だって、大事な親友なんだもん…」
「………」
抱き締められた時にもほどかなかった握り拳が解かれる。 そして、ゆっくりとルキアの背中に手が廻される。
「いいよ、もう…」
ポツリ、と『降伏宣言』。 方程式の答えは『解なし』。
「………ルキア、ごめん。 しばらく、一人にさせて…」
「で、でも…」
「…お願い」
涙をまだ流したまま、心配そうな表情のルキアの肩を、タイガが軽く叩く。
「…しばらく、放っといたれ」
珍しく真面目な表情に、ルキアも真意を悟ったのか、ユリから離れ、声を掛けようとする。
その口の前にタイガが手をかざし、首を振る。
…ルキアとタイガが一緒に出て行き、足音が遠ざかるのを確かめると、ユリは顔を伏せる。
ポトリ、とベッドのシーツに滴のしみができる。
(……フラれたんだよね? アタシ…)
ひとりでに、涙が溢れてくる。
…しばらく、一人きりの部屋に、声を殺したユリの嗚咽が流れた…。
「…どうだった、ユリ?」
タイガとルキアが寮に向かって歩いていると、バイトを終えたレオンが駆けつけてきた。
「頭はとりあえず無事や。 でも、ま、泣きたい時もあるやろ。 しばらく放っといて泣かせたれ」
タイガが肩を竦めて言う。
「でもよ…」
「今お前が行ったかて慰めにはならんし、何言うても残酷なだけや。 自分がフラれたんはアイツ自身が、もぉよう解かっとる」
気まずそうなレオンに、タイガが制するように言う。
「…知らないうちに、ユリの事、傷つけてたんだね…」
ルキアが寂しそうにポツリと呟く。 レオンも表情を曇らせ、頭に手をやる。
「んなモン、気にすんなや。 ホレたハレたにはよくあるこっちゃ。 誰かが結ばれたら、誰かは泣くんや」
達観したようなセリフをタイガは言う。
「…なかなかそう割り切れるもんでもないけどな。 また改めてユリには謝っとくよ」
「…ま、2、3日もすりゃ、ケロッとしとるやろ」
「でも、タイガ、お前、何であの時…」
「シッ!」
タイガが人差し指を立ててレオンを制する。 レオンが慌てて口を噤む。
伏し目がちに歩くルキアは、幸い気付かなかったようだ。
(アホ、あの事、ルキアに聞かせるワケにはいかんやろ!? また泣かすんか!?)
(…だな、すまん)
「?」
ルキアが顔を上げて、二人を見る。 もう二人とも普通に歩いている。
(ホンマに、この能天気が…ルキアもなんで、こんなんがええんやろ?)
タイガが渋い表情でそう思う。
―ユリがレオンにまさに襲いかかろうとした時に部屋に踊りこんだのはタイガだった。
暴挙を止めるためだったが、まさかドアの軌道上に頭があるとは思わず、しばらく手間取ってしまった。
ほぼ裸のユリに頭を抱えながら、必死で気絶した彼女に服を着せ(ドサクサで胸を揉んでレオンに怒鳴られたが)、保健室に投げ込んだのだ。
『この事は、ルキアに内緒にしとけ』
『…死んでも言えねえよ。 でも、二人が会話してしまったら…』
『やから、ルキアには、コイツに告られたことと、頭打って倒れた事は喋っとけ。 この経緯は抜きでな』
『…わかった、けど、タイガ、なんでお前ここにいるんだ?』
『野暮用や。 はよ服着ろ』
『………』
―寮の入り口が近づいてきた。
「…おっと、俺、ちょっと忘れモンや。 ほなな」
水晶のペンダントを弄っていたタイガが不意にそう言って、寮から外れる廊下に向かう。
「おい、忘れ物ってなんだよ?」
「…野暮な事訊くな。 俺かて、お前らのジャマする程、野暮やないで」
レオンにからかうように返す。 二人が赤くなるのが暗がりにもわかる。
「ほな、仲良うやりぃや」
二人を置いて、タイガが歩き去る。
「…そうか……アイツ…」
「どしたの? レオン?」
「うんにゃ、何でもねえ…(うまくやれよ…)」
何故、あの場に彼が居合わせたのか。
答えが何となくわかって、レオンが少し微笑む。
展開が見えないルキアは小首を傾げるだけだった。
がらり、と静かにドアが開いて、ユリが保健室を出る。
「…ずいぶん、赤い目しとるな、可愛い顔が台無しやで」
「…何でいるのよ」
「忘れモンや」
訝るユリにそう言って、タイガは部屋に入る。 少しもしないうちに、水晶のペンダントを手に現れる。
「うっかり忘れとったわ」
「………」
ユリは力のない足取りで、部屋へと戻る。
「泣いて、少しはスッキリしたか?」
「…うるさい」
「泣き足りへんねやったら、俺の胸、貸したるで」
「…うるさい」
「そない拗ねるなや。 また気分滅入ってまうで」
「…うるさいって言ってるでしょ!」
ユリが怒鳴り声を上げる。
「…そうそう、そないして元気に怒鳴ってる方が、なんぼかいつものお前らしいわ」
「…またバカにしに来たの!?」
拳を震わせてユリが静かな怒りを湛えた声を出す。
「………アホ。 俺もそこまで無神経やないわ」
そう言うが、端から見ればそう取れなくもない。
「お前、言うたな? 『何がわかる』って。 ほな、お前はわかるんか、って俺は返したけど」
「…ルキアの事でしょ」
「何でやねん。 …お前に振り向いてもらえんでショゲとる奴もおるんや…」
「…ほえ?」
あまりにも唐突な振りにユリが虚を衝かれたように変な声を出す。
「ま、これ以上は、今は言わへんけどな」
「何よ! 気になるじゃない!」
(アホ…フラれた所に付け込んで、告れるかいな…でもいつか言うたるさかいな…)
核心がわからずやきもきするユリを見て、タイガはそう思う。
「言いなさいよ! 誰の事言ってんの?」
「ん〜? 気になって、胸ドキドキしてきたんか?」
そう言って、タイガはユリの胸に両手を伸ばして、ムギュツっと掴んで揉みあげる。
「お? 鼓動早くなってんで?」
「………こ ・ の ・ ドスケベ〜〜〜!!!」
「おおっと!!」
胸から手を離し、ユリのアッパーカットをかわすと、タイガは小走りに寮へと向かう。
「そない簡単に殴られるわけにはいかへんなぁ〜」
「待て〜、タイガ!! ぜぇったい、10連コンボ決めるんだからぁ!!」
ユリも全力でタイガを追いかけ始める。
「そらかなわんわ、逃げるが勝ちやな」
(…泣いてるより、アホでもそっちが似合うてるわ、オマエは…)
「待ちなさいってば!」
(…アイツ、わざと? …でも、とりあえず、アタシの胸は高くつくわよ〜!)
…次の方程式の解は出るや、いなや? でも、それはまた、別の話。
― とりあえず、 Fin.―