(っく、生きていて下さい、教官殿!!)
手に一冊の本を持ち、サンダースは紅蓮の焔に包まれる【闇の森】に走る。
自身にミサイルの発射を命じた教官と、行方不明だったクラスメイトを助けるために。
全ては、自分のミスだとサンダースは痛感していた。
闇の森などという危険区域に、まさか踏み込むはずがないと決めつけてしまった愚かしい判断を。
ただ命じられるままにミサイルを発射した今しがたの判断を。
(油断?違う!これは全て我輩の見通しの甘さ故の惨劇!ならば我が手で救うのが軍人としての役割ではないか!?)
サンダースは疾駆する。
虎のように。
紅蓮の森までは、後わずかだった。
サンダースが森に踏み入れて、数分。
漸く見慣れたスーツ姿の者が、何かに覆い被さるように倒れているのを発見した。
「え、エリーザ教官!」
サンダースの悲鳴のような声に、しかし返事はない。
「エリーザ教官!意識を確かに!助けに参りました!」
サンダースがエリーザに声をかけ続けても、全く反応はない。
仕方無く手首に触れ、脈を見るが、それは既に弱々しく、正に消える寸前の灯火のようだった。
「っちぃっ!この様子では二人とも一時を争う命か!」
予想はしていた。
当たって欲しくないと思いながらも、最悪の未来にはまだ届いていないのが、サンダースにとっては希望の欠片だった。
サンダースは持ってきた本の付箋を付けていたページを開くと、掛かれている呪文を唱える。
「神に契約を捧げる。我が前に在る傷つきし神の子に、その力を以て救いを与えんことを願う」
森の焔は、いよいよ勢いを増す。
じりじりと焦がされながら、サンダースは呪文を唱え続けた。
「傷つきし子羊の名はエリーザ、そしてルキアなり。契約の証として我が魂、我が命、全てを捧げんことを誓う」
アカデミーに伝わりし、禁じられた呪文―禁呪。
それを行使する日が来るとは。
「我が名はサンダース!」
詠唱しきった途端に、サンダースの身体を虚脱感が襲う。
青銅賢者にまで上り詰めた魔力が、ホースを使って放出される感覚。
直後に、キィィィン、という澄んだ、何かが割れるような響きがサンダースの脳裏に走り。
サンダースは、ばったりと倒れた。
サンダースが禁呪を唱えている時、エリーザの意識は、何物もない無の世界に在った。
(私が、無力だから・・・だから、こんな選択しか出来なかった・・・)
ふわふわと宙を飛ぶ感覚。
しかし、去来するのは後悔だけだった。
(ロマノフ先生・・私は、一人の生徒も救えませんでした・・)
徐々にだが、自我が薄れていくのも解る。
死がそこに迫っているのだと、どこか他人事のように思う。
(サンダース君、君は悪くないわ・・悪いのは、私、愚かな私だから・・・)
気に病まないで、貴方は立派に仕事をしたわ、とエリーザは最後に微笑む。
その刹那、エリーザを光の渦が包み。
次にエリーザが意識を取り戻した時、そこはアカデミーの救護室、つまり保健室だった。
「やっと意識が戻ったか」
エリーザの右から、声が聞こえた。
「サンダースに感謝するんだな。命がけで君を助けたんだぜ?」
「・・フラン・・・シス・・先生?」
「おいおい、幽霊見たり、みたいな顔で見るなよ?」
相変わらずの軽い口調。
エリーザはそれにほっとし、そして直ぐにフランシスに詰め寄った。
「ルキアちゃんは!?ルキアちゃんはどうしました!?それにサンダースが命がけでって?!」
一息にそれだけを言うと、エリーザはフラフラとベッドに崩れ落ちる。
慌てるなよ、とフランシスは微笑み。
「ルキアは無事だ。もっとも体力の消耗が激しい上、精神的な消耗もあるから、まだ寝てるけどな」
「良かった・・」
どうやら自分が守りたかった、助けたかった生徒は無事らしい。
まずは安堵の息をついたエリーザを見て、フランシスは苦い顔をする。
「サンダースに感謝しろよ、本当にな。命を媒介に禁呪を使ってまで君たちを助けたんだ。死に損なったと悪態はつけるみたいだけどな」
フランシスがニヤリと笑う。
「君がサンダースにやった水晶の欠片、あれがサンダースの死の身代わりになったらしいぜ?」
「あ・・・・」
エリーザは、水晶と聞いてすぐに思い出した。
あれは、エリーザがサンダースの賢者昇格の記念に渡したプレゼントのはずだ。
「ルキアの容態が落ち着いたら、危険区域に踏み込んだことをたっぷり叱らないといけないが。・・・まぁ、それ以外はめでたしめでたしだ」
サンダースに礼を言っておけよ、最後にそうとだけ言って、フランシスは保健室を出ていく。
その後数日してから、ルキアが無事に目を覚ました事で、この一件は無事に落着した。
サンダースは禁呪を唱えたことで、青銅賢者クラス以上にあった魔力が枯渇し、見習い魔術師並みにまでランクダウンしてしまっていた。
しかし、本人は至って満足そうだったと、クラスメイトの一人は語っていた。
ルキアはたっぷりと御灸を据えられた後、身体を犯す毒を浄化するため、数日をかけてミランダの元で寝食を共にした。
完全に回復しきることはないが、しかし自分の意思で好きな相手と結ばれると断言したと、人妻保険医は笑っていた。
エリーザは、自身の未熟を恥じて教職を退こうと考えていたらしい。
しかし、サンダースとルキアの説得や生徒たちの優しい応援を受け、アカデミーの検定試験講師としての残留を決意。
今はもっぱらサンダースの魔力の回復に向け、二人三脚で頑張っている。
これで、闇の森に関する顛末は完結となっている。
一人の女教師と一人の青年の、二つの決意が、一人の人間を助けたこの件は、やがてアカデミーの歴史にも記録されることになる。