「さて、まずは何からしましょうか?」  
僕は目の前にいる、金髪の女の子に話しかける。  
学校の制服の上に、白いシンプルながらもフリルのついたかわいらしいエプロンをつけている。  
女の子は、ちょっと顎に手を当てて考えた末、  
「まずは、クッキーから作ってみたいですわね」  
と、僕の眼を見据えて、真面目な顔で言う。  
ここは、寮内にあるいつもは寮母さん達が使っている台所。  
基本的には学生は使わない場所なのだが、今日は無理を言って貸してもらった。  
台所ですることと言えばただ一つ。  
「じゃあ、一般的なドロップクッキーを作りましょうか」  
「……どろっぷくっきー?」  
無塩バターと薄力粉、砂糖と卵を取り出しながら女の子の質問に答える。  
「ドロップは『落とす』という意味の英単語なのはわかりますよね?」  
「ええ」  
「ドロップクッキーとは、生地をスプーンですくって、  
 クッキングシートの上に『落とし』て伸ばし、焼くものを指すんですよ」  
「……手じゃありませんの?」  
「手で作るのは『成形クッキー』と呼びますね。生地も若干硬めです。  
 まあ、公式な違いではありませんから、豆知識程度で大丈夫ですよ、シャロン」  
目の前の女の子、シャロンは眼をキラキラと輝かせながら僕の話を聞いていた。  
 
「あらかじめ言ったとおり、僕は指示をするだけで手伝いません」  
「わかっていますわ。これは、わたくしの勝負ですから!」  
横から見ててもシャロンの眼が燃えているのがわかる。  
一週間前の自分からは、想像ができない姿に苦笑しつつ、僕は眼を細める。  
思えば、あの仕組まれたお茶会の時以降、こうしてシャロンと触れあう時間が長くなりました。  
クラスメイト達はこぞって「清い付き合いだね」と笑いながら茶化しますが……。  
「まずは、バターを百グラムとってください」  
「はい」  
素直に従うシャロン。ヘラできれいにバターをすくい、秤の上に載せるのだが、  
「……」  
びくびくしすぎて手が震えている。傍目から見ても分かるくらい。  
そこまで慎重にならなくてもいいのですが……。  
「こ、これでいいんですの?」  
シャロンが僕の方を見た。秤を見ると、ちょうど百のところを指している。  
僕はうなずき、次の材料の分量を量らせる。  
別にシャロンは不器用なわけではなさそうだ。単に、知らないだけ。  
 
「じゃあ、まずはバターを常温でやわらかくするまで放置します」  
「レンジを使って温めてはダメなんですの?」  
僕は軽く笑いながら、至極真面目に聞いてくるシャロンに答える。  
「液状になるまでしたらダメなんですよ。形を残しつつ柔らかくならないと、ね。  
 で、先にオーブンを温めておきます」  
オーブンは見なれているのか、手際よく行動するシャロン。  
料理をしたことない人は、オーブンを温めるのにも苦労することが多い。  
この点は、さすが良家のお嬢様、といった感じですかね。  
「その間に薄力粉をふるいにかけておきましょうか」  
「ふるい、ふるい……これですわね」  
シャロンは鉄製のふるいを手に取り、僕に確認する。僕は肯定。  
「使い方はわかりますか?」  
「もう、そこまでわたくしはバカではありませんわ!」  
ほほを膨らまして、強い口調で答えるシャロン。  
かわいいというより、なんかほほえましい気分ですね。  
こう、親戚の子どもに教えてる感覚が近いのかもしれません。  
さっ、さっ、さっ、とふるいをかけるシャロン。  
小さな塊がいくつか残るので、それはヘラでこす。  
「次は、柔らかくなったバターをヘラでこねこねしましょう」  
 
そんな感じで、時間をかけて作業をこなし、  
「あとは焼きあがるのを待つだけですわね」  
オーブンをしめ、すべての工程が終了。後は、完成を待つのみ。  
ふぅ、とため息をつくシャロン。少し額に汗がにじんでますね。  
僕はハンカチを取り出し、シャロンの汗をぽんぽん、と軽く叩いて吹く。  
30分以上作業してますからね、汗をかくのも当然と言えば当然ですね。  
僕が額にハンカチを当てると、びくっ、と一瞬こわばらせるシャロン。  
いや、別に何もしてませんよ?  
「あ、あなた今何を……!?」  
顔を真っ赤にし、眉根を寄せて僕の方を見るシャロン。  
なんなんでしょう、この驚き方。  
「何って、汗を拭いていたんですけど?」  
僕はニコッと笑って今にも毛を逆立てて襲ってきそうなシャロンをなだめる。  
ゆっくりと、怒りが静まって行くのが顔色からわかる。  
顔色が普通に戻ったシャロンは、食堂の椅子にすとん、と座りエプロンを外す。  
「うまく、できるかしら?」  
僕はその隣に座り、ふふ、と笑いかける。  
「大丈夫ですよ、僕が見てましたし、何よりシャロンが作ったものですからね」  
ぼっ。  
「……な、何を言ってるのか全然わかりませんわ」  
嘘つき。  
 
「ところで」  
シャロンは椅子ごと僕の方を向き、真剣な声で僕に話しかける。  
「あなたは、いつから私のことが気になっていたんですの?」  
……唐突ですねえ。  
食堂内には、幸い誰もいない。聞かれて困る話ではないでしょう。  
頭を巡らして、記憶の海を泳いでみる。  
「気づいた」のは、一週間前のお茶会の時。  
では、知らず知らずのうちに「気になりはじめた」のは、いったいいつでしょう。  
思い当たるのは、それより少し前の、大会。  
「……たぶん、前回の大会かな、とは思いますね」  
「ああ、やっぱり」  
シャロンは眼を弓なりにして、くすくす、と小さな笑い声をあげた。  
というか、「やっぱり」というのは……?  
「わたくしも、ですわ」  
「これはまた、偶然の一致ですねー」  
僕は思い出す。あの時の、自分を。そして、あの時のシャロンを。  
別にそれまでは特になんでもなかったのですけど。  
ただ、決勝戦の凛々しい姿と、優勝した後の言葉が脳裏に浮かぶ。  
「わたくしは、これで満足しません。まだまだ、上へ登ってみせますわ」  
 
このとき、僕は思いました。  
「この人は、僕と『正反対』なのだ」  
と。  
自分のために、自分を磨くシャロン。  
他人のために、自分を磨く僕。  
そのどちらがいいとか悪いとか、そんな二元論ではなかった。  
だからこそ、僕は、いえ、僕「たち」は、「自分らしく」歩むと決めた。  
「あれ」  
僕はそこで、ふと、一つの疑問にぶつかった。  
「……そういえば、シャロンはいつ僕のことを見たんですか?」  
「!」  
また顔が真っ赤になった!  
「あ、ああ、それは、その」  
顔の前で両手をぶんぶん振って、しどろもどろになるシャロン。  
……だから、まずは落ち着きましょう?  
「まあ、後でゆっくり聞きますよ」  
僕は笑いながら、シャロンに対して一つの問いかけをする。  
「では、突然ですがここでシャロンに問題です!」  
 
ででん。  
シャロンが、呆然と口を開けている。  
「はい?」  
口から出た言葉も、また呆けていた。まあ、当然ですね。  
「実は、僕が今さっき教えたのは協会的には『クッキー』ではありません!」  
「なんですって?」  
驚きで眼を見開き、身体を乗り出すシャロン。  
まあ、そりゃそうでしょうねえ……当然と言えば、当然です。  
「『協会的には』。ここが重要です」  
僕は人差し指をくいっ、と上げ、シャロンにつきつける。  
「では、今さっき作ったものは、協会的には一体なんでしょう?」  
「ええ!?」  
僕は、ふふふ、と軽くほほ笑む。  
「そ、そもそも『協会』ってなんですの!?」  
「それも、質問の一つですよ。『何の協会なのか』が、その答えでもあります」  
「うー」  
唸るシャロン。腕を組み、んー、と考え込んでいる。  
「あ」  
ここで僕は一つ、ちょっといたずらをすることにしました。  
「もし間違えたら『お仕置き』ですよ?」  
 
「ちょっと!? なんですのそれ!?」  
「それはあとのお楽しみ、です」  
僕は顔に浮かんでいる笑みを、にやり、としたあくどいものに変える。  
ひどく、ひどく真剣に考え込むシャロン。  
ちっ、ちっ、ちっ。  
はい、二十秒が経過しました。時間切れです。  
「えー!?」  
そんなの、無効だわ! と立ち上がり、ぷりぷり怒るシャロン。  
これがロマノフ先生とかガルーダ先生だったら問答無用で雷処分ですね……  
「まあまあ、まずは答えを聞いてください」  
どうどう。  
僕はシャロンを椅子に座らせる。  
「結論から言うと、答えは『ビスケット』です」  
シャロンが、ぽかん、と口を開けた。そして、脱力した。  
「クッキーとビスケットは、同じものじゃ……?」  
「ええ、イギリスではそうですが、アメリカでのビスケットは、イギリスではスコーンに近いものです」  
「……じゃあ、違いは?」  
シャロンは左上に視線を泳がせながら、考える。  
 
「簡単です。協会はが定めたルールによると、  
 『手作りっぽくてバターを多く使い、いろいろなもので風味付けしたもの』がクッキーで、  
 それ以外がビスケットです」  
「……それって、簡単ですの?」  
僕も言ってて、ちょっと難しいかもしれない、と思いましたが。  
「ちなみに、アメリカのビスケットを土台に、生クリームで飾り付けたものを本来はショートケーキ、というのですよ」  
「そう……この『協会』は、ビスケットの協会なのですね……」  
たぶん、雑学のジャンルですね。  
「だから、この場合の『short』は『サクサクした』とか『崩れやすい』という意味なのです」  
誰かがこの話をしていた気がしますが、気のせいですね。  
「あー、良いにおいー」  
焼けたクッキーの香ばしいにおいをかぎつけて、ルキアさんが入ってきた。  
確か、今日は補習があったはず。頭に糖分が足りてないはずですね。  
「クッキー焼いたんだけど、ルキア、食べる?」  
僕が口にするより先に、シャロンがルキアさんに提案します。  
「ホント!? いいの!?」  
「味の方は僕が保証します」  
僕はにこり、と笑いながらルキアさんに言う。  
「じゃあ、いただこうかな!」  
「そろそろ焼き上がりですわね」  
 
「うーん、甘すぎなくてサクサクしてておいしー!」  
いつの間にか、補習を受けていたルキアさん、レオンさん、タイガさんの3人が集まってきていた。  
二人で三十枚近くは多いと思ったが、五人ならば全然問題はない。  
紅茶も入れる必要はなさそうですね。  
「おう、初めてでこれはすげーよ!」  
「ほんま、シャロンは何やらせても抜群やな!」  
レオンさんもタイガさんもサクサク、とクッキーを頬張りながらシャロンに賛辞の言葉を送る。  
「ここで『お仕置き』の時間ですよ?」  
突然発せられた僕の言葉に、皆が僕の方を向いた。  
「……お仕置き?」  
「何すんだ?」  
「なんやの……?」  
補習者三人組は三者三様に首をかしげる。頭の上には疑問符が浮かんでいますね。  
シャロンは顔を真っ赤にして、あたふたし始めた。  
「い、いや、その、別に、そんなあんなことやこんなことなんて……もごもご」  
最後は言葉になっていません。というか、あんなことやこんなことってなんですか。  
僕はシャロンに、ずびしっ、と指をつきつけて、宣言する。  
「では、『お仕置き』です。洗い物は全部任せました!」  
 
「……ひ、ひどいですわ……」  
シャロンは制服の袖をまくり、スポンジでごしごし、と使ったボールを洗っている。  
その顔には、不満が満ちていた。ある意味謀られたわけですからね、不愉快なのは当然でしょう。  
あとで謝罪ついでに、おいしいケーキでも振舞いましょうか。  
「あはは、料理は片づけまでが料理ですよ」  
「修学旅行じゃないんですから!」  
「でも、こうでもしないとシャロンは洗い物しないでしょう?」  
「う……」  
図星ですね。分かりやすいです。  
自分で自分のことを「素直じゃない」と言ってますが、超がつくほどわかりやすいです。  
それが「素直」であるかどうかはまた別問題ですが。  
「まあ、これがお菓子だからまだ少なくていいんですよ。  
 夕食なんかを作るなら、料理してる最中に洗い物をしなければなりませんからね」  
「そうなんですの?」  
「ええ。そうでもしないと、料理の最中は邪魔ですしね」  
僕は背もたれに腕を乗せ、シャロンの洗い物を見守る。  
まあ、さすがのシャロンでも割ったりはしないでしょう。  
シャロンはそつなく洗い物をこなしていく。  
洗い物の量自体もあまり多くなく、すぐに終わった。  
 
寮の廊下を歩く。  
今は夏季休業中で、遊びに出掛けている者もいれば故郷へ帰る者もいる。  
まあ、さきほどの三人組のように補習組もいるけど、それはまあおいといて。  
僕もシャロンも、今日は寮でゆっくりする予定だ。  
故郷に帰る予定もないので、正直暇なんですよ。  
街に遊びに行くにしても、大人数で遊びに行くので、行く機会が少ない。  
だから、僕はシャロンと二人でほのぼのと過ごすことが多い。  
「今日はどうしましょうか?」  
シャロンが微笑みながら僕に話しかける。  
「そうですねー」  
僕は天井を見ながら、んー、と喉を鳴らす。  
二、三歩の間考え、シャロンの方を向いて、微笑む。  
「ゆっくりしましょう」  
「今日『も』ですわね」  
くすっ、と笑うシャロン。  
特別なことなんて、起こらなくていい。何気ない日々が、宝物。  
シャロンの手には、小さな袋が一つ。  
中には手違いでくっついてしまった、二つのクッキーが入っている。  
僕も、シャロンも、そのクッキーに僕たちを重ね合わせていた。  
とても甘いわけではなく、控え目な甘さ。そういう日々が、僕たちには合っている。  
 

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