アカデミーに入った日から、サンダースの帰るべき場所は無くなっていた。
冗談でも過言でもなく、賢者に至るまでは軍には帰らないと決めていたし、万一にも帰ろうものならば、直ぐに負け犬の烙印を受けることになるからだ。
「大分涼しくなってきたな・・・」
宵闇の中を、サンダースは一人歩く。
夏休みなのに、無理を言ってアカデミーで生活をする彼は、深夜の散歩が日課となっていた。
「良い月だ。・・これでは闇に迷いたくても迷えんな」
月のない夜は、人の目を遮り、闇に誘う。
彼の知り合いの魔女は、きっと月や闇などに左右されたりはしないのだろうが。
一時間程の散歩を終え、サンダースはアカデミーに戻ってくる。
これから冷房の効いた部屋で、ゆっくりと眠るか、いや先に風呂かと思案するサンダースの前に、蒼白い火球のようなものが、ふわふわと浮かんでいた。
「・・・貴様、何者だ?」
低い、威圧感のある声でサンダースは火球に声をかける。
一般人、いや魔術をかじった者でも、レベルが低いものには火球さえ見えないだろうが、サンダースにははっきりと見えた。
「何なら消滅させても構わんのだ。・・姿を現すがいい」
『驚いた・・。まさかユウ君以外に私が見える人がいるなんて・・・』
サンダースの脳裏に、少女の声が聞こえ。
ぽぅん、と間の抜けた音の直後。
蒼白い火球は、一人の少女のカタチをしていた。
「ユウ・・と言ったか。すると貴様はユウの近くにあるあの自縛霊か」
『自縛霊なんかじゃないわよ』
サンダースの冷めた物言いに、少女が怒りを露にする。
『私はサツキ。アカデミーで賢者だったんだけど、ユウ君が事故で死んじゃったから、私が身代わりになったのよ』
「つまり祟りとか怨念の類いか」
『違うわよっ!』
少女―サツキが頬をハムスターのように膨らませ、怒る。
『大体こーんな美少女が怨念や怨恨って、どういう了見よ』
「違ったのか。・・珍しく、普通の幽霊なのか」
『普通の幽霊じゃないわ。美少女の幽霊よ?』
「よく言う」
サンダースが不敵にニヤリと笑む。
それを皮切りに、二人は大声で笑った。
サツキの声は、サンダースにしか届かなかったが。
「しかし、ならば貴様は何故帰省しないのだ?」
『・・両親がね?』
サンダースの問いに、サツキは切ない顔をして呟く。
サンダースの部屋に来た二人は、ベッドに寝転ぶサンダースと、それに相対するように浮遊するサツキという奇妙な状態にあった。
『両親がね、すごい切ない顔をするの』
「・・そうか」
サンダースは一つ溜め息をつく。
「我輩には両親はおらん。顔も知らんし存命かどうかもな」
『貴方も複雑なのね・・・』
「ふん。だが育ててくれた人がいる。我輩はその人のためにここに来たのだ」
『野心の塊ね』
サツキが苦笑する。
呆れと、ほんの少しの憧憬が混じったそれをみたサンダースは、ニヤリと顔を歪めた。
「貴様の笑顔。初めて見たな」
『・・口説いてるつもり?』
「さぁて、な?」
サンダースは大きな欠伸を一つ。
時計は午前三時を表示しており、流石のサンダースも眠くなったらしい。
「我輩はそろそろ寝る」
『じゃあ、寝顔をじっくり見せてもらおうかな?』
「好きにしろ」
吐き捨てるように言った言葉に、しかしトゲはない。
やがて寝息をつきだしたサンダースを、一人の幽霊は、じぃっと見つめ続けていた。
そう、初めて自分を見てくれた人に対する、感謝と、ほんの少しの想いがこもった瞳で。