「う〜ん……」
小振りなテーブルに肘をつきながらなにやら思案しているように見えるマロン。
三階にあるマロンの個室のカーテンが開かれた窓から入り込む風に靡く。
その眼下には放課後を迎えたばかりの渡り廊下を行き交う多くの生徒。
夏の終わりが近いことを感じさせる、爽やかな風にマロンの桃色の髪が踊る。いままでの暑さが嘘のようである。
「ねぇ、どうかしたの?」
口を塞いでいたシュークリームを嚥下したラスクがそれだけ言うと、再び少しちいさめのシュークリームを一口で口に押し込む。
忙しく口を動かすラスクに顔を向けるとマロンが答える。
「なんだか飽きてきたわ」
マロンとラスクによる舞台はアロエの一件に止まらなかった。
もとよりマロンとラスクが楽しむことだけが目的に演出された舞台である。故に、その内容はもはやラスクに近づく女性を退かせる、という表向きの目的とはかけ離れたものとなっていた。
それでも、レオンは拒まなかった。
「アロエちゃん、クララちゃん、マラリアちゃん、ユリちゃん、ルキアちゃん……う〜ん…もうたくさんいて忘れちゃったわ」
二人の舞台の主役にさせられた者たちの名があげられる。これだけの数の「悲劇のヒロイン」達をまるでただ点呼をとるかのように…
「まあとにかく、レオンくんも飽きてきたからそろそろ他の役者を探そうと思ってるのよ。ついでに、最後にふさわしいレオンくんの相手も」
「ふ〜ん…そういうことかぁ。それじゃあ相手は決まったの?」
クリームのついた指をなめながらラスクが尋ねる。
「そうねぇ…まだ決まって」
そこまで言って突然固まるマロン。
「アレなんて面白そうじゃないかしら」
楽しいオモチャを見つけた子供のような満面の笑みのマロンの視線をたどる。
周りとは空気が違う、そんな錯覚を受けるほど優雅に歩く金髪の美少女がそこにいた。
その後日、放課後。
どことなく顔色も悪くなり口数も極端に少なくなったレオンがマロンに新たな任務を与えられた。
「……」
「どうしたの?まさか、できないの?」
妖しく微笑みながら言うマロン。逆らわない、と確信している。
「……問題ない。だけど」
俯いて聞いていたレオンがマロンの目を見つめる。最近の無気力な彼とは思えない、強い、真摯な瞳にマロンも僅かに驚きを覚える。
「先生は…俺のこと…」
「ごめんなさい。わたしはラスクくんが好きなの」
言葉とは裏腹に冷たく切り捨てるマロン。
「それでも…俺は先生のことが…」
もはや感情を表すことはないと思われたレオンの瞳に哀しみの色が浮かびそれもすぐに圧倒的な「無」に混ざって消えてしまった。
「あれで大丈夫なの?」
一部始終を隠れて聞いていたラスクが開口一番に尋ねる。
「大丈夫よ」
「スゴい自信だね。どうして言い切れるの?」
にやっと妖しく笑うマロンが逆に尋ねる。
「逆に訊くわ。ラスクくんが薬を飲ませた相手が言うことを聞かなかったことがあるかしら?」
顎に手を当ててしばらく考えていたラスクが言う。
「…それって、レオン兄ちゃんにあの薬を飲ませた、ってことでいいんだよね?」
「せいか〜い」
手にしたロッドをビシッと向けて言う。
「へぇ〜…いつの間に…僕知らなかったよ」
「そうねぇ…かなり前よ。四ヶ月前くらいかしら」
顎に人差し指を当てながら思い出すマロン。それを聞いてラスクが指を折りながら数え始める。
「え〜と……あれ?アロエちゃんの時は……三ヶ月前だから……もしかして…」
ラスクの顔色を見てうふふ、と微笑むマロン。
レオンがマロンに告白したのが三ヶ月前。最初の「悲劇」がその翌日。そしてマロンがレオンに惚れ薬を飲ませたというのが四ヶ月前。
「レオン兄ちゃんが先生に告白したのは惚れ薬のせい!?」
一体この私(わたくし)に何の用なのでしょう、と考えながらレオンの部屋へ向かうシャロン。考え事をしながらでも姿勢が乱れたりはしない。
女性でも振り返る程の美貌の持ち主であるシャロンだが、それ故、逆に男性から誘いを受けたことは数少ない。畏れ多い、と言ったところか。
早い話がシャロンは男慣れしてないのである。それ故、あまりに唐突な今現在の状況に少し緊張しているのだった。
自分らしくない、そう思う。
一つの扉の前で立ち止まり、部屋番号を確認すると軽く深呼吸してドアをノックした。
「男性の部屋にしては綺麗にしてありますのね」
沈黙に耐えかねたシャロンが当たり障りのないことを言ってみる。
紅茶と菓子を用意しているレオンが振り向いて言い放つ。
「へぇ、他の男の部屋を見たのか?」
「なっ!?そっ、そうではなくて…そうっ!イメージの問題ですわ!」
逆効果だった。すでに赤面したシャロンが慌てて弁解を始める。
(そもそも私のようなレディを迎えるのに予め準備をしてないなんてどういうつもりですの!?そうですわ。私がこんな屈辱を味わうのもこの男のせいですわ!)
同時に心の中で自己弁護を始める。レオンはたった一言のせいでシャロンの脳内裁判所にて死刑を宣告されつつあった。
「まぁそうカリカリすんなよ…せっかくの美貌が台無しだぞ」
「……ふ、ふんっ!そんなこと言っても許してさしあげませんわよ」
シャロン法廷第一回…被告無罪
レオンの逆転勝訴だった。
普段の人を寄せ付けないような雰囲気とは違い、話してみるとシャロンは実に親しみやすい。感情がすぐ表情に出てしまい、それを隠そうとする姿も微笑ましい。
しかし実際にそれを笑って見ていると…
「な、なにを笑っているんですの!?失礼ですわ!」
こうなる。一度口火を切ればその勢いは止まらない。しかしその勢いが空回りするのもまた彼女らしいというべきか。
レオンがお盆に紅茶とクッキーを乗せて運んでくる。
「いや、怒った顔も可愛いな…と思って」
本心だった。自分から望んで彼女と接触したわけではないが、そう思ったのは事実だ。
マロンに対する想いとはまた違うが、なんだか濃い霧が薄れていくような晴れやかな気持ちにさせられる。
時間にすればほんの数ヶ月前、でもとてつもなく懐かしい、もう戻れないであろう日常の香りがする。
だからこそレオンの目に魅力的に映る。
「ま、またそんなことを…」
レオンに相対した者がこれまで見せてきた怯え、恐怖…負の感情とは違い、瑞々しい頬を朱に染めて俯いてしまうシャロン。普段目にすることのないその初々しい仕草に対して改めてその魅力を認識させられる。
(…でも)
もう、戻れない。
あまりにも狂い過ぎた。
たとえ神が全ての罪を許そうとも自分が自分を許すことはできないだろう。いや、許してはいけない。
そんな自分が今更「日常」に焦がれるなど許されるはずがあろうか。
だからこそ、
(俺には…先生しかいないんだ…)
*
「そういえば僕は今回の計画内容知らされてないんだけど」
バリバリと煎餅を噛み砕きながらご機嫌なマロンに問いかけるラスク。
「うふふ〜知りたい〜?」
こうも上機嫌なのだから何か今まで以上に面白い計画なんだろうと思う。
「今回の計画は今まで使ってきたこの薬の説明からしないといけないわね」
ニコニコ顔で勝手に説明を始めるマロン。とりあえずおとなしく耳を傾ける。
「この薬は簡単に言うと惚れ薬ね。当然魔法薬の一種よ」
−魔法と言うのは理論よ。だからただ「惚れる」なんていう曖昧な魔法はないの。で、この薬は相手に対する印象をある一定の値まで引き上げるものなの。印象というのは他に当てはまる言葉がないからこの言葉を使ってるんだけど。
とにかくこの相手への印象なんていうものを数値で表せるわけじゃないからこれは喩えね。
もちろん実際にはもっと細かい制約があるわ。例えば全く知らない人。この薬はただもともと持っている+の印象を高めるものだから、最初から0だと何倍しても0のまま…つまり効果なし、ということ。あとはいい印象が全くない人、これも同じね。
あとは、使う前から規定値以上の印象を持っている人。数字で例えれば、この薬は強制的に相手への印象を70まで引き上げるけど、もともと90だった人が70になるのは術者の意図に反するから無効になるわ。
それと、惚れ薬と知ってて自ら口にしても効果はないの。無意識に効果を及ぼさないと感情と食い違いが出てきちゃうから。
頭から湯気のあがるラスクを余所にマロンは喋り続ける…
「ここまでは簡単ね。要は極一部の例外を除いて余程嫌われてさえいなければほぼ効果があるとみていいわ」
一度息をつき口を潤すマロン。すでにラスクは機能停止している。
「で、続きね」
−私が作ったこの薬の重要なところはこれからよ。
主作用である印象の引き上げに付属効果があるの。これは今までの計画を通して実感して貰えたと思うけど。
付属効果は相手への従属・依存心の引き上げよ。レオンくんが絶対に逆らわない「ワケ」はこれ。
こっちを主作用にして印象引き上げの方を付属効果にしても良かったんだけど、主作用が機能した場合のみ付属効果が発生するの。これを使うとどうなるかわかる?−
停止寸前の脳をフル回転して考える。
「え〜と…印象引き上げの方は条件ありで、従属の方は無条件に効果があるんだよね?」
「そうね。その通りよ」またしばらく考えるラスク。
「じゃあ……もし、僕が薬を飲ませるとして、僕のことが嫌いな人とかに使ったら…従属・依存心は上がるけど大嫌いなまま…に、なるのかな?それは不自然だよね」
「せいか〜い!その通りよ。だから主作用は印象引き上げのほうなの。」
うんうんと頷くマロンに、えへへと笑いながら当然といわんばかりのラスク。
「それで、今回使うのが最後の特徴。特徴と言うか…当然なのよね。この二つの効果は術者であるわたしの意志でいつでも解除できるの」
「へぇ〜…それをどう使うの?」
ラスクも興味を増してきたようだ。
「ふふ…それはこれからのお楽しみよ。ヒントはあげたから、答えは自分で探すのよ」
マロンが微笑むとラスクの不満の声が上がった。
*
シャロンが自室に戻って一人きりになったレオンが日焼けして微妙に変色した天井を眺める。
あぁ、俺の部屋ってこんなだったっけ…なんか、覚えてないな…
俺は今、幸せなんだろうと思う。好きな人の為にすることがある。必要とされる。これ以上の幸せがあるのか?
じゃあこの苦しさはなんだ?
振り向いて貰えない辛さ?
−違う。それでも良かったんだ。
罪悪感?
−違う。いや、それだけじゃない。
胸の奥につかえた「何か」は日に日に肥大化していく。
「何か」圧迫されて、窮屈で…
「何か」に押し出されて失って…
大切だった気がするものを失っても、もうどうでもよくて。
(あぁ…空っぽなんだな…俺は)
気づいた。
でも、そんなことは些細なことで、やはりどうでもよかった。
だって今の俺は幸せなはずだから。
だけど……楽しい、ということはなくなった気がする。
じゃあ以前は「楽し」かったのか?
…なにが楽しかったんだろう。なんでもないつまらない毎日だった。勉強は嫌いだったから成績はよくなかった。
放課後になればバカ同士でくだらない話で盛り上がって…(あぁ、いつも疲れて寝ちまうから部屋の天井なんか見ないんだな…)そんなことの繰り返し…
そんなありふれた日常のどこが?
ふ、と気づく。
「そんなありふれた日常」が楽しかった…いや、「幸せ」であったのではないか、と。
だが、
(違う。そんなのは自ら手放したものを懐かしんでいるだけだ)
だって、俺が自らの意志で望んで選んだのは今の幸せだから−
もう、後戻りはできない。ずいぶん前からわかっていたことだ。
過去を否定した結果が今。それを否定したらなにが残るというのか。
今を肯定するのは即ちマロンの望みを叶えることだ。
シャロンを招いた際にはマロンに渡されていた葉を使って紅茶を淹れ、後日改めて食事に誘った。全て指示通り。
これまでしなかったことをわざわざ指示するのだから紅茶になんらかの細工があるのだろうが、そんなことはどうでもいい。言われたことをこなせばいいのだ。
今回受けた指示は他に「シャロンちゃんの申し出は断っちゃダメよ」、とのことだが、こちらはなんだかわからない。
おそらくマロンには次の展開が予想できているのだろう。ならば自分が考える必要はない。自分マロンの駒として行動すればいいのだから。
思考を放棄したレオンは静かに夢の中に落ちていった。