「ん? んん?? …………んんんんっ!!?」  
 
突然の衝撃に、カイルはびくりと体を強張らせる。  
一瞬だけ停止したそのすきをついて、アロエは舌を滑り込ませた。  
小さくとも舌としての機能を確かにもっているそれは、独自のぬめりでその独自の存在を主張し、誇示する。  
わずかに感じるミルクの味が口内に広がって、安眠できるようにといれておいた砂糖の甘い味がアロエの  
舌の現在位置を知らせていた。  
 
「ん!? んぅっ…!?」  
もちろん、その間カイルだって何もしなかったわけではない。  
されたと認識した瞬間、ほぼ反射的にアロエを体から引き剥がそうとしたのだが、うまく両肩をつかむこと  
ができず、思い通りの行動ができなかった。  
さっきと同様、首に両腕を回され、さらにはさっき以上の力でしめているためにそれが叶わないのだ。  
首筋がちょっと痛い。  
 
そんなカイルの心情を知っているのかいないのか、アロエはますます深く口付けてきた。  
顔を少し傾け、ちょうど斜めになるように唇を押し付ける。  
 
さすがに慣れてはいないらしく、振り子のように左右にいったりきたりするだけでそれ以上の  
困るような動きはなかった。口の中に舌がもう一枚増えただけのような気がしないでもない。  
それでも、時おり舌どうしがふれあうと、違和感を感じないわけにはいかず、くすぐったい  
では済まされないぐらいのぞくりとした寒気に悩まされた。  
 
(……え〜と、僕はどうしたらいいんだろう……)  
 
アロエの行為がまだ拙いせいか、襲われているにもかかわらず、頭のほうは割りと冷静でいられた。  
おかげで彼女の舌を噛まないよう配慮する余裕ができたが、もちろん根本的な問題は解決していない。  
歯を閉じないよう気をつけながら、あれやこれやと考えていると、やがて唇が離れた。  
 
「えへへ〜」  
「……アロエさん?」  
「どうしたのお兄ちゃん?」  
「いえ、こっちの台詞ですよ。あの、どうしてキスを……?」  
もっともな質問。しかし、目の前のアロエは不思議そうな顔で見つめてくる。  
ますます頭が混乱した。  
 
「だってカイルお兄ちゃん、そろそろって言ったじゃない?」  
「え、ええ、ですからそれは……………………………っ!?」  
 
その時、なにか予感めいた悪寒がカイルの背筋を走りぬけた。  
ひょっとしなくても彼女が求めていることは……  
 
「ちょ、ちょっと待って下さい! アロエさんにはまだ早すぎると……!?」  
「平気だよ。だってカイルお兄ちゃんとだもん。アロエ、カイルお兄ちゃんとしたいの」  
恐れていた答えが正解だった。  
澄んだように輝いていた彼女の瞳が、別の妖しい光にとって変わりつつある。このままではまずい。  
形勢を整えるために、深く息を吐いてからよしと口元でつぶやくと、アロエと正面から向き合った。  
 
「……あのですね」  
ごほんと一つせきをして、狂った調子を直す。  
このまま流されてはいけない、ペースに乗ってもいけない、とにかくまずはアロエに言い聞かせるのだ。  
 
「前にも言ったとは思いますが、アロエさんの年齢で……その、そのような行為をすると、女性の器官  
を損傷する可能性が……」  
「よいしょ」  
くどくどと言葉を並べ始めたのもつかの間、そんなカイルのことなどつゆ知らずとでもいうように、アロエ  
はさっさと押し倒した。ちょうど彼の腹の上に乗るような感じでまたがってカイルを見下ろす。  
形勢逆転どころか、立場はますます悪くなった。  
 
「ちょっと!? アロエさん!?」  
「あ、ごめんね、いま眼鏡をはずすから」  
「違いますよ! そうじゃなくて……!」  
「お兄ちゃん……」  
 
「嫉妬してくれたのに、アロエとしたくないの?」  
 
上から見つめるアロエの瞳が不安げに色を変える。  
 
なぜ、どうしてとすがるように歪んだ表情、好きなんだと全身で伝えようとするその態度。  
微かに、カイルの気持ちに何かが芽生え始める。  
 
 
――恐怖という感情が。  
 
 
(……まずい……っ!!)  
目と口の端が緊張で引きつり始める。  
彼女がこんな顔を見せるときは、後で決まって災害のような行動を起こしていた。  
 
この前もやはり今と似たような事態があって、その時はコーヒーに大量の薬を混ぜられた。  
たまたま、辞書返しにきた友人が部屋に来てくれたために、事なきを得たが、  
あの革命が起こったかのような体の異常はいまだに忘れることができない。  
あまりの苦痛に、いっそ下半身がなくなってしまえばいいとすら考えたくらいだ。  
 
ここで拒んでしまえば、アロエは間違いなくあの時のような――場合によってはあの時以上の――事件を  
起こすだろう。しかし頷いたら、それはすなわちアロエと肉体関係を結ぶことを意味する。  
 
(嫉妬したなんていうんじゃなかった……)  
 
思わず嘆くが、もう後の祭りだ。あの時の自分が少し恨めしい。  
どうするどうする、何か突破口か抜け道はないものか……  
 
『……適当に……』  
 
その時、ふとカイルの脳裏に、先ほどのタイガのやりとりが思い出された。  
『適当に触ってごまかせばいい』、おそらく冗談のつもりで言った彼の言葉。  
なのに何故かこの言葉が頭から離れない。  
 
(……そうか!)  
 
ピンとカイルの思考に光がさす。  
『適当に』触ればいいのだ、問題にならない程度に、だけどアロエの納得がいくようにして。  
アロエが望んでいることは最後までやりきることではなくて、自分と行為をすることそれ自体にある。  
だったら、それっぽいふりをして、肝心なところで切り上げてしまえばいい。  
わずかに希望が心にわく。  
 
「……ごめんなさいアロエさん、僕は少々、意固地になりすぎていたようです」  
とりあえず、体を起こして目線を水平に戻す。いくらなんでも寝転んだままじゃ何をいっても説得力がない。  
 
「お兄ちゃん? じゃあ……!」  
「はい、僕でよければアロエさんのお相手をしましょう。ですが、アロエさんの体のことも心配ですし、  
今夜は様子を見るような形になりますがいいですか?」  
「うん! カイルお兄ちゃんがその気になってくれたんだから、もちろんいいよ」  
成功だ。胸の内で安堵する。  
あとは、行動にうつすだけだ。問題にならない程度に触り、かつアロエに満足してもらえるように……  
 
(………………どうやって?)  
 
それが一番難しいことに、ようやく気づいた。  
 
 
 
いつもより少し長めのキスをしたあと、アロエを後ろから抱きかかえるように両腕を回す。  
小さな体はすっぽりとカイルの胸の中におさまった。  
 
「それじゃあ、始めますけど、無理な時はすぐに言って下さいね」  
「はーい♪」  
うきうきと弾むアロエとは対照的にカイルの声は緊張でかたくなっている。  
アロエがドキドキならこっちは冷や冷や、これじゃあどっちが処女だかわからない。  
 
「では……」  
行為の開始を告げ、どうにでもなれとカイルは腹をくくる。  
そっと右手をアロエの腹の上に置くと、ゆっくりと服越しに撫ぜまわし始めた。  
 
腹を撫でてからわき腹をたどり、まだ大したふくらみのない胸を何度か往復する。  
左手は太腿に添えられ、少し大げさに上にこすると、アロエの体がぴくりと強張った。  
 
「……っ……ぅ……」  
声らしい声こそ出ていないが、呼吸は確実に乱れ、より不規則なものへと変化していた。  
頬は徐々に赤く染まり、髪の生え際あたりが薄っすらと汗ばんでいる。  
意識的に息をするときは常にそうするように、肩を上下に移動させながら、肺を動かしていた。  
 
(何か、犯罪者になった気分というか……)  
艶っぽいアロエの様子に、欲情よりも先に罪悪感のほうがわく。  
服の上からとはいえ体に触り太腿を撫でてと、この年齢の少女に対して行う行為としてはいささか不自然だ。  
最後までするつもりはないが、それでも大丈夫だろうか。  
……と、いうか、自分も経験はないのだかその辺はいいのだろうか。なお更アロエとしてはいけないのでは  
なかろうか。  
 
(いえ別にアロエさんが嫌だというわけではなくて、ただ初めてする相手がアロエさんというのは少し  
問題があるんじゃないかなって……だからといって僕と同い年ならいいかというとそういうわけでも……)  
 
口には出さずに頭の中でぶつぶつとつぶやく。  
セックスをしているはずなのに、何故だか禅問答のように問うべき問題が絶えない。  
……セックスってこんなに精神をすり減らすものだったっけ。  
 
「……ん……お兄ちゃん……」  
「は、はい! なんでしょう!!」  
アロエに呼びかけられて、慌てて意識をもとにもどす。  
うっかり放っておいてしまったことに、また新たな罪悪感が生まれた。  
 
「…お兄ちゃん……」  
「どうしました? 無理そうですか?」  
「ううん……あのね……もっと触って平気だよ……遠慮しないで………」  
「え? いえあの……」  
別に遠慮をしているわけではなく、あまり具体的な行動を起こすことに抵抗があるだけなのだが、  
もちろんアロエはそんな事情など知らない。  
 
(少しだけ、先に進んでも大丈夫かな……)  
とにかくアロエには満足してもらわなければならない。  
普段着としてもアロエが愛用している制服のリボンをほどくと、上のボタンを二つだけはずして、右手を  
中に滑り込ませた。  
 
「あっ……!」  
温度の高い手がより肌に近い部分に触れたせいか、思わずアロエが声をあげる。  
まだ胸がそんなに成長していないせいか、スリップだけでブラジャーはしていなかった。  
それでも、胸としての機能はちゃんと存在しているらしく、カイルの親指がゆるいふくらみの項に  
触れると、背中から下半身にかけて一直線におりるような刺激が走りぬけた。  
 
「ひゃっ! あ! んっ……!」  
スリップ越しに親指をちょうど胸の頂点を押さえるように置いて、執拗にせめる。  
左右に何度も行き来するように擦りつけ、小さな乳房の中に沈めるようにグッと押し、人差し指と中指の  
つけ根の股にいれてはさむ。  
徐々に突起物としてしこり始め、やがて完全な粒になると、親指と人差し指の腹でぎゅっとつぶした。  
 
「きゃあ!? だ、だめっ!」  
さすがに強い刺激だったのか、カイルの右腕を両手でつかんで抵抗をする。  
だが、元々アロエ自身に力がないのと今されている行為のせいで力が入らないのとで、カイルの行動を制御  
するまでには至らなかった。  
効果のない抵抗を続けるアロエを尻目に、カイルは太腿を撫でていた左手をするりと内股に移動させる。  
胸に意識を集中していたアロエは、この突然の不意打ちに体を跳ねさせた。  
 
「あ! あ! やぁっ! やだあ……っ!!」  
胸の突起をこりこりとひねり、爪でひっかくように集中的に上下に擦り、また指の腹でつぶした後、  
ぷるぷると左右に弾く。  
その間に内股のつけ根の部分を触っていた指をショーツの方へと移動させると、秘部を覆っている辺りを  
探り始めた。  
 
「あ……はぁ……っ! んぅ…あん……」  
すでに湿っている布ごと中へと入れるように、ぐりぐりと指を押し付ける。  
敏感な秘部が布に擦られて、耐え切れない快感が下半身を中心にしてあふれだした。  
 
「あっ……お兄ちゃぁん……!」  
「………………アロエさん」  
ふっとアロエが息をのむ。  
声が違う。カイル特有のいつもの柔らかさがまったくない。  
それは確かに彼の声をしてはいたが、トーンが低く声質も固い。何だかカイルの姿を借りただけの別人のよう  
さえ思える。  
 
「え…………………きゃあ!?」  
アロエがふりむいてカイルに起こった変化を確かめようとした時、強い力で倒された。  
背中がシーツに沈み込む。  
 
「ん、んむぅっ!?」  
身の状況すらわからないまま唇をふさがれ、侵入した舌が喉を塞ぐ。  
さっきアロエがした拙さとはまるで比が違う。勝手気ままに動き暴れまわられ、息ができない。  
唾液が唇から漏れ出した頃になって、ようやく解放された。  
 
「……お、おにいちゃ………?」  
「…………」  
突然のカイルの変貌に、アロエは戸惑いながら呼びかける。だが、カイルの返事はない。  
しばらく、表情のない顔で無言のまま仰向けに横たわったアロエを眺めていたが、やがて半分肌蹴ている制服  
のボタンを全てはずすと、むしりとるようにして左右に大きく開かせた。  
 
「!? きゃあああっ!! だめ!! だめえ!!」  
スリップを限界までたくしあげると、まだいじられていない右の乳首に吸い付く。  
きつく吸って放しまたきつく吸い、舌根までつかって突起を押しつぶす。  
右手はすでにショーツの中へと差し入れられ、秘部の中に指を埋めて内壁を擦っていた。  
 
「あああっ! やあっ! いやあ……っ!!」  
ぞくぞくとした悪寒が、アロエの全身を駆け回る。  
じたばたと両足をばたつかせ、否定するように激しく首をふる。  
少しでも快感を散らそうと嬌声をあげながら、激しい震えに耐えていた。  
 
「……お兄ちゃん……おにい…ちゃあん……」  
助けてほしいかのように、今、自分を犯している男を呼ぶ。  
両目からあふれた涙が火照った頬をぬらし、二本の道となって顎にまでのびていた。  
 
いつの間にかショーツを取られ、両足をM字型に開かせられていた。まだ未成熟な割れ目は  
外の空気にふれ、居心地悪そうにひくつく。  
見られて恥ずかしいはずなのに、もうアロエにはそんな余裕などなかった。  
 
「きゃんっ!?」  
ぷっくりと膨れた赤い芽を摘まれて、びりっとした痺れに思わず背を浮かすほど体を跳ねる。  
そのまま摘んだ芽をこねると、その甘い痺れは四肢にまで広がった。  
 
「ああ……やあ…!」  
くちゅ、ちゅぷと、割れ目にあふれた蜜をかき回すように、わざと音をたてて指を出し入れする。  
ぐじゅ、ちゅぷ、ちゃぷ、カイルの指が中で動き回るたびに、新たな蜜がとめどなくあふれだす。  
その行為から逃れようと、アロエは身をよじってかわそうとするが、指はどこまでも追いかけて、柔らかい  
内壁をまさぐった。  
 
「! や、やだ!! そこっ!!」  
カイルの指がある一点を擦ったとき、アロエの口からひときわ高い悲鳴があがった。  
その声を境にして、カイル指の動きが今までとは比べ物にならないほど激しくものへと変化した。  
 
「やだやだ! そこだめえ!! だめえぇっっ……!!」  
拒んだところで止まるはずがなかった。  
いじってほしくないその一点だけを何度も何度も執拗にせめる。  
声の出しすぎで、もう喉が痛くてたまらなかったが、それでもあふれる悲鳴は止むことがない。  
 
度の過ぎた快感がアロエの体から精神まで全てを蝕み、意識を混濁させる。  
もう何が自分の身に何が起きているのかわからない。  
 
犯され、感じ、声をあげる、今のアロエは言葉に直せば三つで収まる行為を堂々巡りしているだけだった。  
 
体がおかしい、そう感じたときには何かを迎える前兆だった。  
腰の奥のほうで何か変化が起こっている。怖い、なぜだかわからないけど怖い。  
 
「あっあっ…!? お兄ちゃん……アロエもう……!!」  
アロエのその言葉を待っていたのか、捏ねていた赤い芽を痛いくらいぎゅっとつぶすと、  
できるだけ深く指をいれ、ひっかくように折り曲げながら引き抜いた。  
雪崩のような全身を壊す感覚がアロエに襲い掛かる。  
 
「あああああぁぁっっ………!!!?」  
ぶるっと体を大きく震わせると、肺からしぼりだすような絶叫をあげながら、  
アロエは膣からの熱を吐き出した。  
 
 
 
 
 
「……ぁ…は……はぁ……」  
目を大きく見開いて、不規則で浅い呼吸をくりかえす。  
今なにが起きたのか、アロエは理解していない。ただ糸の切れた人形のようにぐったりと  
体を投げ出すだけだ。  
 
不意にカイルの顔が近づいて、キスをされた。  
蹂躙するような激しいものではなくて、一番最初の時にしたような触れるだけの長いキス。  
何度か軽くついばんでから、ゆっくりと離れた。  
 
「アロエさん……」  
声はもどっていない。まだ別人のように固いままだ。  
眼鏡をはずして枕元に置くと、なんだか本当に別人になったようで、違和感が彼の存在に  
まとわりつく。  
 
「カイルお兄ちゃん……」  
次に何をされるのかわからなくて、アロエに再び緊張が走る。  
そんな彼女の心情を知っているのかいないのか、カイルはズボンに手をかけると、  
しめていたベルトをはずし、そして…………  
 
 
そして、我に返った。  
 
 
「……………あ」  
 
一瞬でカイルの声が元にもどり、ついでに表情ももどった。  
違和感を含んでいた気配は消え、今なにをしてたんだろうと、呆けたように顔を崩す。  
 
「……お兄ちゃん?」  
カイルの様子がおかしいことに気づいたアロエが試しにと呼びかけた。今度はちゃんと反応し、  
びくっと体を強張らせたあとアロエのほうを向く。  
少しうろたえてはいるが、いつものカイルだ。  
 
「アロエ……さん?」  
まじまじと、まともにアロエの姿を凝視する。  
涙でぐしゃぐしゃになった顔、ほぼ裸同然の体、まだ乾いていない濡れた内股、  
……そして中途半端にはずしかけた自分のベルト。  
 
そしてカイルは全てを悟った。  
今、自分がアロエに何をし、それから何をしようとしたのかも。  
 
――カイルの中で、音をたてて何かが壊れる。  
 
 
「…………………あ……」  
「え?」  
「……ああ……あ……あ………」  
「カ、カイルお兄ちゃん……?」  
 
 
「あああああああああああああああああああああっっっ!!!!!!!!!!!」  
 
地の底から轟くような咆哮をあげると、部屋の外へと飛び出した。  
 
 
 
 
 
― 10分前 ―  
 
 
携帯の電話登録から目当ての番号を見つけると、通話のボタンを押して耳に当てる。  
数回コール音がしたあと、ガチャリと空気が乱れて相手とつながった。ユリだ。  
 
 
 
 
 
『もしもし? タイガ?』  
「おう……」  
 
意外そうな声。かけた時間が少し非常識な時間なのだから、仕方がないといえば仕方がない。  
 
「寝てたか?」  
『ううん、まだ。いま夜食を食べてたとこ』  
「また無駄に体重ふやしよって……」  
『気をつけてるからへーきなの! それよりもさ、どうしたの? なんかあった?』  
かけてくれた電話の根本的な意味を問う。普段はユリのほうからかけることが多いから、  
なおさら訳を知りたい。しかし、すぐには応えてくれなかった。  
 
「……それはない」  
『じゃあ、聞きたいことがあるとか?』  
「いや、聞きたいことっちゅーか何というか……」  
『もうー! はっきり言ってくれなきゃわかんないっての! どうしたのよ?』  
「……今お前なにしてんやろなーって……」  
『はい?』  
「…まあ、なんだ、その…………ちょっと声ききたいかなーって……」  
ほんの数秒の間、二人の間に沈黙がおりる。  
ユリのほうは言われた言葉をまだ理解できずに、タイガのほうは言ってしまった気まずさから。  
静寂が二人を圧迫する。  
 
『……悪いもの食べた?』  
「気味悪そうに言うな」  
 
耐え切れなくなった頃、ようやく声が動いた。どちらの声にも照れが入る。  
 
『だってタイガらしくないもん、ねえなに食べたの?』  
「だからなにも食っとらんわ! 俺かてそういう時があんの!」  
 
酒ならのんだが原因はそれじゃない。それくらいならわざわざ電話をしたりしない。  
 
さっきアロエから聞いたユリのこと。  
知らないうちに手を握られていたことや、知らなかったこととはいえバレンタインで傷つけてしまったこと。  
快活な彼女のいじらしい様子を聞かされたときから、なぜか頭に姿がちらついて離れなかった。  
 
アロエが去って一人になった時も映像は消えず、むしろますます濃くなった。  
しばらくぼーっと時間をすごして、ハッと気がついて、またぼーっとして、それを何度もくり返し、  
そして何度目かの我に返ったとき、いつのまにか携帯を取っていた。  
 
ユリの困惑はまだ続いている。  
いっそ洗いざらい話してしまおうかとも思ったが、意地張ったこの性格ではとうてい無理な話だった。  
 
「……まあ、ええわ。ほなお休み」  
『ちょ、ちょっと待ってよ!?』  
もう用は済んだとばかりにさっさと電話を切ろうとするタイガを、ユリは慌てて止めた。  
 
『声がききたいって言ったのに、何でもう切るのよ!』  
「いや、もう話すことあらへんし……」  
『…………じゃ、会いにいっちゃだめ?』  
「は?」  
今度は逆にタイガが困惑する。今、彼女はなにを言ったのだろう。  
 
『だから会いにいってもいいかって言ったの! ていうか今から行くから!』  
「ちょお待て!? 夜中やぞ!?」  
『箒で行けばすぐだもん! すぐ行くから待ってて!』  
「アホか!? お前、一応女やろ! 性別わすれんな!」  
『一応って何よ! もう怒った! ぜったいぜったい行くから!』  
 
お互い一歩も譲らない。  
ぎゃあぎゃあと己の主張をかけ合うだけだ。喉も痛いが耳も痛い。  
 
「何もいま来る必要ないやろ! 明日あらためて来いや!」  
『………待てない』  
「あ?」  
『……待てない、会いたい……いま会いたい』  
「…………」  
『着替えも出したし、箒も用意した。5分すればもう外に出られる……だめ?』  
声のトーンに懇願がまざる。  
顔はまったく見えないのに、どんな表情をしてるのか簡単に推測できた。  
多分すこし泣きそうな顔をしているのだろう。  
 
「……玄関で」  
『え?』  
「……玄関で待っとるから、はよ来い」  
『……うん!』  
はあとため息をついて、とうとう折れた。  
何を言っても無駄だろう。こうなってしまった時の彼女に敵ったことはない。それに……  
 
『じゃ、ちょっと待っててね』  
「おお、気いつけろ………おおきに」  
 
何だかんだ言って、会いたいのは自分も同じだった。  
 
『あ、ねえねえ、スカートとハーフパンツ、どっちはいてきてほしい?』  
「……別になんだってええわ、ちゅーか何で俺にきくん?」  
『だって男の子じゃないからわからないんだもん。脱がせやすいほうが楽でいいのか、それとも脱がせにくい  
ほうがかえって興奮していいのか……』  
「!? アホ!! 変なこと言うな!!」  
『あはは、照れた? あ、下着あらかじめ脱いでこようか?』  
「……もう切るで」  
『え! ちょ、ちょっと待ってよ〜!』  
 
いつものようにつっこみながら、タイガのほうも玄関へ行く準備をする。  
時計で時間を確かめ、念のために鍵をもち、それからノブを回してドアを開け……  
 
 
「あああああああああああああああああああああっっっ!!!!!!!!!!!」  
 
三つ先のドアも開いて、廊下に咆哮が響いた。  
 
 
『ちょ、ちょっと今のなに!?』  
「知らん!! ……ってカイル!?」  
『え!? カイル!? カイルがどうしたの!?』  
「いやなんか壁に額を乱打して……ちゅーか俺止めてくるわ! ユリ、電話をそのままにしとけ!」  
『ちょ、ちょっと!?』  
それ以上はユリの言葉をきかず、錯乱した友のもとへと駆け出す。  
 
「おいカイル!? しっかりせえ!!」  
 
ガンガンと頭蓋骨が砕けそうな勢いで壁に頭を叩きつけているカイルを、肩をつかんで無理やり離す。  
そのまま自分のほうへ向けると、額から血を流している変わり果てたカイルと目があった。  
 
「タ、タイガ君……!」  
この世の果てに来たかのような恐怖に怯えた目、それでもタイガのことがわかることをみると、  
まだ完全に狂ってはいないらしい。  
 
「……た、たったんです……!!」  
「あ? 何が……」  
「勃ったんです!! 僕が!! アロエさんで!!」  
「え、いやそんな『クララが立った』みたいな言い方されても……!?」  
「クララさんじゃありません!! アロエさんです!! 僕が勃ったんです!! アロエさんで!!!  
僕がアロエさんで勃ったんですってば!!! 僕が!! アロエさんで!! 僕が!! 僕が!!!  
僕が!!! アロエさんで!! 勃っ………………あああああああああああああああ!!!??」  
 
耐え切れなくなったように、再び頭を叩きつける。  
そんなカイルを押さえるように、片腕で首をひっかけて無理やり止めた。  
 
「暴れんなあっ!! ―――ユリィっ!? きこえるか!! 箒のって医務室行け!!  
空いてる病室あるか確認せえっ!!!」  
「離してください!! 存在を消させてください!! 生まれてきてすみません!!!」  
「ひいっ!? 目が怖い!!? だ、誰かーーあああ!!!?」  
 
 
全てが片付いたときにはもう夜明けだった。  
その後、カイルは一週間の絶対安静と、一ヶ月のカウンセリングを余儀なくされた。  
 
ちなみに、アロエの罪はまったく問われなかった。  
 

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