《どうでもいいこと》  
                    
                      『落花流水』より  
 
注意を呼びかけるアナウンスとほぼ同時にガタンと私達の乗った観覧車が大きく揺れ…  
「うわ!?」  
次の瞬間…目の前に葉山の顔が迫ってそのまま唇を奪われていた。  
 
「はぁ…」  
「ん?先輩どうかしたんですか?」  
夕方の事故のことを思い出してため息を吐くと葉山が心配そうな顔で聞いてくる。  
まったくこの娘は…。私、人とキスするのは初めてだったのに。  
「別に…ねぇ?もか?」  
もかの額を指で軽く押しながら話しかけてみる。  
「うにゃ?」  
当然のことだけどもかは不思議そうな顔で首をかしげる。  
 
遊園地から帰り、そのまま葉山のお家にお邪魔して今日は泊まることにした。  
もかと遊びたかったし…さっきまでポーッとしたり急にニコニコしたりしていた葉山が心配になったという理由もある。  
いや……今考えれば、あの時から私の方が少し葉山のことを意識していたのかもしれない。  
 
「もかも会うたびに大きくなるわね」  
葉山が淹れてくれたブラックコーヒーを飲みつつもかを撫でて手触りを楽しむ。  
「そうですか?」  
その向かいで椅子に座った葉山が…激甘コーヒーを飲みながら私の言葉に疑問の声をあげる。  
既にコーヒーの味は無いと思うのだけど…。  
「毎日一緒だと分からないものだって」  
「そう…かもしれませんね…そうだ、今日はもかと寝ますか?暖かいですよ」  
「そうしよっかな…なんか冷えそうだし」  
春も近いとは言え夜はまだ寒い。私の言葉を聞くと葉山は席を立ち、  
「じゃあ今お布団持ってきますね」  
と行って部屋を出ようとしたのだが…  
「あ!葉山」  
「はい?」  
「やっぱり…今夜は一緒のお布団で寝よっか?」  
「え!?」  
顔を赤くして驚く葉山に苦笑しつつ  
「いやなら別にいいけど…」  
葉山がいやだと思うはずが無いなんて知っていながらこんなことを口にする。  
「お、お願いします!!」  
…その科白はなんか変よ?  
 
「………」  
「………」  
明かりを消してからどれ位経ったかな?  
他愛の無いおしゃべりはいつしか途切れ…今は隣で眠る葉山の体温に心地よさを感じながら…そろそろ私も……  
「……先輩、まだ起きてますか?」  
私に背中を向けたまま葉山が話し出す。声が幾分固いような…?  
「うん…起きてたけど?」  
「あの…今日は…その…」  
「え?」  
「事故とは言え…先輩の…その…」  
「ああ…あれね。急に揺れるんだもん。ビックリしたわ」  
「…すいません」  
え?  
「葉山?どうしてあなたが謝るのよ?」  
「だって先輩…あれから少し元気無いし…ため息だって…」  
………まぁ…その…  
「そりゃあね。これでも初めてだったのよ?」  
その言葉に葉山は体をこちらに向け…でも顔は俯き加減で表情は上手く読み取れない…  
「やっぱり…いやでしたよね?」  
…そうか。この時になって初めて葉山が何を思っていたのか理解した。  
でも…葉山の想像通りなら今私がここに居る理由ってないのよね。まったく…  
「ううん。そんなこと…ないわ。ビックリしたけど」  
「ビックリって…」  
「葉山にならまぁいいか…なんて思っちゃった自分にね」  
「え!?…そ、それって…」  
心底驚いた顔で私を見つめる葉山。  
私はそんな葉山の頬に手を当ててフニフニと撫でて…  
「だからさ…変に気にしないの。ね?」  
「……はい」  
そうそう。葉山はやっぱり笑顔じゃないとね。  
 
「そういえば…今年は新入部員どれくらい来るんでしょう?」  
少し落ち着いたのかいつもの葉山に戻ったみたいだ。  
「そうね…大会で結構いい成績残せたし、道場も立ったし…」  
「傾いてますけどね」  
「それは言わないお約束」  
「ハハハ…それにしても」  
葉山は少し乾いた笑いをあげて急に昔を懐かしむような顔をした。  
「ん?」  
「先輩と初めて出会ってから…もう一年になるんですよね」  
「え?…あ、そっか。もうそんなになるんだ」  
「ねえ先輩?」  
「うん?」  
相槌を打つことで先を促す。  
「私は…先輩と初めて会った時からこの一年で何か変わったと思いますか?」  
…期待と不安が入り混じった顔でそんなことを聞かれる。  
「もちろん変わったわよ」  
ただの後輩から…大切な仲間に。そして私を変えてくれた眩い『きっかけ』  
「え?何がです?」  
まぁ口に出しては言えないけど。  
「そうね。それを自分で気付くのが二年生になった葉山の課題かな?」  
「もう…変わってないなら正直に言ってくれても…」  
プクーッとした顔で抗議してくる。そう言う顔もちょっと可愛いかも。  
「ううん変わったよ。大丈夫」  
「…二年生。先輩は三年生になって…やっぱり部活は…」  
「そうね…前はああ言ったけど草場の言うとおり忙しくなるかな…?」  
「………」  
私の言葉に押し黙ってしまう葉山。  
「…寂しい?」  
「はい」  
即答されてしまった。嬉しいような今後の弓道部が不安なような…  
「もう葉山ったら…嘘でも大丈夫って言ってくれないと部が心配になっちゃうわ」  
「だって…先輩に嘘はつきたくありませんから…」  
もうこの娘は…  
「葉山?」  
「……」  
「私達ってさ…もう部長と部員っていう関係は別に重要じゃないでしょ?」  
「え?…それって?」  
「一緒に遊びに行ったり…お互いの家を行き来したり…」  
「……」  
「こうして…いっしょにおしゃべりしたり…ね?私が忙しくなっても仲良くしてくれるんでしょ?」  
「は、はい!もちろん!」  
「…だからこれからもよろしくね?秋穂」  
「…ここでそれは反則ですよぅ」  
急にしおらしくなってモジモジする様子は小動物っぽくてなかなか可愛い。  
「そろそろ…眠くなってきたわね。おやすみ…」  
「おやすみなさい先輩」  
 
「スー…スー」  
半身を起こした私の横で葉山は規則正しい寝息を立てている。  
どんな夢を見ているんだろ?  
「…先輩…」  
私?…少し嬉しいかも…  
「…そこで地弓心ですよ…スー…」  
ゴメン葉山。わからない。  
「…ん」  
手で葉山の顔にかかった髪を払って顔を指でなぞる。  
暗い部屋の中で寝息を立てる葉山の唇だけが紅く鮮やかに見えるようで…  
「この唇が…」  
おもわず自分の唇に手を当てて夕方のことを思い出す。  
でも…正直あの時は一瞬だったし、感触もほとんど記憶にない。  
「葉山には悪いけど…やっぱりもう少し…実感が欲しいの…」  
無意識に自分の唇を舌で湿らし葉山の唇に私の唇をゆっくり近づけていく…。  
もう…どっちがどっちを慕っているのか分からない。  
いつから『大切』の意味が違ってきたのか分からない。  
私の…失くした何かを取り戻させてくれた貴女。  
貴女に惹かれることで私は昔の気持ちを思い出した。  
そんな貴女が私を慕ってくれたから今の自分に自信を持てるようになった。  
 
貴女が居てくれるから私は私でいられるのかもしれない。  
 
なんてね。今は今だけはそんなことはどうでもいいんだ。  
「…秋穂」  
こうして唇を重ねている今だけは。  
 
                  END  
 
 

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