普段は三つ編みにしている長い黒髪をほどいて、サラは小さくため息をついた。  
いつも冷静で、どこか人を食ったような雰囲気を漂わせる彼女にしては珍しく、その顔には焦りが見える。  
すべらかな白磁の頬に手を当てて、物憂げに佇む彼女はどこか弱々しく、彼女を知るものならば一様に「ほんとにサラ?」と問いかけずにはいられない違和感を放っていた。  
 
 
静まり返った塔の中には、彼女の立てる小さな足音以外には何も聞こえない。  
秋の涼しい風が、薄いネグリジェを纏ったサラの身体をなぞるように滑っていく。  
さらさらと揺れる髪を物憂げにかき上げながら、彼女は無言で目的地を目指して進んだ。  
燭台を手にした白い手は微かに震え、ため息は幾度となく零れ落ちる。  
らしくない自分の姿に苦笑して、サラは頭を左右に大きく振った。  
 
 
「……サラちゃん?」  
「ナハトール」  
暗い廊下をてくてくと歩んでいると、ふいに後ろから声が掛かった。  
その声に振り返ったサラは、そこに佇んでいる大きな身体に飄々とした笑顔を乗せた男に、微かに唇を吊り上げて答えた。  
「こんな夜更けに、どしたの? 眠れないならココアでも作ってあげよーか?」  
「いえ、結構。ちょっと探し物を」  
「なになに? 手伝うよ」  
にこにこと邪気のない微笑みを浮かべるナハトールは、鍛錬の後なのだろうか、微かに息を乱して汗で前髪がはり付いている。  
逞しく鍛え上げられた腕に、愛用の剣を手にしいる姿は、学友の赤毛の騎士には及ばないものの、十分鑑賞に耐え得る、とサラは思った。  
「それも、結構。……もう、見つかりました」  
「そっか。最近冷えるから、風邪ひかないようにしなさいね」  
短く答えたサラに、ナハトールはほっとしたように笑った。  
気遣うようにこちらを見つめる瞳に、サラは動揺している自分に気付き、繊細な作りの夜着の胸元を掴んだ。  
死ぬほど甘い兄たちが送ってくる衣服は、サラへの過剰な愛と妹への幻想ゆえか、華美な装飾が施された高価なものが殆どだ。  
あまりそういったものを好まないサラだが、基本的に衣服に執着がない性質なので、別段不満もなくそれを纏っている。  
「そんな薄着でうろついてると、寝込んじゃうよ」  
「気をつけます」  
燭台を手にしたまま、軽く頷いたサラを尚も心配そうに見つめたナハトールは、そう続けて頭を掻く。  
「どうも、サラちゃんが素直だと調子が狂うね」  
「私はいつも、ほどほどに素直なつもりですが」  
「ああ、そーね」  
人を喰った返答に、ナハトールは苦笑して首の後ろに手を回した。  
見慣れないサラの姿に、密かに動揺していた彼は、ようやくいつもの彼女らしい言葉が出てきて、少しほっとしたように笑った。  
が、緩んだ雰囲気をぶち壊すかのように、真剣な様子でサラが口を開いたのを見て、ナハトールは真顔になる。  
「探し物は、なんだったと思いますか?」  
「……なんだったの?」  
低いアルトの声が、石造りの塔の廊下によく響く。  
揺れる紺色の瞳に魅入られたように声を落として、ナハトールは彼女の答えを促した。  
「あなたです」  
「そりゃ、光栄」  
挑戦的に笑ったサラに、目を瞬かせながらも、ナハトールは軽口を返す。  
へらへらと崩した口元は、近づいてくるサラの真面目な雰囲気によって、再び真っ直ぐに引き戻された。  
 
「あなたです、ナハトール」  
「サラちゃん、お酒入ってる?」  
「いいえ」  
小さく首を振った彼女に、ナハトールはあちゃー、と片手で顔を覆った。  
こりゃマジだ、と彼らしくもなく慌てた様子で、わたわたと忙しなく身体を揺らした。  
これでも傭兵として暮らしてきた彼は、女性関係においても戦場と同じく海千山千の強者ではあったが、何しろ相手があのサラである。  
「女性からの申し出に、そういった対応をするのは、如何かと」  
「あー、えっとねえ……うーん」  
少なからず好意を抱いている相手からの、思わぬ告白に、ナハトールは自分が柄にもなく赤面していることに気付く。  
大きな手で覆った口元は、隠しきれない喜びににやけている。  
「……ナハトール?」  
「怒らないでよ、サラちゃん。びっくりしてただけだって」  
一段と低くなった声に、ナハトールは彼女が機嫌を損ねはじめている事を知って慌てて宥めはじめる。  
「とりあえず、ここは冷えるから……俺の部屋、来る?」  
「ええ」  
エイザードにばれたら殺されるな、と思いながらナハトールはサラの手を引いて、自分の部屋へと導く。  
微かに震える小さな手の、柔らかな感触に何故か胸が締め付けられる。  
俯いた顔を覆うように広がる、美しい黒髪が、燭台の明かりにきらめいて揺れた。  
 
 
 
彼女の師匠の部屋とは違い、清潔に片付けられた部屋は、微かに良い香りがした。  
ナハトールの匂いだ、と思いながら、サラはその香りを分析し始めた自分に苦笑する。  
夜更けに男の部屋に訪れた女がすべき行動ではない。  
「ナハトール」  
「あのねえ、サラちゃん」  
積極的に衣服に手をかけたサラを嗜めるようにナハトールはそう言って彼女の手を取った。  
白い指先に優しく口付けながら、苦笑して呟く。  
「もうちょい、自分のこと大事にしなさいな」  
「ご自分を卑下しすぎでは?」  
「サラちゃんは、俺のこと買いかぶりすぎだよ」  
ベッドに腰掛けた二人は、向かい合うようにして語り合う。  
甘さの欠片もない会話に、彼女らしいと内心で呟きながら、さらさらと零れ落ちる黒髪をなでた。  
「前にも言ったはずです。私の好みは都合のいい男だと」  
「サラちゃんらしいけど、ひっどいなあ、それ」  
さらりと言ってのけるサラに、ナハトールは顔を顰めて呟く。  
不思議そうに自分を見つめる神秘的な藍色の瞳は、白い月をうつくしく映し出して光った。  
どこかの海軍の少佐が、分厚いラブレターを純情な赤毛の騎士に送っていたが、それに書かれていた文句に限りなく近い状況にいる気がする。  
(恋人を口説くのは、月の夜がいい……ね。確かに)  
常に無く魅惑的なサラの白い顔立ちに、ナハトールは息を飲んだ。  
内心でそんな自分に舌打ちをしながらもう一度、サラの髪を撫でる。  
「あのね、ほんとにいいの?」  
「ええ」  
事も無げに頷く彼女を、優しく抱きしめたい衝動と、手酷く泣かせて嬲りたい情動に駆られる。  
そのどちらにも、理性でまったをかけながらナハトールは頭を掻き毟る。  
「あー……うー……ほんとにもー……」  
「ナハトール」  
どこか不満げに、顔を近づけるサラの、赤く輝く唇が自分の名前を呼ぶ。  
せめぎ合う欲望と戦いながら、ナハトールは優しく彼女をベッドに押し倒した。  
「サラちゃん、俺、途中で止めるとかできないよ?」  
「望むところです」  
最後通告だと思って言った言葉に、何故か胸を反らせてサラは頷いた。  
畜生、やったろうじゃねえか、と自棄になりながら、ナハトールは彼女の夜着に手をかける。  
その手を、白い指がおし止め、その手をナハトールの大きな手に重ねながら、サラはうめくように囁いた。  
 
「……キスを」  
微かに潤んだ瞳で見上げられたナハトールは、動悸が一気に加速する。  
(分かっててやってんのかな、この娘さんは。ふつー、めんどくさくない男ってのはキスなんかしないもんだと思うんだけど。つか、俺はサラちゃんにとってめんどくさくない男ではないんだけどね、実は)  
ぶつぶつと内心で愚痴りながらも、ナハトールはゆっくりとサラの唇に自らの唇を重ねた。  
近づいてくる彼の顔を、一瞬不安げに見つめたサラは、しかし目を閉じて口付けを受け入れる。  
「……んっ……ふぅっ……」  
くちくちという水音と、微かな息遣いが暗い部屋に響いた。  
燭台はとっくに溶け、光源になるものは、窓から漏れる月明かりしかない。  
「よいしょっ、と」  
サラのリクエスト通り長い口付けを終えたナハトールは、彼女の身体を抱え上げ、そっとベッドに横たえる。  
壊れ物を扱うような優しい仕草に、サラは戸惑いを覚えたような表情でナハトールを見つめた。  
その視線に、笑顔を向けて触れるだけの口付けを落とし、ナハトールは汗に濡れた衣服を脱いでいく。  
鋼のような筋肉に覆われた、鍛え上げられた体が露わになった。  
「ナハトール、あなたの上腕二頭筋は美しい」  
「ちょい黙ろうか、サラちゃん」  
彼女なりの賞賛らしい言葉に、ナハトールは眉を下げると、ゆっくりと横たわる彼女の上に覆いかぶさった。  
もう一度、長い口付けを交わす。  
微かに震える舌を追いかけ、サラの口内を蹂躙し、唾液を啜り上げる。  
「……はっ……んんっ……」  
小さくうめく彼女の、鼻にかかった声が愛しい、と感じる自分を、ナハトールは心底恨んだ。  
(ああ……ほんとに殺されるわ、こりゃ)  
弟子馬鹿な、顔ばかり美しい怠け者な乱暴者が烈火のごとく怒り狂うさまが目に浮かぶようだ。  
しかし、まあ、殺されてもいいかもしれない。  
などと考える自分に、ナハトールは苦笑しつつも、サラの小さな顎を掴んで執拗に口付けを繰り返す。  
「……脱がすよ?」  
「どうぞ」  
色気の欠片もないやり取りに、しかし全く興奮は収まらない。  
ゆっくりと華奢な肢体を確かめるように、美麗なネグリジェを剥いでいく。  
月明かりに映し出された白い裸身が、まるで女神のように見えてしまう。  
自分の馬鹿な考えに、どんだけだよ、と突っ込みを入れながら壊れそうな身体を優しく愛撫していった。  
 
 
「んっ……あっ……ふっ……」  
「気持ちいい? 辛かったら言うんだよ?」  
声を殺して喘ぐ姿に、かつてなく煽られている。  
興奮の滲んだ声で尋ねながら、ナハトールは彼女の中に収められている二本の指をゆっくりと動かした。  
ゆるゆると首を振るサラに励まされるように、胸元をきつく吸い上げながら指を動かす。  
くちゅくちゅという水音だけが、分かりにくい彼女の快感を伝えていた。  
「指、増やすよ?」  
「ええ、……んんっ……」  
ナハトールの問い掛けに頷きながら、サラは微かに首をふってうめく。  
苦しげな様子に指を抜こうとすると、それを咎めるようにサラの手がナハトールの手首を優しく掴んだ。  
「大丈夫です、ナハトール」  
「……分かった」  
額に口付け、ナハトールは指をゆっくりと出し入れし、彼女の快感を引き出そうと淡い色をした胸元を優しく指でなぞった。  
さらりと乾いた無骨な手が、滑らかな肌の上をゆっくりと行き来する。  
身をよじり、微かに涙を浮かべるサラの姿に、ナハトールは欲情を隠せず、荒い息を吐いた。  
「そろそろ、いれるよ?」  
「はい」  
十分な潤いを見せる秘所から指を引き抜くと、絡みついた粘液が月の光にきらきらと輝いた。  
指を舐め上げながら、見知らぬ男の顔をして笑うナハートルに、サラは鼓動を早くしながら頷く。  
ズボンを手早く緩め、下着を落としたナハトールは、すっかり勃ち上がった性器を自分の手で扱き上げ、サラのひくひくと震える秘所に押し当てた。  
「息、吐いて。力抜いててね」  
「リラックス、というやつですね」  
「そうそう」  
軽口を叩くサラに、いつもの顔を見せて頷いたナハトールは、一転して欲情にかられた雄の顔に戻る。  
何度も口付けを降らせながら、ゆっくりと腰を推し進め、ついにサラの最奥に全てを収めきると、彼は大きくため息をついた。  
きつくきつく締め上げられる感覚に、気を抜くともっていかれそうだ。  
微かに震えるサラを見下ろしながら、ナハトールはそんな自分に苦笑する。  
「……動くよ?」  
「いつでもどうぞ」  
ここまできても、どこまでも色気のないサラの返答に、ナハトールはくすりと笑って、もう一度深く口付けを交わした。  
ゆっくりと、細心の注意を払って腰を動かす。  
赤い唇からかすかに漏れるため息のような喘ぎ声に、再び情欲を突き動かされて、ナハトールはいつ果てるとも知れない快楽の波へと沈んだ。  
 
 
 
「ごめんね、サラちゃん」  
「いえ。……お上手ですね、ナハトール」  
「ありがと」  
褒められているのか、けなされているのか、はたまた素直な感想なのか。  
どう受け取ればいいのか迷っているうちに、サラは静かな寝息を立て始めた。  
わりに無茶をしてしまったのだから、仕方ない。  
諦めたように彼女の薄い肩に毛布を巻きつけながら、ナハトールは彼女を抱え込むようにして横になる。  
汗で張り付いた額の髪を払って、口付けを落とす。  
「……好きだよ、サラちゃん」  
ついに言えなかった言葉を口にしたナハトールは、眠る彼女の長い睫毛を見つめながら顔を顰めた。  
(都合のいい男も、物分りのいいお兄さんも、楽じゃないよねえ)  
彼の苦悩を露知らず、安らかに眠るサラの、白い頬に、鼻に、口付けの雨を降らせながら、ナハトールは朝食の献立に頭を悩ませた。  
 
 
 
 

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