人の気配のない城。
漂う、冷たい空気。
エメロード姫に仕える身であった彼女は、人気のなくなった城にいた。
正確には、城の一隅にある牢に。
利口な者は皆、捕まる前に逃げ出した。
薄暗い牢の中、考える。
――これから自分はどうなるのか。
怖くないと言えば嘘になる。
“神官・ザガートがエメロード姫を幽閉したらしい”
セフィーロに、異常気象や魔物の居住区への出没などの異変が起き、そのような噂が流れた。
姫を救おうと、城へ向かった者は多いというが…誰も来ない。
彼女はここに来たわけではなく、ここに残っているだけだ。
姫を救いたいという理由でここにいるわけでもない。
しかし、彼女はエメロード姫付きの魔導師だ。
姫を助けに来た者達のように、殺される可能性がある。
味方になりたいのだと言ったところで、信じてもらえるか怪しいものだ。
しかし――
「ザガート様のお役に立ちたい」
その思いが、彼女を城に留めた。
城に残り、ザガートに仕えるつもりでここに残ったのだ。
暗い城内から、靴音が聞こえる。
靴音はゆっくりと、こちらへ向かってくる。
靴音が止まる。彼女の牢の前で。
――神官・ザガート。
扉が開く。中に彼が入ってくる。
短剣を正確に頸動脈の上にあてられた。
声が、出せない。
無言のままの彼女の耳に、男の低い声が流れ込む。
「…エメロード姫付きの魔導師か…」
初めて声を聞いた。
今まで、姿を垣間見たことはあっても、声をかけることなど出来なかったのだ。
歓喜に、全身が慄えた。
相変わらず短剣は、彼女の首筋に冷たい感触を伝えていた。
しかし恐怖を忘れて、男の紫色の瞳を見つめていた。
自分の慄える声が、遠くに聞こえた。
「…ザガート様…」
「エメロード姫を幽閉した私を殺すために、ここに残ったのか?」
冷たい笑顔。
しかし彼女を縛りつけていた恐怖は、遠くへと飛び去っていた。
「いいえ!」
その語調の強さに、より驚いたのは男か、女か。
「私は、ザガート様にお仕えするため、ここに残りました」
男の瞳を直視して、そう答えた。
男は珍しい物を見るように、こちらを見た。
身の程を知らない女だと思われただろうか?
しかし、彼女は導師クレフの教え子。
そして、エメロード姫付きの魔導師。
無能ではないと、自分でも思う。
そしてその自分は、男の目的のために戦いたいのだ。
それがどんな目的であっても。
――便利だと思ってくれればいい。
女を試すように、男は問う。
「何故、私に与することを決めた?」
頬が熱くなるのを感じた。
決意して顔を上げ、言った。
この城に残った以上、もう、未来は定まったのだ。
「ザガート様…私は貴方を…お慕いしております」
一瞬の沈黙の後、男が発したのは、乾いた笑いであった。
「私を慕っているだと?」
乾いた、どこか投げやりな笑い。
“この女は、叶わない恋をした男に恋をし、その男のために勝てもしない戦いに赴くのか”
男はそう思ったのだが、むろん、彼女は気づかない。
「……アルシオーネ、と言ったな」
「はい」
「私に忠誠を誓えるか」
「はい」
「よろしい。今後おまえの未来は、私の手の中だ」
その言葉に、思わず微笑んだ。
それを見、短く微笑み、男が背を向けようとした。
男が一歩を踏み出すのと、女が男を呼び止めるのと、どちらが先立っただろう。
呼び止めたのは、半ば反射的な行動だったかも知れない。
何の見返りもいらない、と思っていた心が、急に波立つ。
“もしも、叶うなら…”
その秘めた願いが、頭をもたげた。
「ザガート様…たった一つだけ、お願いがございます」
「…願い、だと?」
「はい」
低く冷たい声が今更ながら、怖い。
「…聞こう」
――願いはひとつ。
この方はこの願いを聞いてどう思うだろう?
「ザガート様の一晩を、私に下さい」
「…抱けということか」
「はい…」
うまくいけば、気に入られるかも知れない。
心を気に入られるか、身体を気に入られるか――これは彼女にとって大した問題ではない。
ただ、一夜を共にすることを請うことで、男の不興を買うかも知れない。
自分の未来をチップにした、それは大きな賭であった。
数秒の沈黙。
低い声が、ひざまずいた彼女に降ってくる。
「…よかろう」
賭に、勝った。
「ありがとうございます」
彼女の声は、上擦っていたかも知れない。
男は、椅子に腰掛け、考えごとをしていた。
“…ザガート…どうかこんな戦いはやめて…”
泣きながらそう言った、愛しい人の姿が何度も頭の中で再生されている。
「…姫…貴方の幸せを願う私の行為は、貴方を悲しませる一方だ…」
繰り返し浮かぶその姿に、呟く。
愛しい人に、自由に、幸せになってもらいたい。
その願いに、偽りはない。
しかしその為に戦うことは、その女性を苦しめることなのだ。
――では戦いをやめるか?
いや、それではその女性は自由になれない。
いずれにしても、彼女は幸せにはならないのだ。
突きつけられた事実の、救いようのなさが、彼の胸を噛む。
ノックが響いた。
「入れ」
ドアが開く。
寝間着だろうか?
昼間とは違い、白いドレスのような衣服のアルシオーネが入ってきた。
トレイを持っている。
トレイの上には酒の瓶と、二つのグラス。
果実酒のような甘い酒ではない。
琥珀色のその液体は、アルコールを若干多く含んでいるようだ。
気の利いた女だ、と思った。
甘い酒は好みではない。
そして、酔いたかった。
彼が出した椅子に座り、アルシオーネが注意深く酒をグラスに注ぐ。
婉然と微笑んで、グラスを差し出してくれた。
口元だけで笑って、受け取る。
香りの良い酒だ。口をつける。
「いい酒だな」
礼儀半分、本音半分の感想を漏らす。
女も少し飲み、もう一度艶やかな笑みをこぼした。
しばらく、無言で飲んだ。
アルシオーネは、実はそれほど酒に強くないのかも知れない。
白い肌が桜色に染まっている。
軽く目を伏せているため、長い睫毛が、瞳に影をつけている。
佳い女だ、と思う。
一杯目を飲み終えた時、アルシオーネのグラスにはまだ少しだけ酒が残っていた
。
女が二杯目を注いでくれようとしたが、ボトルを先に手をしたのは彼だった。
二人のグラスに、琥珀色の酒を注ぐ。
「ありがとうございます」
いつもより低く甘い声。
先程より頬が紅潮して見えるのは、酒のせいだろうか?それとも――
二人してグラスを傾ける。
口数の少ない男と、何を言えばいいかわからない自分。
ほとんど会話はない。
男の紫色の瞳と端正な容姿。
見とれているうちに、酒を飲む余裕がなくなってきそうだ。
それでも、時折目があった時に、微笑む。
自分の顔立ちを誇示するように。
多少、淫靡に見えても構わない。目を奪うことさえ出来れば。
子供っぽい微笑は自分には似合わない。
強めの酒だ。何倍も飲めるものではない。
吐き出す呼気は既に、アルコールに灼けているように熱い。
二人のその熱い呼気が、触れあう。
次いでそれを吐き出す唇が重なった。
その瞬間、彼女は自分の椅子が、男の隣に引き寄せられていたことに気づいた。
男から仕掛けてきたことに、内心驚いた。
しかし、続きを求めるように、彼女から舌を差し入れた。
内心の動揺は、まだ見せたくない。
わかっている。平静を保つことに意味などない。
相手の平静を乱すよう、駆け引きをしているつもりは、男にはないだろう。
だが、彼女にしてみれば、自分の方法でこの夜を演出するしかないのだ。
二人の同じ色の髪は、抱き合って口づけを続けることで、一つの滝のように混ざる。
唇が離れた時、男が彼女の白い衣服の首を、手前に強く引っ張った。
不思議と身体は引っ張られない。
ボタンなどのない、頭から被って着るタイプの服。
破られてもいない。
なのに、その服は、男の手の中にあった。
下着ごと、だ。
一糸纏わぬ姿にされた身体を隠す暇もなく、思わず目を瞠る。
いったいどうやったのだろう?
「驚いたか?」
どこか、からかうような声。
「脱がせるのは得意ではないのでな」
片腕で、形ばかり胸を隠してみせる。
余裕はないが、自分の演出を続ける。
「私も、脱がされるまでに時間をかけていただきたくありませんわ」
悪戯っぽく微笑む。
そして、胸を隠していた腕をおろす。
見せるために、見せつけるために隠していたのだ。
「ベッドへ、運んで下さいます?」
全裸で広い部屋を歩くような真似はしたくない。
「意外に、せっかちだな」
「ザガート様は、違いますの?」
苦笑して、男が彼女を横抱きにした。
確かに、キスの後すぐ全裸にしたのは彼だ。
広いベッドに横たえられた。
世界の全てが自分の手の中にあるような、勝ち誇った気分だ。
もちろん、まだ何も終わっていない。
この一晩で、気に入られなければ、今夜のことはただの思い出になってしまう。
美しい思い出が作れることは、幸せだと思う。
しかし、満ち足りない。
実際手に入らねば、ただの片思いじゃないかとも思うのだ。
先程と同じように、キスを交わす。
男の長い黒髪を、ヴェールのように纏って交わす口づけに、陶然とした心持ちになる。
覇王のような男に身体を愛される自分。
本当に、この瞬間、誰よりも自分は幸福だと思う。
頬を、首筋を、そして胸元を滑る指が、痺れるような心地よさをもたらす。
アルコールで火照った身体は、火がつく瞬間を待ちわびている。
胸を意外な強さで捏ねられ、吐息が、震える。
声は上げない。
もっと、もっと、強く。その意志表示の代わりだ。
余計な言葉は言いたくない。
意志表示は、正確に男に伝わる。
「足りないらしいな」
低い声。口元に笑み。
本当は、その声が耳元に流れ込むだけで、声を漏らしそうだ。
胸の先端を、強く、指で摘まれる。
「…はぁ…ん…」
甘い刺激。アルコールのためか、意志を裏切って声を漏らしてしまう。
男の手が、感触を愉しむように白い肌を滑る。
胸から括れたウエスト、さらにその下へと。
目を閉じて、その手の感触だけを受け入れる。
軽く開いていた脚の隙間に、手が忍び込む。
触れられることを待ちわびていたそこは、既に蜜で潤っていた。
だが、男はそれをわかっていながら、彼女を焦らす。
手で輪郭を確かめるように、花弁や花芽、そして入り口を指でなぞるだけ。
男の視線に晒された花弁が震える。
それでもなお、男は女にそれ以上与えない。
焦れったいどころではない、気がおかしくなりそうだ。
「…ザガート様…はやく…くださ…」
「…何をだ?」
答えず、彼女は起きあがった。
ゆっくりと、男の衣服が脱がされていく。
既に屹立しているものを、女は心底愛しげに細い指で撫であげ、口づけた。
女が陶然とした表情で、先端を口に含んだ。
技巧的というより、唇と舌を使った、どこまでも丁寧な口技。
口に含まれているのは先端だけなのに、根本に近い場所に、温かく柔らかい感触がした。
手では、ない。
迫力のある胸に、ものを挟んで、手で胸を動かして愛撫しているのだ。
無論、口での行為も続いている。
同時に与えられる二つの快感に、身を委ね、やがて――達した。
飲み込みきれず、女の口の端からこぼれてしまった彼の体液を、彼が指で掬った。
その手を、女が恭しく取り、指についた液を舐め取った。
妖艶に、女が微笑んで言った。
「…次は、私の中にください…」
黙って押し倒す。
先程の続きをするように、濡れた秘所に指を差し入れた。
「…あ…んんっ…」
彼女が声をあげたのを聞き、花芽を指先で転がした。
「…はぁ…ぅ…あ…」
もっと、もっと――…
言葉にならないその思いを読みとったのか、中に入ってきた。
花芽を弄んでいた指ではない。
さっきまで彼女自身が口と胸で愛撫していた、男のものが、突然に。
「――あぁっ!はぁ、んんっ…あ…!」
衝撃と、それ以外の何かに、声が抑えられない。
いや、声を抑えようとする理性が、吹き飛んだのだ。
小刻みに、早く。
ゆっくりと、激しく。
それを繰り返された。
「んく…はぁっ、あっ…」
動きが変わる度に、翻弄される。
高みへ、上って行くのを感じた。
その時――
「―――!!」
上半身を起こされ、より深く繋がった。
対面座位の体勢で、奥を強く突かれた。
「はぁ、あっ、あ…あう…っ」
快楽に酔い、胸を上下に揺らしながら、自らも腰を動かしていた。
中で、男のものが脈打つ。
自分の両脚で、男の腰を強く挟んだ。
一瞬、結合部から頭まで、何かが突き抜けるような感じがした。
翌朝は、いつもと同じようにやってきた。
目覚めた時、女の姿はベッドになかった。
時計を見る。まだ朝早い。
体内時計というやつだろうか?
姫に仕える神官として過ごしていた頃の習慣が、身体に染みついているようだ。
思わず苦笑する。
まだ早いと思いつつも身支度をする律儀な自分に。
思わず苦笑する。
以前と現在の立場の違いにもかかわらず、根が変わっていない自分に。
「どうやら…悪役には、向いていないらしいな」
いつもの自分が、姿見に映る。
黒一色の衣服。やや大げさな装飾。
服装は以前と変わっていない。
ただ、それを見る自分の心が変わった。
以前は、神官特有の、機能性のない服だと思っていた。
現在は、悪役を無理に演じるために纏う、衣装のように思える。
ノックが響いた。
「入れ」
ドアが開く。
これは昨夜と同じだ。
だが昨夜とは違い、昼に見た、身体を強調するような黒い衣服のアルシオーネが入ってきた。
「おはようございます、ザガート様。ゆうべはよく眠れまして?」
「……ああ」
短い沈黙。先に口を開いたのは彼だった。
「お前はどうなのだ?」
「はい?」
「よく眠れたのか?」
女は一瞬表情の選択に迷ったようだが、婉然と微笑んだ。
「ええ。おかげさまで、良い夢を見られましたわ」
「…そうか」
廊下を歩きながら、女が話しかけてきた。
「今日は、新しい部下が来るそうですわね」
「ああ。カルディナという。幻惑士を雇ったのだ」
――夜は夜、朝は朝。そういうものだ。
昨夜の余韻は、どこにもない。
夜の情熱を朝まで引きずる子供ではなかった。自分も、女も。
「アルシオーネ」
「はい」
「…お前は何の報酬も望まないのか?」
沈黙。一瞬、女の表情が翳ったように見えたのは、気のせいだろうか?
「報酬は、昨夜、いただきましたわ」
「……………」
「私の望みは、ザガート様と、一夜を共にさせていただくことでしたから…」
一語一語を、噛みしめるように女が言った。
彼は何も言わず、黙って、頷いた。
抱くことは、彼にとって愛情表現ではなかった。
というより、彼の愛しい姫は、彼にとって性行為の対象ではなかった。
それでも、慕ってくれるその心に報いたことになるのか?
昨日も思った。
“この女は、叶わない恋をした男に恋をし、その男のために勝てもしない戦いに赴くのか”
どこまでも報われない女だ。
その未来を買ったのは自分。
報酬は、たった数時間抱き合うことだけ。
便利といえば、便利だ。
たったそれだけで、命を賭して、魔法騎士の足止めをしてくれるのだから。
心のどこかで、そうは思うが、別の思いも存在する。
「アルシオーネ」
再び、呼びかける。
「はい」
女は、再び、答える。
「また…酒を飲もうか…」
「…はい…」
声が震えていた。俯いていたその表情は、見えなかった。
約束とは言えないその約束は、果たされることは、なかった。
戦いが始まり、二人には触れあう余裕はなかった。
エメロード姫が召喚した魔法騎士と、何度か戦った。
しかし、会うごとに三人は、通常ではあり得ないほどに強くなっていった。
いくら姫に召喚し、導師クレフが導いたからと言って、ここまで非凡なものだろうか。
だが、彼女は勝てなくても戦わねばならなかった。
おそらく、男にとって、彼女は道具なのだ。
では使い勝手の良い道具となって、必要とされ続けよう。そう思った。
それでも、彼女には勝つことが出来ず、もはや足止めをするのにも苦戦するようになっていった。
そして――やがて戦うことも許されなくなってしまった。
役立たずとして殺されなかったのは、男の甘さだったのかも知れないが、彼女には残酷さだと思えた。
アスコット、カルディナが戦いを放棄し、ラファーガが正気を取り戻し、イノーバは消滅した。
そして、ザガートが自ら戦うことになった。
ザガートを含めて、たった六人。
戦う目的も様々だった。
現に、アスコットやカルディナは自分の意志でザガートの陣営に身を投じながら、魔法騎士達と和解した。
精鋭とも呼びがたい六人。
その程度の、薄い陣容だったのだ。
それにも関わらず、ザガートは平然と戦いを続けた。
ふらふらと城を彷徨う。
広い城の一角から、男の低い声が聞こえてきた。
エメロード姫がいる場所だ。
姫の声も、聞こえる。
そっと覗く。
ザガートが傷を負い、それを姫が治癒したらしい。
――何故?
男は姫を幽閉し、セフィーロのために祈ることすら出来ない状況に追い込んだ。
それでも男の怪我を治すのは、いったい何故?
低い声が、聞こえる。
「傷を治癒してどうするつもりですか…」
それを聴いたエメロード姫の瞳から、涙が零れた。
男がその透明な流れを、優しく指で拭っている。
思わず、自分の手を、強く握りしめた。
叫びたいぐらいの激情。だが、実際彼女には立ちつくすことしか出来なかった。
「私は貴方を泣かせてばかりだ。誰よりもその笑顔を望んでいるのに…私は誰よりも貴方を悲しませる存在でしかない…」
普段と違う口数、そして発した言葉の内容。
彼女はそれを聴いて、完全に理性を失った。
魔法騎士討伐に向かう彼に、自分は何を言ったのだろう。
自分で何を言ったのか、覚えていない。
ザガートの想いが、全く自分に向けられていないことはきっと既にわかっていた。
なのに今更、その痛みに彼女は叫ぶ。男を責め立てる言葉を。
ザガートが言った言葉も、全ては覚えていない。
ただ一言を除いて。
「人は自分の願いのために戦う」
これが、彼女が覚えている、男の最後の言葉だった。
その言葉の意味は、彼女には分からない。
ザガートの死、エメロード姫の消滅、セフィーロの崩壊。
全てが彼女の横を通り過ぎていったように思える。
いつしか彼女は、デボネアという存在に、支配されていた。
ただ想うだけで、男の心を射止めた姫に、激しく嫉妬していた心につけ込まれ、支配されていた。
デボネアの意のままに戦った。
彼女は兵士として戦い、ランティスに捕まり、城内に閉じこめられた。
そしてそれ以降は、セフィーロとデボネアのいる場所を繋ぐ、橋として存在した。
そう、捕まることも、デボネアの計算だったのだ。
その状況の全てを、彼女は受け入れた。
セフィーロが崩壊する。
国土は、城を残して、ほとんどが消滅した。
傍らにいるプレセアが、導師クレフと何か話している。
「そのお体で、魔法を使うなんて!」
必死で制止している。
その他にも何か言っていたが、彼女は聴いていなかった。
プレセアが振り返る。流れる涙を拭おうともせず。
彼女に言う。デボネアの居場所を教えて、と。泣き叫ぶように悲痛に。
そっと、プレセアの胸に、手をあてる。
心を読む。
「貴方、プレセアじゃないわね?」
プレセアには双子の妹がいる。そう聞いたことがあった。
プレセア――いや、シエラは、先の戦いで命を落とした姉の身代わりをしていたのだ。
魔法騎士達やアスコットを悲しませないため。
導師クレフの側にいるため。
――全ては、自分の好きな人のため――。
あの時、男は言った。
人は自分の願いのために戦うのだと。
長い間、その言葉の意味がわからなかった。
姫を柱という重責から解放したいがために戦った男。
それは「自分の願いのため」ではなく、「姫のため」ではないのか?
だが今、彼女は男の言葉の意味を知ったように思う。
クレフに寄せる想いが実らなくても、自分を捨てて、姉・プレセアとして生きることを選んだシエラ。
別に自分達に関係のないはずの国を守るため、強大な敵と戦う魔法騎士達。
自分の想いの強さ故に、たとえ辛くても戦わずにはいられなかったのだと、感じた。
――ああ、こういうことだったのか…
雨が地面に染み込むように、ごく自然に、愛した男の言葉を理解した。
意を決して、このセフィーロで彼女だけが知っている秘密を告げる。
「…デボネアは…」
黒い闇が、身体を――首さえも――締め付ける。
だが、早く告げなければ。
ほとんど呼吸音に近い声を、絞り出す。
「…デボ…ネアは…」
長い髪の魔法騎士が、彼女を助けようとして闇に弾かれた。
腕に怪我を負ってしまったが、それでも構わず、助けようとしてくれる。
早く、彼女の願いのためにも、デボネアの居場所を告げなければ。
最後の力を解放する。
闇が、一瞬だけ晴れた。
「…デボネアは……セフィーロの裏に……」
四散したはずの闇が、また彼女を襲う。
――言えた…。
シエラと、二人の魔法騎士が泣いている。
苦しいが、笑顔を向けた。
「…私が決めたことよ…泣くことはないわ…」
心底、満足だった。
虚空に手を伸ばす。
ようやく、愛した男の言葉を理解出来たのだ。
雲の隙間に、青空を見たような、そんな気分だった。
たった一度だけ抱かれた時と、今の自分が同じような服装をしているささやかな偶然に、彼女は気づいただろうか。
「…ザガート…様……自分で決めた最期です…誉めて、くださいますか……?」
死後の世界でも、きっと会うことはない。
愛する姫と幸せに暮らしているだろう男に、会いに行くつもりはない。
ただ、もし許されるならば――生まれ変わったら、また、お仕えしたく存じます――貴方の側にいたい、私の願いのため。
心にそう、呟いた。
虚空に伸ばした手が、腕が、そしてやがて全身が、闇に溶けていった。
********** fin