「美味じゃ!」  
 
「やっぱりフウの煎れた茶は美味いのう!」  
少女は満足気に顔を綻ばせて紅茶を啜っている。  
「まあ、そう言って頂けて嬉しいですわ」  
 
 
(どうしてこうなるんだ…!)  
和気藹々とお茶を楽しむ少女たちを横目にフェリオは内心で叫び、ぐったりと肩を落とした。  
彼女たちの住む『地球』での休みに合わせてセフィーロに訪れて来る少女たちを、城に住む誰もが心待ちにしていた。  
それは勿論フェリオとて例外ではない。  
只でさえ異世界という距離に阻まれ、会うことすらままならない恋人との久方振りの逢瀬だ。  
散策中に見つけた綺麗な花畑に案内してやろう、とか、精獣に乗って生まれ変わったセフィーロの空を2人で飛んでみようか、とか、彼なりにささやかな計画だって立てていた。  
 
…のに。  
(よりにもよって何でこんな時に来るんだ!)  
視線の先で愛しい人と仲睦まじくお茶会を開いているのは、ファーレンの姫君(とお付きの少年)。  
先の柱を巡る戦いで争いあった国ではあるが、今ではすっかり友好を結ぶ間柄だ。(オートザム・チゼータも同様だ)  
その姫君によれば今回の訪問の理由は「皇女としてもっと見聞を広めたいのじゃ!」……という至極私情めいたことだった。  
 
大方それを理由に遊びに来たに違いない。姫君とてまだ子供、周囲の苦労が取って分かるようだった。  
そんなこんなのタイミングで異世界の少女たちが訪れ、風を姉のように慕っていた姫君がこの機会を逃す訳もなく、フェリオの恋人との逢瀬を楽しむ計画は頭から失敗に終わっていた。  
 
「あの…」  
服の裾をくい、と引かれ、フェリオが視線を向けた先にはファーレンの姫君のお付きの少年…サンユンが、申し訳なさそうに口を開いていた。  
「すみません、アスカ様が…」  
姫君がずっと風にべったりなのを気にしているらしく、うなだれている。  
しまった、不機嫌な顔でもしてしまっていたんだろうかと、慌てて笑顔を浮かべた。確かに面白くはないが、子供相手に怒ることは流石に大人気なさすぎる。  
「大丈夫だよ、気にすることじゃないさ」  
 
そう、気にすることじゃない。風に会いたいと思うのは自分だけではないのだ。  
視線を2人に戻すと、相変わらず楽しそうに話し込んでいる。子供らしく親愛の情を全身で表して甘えるアスカに、風の視線も限りなく優しい。まるで本当に姉妹の様にも見える。  
それなのに。  
微笑ましいその情景にも、フェリオの胸はチリ、と疼いた。  
「悪い、ちょっと用事があったんだ。失礼する」  
なるべく場の雰囲気を壊さないよう自然な声色で声を掛け、椅子から立ち上がるとフェリオは部屋を後にした。  
 
 
(ああ、格好悪…)  
城の中庭の奥、お気に入りの昼寝スポットの木の上でフェリオは盛大なため息をついた。  
子供相手に、嫉妬だなんて情けない。  
自己嫌悪に身を焦がされながら視線を遠くへと流す。こうして風景を眺めるのがフェリオはとても好きだった。  
新たな柱を巡る戦いに幕が引かれ、セフィーロには穏やかな平和が訪れた。  
かつての荒れ果てた荒涼の大地は今は見る影もなく、青々とした木々や花により生まれ変わった大地が広がっている。  
エメロード姫の作り上げた美しくも悲しい世界とは違う、新しいセフィーロ。  
 
「姉上…」  
 
幸せだと。  
ありがとうと言った。  
(姉上、俺は……)  
 
ガサッ。  
突然耳に飛び込んできた物音に、フェリオの意識は現実へと引き戻された。  
音の出所はこの木の下方からで、フェリオは青々とした葉の間から様子を伺う。こんな城の奥まった場所に誰かが来るとは思えない。何よりここはフェリオの秘密の昼寝スポット、知られては色々都合が悪すぎるのだ。  
 
葉の合間から、金色がちらりと見えた。  
「!」  
その色を自分が見間ち違える筈がない。  
「フウ」  
思わずこぼれた声に、金色がふわりと反応して揺れた。  
 
「こんなところにいらしたんですね、フェリオ」  
木の下で立ちすくむ風は、怒っているような、困ったような、そんな表情でこちらを見上げていた。  
「突然席を立ってしまわれて、驚きましたわ」  
「…ファーレンの姫君は」  
「アスカさんたちなら、先程お帰りになりました。チャンアンさんがお迎えにいらっしゃって」  
フェリオの言葉を遮る様に風が言葉を続けた。  
「アスカさんが、あなたに『ごめんなさい』と」  
ああ、やってしまった。  
フェリオは右手で顔を覆い、もう一度ため息をついた。顔が熱いのは、きっと気のせいなんかじゃない。  
「バレてたのか…」  
子供に気を使われては、立場も何もあったもんじゃない。何より、恥ずかしい。  
1人木の上で悶絶するフェリオをきょとんと見上げていた風が口を開く。  
「もう、なんですか?」  
何がなんだか分からない、といった表情の風に、フェリオは降参だと言わんばかりに両手を挙げた。  
「まったく、お前には叶わないな」  
「え?」  
状況を理解していない様子の風に向かってフェリオは笑って手を伸ばす。  
「俺のとっておきの場所なんだ。おまえにだけ、教えるよ」  
「…はい」  
陽の光に反射して、風の指にはめられたリングがきらりと光るのが見えた。  
 
 
「本当に綺麗ですわ…」  
フェリオの手を借り、見晴らしの良い場所までたどり着いた風が感嘆の声を挙げた。  
人間の何倍もあるであろう太くしっかりとした枝に腰を降ろし、並んで辺りを見回す。  
「俺の秘密の場所なんだ。昼寝にも丁度良い」  
「お仕事の途中で抜け出したりはしていらっしゃいませんよね?」  
「……導師に聞いたのか?」  
「皆さん仰っていましたわ」  
痛いところをつかれた、と肩をすくめるフェリオに風はくすりと笑みをこぼした。  
「本当にセフィーロは綺麗な国ですわね」  
心地よい風が頬を撫でていく。  
「おまえたちのおかげだよ」  
フェリオは柔らかな金の髪を梳き、頬に手を添えた。  
 
「おまえたちがこのセフィーロと…」  
 
「姉上を、救ってくれた」  
 
いくらエメロード姫の願いと言っても、彼女は幸せだったと言っても、この優しい少女たちは今でも心を痛めているのだだろう。悲しい、たったひとつの願いの為に。それでも。  
「俺は、おまえに会えて良かった」  
その気持ちに嘘はない。  
「フェリオ…」  
セフィーロの木々と同じ緑の瞳から、涙がひとしずく、流れて落ちた。  
「わ、悪い、また泣かせちまった…」  
慌てて涙を拭ってやると、風が静かに顔を振る。  
 
「フェリオ」  
涙で濡れた目で、それでもしっかりとフェリオを見つめ、風は言葉を紡ぐ。  
「私も、あなたと会えて、良かっ…」  
そこまで言い掛けた所で暖かな柔らかい感触に唇を塞がれ、最後の言葉は吐息に消えた。  
 
 
「ふ……っ、…ン」  
啄むような口づけは徐々に深くなっていく。小さな顎に手を添え、酸素を求めて薄く開いた瞬間を見計らって歯列をなぞっていた舌が口内へと滑り込む。  
何度口づけを交わしても、風のぎこちなさは変わらない。必死に応えようとする姿にフェリオの口元が緩んだ。  
舌を絡め取ると、風の体がびくりと反応する。構わず更に深く貧ると、徐々に強ばった体の力が抜けていくのが伝わってくる。存分に柔らかな唇の感触を楽しんだ頃、流石に息苦しさを訴えて風の手がフェリオの胸を叩いた。  
名残惜しくもゆっくりと唇を離すと、上がった呼吸を整えようと奮闘しながら風が涙目で見上げてくる。  
 
「もう、いきなりは驚きます…っ」  
「じゃあ、言った方が良いか?」  
「え」  
「キスしてい「いいい言わなくて結構ですわ!」」  
真っ赤になって反論する風を抱きしめてフェリオはくっくっと肩を震わせた。  
「可愛いなあ本当に」  
「かっ、可愛くなんて…ひゃっ!」  
耳を甘噛みされて、風は小さく声を上げた。暖かい湿った感触になぶられ、ぞわりと身体に刺激が走る。  
「や…っ、フェリ、オ、…んぁ」  
必死に甘い刺激から逃れようと身体を捩るも、男の人の力にかなう訳もない。  
「こんな場所で…ひゃ、だ、駄目です……っ」  
「誰も見てないけど?」  
「…ちが、ぁっ、は……あぁっ」  
びくびくと身体を跳ねさせ、這い上がってくる様な波にひたすら耐えている。  
「お、願い…です……あぁっ!」  
訴えるような声色に、フェリオがやっと唇を離す。  
「今日のあなた、少し変です…っ」  
潤んだ瞳も乱れた息も、男を煽るものでしかないというのに。  
しかし、おびえたような色を写した瞳に、頭が徐々に冷静さを取り戻していく。  
怖がらせたいわけじゃない。悲しませたいわけでもない。  
ただ、俺はおまえが。  
「……さっき」  
「え?」  
「俺、なんか悔しくてさ。ファーレンの姫君におまえを取られた様な気になって」  
 
バツが悪そうに目を逸らして呟く。  
「子供に相手に格好悪いよな…」  
風は何も言わずにただフェリオの言葉を静かに聞いている。  
感情の読みとれない表情にますますいたたまれなくなり、フェリオは矢継ぎ早に言葉を続けた。  
「おまえの気持ちも考えないであんな事して、悪かった。ただ、俺は…「私は!」」  
突然言葉を遮られて、目を見開いた。  
「私は……嫌では、ないんです」  
ともすれば聞き逃してしまいそうな程に消え入りそうな小さな声で、風が呟いた。  
「…へ?」  
間抜けな声を出してしまったフェリオは慌てて口を手で覆う。が、風は気にした様子もなかった。  
「ですから!私が言いたいのは……」  
伏し目がちに頬を染めて言い淀む姿に目眩を覚える。何気ない仕草がどんなに気持ちをかき乱すか、おまえは分かってないんだろうか。  
言葉を待ちながらそんなことを考えていると、意を決した様に風が顔を上げた。  
 
「こんな場所で、もし落ちたらどうするんですか!」  
 
「あっはは!」  
一時の間の後、フェリオは声を上げて笑った。  
「わ、笑わないでください!」  
 
本当に、おまえにだけは叶わない。  
 

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