ふわり。  
磨かれた石の床に降り立つ。  
 
そして3人で顔を見合わせて、少し照れ笑い。  
思い思いの方角――それぞれの想う相手の元へと歩き出す。  
それはいつもの儀式だった。  
 
異世界。  
彼女達が訪れたのは、本来彼女達が属していない世界。  
「ここに来ることは正しいのか」  
心の底に押し込め、目を向けないようにしているが、確かにあるその疑念。  
この世界が彼女達を受け入れているからといって、正しいとは限らないのだ。  
 
その小さな、しかし重い疑問を振り払うようにして、彼女は歩き続ける。  
廊下の角を曲がったところで、少し歩調を緩める。  
そして自分の服装を確認する。  
淡いスカイブルーのカットソー、軽い素材を重ねた白いミニスカート、春物の白いブーツ。  
「変じゃないわよね?」  
小さく呟く。  
 
少し歩くと、見覚えのある人物が中庭を挟んだ廊下を歩いているのが見えた。  
大きな帽子、白い長衣。  
明るい茶色の髪。  
ごく若い召喚士。  
――彼女の恋人だ。  
 
素直に駆け寄らず、早足で近寄る。  
気配に彼が振り向く。  
「こんにちは」  
いつもの笑顔を彼に向けた。  
そしてゆっくり、並んで歩き出す。  
 
「アスコット」  
横合いから、声が掛けられた。  
召喚士であろう。アスコットと似たような服装の、初老の男がそこにいた。  
「…コレオス様」  
意外そうに、アスコットが男の名前を口にした。  
コレオスと呼ばれたその人物は、海のことを珍しそうにちらりと見た後、アスコットに告げた。  
 
「コルベット様がお呼びだ」  
「…え…?」  
その瞬間のアスコットの表情は、どう見ても職員室に呼び出された子供のそれだった。  
可愛い、とは口に出さなかったが、内心こっそり笑っていた。  
 
海が呼ばれたわけではないが、アスコットと一緒に、コレオスの後について歩いた。  
大きな扉の前で、程なくコレオスは立ち止まった。  
中にいる人物がこちらの気配を察知して開けたのだろうか。  
観音開きのドアが、重々しく開いた。  
 
部屋の中は、古風な社長室といった様子だった。  
大きな机と椅子。  
そして応接セット。  
しかし地球の執務室にはないものがあった。  
中央の広い空間、床に大きな魔法陣。  
 
机の前に男性が座っていた。  
長身の美丈夫。  
赤みがかったダークブラウンの髪を、後ろで雑に結んでいる。  
 
召喚士のようだが、帽子も、肩のあたりを一周する召喚士特有の飾りもつけていない。  
長衣は羽織っただけ。  
ペンダントと、腰に二連のベルト。  
ベルトに剣を挿している。  
外見年齢は、ランティスと同じくらいだろうか。  
「失礼致します」  
アスコットが一礼した。  
声のトーンやその動作には細心の注意が払われている。  
それを感じ取って、部屋の主の地位の高さを、海は想像した。  
 
しかし。  
「まあ入って座れよ」  
ごくカジュアルに、その男性――コルベットと言ったか――は言いながら、ソファに自分も腰掛けた。  
 
(どこに座ればいいのかしら?そもそも座っていいのかしら)  
ほんの少し、海が迷う。  
彼女の右手にアスコットが目立たぬように軽く触れた。  
彼の方を見ると、座る位置をさりげなく指し示してくれた。  
大人しく、アスコットの左に着席する。  
給仕らしき子供が、ティーカップを全員の前に置き、退出した。  
 
アスコットが用件を訊くより早く、男性が口を開いた。  
「ああ、このお嬢さんにも聞かせて大丈夫か?」  
まだ何の話もしていないのに、何を言い出すのか。  
この話し方に慣れているのか、意外にも表情一つ変えずに、アスコットが言う。  
「コルベット様がよろしければ」  
珍しく少し刺のある口調。  
一瞬、緊張が走る。  
が、その次の瞬間、コルベットがからりと笑った。  
「まあ別にいっか。お嬢さんにしてみりゃ、どうせ会ったこともねえ他人の話だしな」  
話し方自体はオートザムのジェオに少し似ている。  
しかしもっと癖のある人物であることは、この時点で海にも分かった。  
 
「こないだの模範試合ん時のルーテシアの件だ。…お前も災難だったな」  
何の話だろう?  
「先日はコレオス様がおられたので、助かりました」  
静かに、アスコットが答え、コレオスに頭を下げた。  
 
話は続く。  
「まさかあんなことをしちまうとは誰も思ってなかった」  
「……………」  
「コレオスが治癒させたとはいっても、結構遅れた。怪我はもう大丈夫か?」  
「はい」  
どうやらその模範試合で、アスコットは周りが心配する程の傷を負ってしまったらしい。  
海は先程以上にアスコットの表情を注視する。  
どのような辛さも見逃すまいと。  
 
コレオスが弱りきったように頭を振る。  
「ルーテシアがあのような真似をするとは思わなんだ……」  
アスコットが無言のまま、左手を強く握るのが彼女の目に映った。  
 
同じように、コルベットもアスコットの様子を見ていた。  
そのコルベットの視線を見て、海は思う。  
(もしかして、この人はアスコットのことを可愛がってるのかしら)  
 
陽気にコルベットが言う。  
「何であんなことがあったと思う?  
あんだけの目に遭ったんだ、本音言っていいぜ?ルーテシアにでもコレオスにでも、俺にでも」  
「……………」  
なお沈黙しているアスコットに、畳みかけるようにコルベットは言う。  
「言っちまえよ」  
 
一瞬躊躇した後、真っ直ぐコルベットを見て、アスコットはようやく口を開いた。  
「現在のセフィーロで、緊急のために魔獣や精獣などを召喚することはありえません。  
この状況では召喚士としての地位は普通上がらないでしょう。  
召喚士の能力自体が、あまり必要とされませんから」  
コレオスが理解の表情を浮かべ、頷いた。  
「…要は、ルーテシアは功を焦ったというわけか」  
 
アスコットに勝たなければならないと焦った、ルーテシアという人物。  
そして無理な召喚を行い、魔獣を暴走させ、アスコットに怪我を負わせた。  
今回の事故の原因として、それはありえなくはない。  
コレオスはそれで納得したようだった。  
 
だが、コルベットは納得していなかった。  
「本気でそう思ってねえだろ」  
アスコットを睨み付ける視線、先程よりも低い声。  
「確かにあいつは地位も望んでるようだったさ。  
だが試合で使う魔獣は一体だけだろうが。  
四体も出してくるのは、焦って暴走した結果だと本気で思ってんのか?」  
迫力は充分だったが、アスコットは視線を逸らさずに言った。  
「それ以外の答えを、望んでいません」  
それ以上、コルベットも追及できない。  
 
しばらくして、コルベットが言葉を発した。  
「で、処罰はどうする?」  
処罰。重い意味を持つ言葉だが、アスコットが即答する。  
「望んでおりません」  
しかしコレオスが横から言う。  
「信賞必罰は基本。お主も忘れたわけではあるまい?」  
少しの逡巡の後、アスコットが言った。  
「罰は、同じ事を繰り返さないために与えられるものであるべきです。  
今回の件で、特定の個人への処罰は望んでおりません。  
平常心で対等な力を持つ者同士だけがぶつかれば、試合で同様のことは起きないはず」  
「殺されかけた身でよくもまあ、そんなことが言えるよな」  
「……………」  
コルベットはアスコットの感傷じみた、あるいは子供っぽい正義感を、暗に咎めたのだ。  
それはこの場にいる全員が感じ取った。  
「最後の一体なんて、お前が魔法で吹っ飛ばす羽目になったらしいじゃねえか」  
「……習っておいて助かりました」  
それを聞いて、コルベットが苦笑した。  
「まあいいや、処罰は軽めにやっとくさ。ルーテシアも抜け殻になってるしな」  
アスコットが立ち上がり、一礼する。  
海も慌ててそれに倣うが、コルベットは笑って言った。  
「お嬢さんは頭下げんでいい、退屈な話聞かせて悪かったな」  
「いいえ」  
海もつられて笑顔で言った。  
 
身振りで海に先に歩くように促すアスコットに、コルベットが言葉を投げた。  
「お前、あの女振ったから殺されかけたんだって、気付いてんだろ」  
適切な言葉を返せず、無言のままアスコットはもう一度頭を下げ、ドアへと歩いた。  
退出する直前、コルベットがまた声を掛けた。  
「なあ、もう一つだけいいか?」  
「はい」  
「試合とか…馬鹿馬鹿しいよな。  
力を与えてるっつっても、結局は使ってる魔獣の強さだろ?」  
「…では何故、定期的に試合があるのでしょう?」  
コルベットは答えず、さらに問いを重ねた。  
「なあ、召喚士の強さって、何だ?」  
 
魔獣や精獣を召喚し、それに力を与えて使役するのが召喚士の戦い方。  
では強さとは、魔獣や精獣の力ではないのか?  
子供じみた、しかし召喚士である以上は誰もが抱く疑問。  
真っ直ぐにコルベットの方を目を見つめ、アスコットは即答した。  
「何者であっても、強さの意味は同じ。  
願いを叶えられる可能性の高さです」  
 
そして退出し、歩き出した。  
皆はきっと、そろそろ庭にいるだろう。  
アスコットもそちらへ向かおうとしていた。  
だが、海はとてもそんな気分になれなかった。  
心が波立っていた。  
(ルーテシアって女性だったんだ…しかもその人がアスコットを殺そうとしたの…!?)  
途中でアスコットの腕を引っ張り、歩く方向を変えさせた。  
強引な進路変更にアスコットが驚く。  
 
人気のない廊下の途中で、海は立ち止まった。  
何が何だかよく分からないが、アスコットは何も訊ねない。  
コルベットの部屋で聞いた話が、彼女を不機嫌にさせていることは明白だったから。  
 
案の定、彼女は言った。  
「ルーテシアって人のところに連れて行って」  
「行かない」  
分が悪いことは承知していたが、彼は拒否した。  
彼女の命令や依頼を拒んだことなんて、もしかしたら初めてではなかったか、と、ちらりと思った。  
「なんで行きたいの?」  
「決まってるじゃない!アスコットを殺されかけたのよ!?」  
「殺されかけたのは僕だよ、ウミじゃない」  
「でもアスコットは何もしないんでしょ!?処罰も望まなかった!」  
激しい口調。  
女性への怒り以上に、罰しないという彼への怒りが強かった。  
そしてそのことは、アスコットも察していた。  
 
「連れて行きなさい」  
彼女が再度言う。  
苛立つ。  
彼女の怒りが、ルーテシア以上に自分に向けられている状況は、あまり気分のいいものではなかった。  
 
強く、彼女の手首を掴んで、壁に押しつけた。  
その強引な行為に、彼は自分でも驚いたが、止められそうになかった。  
後で確実に後悔することも分かっていたが、それでも。  
 
突然のことに、海も驚いて声を出せない。  
「な、なに……っ!」  
何かを言おうとしたが、その唇が塞がれてしまう。  
深くなってくるキス。  
手首を掴んでいた彼の左手が、今は彼女の背にある。  
そして右手は彼女の頭を支えている。  
こんな時でも、なんとなく丁重だった。  
ぼんやりと思う。  
彼がルーテシアを罰しないのは庇いたいのではなく、引き金を引くのが怖かったのと、一種の同情ではないかと。  
理解が怒りを解いていく。  
そっと、キスに応えるように、舌を差し出した。  
 
頭がくらくらする。  
ようやく離れ、呼吸を整える。  
そっと、右手首を掴まれた。  
そこには先程強く掴まれた跡があった。  
顔を上げると、その痕跡を見て表情を曇らせる彼が見えた。  
一瞬、可愛いなと思った。  
しかしその赤紫色になってしまった手首に彼が口づけるのを見て、身体が熱くなった。  
目を閉じた切なげな表情、温かな感触。  
妙にエロティックに思えた。  
 
内心の欲情を隠して、精一杯からかうような声を作ってみる。「ちょっと悪いことしたなって思ってるの?」  
「……………」  
こくりと彼が頷く。ばつの悪そうな表情。  
嬉しくなって彼の首に両腕を回して、彼女は言った。  
「じゃあ、…もっと」  
――強く、抱きしめられるのを感じた。  
丁寧なキス。  
触れる程度だったそれは、眩暈がする程に激しくなっていった。  
 
人気のない廊下。  
彼女は壁を背にしている。  
次第にその壁に凭れるように、彼女が背を預け、彼を引き寄せていく。  
彼女の手が、彼の髪を探るように梳く。  
金属の飾りのついた帽子が、硬い音をたてて床に落ちた。  
その音に目を覚ますように、二人はようやく離れた。  
 
小さく吐息を漏らして、彼女は言った。  
「部屋で、続きして」  
美しい恋人が潤んだ瞳が見つめる。  
おそらく彼でなくとも抗えない誘惑。  
 
少しだけ歩く。  
今度はそっと、その手を取り合って。  
なんとなく、二人は無言だった。  
身体の中で、くすぶっている熱だけを共有していた。  
 
(え?)  
彼女の見たことのない場所で、アスコットは立ち止まった。  
ドアを開く。  
彼女が何度か入ったアスコットの部屋より、広い。  
二部屋が繋がっている、小さめのセミスイートのような場所。  
しかしここはどうやら、現在アスコットが使っている部屋らしい。  
飾り気のない、大きな本棚が一つ。  
大きな金属の箱には、大量の巻物が立てられている。  
カップボードと応接用のソファもあった――コルベットの部屋にあったものほど豪奢ではないが。  
「部屋、変わったの?」  
その問いにアスコットが苦笑いする。  
「前の部屋、広場の隣だったから、試合の時に壁が壊れたんだ。  
術者用の部屋でもなかったから場所変われって言われたし」  
 
ふと、彼女は思い出して、ソファに腰掛ける。  
先程のコルベットの部屋で座ったのと、同じ位置に。  
そして、傍らをぽんぽんと叩き、同様にアスコットにも座るように促した。  
素直に座った彼の頬に口づけた。  
軽く驚いたように彼女を見る彼に、彼女は言った。  
「――さっき、かっこ良かった」  
首を傾げて、彼が問う。  
「何が?」  
その所作に微笑んで、彼女がさらに言う。  
「強さは願いを叶える可能性の高さだ、って」  
「力は、願いを叶えるために身につけるものだよ」  
彼の信念、というよりも一般常識のようにきっぱりと彼が言った。  
そうかもしれない、と彼女は思った。  
願いがあるから、強くなれた。  
剣や魔法だけじゃない。  
きっと権力や財力を人が欲しがるのも、願いを叶えるため。  
そして力は、願いを見誤らない人間に与えられるもの。  
 
「アスコットの願いは、何?」  
その問いに、当然のように彼は答えた。  
「失わないこと」  
何を、とは彼は言わなかった。  
彼女も訊ねなかった。  
彼が失いたくないものの、少なくとも重要な一つが彼女であることは明白だった。  
この人はきっと、もっと強くなる。  
その確信ごと、両手で彼を抱きしめた。  
さらり、と髪を撫でる彼の手が心地良かった。  
顔を上げて、目を閉じる。  
優しいキス。  
一度離れる。  
部屋に入ってから忘れていたはずの熱が、鼓動を速くする。  
もう一度、キスを交わす。  
今度は暫く離れず、互いを求める。  
 
この国の衣服は複雑にできている、と海はいつも思う。  
自分の服と同じくらい簡単だったら、もう今頃は素肌に触れているのに。  
実際、服はそのままだったが、彼の方は彼女の背に直接触れている。  
ふと、背中が軽くなった。  
彼の右手が簡単にブラのホックを外したのだ。  
そっと手が胸に触れる。  
「……ん…」  
物足りないほど優しい手つき。  
それでも期待で集中していたためか、声が漏れる。  
座っている彼の、頭を抱く。  
ソファに右膝をつき、左脚は床についた、半端に立ち上がっているような状態で。  
服がたくし上げられる。  
胸の先端に唇が触れる感触に、目を閉じた。  
緩やかに舌でなぞられる。  
「はぁ、…ん、あ…」  
先程、廊下でのことを思い出す。  
手首に口づけた彼の表情を。  
あの表情で、自分の胸を愛撫しているのだろうか。  
もっと。もっと。もっと。  
彼女は心の中で唱え続ける。  
身じろぎした時、既に下着が濡れていることを自覚した。  
羞恥に彼女が震える。  
彼の唇が胸から離れた。  
 
ごく軽く、彼は右手の指先を触れさせる。  
彼女の左膝のあたりに。  
自分の髪に、彼女の指が絡められるのを感じた。  
なぞるようにして指を動かす。  
やがて、彼を受け入れることさえ出来るほどに濡れたそこに、指先が触れた。  
そっと前後に指を動かす。  
「ん…」  
下着の上から触れているのだが、普段とは違い、下着自体が彼の動きに付いてくる。  
滑るほどに、内側が濡れてしまっていることを、彼に知らせていた。  
中に指を忍ばせる。  
「…っ…はぁっ…」  
中指に、とろりとした感触がまとわりつく。  
その指で最も敏感な部分に触れる。  
天井を仰いで、彼女が声を上げる。  
彼女の内腿に透明な液体が一筋、ゆっくりと流れる。  
「あ…あっ…んっ…あっ…」  
快感のあまり、彼女の膝が震える。  
それを見て、彼は右手を離し、彼女を抱き寄せた。  
 
沸騰しそうな快感から突然放り出されて、混乱した。  
温かな彼の腕の中、ようやく彼女は声を絞り出した。  
「…なに?」  
苦笑して彼は言った。  
「転ばせてしまいそうだったから」  
その言葉を聞いて、彼女は笑みを零す。  
こんな時まで、彼は気を遣ってしまうらしい。  
グリーンの瞳を見上げて、彼女は誘う。  
「ベッドまで、連れて行って」  
彼の首に捕まると、ふわり、と身体が浮いた。  
(お姫様抱っこ、こんなに簡単に出来るんだ…意外に力あるのね)  
二部屋が繋がったようなこの空間。  
先程までいたのが、来客用という位置づけなのだろうか。  
運ばれたこの部屋が、寝室らしい。  
そう思っている間に、彼女の身体はベッドに横たえられる。  
 
彼に手を伸ばし、肩にある飾りだけはなんとか外せた。  
対照的に彼は、ごく簡単にカットソーもスカートも脱がせてしまう。  
癪に触ることではあったが、何も言わずに自分のブーツを脱ぎ、床に落とした。  
両腕を彼に伸ばし、要求する。  
「全部、脱がせて」  
ホックが外れたままのブラが、肩から滑り落ちる。  
もう役に立たなくなったショーツも抜き取られた。  
「自分だけ全部着てて、ずるいわ」  
小さく彼女が呟く。  
何それ、と言わんばかりの表情で、彼が彼女を見る。  
脱がせて欲しいと言ったのは、彼女の方なのだ。  
 
言葉の選択に困って、結局彼は何も言わず、彼女の言葉に従う。  
右手で右肩あたりの布を掴み、強めに引っ張る。  
今度は海が驚く番だった。  
彼の右手に、先程まで着ていた長衣があった。  
無論、破れてはいない。  
触れてもいないのに、長衣の上に締めていたベルトも下に落ちていた。  
(何かのマジックみたい…)  
「私の服は、そんなふうにしないのね」  
「人にするのは、なんか違う気がする」  
「そう?」  
「…理由はないんだけど」  
そういえば何故だろう、と首を傾げる。  
 
(やっぱり可愛いな)  
彼のそんな仕草を見て、心底そう思う。  
思いながら、インナーをまだ着たままの彼を引き寄せる。  
優しいキスが降ってくる。  
 
グリーンのピアスが付いた彼の耳に、唇を寄せて囁いた。  
「全部脱いで…続きして」  
頬に口づける。  
もう一度、唇にも。  
そしてまたキスを繰り返す。  
少しずつ、互いの温度を上げていく。  
呼吸が速くなる。  
衣擦れの音が、かすかに聞こえた。  
(あ、さっきと同じ方法使って脱いだんだ…)  
彼女の手がようやく彼の素肌に触れる。  
 
彼女の長い髪が、顔にかかっている。  
片手でそれを払う。  
いつ見ても美しく真っ直ぐなその髪を、寝癖を作っては濡らす羽目になる彼は不  
思議に思う。  
紅潮した頬に触れる。  
自分の手も温かいはずなのに、彼女の頬が熱くて、彼は驚く。  
 
首も、肩も、胸も、現実味がないほど滑らかだった。  
彼はいつも思う。  
何度こうやって抱き合っても、彼女は変わらない。  
いつ見ても、この細い身体は美しくて、どこか清らかだ。  
悪いことではないのだろうが、心のどこかで、彼女の何かが彼によって変わるの  
を望んでしまう。  
 
 
胸に触れる彼の手が、温かい。  
「…ん、…もっと…」  
もっと、壊れるほど乱暴に触って欲しい。  
彼に手を伸ばす。  
いつもこうしている気がする。  
自分から手を伸ばして、求めている気がする。  
求めさせる術を、彼女は知らない。  
彼の唇が胸に触れる。  
自分では得られない感触に、息が荒くなる。  
「ん…、はあ…あっ、…あ…」  
彼の髪に触れていた指に、ぎゅ、と力が入ってしまう。  
引っ張られて痛かったのか、こちらの反応を気にかけたのか、彼が顔を上げて、  
こちらの瞳を覗く。  
 
早くこの人が欲しい、と身体の一点が疼く。  
何も入っていないのに、締め付けるように動いてしまう。  
締め付けた途端に、彼の侵入への期待が、蜜になってそこから零れるのが分かっ  
た。  
そんな状態が悟られそうで、強く目を閉じる。  
みっともなく懇願するような真似はしないが、彼の右手に自分の左手の指を絡ま  
せ、誘う。  
ウエストのあたりで、手を離した。  
何も言わない。  
 
その位置からそっと、彼が指先を動かす。  
そして蜜を零しているそこに触れた。  
彼が小さく苦笑するのが分かった。  
「何よ」  
見事に赤くなった彼女の頬にキスを落とし、耳元で言う。  
「待たせたかな」  
「…そうよ、だから…もっと」  
 
濡れた指で、全体をゆっくりなぞる。  
熱を持ったそこの感触に、彼自身も熱くなっていく。  
花芽に触れると、彼女の身体が跳ねる。  
そのまま、ごく弱い力で擦る。  
「…あ…んっ…はぁ…」  
数回繰り返すだけで、そこが堅くなり、彼の指から逃げようとする。  
いつの間にか薬指まで一緒に濡れてしまっている。  
中指と薬指で挟むようにして、上下に動かす。  
「ゃ…っ、あ、あん…」  
声が少し高くなる。  
痛ませているような気がして、動きを弱める。  
が、彼女が無意識に腰を浮かせ、軽く動かしている彼の指に、擦り付けるように  
動かすのに気づく。  
表情を伺っていた視線を、手元に転じる。  
言葉を失うほど、淫靡な光景だった。  
開いた淡紅色の花弁を蜜に濡らして、同じもので濡れた自分の指に、堅い感触の  
小さなものを擦り付けている恋人の姿。  
一瞬見とれてから、手を離した。  
彼の手を引き留めるように、蜜が糸を引く。  
 
彼女が自分を見上げてくる。  
大きな切れ長の目に、涙さえ浮かべて。  
汗で張り付いた前髪を、撫でるようにして退ける。  
彼女が呟く。  
「待たせないで」  
 
別に焦らしていたわけではないのだ。  
ここまで言わせて、まだ待たせようとは思わない。  
 
 
 
目を閉じると、入り口に熱いものが触れるのを感じた。  
待ち焦がれていた瞬間。  
 
分け入られるような、押し込まれるような感覚。  
痛みと紙一重の圧迫感。  
心ごと、身体が震えた。  
「きゃ…っあ……!」  
 
どちらが慣れた結果なのか、以前に比べれば容易に動けるようだ。  
内壁を確かめるような、丁寧な抽送。  
 
中の敏感な部分を擦りながら、彼が規則的に動く。  
「あっ、あっ、はぁ、っあ…」  
 
彼のものが、最奥に当たる。  
「あ、ああ……っ!」  
彼女がひときわ高い声を上げる。  
触れたのは確かに一点なのが分かるのに、全身が感じる。  
掴まっていた手が、彼の背中を引っかいてしまう。  
 
背中に小さな痛みを感じたが、一瞬後には気にならなくなった。  
柔らかいはずの粘膜が、強く締め付けてきて、彼を煽る。  
 
「あっ、あん、はぁ、あ…」  
自分の下であられもない声をあげて乱れる女性。  
眉根を寄せ、肌を上気させ、濡れた唇を開いたまま。  
 
この人と目を合わせるのが精一杯だった頃があった。  
不思議とそんなことが頭に浮かぶ。  
この快楽でもう既に思考など飛んでいるはずの頭に。  
 
少し前まで、奥に当たると痛みを感じていたようだったが、いつの間にか快感を得られるようになっていた。  
変わらないようで、何かは変わっているものなのか。  
薄く彼女が目を開ける。  
涙を浮かべた瞳に誘われるように、彼は行為に没頭する。  
「あっ、ああ、んっ、あっ」  
時々、最奥まで、自分を触れさせる。  
 
抜く時に感じる抵抗は変わらずあった。  
惜しむように、絡み付く感触。  
だが挿入が徐々に楽になる。  
それどころか、中に引き込まれるような感覚を、彼は覚えた。  
限界が近いことぐらい分かっていたが、それほど焦りは感じない。  
背を反らして彼女があげる声で、彼女も同じであると彼は気付いていた。  
 
 
 
彼が動く度に、結合部から粘度のある水音が聞こえる。  
耳を塞ぎたくなる羞恥と、どうしようもない興奮を覚える。  
「はぁ、あっ、あ、あ…っ」  
目も眩みそうな快楽。  
突かれる度に、声が押し出されるように唇から零れる。  
 
波にさらわれそうになる自分を、もっと繋ぎ止めてほしい。  
もうこれ以上の快感は受け止められないのに、もっと、と本能が叫ぶ。  
 
彼の左手が、彼女の涙を掬う。  
強く瞑った目を開けると、その手が視界に入った。  
自分のものとは違ったが、綺麗な手だと思う。  
すらりとした長い指。  
これよりも大きなものが、自分の中に今あるのだ。  
その事実が彼女をさらに溺れさせる。  
 
絶頂直前の感覚に、身体が震える。  
「あ、あ、…も…っ」  
もう駄目、という単純な言葉が、言葉にならない。  
声が上擦る。  
 
最奥を抉るように強く、彼のものが擦った瞬間、最後の引き金が、引かれた。  
「あ、ああっ…!」  
中が強く、彼を離さないように締まる。  
そしてその収縮によって、彼女は彼の絶頂を誘った。  
抱きしめられた身体にも、内側にも、彼の体温を感じて、心底満たされる思いだった。  
 
気怠い温かさ、抱き合った後の余韻。  
ベッドの中で、彼はそれらを享受していた。  
 
傍らに眠る、彼の恋人。  
長い髪に手を伸ばして梳くと、ほのかに伝わる体温が心地良い。  
シーツを引っ張り上げる。彼女を隠すように。  
 
うっすらと、彼女が目を開く。  
なんとなく、悪戯を見つかった時のような気持ちになって、手を引っ込める。  
「…起こした?」  
その言葉に、彼女は悪戯っぽく微笑んで言った。  
「起きてたわよ」  
こういう時、いつも表情の選択に迷う。  
彼の中にまだある「子供」の一面。  
彼女はそれを可愛いと言うが、言われて嬉しいものではない。  
くすくす笑う彼女を、引き寄せて腕の中に収める。  
 
「あ」  
しばらくそうしていたが、不意に彼女が頭を上げた。  
その顔を覗き込むと、彼女が言う。  
「帽子、廊下に落としたままだったんじゃない?」  
「……………」  
記憶を辿る。  
確かに、拾った覚えがなかった。  
 
 
「本当だ」  
かすかにアスコットが笑った。  
「拾いに行かなきゃ」  
海が起きあがろうとする。  
今度ははっきり、彼は笑った。  
「行かなくていいよ」  
そう言って寝ころんだ状態のまま、腕を軽く天井に向ける。  
小さな物を握るようにした手を、開くとそこからグリーンの光が現れた。  
光は一瞬で約1mの魔法陣に変わったが、もう既に術者はそれを見ていなかった。  
彼女をもう一度抱き寄せる彼の背後に、帽子が落ちる音がした。  
「便利ね」  
「帽子が追いかけてきてくれた方が、便利だと思うけど」  
健気に頑張って転がってくる帽子を想像して、可笑しくなる。  
「呼ぶぐらい、してあげて?」  
「…そうだね」  
彼が微笑んで、目を閉じた。  
 
眠る彼を起こさないよう、そっとベッドを抜け出す。  
身につけた自分の服の上に、彼の長衣を羽織る。  
そしてベッドサイドに落ちた帽子を、頭の上に載せてみる。  
姿見に映った自分を見る。  
「…あまり似合わないわね」  
小さく呟く。  
「そう?」  
後ろから、声が聞こえた。  
振り返ると、ベッドに腰掛けた彼が笑っている。  
長衣と帽子のない姿は、地球にもいそうな普通の男の子のそれだった。  
こちらに歩いてくる。  
 
羽織っていた長衣を、彼の肩にかける。  
大人しくそれを着る彼を見て、なんとなく幸せだと思う。  
ベルトや肩の飾りを身につけた彼の頭に、帽子を載せた。  
 
 
彼女に手を差し出した。  
「行こうか」  
その言葉に、彼女は何度見ても飽きない笑顔で答えてくれる。  
「ええ」  
行為の最中と全く違うその表情。  
その落差を知っていることが、密かに嬉しい。  
細い指が自分のそれに絡む。  
 
そして部屋を出て、二人は廊下を歩き出す。  
 
 
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