視野いっぱいに広がる白は、小さな正方形の集合体。  
天井のパネルだ。  
まばたきをして初めて、ハルは自分が目を開いたまま数秒ないしは数分間、  
意識を失っていたのを悟った。  
まぶたを閉じた拍子に溜まっていた涙が目尻から頬へ滑り落ちていく。  
最初の涙では無い証拠に、こめかみの辺りの髪が湿っている感触があった。  
(なんだろ・・・そんなにひどく泣いてたんでしょうか)  
ぐいっと拭うと視界に煙がよぎるのが見えて、そこでようやくハルは隣の  
存在を思い出す。  
慌てて掛け布を引き寄せようとしたら体はもうきちんと覆われていた。  
 
「・・・よぉ」  
挨拶にしては短過ぎる呼び掛けには何故か気遣う色がある。  
反射的に「・・・はぁ」と応じたハルは、上体を起こして灰皿片手に紫煙を  
燻らす獄寺と顔を見合わせ―――ほとんど同時に、逸らしてしまった。  
(ひゃわー・・・いわゆる、これって・・・)  
イった、というやつですか?と先程までの自らの状態を思い出して、ハルは  
頭が爆発しそうになった。  
 
ツナを挟んでほとんど敵対関係に近かった自分達が、どうすればこんな関係にまで  
発展するのかはとても一言では言い表せない。  
いわゆる『初めて』の時は本当に痛いばかりで、その後もしばらくは行為の在り方  
すら疑問な有様だった。ハルからはどう見ても獄寺自身も気持ち良さそうに  
見えなかったから。  
外見からなんとなく経験を積みまくっているんだろうと想像していた獄寺も、  
実はハルとが初めてで。  
未だにぎこちなさが残る関係ではあったけれど、避妊はきちんとしているし、  
不器用に求められればこそばゆく感じながらも嬉しかった。  
ハルにとっては嫌々では無いが、かと言って喜んでする気にもなれなかった事・・・  
それが、今回ばかりは―――  
 
(正直、キモチ、ヨカッタ、でしょーか)  
 
約束の午前に訪ねた獄寺の部屋で何かが違うと気付いたのは、その表情や声の暗さと、  
ハルがそれを指摘した後のキスの荒々しさだった。  
 
「・・・はひー!ちょちょちょっと獄寺さ・・・!?」  
ハルの渾身の力で押し返そうとした胸は揺るがない。  
足も使ったが、逆にころんと転がされた上に動きを封じられてしまった。  
たどたどしかった今までの手つきとは比べ物にならない手早さで服が剥がされていく。  
こんな時なのにハルはしきりと明るい部屋が気にかかった。  
どうしようもない事を心配している間に、あらわにされた胸を獄寺の手が揉みしだく様が  
白日の下に曝される。  
「・・・や・・・っ」  
目を瞑っても快感は却って増幅されてしまう気がした。  
(怖い・・・)  
乱暴されている訳じゃない、嫌でもない。  
だからこれは純粋な恐怖とは違う、未知の何かへの怯え。  
そしてその怯えは獄寺がハルの中に入って来た時にますます強くなった。  
突き上げられる度に痛みを凌駕するものが少しずつ、確実に体の芯から迫り上がり、  
やがては一つの感覚に占領される。それが他の全てを押し遣ってしまう。  
「ふぁ・・・ん、ぁっ、あ・・・!」  
かろうじて残されていた羞恥心さえも儚く消えた。声が勝手に漏れ出すのを止められない。  
どうしようもなく縋った背中、動きに合わせて揺れる薄茶の髪からは嗅ぎ慣れた煙草の  
匂いがして、一瞬だけハルの意識を引き戻した。  
「・・・だっ・・・だめです、あたま・・・が・・・っ!!」  
「―――ハル」  
耳朶を掠るせわしない息の下、硬い声で名前を呼ばれると、ハルの背筋に  
緊張とも興奮ともつかぬ激しい震えが駆け抜けた。  
 
(私・・・充分怒っていい立場にある筈、ですよね)  
獄寺がこちらを向いていない隙にそっと見た、ハルより大きな背中には、  
彼女の抵抗―――もしくは行き場の無かった昂りの痕が残されていた。  
明らかに痛そうに見える。  
(薬、擦り傷のでいいんでしょうか・・・この部屋にありましたっけ。  
いえそれより)  
こんな状況下での行為で自失してしまった様子を見られたのかと思うと  
怒る以前に恥ずかしさが込み上げて、今にも悲鳴となって炸裂しそうだった。  
「ハルはマゾじゃありませんよー!!!」と。  
単に慣れとのタイミングが重なったに過ぎないと思いたいのだが、妙に気まずい。  
相手は相手でもっと気まずそうだしで、ハルはこの場をどう切り抜けようかと  
懸命に考えた。  
 
そこへ、  
「わりー・・・マジ悪かった。殴っていいぞ。むしろ殴れ。蹴ってくれ」  
煙草を揉み消した獄寺が、思い詰めた顔でハルの方を向いて先に謝った。  
(け、蹴ってって・・・獄寺さんこそマゾなんじゃ・・・というか私、  
そんなにいつも足使ってますかね)  
謝罪の内容には引っ掛かるものを覚えたが、ハルはまだ揺れている気がする  
身体を起こすと首を横に振って疑問を素直に口にした。  
「やっぱり、荒れて、ました?」  
 
悪かった、と繰り返して項垂れる様子は萎れた花―――もっと近い表現だと叱られた犬だ。  
それを見てハルにも察せられた。  
獄寺がここまで落ち込む理由は、ツナとの間に何かあったという以外にはないだろうと。  
「―――今はお聞きしない方がいいみたいですね」  
「・・・サイテーだ、オレ」  
呻く獄寺に、  
「でも、嬉しい事だけじゃなくて悲しい事や辛い事も一緒に分け合えるのも、お付き合い  
する意義・・・って何だか変な表現ですけど、そういう事なんじゃないでしょうか。  
ハルだってよく獄寺さんにぶつけてますし、おあいこってやつです。  
ツナさんにはさっさと気持ちを切り替えて謝っちゃいましょうよ」  
ようやく頭を上げた獄寺の顔には、少しだけ笑みがあった。  
「・・・ああ。ありがとな」  
「それに―――まあ、あの、なんと言いますか・・・えと、今日は、そんなに・・・」  
ハルが赤くなって言いにくそうにしていると、獄寺も同じように赤くなって口ごもる。  
「あ?あー、まー・・・その―――アレだ・・・安心したっつーかよ・・・」  
「・・・はりゃ?もしかして、結構気にかけて下さってた、とか?」  
思い切って聞いてみると案の定、それまでのハルの痛がり方を見て  
「オレって下手なのか?」と自信を失くしていたらしい事が判った。  
 
―――ただし、これで一件落着という訳には行かなかったのだ。  
(も、もう少し自信を失わせたままでも良かった・・・です)  
打って変わって不敵な笑みを浮かべる獄寺を見て、ハルは日が暮れるまで  
後悔の言葉を連ねていた。  
 
【終】  
 

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