とある町の昔ながらのラーメン屋。一日のうちで最も忙しい夕飯時、少女は元気に働いていた。  
可憐な少女だった。大きなつり目に広いおでこにおさげ髪。  
汗水たらして健気に頑張るその姿は仕事疲れの男たちを癒すには充分すぎる。  
「ねーちゃん、ビールもう一杯!」  
「こっちは替え玉一丁頼むよ!」  
「はーい! 少々お待ちくださいませー!」  
お世辞にも上品とは言えない店だったが、少女はこの店が大好きだった。  
ここはいつも活気に溢れ、生きる元気を与えてくれる。  
若くして故郷を離れ一人異国の地で生活する少女にとって、この店は単なる職場ではなかった。  
 
目の回るような忙しさも一段落し、閉店の時間が迫ってきた。  
もうすぐオーダーが打ち切られる。そんな時にガラガラと戸を開ける音がした。  
多分今日最後の客だ。精一杯おもてなししないと。  
「いらっしゃいま…って、なんだ、あんたか」  
「なんだとはなんだ、僕は客だよ」  
入ってきたのは少年だった。年の頃は少女と似たりよったり。  
目を引くのは高い背丈とぼさぼさ頭、そして西洋人らしき整った顔立ち。  
もう秋だというのに胸のはだけた服を着て、ぽりぽりと頭をかきながらカウンター席に座った。  
いつもと同じ席、いつもと同じしぐさ、そして注文も、  
「いつものやつ頼むよ」  
この少年はいつもこれだった。  
 
店主はいかにも嬉しそうに  
「やあランボ君! どうしたんだい最近来てくれなかったじゃないか!」  
「ああちょっと風邪をひいちゃいましてね。ようやく治ったんでラーメンでも食おうかな、と」  
それを聞いた店主、ははあと一人納得した様子で  
「なるほど、最近イーピンが妙にそわそわして落ち着かなかったのはそのせいか」  
店の隅でテーブルを拭いていた少女は、それを聞くなり振り向いて  
「ちょ、何言ってるんですかおじさん! もう、ヘンな冗談はやめてください。  
こんな奴がどうなっても私は知ったこっちゃないんですから」  
「はっはっは、まあそういうことにしとこうか」  
店主は大人の余裕で少女の反論を受け流した。  
「そこまで露骨に嫌われるのも面白くないなあ」  
少年のつぶやきは少女の耳にも入ったが、少女は無視を決め込むことにした。  
 
深夜になってようやく店の後片付けも終わり、少女は帰路に着いた。  
ここからアパートまでは目と鼻の先だ。目をつぶっても家には着ける。  
満天とまではいかないまでも美しい星空を見上げて歩く少女の前に、先ほどの少年が現れた。  
「やっと終わったのかい。相変わらず良く頑張るね」  
そういうあんたはこんな時間に何の用なのよ、と言う前に少年は手に持っていた物を少女の前に差し出した。  
「これ、お礼だよ」  
「お礼?」  
見ればそれは可愛くラッピングされた箱だった。  
 
「心配してくれたお礼」  
「べ、別に心配なんか」  
「感謝してるから」  
それだけ言うと少年はぶっきらぼうに箱を手渡した。  
「何よ、もう」  
そう言いつつ突き返す訳にも行かず少女はそれを開けた。  
まったく期待していないと言ったらウソになる。  
中に入っていたのは手袋だった。綺麗な赤い手袋だった。  
「これから寒くなるだろう? だから役に立つと思ってさ」  
「これって…」  
「気に入ってくれた?」  
少年は微笑んだ。  
その表情に一瞬少女は目を奪われる。一度だけ少女は少年に話したことがった。  
あんな手袋が欲しいなあ、でもちょっと高いよね…。  
そんなに最近の話ではなかった。けれど少年は覚えていた。  
少女も微笑んだ。頬を赤らめて微笑んだ。  
いつもそうだ。いつもこいつはこんなふうに私を戸惑わせるんだ。  
ずっと、ずっとそうだ。  
 
少年の右手が少女の左手を握った。  
二人は並んで歩き出す。  
何も話さず、どこに向かうでもなく、ただ寄り添って歩いた。  
どれほどそうしていただろうか。  
「イーピン」  
少年が口を開いた。  
少女が左を向く。少年の唇が見えた。  
いつの間にこんなに大きくなったんだろう。昔は私より小さかったのに。  
少女は見上げた。少年の瞳に自分が映る。  
それは優しくて、でも今までになく真剣な瞳だった。  
「好きだ」  
少年は言った。小さな声で。握っていた手に力を込めて。  
「うん」  
少女はうつむいた。手に力を込め返した。  
「私も」  
少年の手が少女の肩を抱いた。  
二人は目を閉じて、  
 
それは少女にとって初めての感触だった。  
 

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